第4章 飛行艇アルデア・アルバ ③
目を覚ますと、見たことのない天井があった。真っ白なペンキで一色に塗りつぶされた殺風景な天井。ベッドは小さくて、ティテでも少し窮屈さを感じるほどだったが、布団も毛布も枕も自分の家の物よりもふかふかで柔らかくて、誘惑を断ち切って起き上がるのにかなりの勇気を要した。
ベッドと同じく小さな部屋だった。棚の中は薬や包帯などでいっぱいになっている。壁にティテの顔ぐらいの大きさの丸窓があった。はめ殺しになっていて開けることは出来ない。覗いてみると、太陽に真横から照らされている雲が見えた。
「飛行艇の中?」
眼下を雲がものすごい速さで流れていっている。かなりの速度で航行しているのだろうが、そのわりには揺れをほとんど感じない。
(飛行艇ってこんなに快適なものだったんだ)
生まれて初めて乗った飛行艇の乗り心地にティテは軽い感動を覚えた。
机の上にトレーが置いてあり、料理が乗っていた。丸パンが二つと固そうな肉が一枚、そして温かいスープ。メモが添えられていた。
「疲れが溜まっているはずなので、今日はゆっくり休むと良いでしょう。何かあれば、入口横の通信機で艦橋を呼び出してください」
達筆な字でそう書かれていた。
スープはまだ温かく、大きくカットした野菜がたっぷり入っていて、果肉の旨味の効いたちょっと酸っぱい味つけでとても美味しかった。食欲はないつもりだったが、一口食べるとあまりの美味しさに次々とスプーンを口に運んでしまい、結局はパンも肉も全部食べてしまった。よく考えれば朝にカノリデーでフィッシュフライサンドを食べたきりなのだ。今は夕陽が沈むような時間なのだから(あのオレンジ色の太陽が朝陽ということはないだろう)、半日以上飲まず食わずだったのだ。お腹も空く。
ティテは通信機のレシーバーを手に取ろうとして、
「……」
思いとどまった。
すぐ横にある扉のノブに手をかけ、ひねった。きぃと音を立てて重い扉が開いた。自然の温もりを少しも感じられない灰色の通路が右にも左にも続いている。誰もいない。一定間隔に設置された豆電球が窓のない通路を照らしているだけ。静かだ。しんと静まり返っている。
ティテは通路をそっと歩いていった。どれほど気をつけていても硬質な床に靴がぶつかる度に足音が響く。通路の両側に並ぶ頑丈そうな扉はいずれも閉まっていて、覗き窓の一つもなくて中の様子は窺えない。まさか誰も乗っていない幽霊船なんてことはないだろうか。そんな不気味な想像をしてしまう。
ティテは立ち止まった。何か聞こえた気がしたのだ。艇内には低く唸るようなエンジン音が途切れることなく響いているが、その音に紛れて確かに聞こえた。両手を耳に当ててそばだてる。音の出どころを探って梯子のような階段を上って辿り着いた先には「隊長室」と書かれたプレートが掲げられている扉があった。
扉の向こうから音楽が聞こえる。抒情的で郷愁的な音色。初めて聞く曲なのに、何故か懐かしさを感じてしまうのは、楽器の音色のせいなのか、演奏者の腕のためなのか。
曲の途中で演奏が不意に止まった。ドアの向こうで人が動く気配がして、ティテが扉から離れるべきか迷っているうちに開いた。
白い軍服を着た女性が立っていた。
「君か」
「あなたは……」
カノリデーでティテとサンカリを助けてくれた女性だった。
「よく眠れたか? 調子はもう大丈夫か?」
「はい。ご飯も食べました」
「それは良かった。こんなところでは何だから、入るか?」
ティテは女軍人に招き入れられ、隊長室へ足を踏み入れた。
部屋は狭かった。大半はベッドと机で占められていて、机の上は拡げられた書類と積まれたファイルでいっぱいになっている。壁には、通信機と小さな棚が取り付けられている以外は飾りの一つもなく、女性らしさは皆無だ。飛行艇は限られたスペースを有効活用するために徹底的な効率化が図られていると聞いたことがあるが、部隊で一番偉いはずの隊長の個室ですらこんなに狭いとは。
「ここは、あなたたちの飛行艇なんですか?」
「ああ。飛行艇アルデア・アルバ。私たちの船だ。私は隊長のソティラス。デゼルタ―を追う部隊を率いている」
ソティラスに促され、ティテはベッドの端に腰かけた。ソティラスは机とセットになった椅子に座る。布の貼られた背もたれとキャスターのついたもので、これは隊長らしい装いの物だ。
ソティラスは、ティテが救出される直前にサンカリと話したことや、彼やシーヴェンと竜の台座を目指していることなどを教えてくれた。
そこまで話したソティラスは立ち上がると、ティテを真っ直ぐに見て、厳しい表情で頭を下げた。
「君の友である竜のこと、すまなかった」
ティテは焦った。自分よりもずっと年上の大人であるソティラスが、子どもである自分に真摯に謝罪するという状況に戸惑ってしまったのだ。
「ど、どうしてあなたが謝るんですか。あなたはむしろ私たちを助けてくれたのに」
「だが、間に合わなかった」
「それは結果としてそうなっただけで、あなたのせいじゃ……」
「デゼルターが何のために君と君の竜を襲ったかを知っているか?」
ソティラスはティテに尋ねた。
「竜の台座の封印を解くために軍を脱走したって、あの男は言ってました」
「そうだ。私たちがもっと早くあの男を捕獲できていれば、君の友は死なずに済んだかもしれない。だから、私にも責任はある。頭を下げて済むような問題ではないが、すまなかった」
もう一度、ソティラスは頭を深く下げた。肩口で揃えられた艶のある黒髪が垂れて彼女の顔を覆い隠した。
違う。悪いのは絶対にデゼルターであって、あなたは何も悪くない。ということをティテは口にすることが出来なかった。頭ではそれが正しいのだとちゃんと理解しているし、そう伝えるべきだということも分かっている。だが、彼女に頭を下げられたとき、あとほんの少しでもあなたたちが早く動いていてくれたら何か変わったかもしれない、と思ってしまった。彼女に対する恨みや憎しみのような醜い感情が、わずかに、だがしっかりと、心の中に芽生えてしまった。だからティテはソティラスの謝罪を受け止めることが出来なくなってしまった。
口をついて出たのは、自分でも思ってもみない質問だった。
「あの男、何者なんですか?」
想定外の質問だったのか、ソティラスは一瞬だけ戸惑ったあと、
「……それを聞いてどうするんだ?」
ティテに尋ね返した。
どうするつもりなのだろう。聞いておきながら、ティテは自分でも分からなかった。口が勝手に動いて、自然と出てきた質問がそれだったのだ。
「デゼルターについては非開示情報に指定される可能性がある。無闇に話すわけにはいかない」
ティテの沈黙を返答と受け取ったソティラスがそう言った。
「そうですか……」
ティテはソティラスの言葉を聞いて落胆し、落胆したことに心の中で驚いていた。やはり自分はデゼルターのことを知りたがっていたのだと気づいたからだ。何故知りたかったのか? 知ってどうするつもりだったのか? 答えは出ない。
ソティラスが机の下に手を伸ばし、何かを引っ張り出した。二つの四角が中央の蛇腹でつながっていて、片方の四角には鍵盤が、もう一方には多数のボタンが並ぶ。アコーディオンだ。ティテが廊下で聞いていた音色の正体はこれだろう。大きな本体を膝に乗せて抱えて、ストラップを肩に通し、やにわに弾き始めた。
先ほどとは違う曲。とても力強い、テンポの速い曲。ソティラスの右手の指はまるで魔法のように鍵盤の上を滑っていく。左手の指は曲に合わせて踊るようにボタンの上を跳ねて回る。
軍人とはいえ華奢で細い女性的なフォルムのソティラスは、しかし楽器と一体になって力強い躍動感を見せる。一方で、彼女の楽器を見つめるその瞳は不思議な彩りをしていた。優しいとか、美しいとか、そんな一言で表せるような類のものではなく、あえて言葉にするなら、魅力的だった。
ティテはソティラスの演奏する姿に見惚れた。




