第1章 竜守の少年 ⑤
トライクが三つの轍を残して森の中を疾走する。
トライクにはサンカリが乗っていた。女の子を探そうとするサンカリに対して、父は躊躇うことなくトライクを貸してくれた。
父は念のために家に残り、周囲だけを探している。
周辺の森の地形はおおよそ把握している。徒歩で移動するときに選ぶであろうルートは見当がついた。
サンカリは間もなく、木々の隙間を縫って走る人影を見つけた。揺れ動く金色の髪が間違いなく彼女であることを示していた。
サンカリは胸を撫で下ろしたが、それもごくわずかな間のことだった。
様子がおかしい。彼女は走りながら、ときたま必死の形相で振り返った。明らかに何かから逃げている雰囲気だった。サンカリが目を凝らすと、彼女の後方にさらに二人の黒服の男の姿が見えた。サンカリは女の子と黒服たちの間に割り込む格好でトライクを一気に滑り込ませた。ちらと振り返ってみると、二人とも黒い詰襟の服を着た男だった。男たちは突然現れたサンカリに一瞬だけ慌てふためいたが、すぐに距離を詰めようとしてきた。
サンカリはさらにスピードを上げ、女の子の真横に並んだ。トライクのエンジン音に負けないくらいの大声で少女に向かってがなり立てた。
「乗って!」
女の子は疲れをにじませながらも、不審なものを見る鋭い目つきをサンカリへと向けた。女の子の瞳は澄んだ湖のように透明なブルーで、やはりアフォンヒルグルでは目にしたことのない色だった。
「早く! 追いつかれる!」
女の子はなおも迷っていた様子だが、背後を振り返り、詰襟の男たちがすぐそばまで迫ってきていることに気づくと、意を決して後部座席へと飛び乗った。
「掴まってて!」
黒服の男の手が女の子の髪を掴む寸前、サンカリはスロットルを全開にした。灰色の煙を吐き出しながらトライクは急加速。なおも追い縋ろうとする男たちを瞬く間に引き離した。
「ここまで来れば安心かな」
男たちの姿が完全に見えなくなってから、サンカリはトライクを停車させた。
「とりあえずは大丈夫だと思うよ」
相手を安心させるつもりで話しかけたのだが、女の子は表情を強張らせたままだった。
「助けてくれてありがとう。それじゃ私、もう行くから」
女の子はあまり心のこもっていない言い方でそう述べると、さっさとトライクを降り、歩き出そうとした。
「え? ちょ、ちょっと待って!」
サンカリはトライクから転げるように降車すると、女の子の手を掴んだ。
「まださっきの奴らが近くにいるかもしれない。下手に動くのは危険だよ!」
「離して!」
女の子はサンカリの手を振り払い、サンカリの目を見返した。サンカリと女の子の視線の高さはほぼ同じだった。サンカリの正面に女の子のブルーの瞳が現れる。
女の子の表情は強張っていたが、それは先ほどまでの恐怖と不信感が入り混じったものとは少し違っていた。決意、覚悟、使命感──そういった感情のこもった悲愴なものに感じられた。女の子の瞳は彼女の真剣さを反映して、一段と混じりけのない青に染まっているように見えた。
綺麗だな。ほんの一瞬、サンカリは今の状況を忘れて、その瞳の美しさに見惚れた。
「私は友達を探しに行かなきゃいけないの!」
「ちょっと待ってってば!」
サンカリが女の子に手を伸ばした瞬間、サンカリと女の子の胸元で緑色の光が炸裂した。
目も眩むほどの明るさだった。にもかかわらず、サンカリはとても落ち着いた気分だった。光があまりにも優しさに満ち溢れたものだったからだ。それは女の子の胸から放たれる光も同じだった。
光が収まってから、女の子は驚きの表情で首にかけた細い絹の紐を取り出した。
「まさか、虹の石?」
石が紐の先端にぶら下がっていた。竜の牙を象ったような形の石が。サンカリは頷き、革の紐を引っ張って自分の石を掲げて見せた。サンカリの石は竜の翼の形。女の子の物は牙の形。それぞれ形は全く違っていたが、質感はそっくりだった。
「私以外にも竜守がいたなんて!」
女の子は花が咲いたようにぱっと笑ってサンカリに抱きついた。
「わっ」
「あなた、名前は? 私はティテ」
ティテの青い瞳は嬉しさと喜びで満ちていた。
「あ、えっと……僕はサンカリ」
サンカリは狼狽しながらもなんとか答えた。
サンカリは父の言葉を思い出した。自分たち以外の竜守はもう残っていないのかもしれない。しかし、違ったのだ。他にも竜守はいた。竜とともに生きる者がいたのだ。
「ねえ、ティテ。君が探している友達って、もしかして竜?」
サンカリは先ほどから気になっていたことをティテに尋ねた。竜守である彼女が自らの危険を顧みずに探そうとする友達。答えは一つしか思い浮かばない。
ティテは思い詰めた表情でこくんと頷いた。
「やっぱり」
サンカリはティテの虹の石にちらりと目をやった。彼女と絆を分かち合うべき竜を失った石に。
サンカリはシーヴェンの顔を思い浮かべた。あとを頼む。友の言葉を思い出した。
「僕も手伝うよ」
サンカリの言葉が意外だったのか、ティテは目を見開いてすうと息を吸った。それからすぐに、彼女のブルーの瞳は少しだけ潤んだ。
「……良いの?」
「同じ竜守同士だもん。放っておけないよ」
サンカリの心からの言葉だった。シーヴェンを今すぐにでも探しにいきたいと思う気持ちは当然ある。しかし、シーヴェンの言葉を反芻したとき、あとを頼まれたサンカリはティテの力になるべきなのだと感じた。そうすべきだと心で感じたのだ。
ティテは、ありがとう、と袖で両目を拭った。
静かな夜の森に似つかわしくない音が聞こえた。轟々という機械音。エンジンの音だった。近づいてくる。サンカリが音の聞こえた方角に目を凝らすと、猛烈な速度で向かってくる車が見えた。長方形のような変わったシルエットで、屋根がなく、タイヤが大きかった。乗っているのは二人。
「あいつらだ!」
ティテを追いかけていた得体の知れない黒服たちだった。
「乗って!」
サンカリはトライクに飛び乗り、キーを回した。トライクのマフラーが火のように排気ガスを吐き出した。ティテが後部座席に乗り込んだのを確認すると、急発進させた。ティテがサンカリの腰に手を回してぎゅっとしがみついた。
木々を避けながらスピードを緩めずに走った。
やがて森を抜けた。森を抜けると同時に地面の質が変わり、細かな砂利の散乱する道になる。タイヤが砂礫を弾き飛ばし硬質な音を立てた。道の左側はアフォンヒルグルの内陸の高山へ続いており、急な斜面になっている。右側には何もなかった。
「右、崖だよ!」
眼下を覗き込んだティテが叫んだ。
「そうだよ! 下は川! このまま街まで走るよ!」
サンカリはミラーを覗き込んだ。黒服の男たちの車との距離が先ほどまでよりも詰まっていた。
「くっ」
スロットルを回しトライクをさらに加速させるが、加速度も最高速度も向こうのほうが上で、車との距離は縮まる一方だった。
「サンカリ、追いつかれる!」
「分かってる!」
車と接触しそうになるのを、ハンドルを切って避けた。
突然、道がなくなった。道の蛇行に気づかず、前輪が崖へはみ出してしまった。
「しまった!」
気づいたときには遅かった。前輪に続いて後輪が道をはみ出し、最後にもう一つの後輪も。
「うわあああ!」
「きゃああああ!」
崖から飛び出したトライクは、サンカリとティテを乗せたまま遥か下方の川へと真っ逆さまに落ちていった。




