第一話:おとぎ話が終わった後
初めまして!読んで下さってありがとうございます!
祈っていれば楽だった。微かな希望が、切れかけた糸を繋ぎ直してくれるから。
あのまま死ねれば楽だった。苦しみの中、生きていかなくてもいいから。
―――――
カラン、カラン、カラン。
高らかに鳴り響く三回の鐘の音は、私の四度目の結婚を祝う祝福の旋律だった。
翡翠の瞳、あたたかな指先、そして誓いの口づけ。
あなたの隣で私は愚かにも笑っていた。
「また、あのカフェに行こう。君の好きな、バニラのアイスクリームを食べに」
そう私の頬を撫でた彼の手は、確かに温かくて。
「ええ。あなたとなら、いつだって」
私は彼の手のひらに頬ずりして、自分の手を重ねた。
絡め合った薬指には、エメラルドの指輪が光る。
――その幸せが、わずか数時間後には鉄の匂いと、冷え切った亡骸に変わるとも知らずに。
「いやあああああっ!!」
私たちの初夜は、いつまで経ってもやって来ない。
乱れもしない寝室のベッド。床に広がる血の海。
握りしめられた冷たい手の中には、汚れ一つない結婚指輪が煌めいていた。
鉄が錆びたような匂いが部屋を覆い尽くし、彼の新緑を思わせる香水の香りに混ざって、消してゆく。
私の叫び声に気がついた使用人たちが走ってくる音がする。
「奥様!? 奥様、大丈夫ですか? 一体何がーー」
彼らは部屋に入って来るなり目を背け、見てはいけないものを見たかのように口を抑えた。
「ねえ、そこのあなた。シェイラムが起きないの。どうしたのかしら?眠るには、まだ早い時間なのに」
誰に頼まれたのか、大量のタオルを持って走ってきた侍女はドアの前で尻餅をつき、声も出せずに後ずさった。
男たちは数人がかりでシェイラムの体を探り、首元に手を当てている。口々に何かを話したかと思うと、みな首を振ってため息をついた。
「奥様。残念ながらもう、旦那様は…」
そのうちの一人が私に背を向けたまま、蚊の鳴くような声でそう呟くと、シェイラムの体を持ち上げようとする。
「どうしたの? シェイラムをどこに連れていくの?
違う。違うわ。彼がもう寝たいって言ったの。今やっと眠りについたところなのよ。朝まできっと起きないわ。今日は初夜なんだし、私に全部任せてちょうだい」
耐えきれず私は彼らの足元にすがった。彼らの足に掴みかかった手から、小刻みな震えが伝わる。
「離してください奥様。見ればわかるでしょう。言いたくないんです」
使用人たちは静かな声で背中越しに言って、私の手を強引に振り解いた。
「何言ってるのよ。私、約束したんだから。彼と一緒にアイスクリームを食べに行くって。日にちも、時間も決めてあるのよ? 今日の夜だって、彼もずっと楽しみだってーー」
「奥様!」
滅多に声を荒げない執事が急に大声で怒鳴る。キッと私の方を振り返ったと思うと、私の腕を掴み、両の手首を押さえつけた。
「死んだんですよ! 旦那様は、亡くなったんですよ!」
言われた言葉に納得できず、私は執事の手を全力で退かそうとした。だが、その老体のどこから出ているのか分からないほどの力に抵抗できない。
「離して! 離してよっ! まだ…まだシェイラムは生きているわ。見なさいよ、あんなに優しい顔で笑っているじゃない! ほら、ほら!」
分からない。なんで彼らが私を哀れむような目で見ているのか。
彼はいつも通り、眠っているだけなのに。
泣き叫ぶ私は、遅れてきた他の使用人たちの手によって取り押さえられ、すぐ自室に閉じ込められた。
…
……
頭がぼーっとする。何があったんだっけ。そうだ。シェイラム。
シェイラムに会いに行かないと。
言っていたじゃないか。話したいことがあると。うん、そう、聞きに行かないといけない。彼が私の話を聞いてくれたように、私も彼の話を聞きたいから。
…あれ?
昨日の夜はどうしたんだっけ。思い出せない。
………。
ねえ、神様。あなたはいつも、私の願いを聞いてくれませんでした。
あの日、家族がバラバラになった日も。あの日、前の夫が死んだ日も。
でも私は分かっています。全部この時のためだったのですよね。
私の人生の全ての不幸は、何もかも。シェイラムに出会って、恋をして、彼に捧げるためにあったのですよね。
お願いします。
なんでも捧げます。金も地位も、命も要りません。彼に会えなくても構いません。
ただ、彼を生き返らせて下さい。
それだけで良いから。それ以上は、もう何も望まないから。
…
……
「奥様。お食事をお召し上がりになって下さい」
…
神様。あなたなら分かってくれますよね。
シェイラムはいい人でした。私が背負った業も全て、一緒に背負うと言ってくれたのです。そんな人は、初めてでした。
良い人なら、生きても良いですよね?死ななくても良いですよね?
…
「奥様、このままではあなたまで…」
……
神様。何で私は生かされているのでしょうか。
なぜ私は、まだ死んでいないのでしょうか。
シェイラムはもういないのに。こんな世界で、何で…。
……
………
「お姉様。辛いのは分かるわ。分かるけど、せめて水を…」
………
…………
ああ、死にたい。
シェイラムに会いたい。死んだら会えるかな。
…
……
「お姉様。お姉様!」
………
…………
ああ、私が祈ったって無駄だ。このまま死んだって無駄だ。神もーー誰も私のことなんて、見てくれない。
……。
『クロティル。君が、クロティルだろう? ほら、そんな所にいないで。
こっちに来なさい。大丈夫だ。もう、大丈夫だから』
お祖父様が呼んでいる。そうだ、行かなければ。
『クロティル。思い出しなさい。私の教えは、覚えているだろう?』
どうしたの?連れて行ってくれるんじゃないの?
『おかしいと思ったこと。理解できなかったこと。一つ一つ、読み解いていくんだ。いつも、君はそれが得意だったじゃないか』
そういえば、何で彼は死んだんだっけ。
――――ガタン。
大きな音が脳内で鳴り響き、不意に意識が覚醒する。
三日間ずっと、祈るために折りたたんでいた脚が痺れて、動かない。
「あ、あ…」
水も食事も一切摂っていない身体は、腕を動かすことさえままならなかった。
それでも、開いたドアの隙間から見える光が、私の脳を呼び覚ます。
「これは、偶然じゃない」
掠れて声にもならない声が、静かな部屋の中にこだまする。
そうだ。これは偶然じゃない。必然だ。シェイラムは刺されている。
私の四人の夫の死は、きっと必然だったのだ。
微かに照らされた私の手のひら。そこにあるのは、乾き切ったシェイラムの血。
ボロボロと崩れ、落ちゆくそれを見つめて、私は見えない空を仰ぐ。
「――クロティル・ヴェルディスタ。愛しているよ。君がどんな過去を背負っていても、僕がその全てから君を守ってみせる」
昼間聴いたばかりの言葉が、胸の中で確かに響いた。
もう私は誰も愛さない。誰にも守られない。二度と神になんて祈らない。
――私が持つ『すべて』を賭けて、犯人を奈落の底に突き落としてやる。
私はずるずると身体を引きずり、少しずつ、少しずつドアへと近づいた。
力が入らない腕を、やっとの思いで持ち上げ、一回、また一回と地面を掴んで身体を押し出す。
「あ、ああ…」
手探りでドアノブを探し、手に引っかかったそれに手をかけ、全力で身体を引き上げる。立ち上がれもしないまま、震える指でドアの鍵をようやく開けた。
――キィッ。
ドアが開き、三日ぶりに見る外の光が目にしみる。
ドアの前に置かれた、いつかの分の食事が目に入った。
「おえっ」
強すぎるその匂いに耐えきれず、喉が拒否反応を示している。
だけど、やめるわけにはいかない。
食べなければ。生きなければ。
「んぐ、ぐふっ、んぐっ」
コップに入った水を飲んだ。どこか酸っぱい味がして、吐き出しそうになるのを耐えた。プルプルと震える手で水差しを持ち上げ、どうにかコップに水を注ぐ。ばしゃり、と大部分がこぼれてしまったが、構わず水を飲み続けた。
ふと、皿の上にいくつも置かれたパンが目に入る。私は皿ごとそれを掴んで、口の中に押し込んだ。
「おえっ、んぐ、んっ」
放置されてカラカラに乾いたパンに、口の中の水分が奪われていく。噛み切ることができないほど硬い。喉を通るたびに痛くて、皿の上に戻したくなった。
それでも飲み込め、食べろ、生きるために。生きろ、夫たちの仇を討つために。
床に這いつくばり、生理的に溢れる涙も抑えられぬまま、吐き気を堪えて無理やり突っ込み続ける。
死ぬな。一口でも多く食べろ。一滴でも多く飲め。まだ、死ねない。彼らの仇を討つまでは。彼らが死んだ理由を、この目で確かめるまでは。
止まらない自分の嗚咽を耳にしながら、私は無我夢中で食事を食べた。
お祖父様に救ってもらった、あの日と同じように。
――そうだ、神様。私はもう祈らない。あなたに見てほしいとも思わない。
自分のこの手で、この命を以て、私は絶対にやり遂げるから。
――――――
翌日、王国全土を揺るがせる衝撃的な新郎殺人事件が新聞を賑わせる。
刺殺体の第一発見者は、新婦である私。
一面の見出しはどれも同じ。
―美しく、けれどあまりに残酷な毒。
彼女を愛した男たちは、皆その杯を飲み干し、物言わぬ骸となったー
『4人の夫が飲んだ、冥府の毒杯。
断糸の未亡人ーー名は、クロティル』
今は誰も知らない。その悪女が、後に王国の理を完膚なきまでに覆すことを。
そしてその壮大な演劇に隠された、記憶をたどる一人の人間の物語を。
最後まで読んで頂けて嬉しいです!
これからの旅路、クロティルたちをどうぞよろしくお願いします!
当分は毎日18時に更新していく予定です。
傾向により変更する可能性もありますが、その時は都度報告します。




