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第4章 飛行艇アルデア・アルバ ②

「一時的に気を失ってしまっているだけです。疲れと緊張のせいでしょう。ゆっくり休めば良くなります」

 初老の兵はメガネを外して言った。

 サンカリはベッドで眠るティテの顔を覗き込んだ。深い寝息を立てて泥のように眠っていたが、顔色は悪くなかった。

 白い飛行艇の医務室である。飛行艇へと乗り込んだサンカリたちを待ち構えていた白い軍服の女性は、ぐったりとしているティテの姿を認めると、すぐに彼女を医務室へ運び、初老の兵を呼び出して診させてくれたのである。

 部屋の六割近くをベッドが占め(そのベッドにティテは横になっている)、残りのスペースに机と丸椅子を一つずつと医薬品や治療用品で満杯になった棚が詰め込まれている。人間は申し訳程度の隙間に入らせてもらわなければならないような部屋なのだが、そんなところにティテを除いて三人も詰めかけているものだから、この上なく狭い。

「このまま寝かせてあげるのが良いだろう。何かあったら呼んでくれ」

「分かりました」

 白服の女性の命令に初老の兵は落ち着いた様子で静かに頷いた。彼はこの白い飛行艇の医務も兼任している兵だという。小規模部隊なので専属の軍医を置く余裕はないそうだ。どう見ても女性のほうが遥かに年下なのに、彼女が上司でこの初老の兵のほうが部下というのは、なんとなく違和感がある。軍隊の階級というのは難しい。

「さて、私たちは、シーヴェンも交えて、これからのことを話し合いたいんだが、良いかな、少年?」

「はい。ティテのこと、よろしくお願いします」

 サンカリは初老の兵に頭を下げ、女性とともに医務室を出た。通路を女性のあとについて歩く。飛行艇は内部が三階に分かれており、各階とも中央の通路の両側に部屋が並ぶ構造になっている。通路はすれ違うのも難しいほど長細く、裸の電灯が無機質な光をぽつぽつと落としている。

 階段(と言うより梯子に近い急なもの)を二階分降りて、飛行艇後方の貨物室へ向かった。

「ティテは大丈夫でしょうか?」

「あいつの医師としての腕は立つ。心配ないさ」

 階段を降りてすぐの突き当りの気密性の高い扉を開けると、広い空間があった。天井は高く、床には一切の段差がなく平坦。四方の壁の一つに荷物の搬出入をするための巨大な電動式スライド扉がある。飛行艇の約五分の一を占める、最も大きな部屋だそうだ。部屋の半分ほどにはボルトで床にしっかりと固定された棚が並び、それぞれの段にも荷物がぎっしりと詰まっている。残りのスペースには大きなコンテナや貯蔵庫、木製のタンクなどがまとめられている。いずれも食料や必需品などの航行のための備蓄だという。

 数名の軍人たちがコンテナやタンクを棚のそばのスペースに移動させて、なんとか広い空間を作ろうと四苦八苦していた。シーヴェンのためだ。シーヴェンが入れるほどの広さを確保できるのがこの貨物室だけだったため、白服の女性が部下を動員してくれたのだ。

「隊長、準備できました」

 若い兵が報告した。

「休憩中に済まなかったな」

「いえ、とんでもありません」

 若い兵は貨物室の隅にちらりと目をやった。そこには、軍人たちが作ってくれたスペースで寛ぐシーヴェンがいる。その兵だけでなく、貨物室にいる軍人たちは皆、ことあるごとにシーヴェンの姿をちらちらと盗み見ていた。最初は竜が珍しいのかと思ったが、少し違うような気がした。落ち着きがないというか、浮き足立っているというか、見たいが見てはいけない、直視するのは恐れ多い、そんな心境が挙動から漏れ出ているように感じられた。当のシーヴェンは全く意に介している様子はないが。

「シーヴェン、大丈夫?」

 サンカリはシーヴェンの首筋を撫でながら尋ねた。

「うん、少し休んで良くなってきたよ」

 シーヴェンの表情がいつもどおりの穏やかなものに戻っていたので、サンカリは安心した。

「さあ、始めようか」

 部下の軍人たちが退室すると、白服の女性はサンカリとシーヴェンを促し、折り畳み式のテーブルと椅子(これらもわざわざ運び入れてくれた物のようだ)であつらえた簡易な打ち合わせスペースに着席した。テーブルの上には地図と方位磁針と計算機、それと何に使うのかサンカリには分からない機器が幾つか置いてある。

「慌ただしくて自己紹介もまだだったな。私はソティラス。この飛行艇はアルデア・アルバ。私たちの隊の飛行艇だ」

「サンカリ、です。よろしくお願いします」

 サンカリはソティラスが差し出した右手を握り返した。細くてしなやかな女性の手だが、握手の仕方は頑丈で力強い軍人のものだった。

「本艇は先ほどシーヴェンから指示された方角へ進んでいるが、このまま進めば問題ないんだな?」

 アルデア・アルバに乗り込んですぐにシーヴェンはソティラスに言ったのだ。方向転換するようにと。シーヴェンが指し示したのは砦とはまるで違う方角だった。ティテを医務室へ運ばなければならなかったこともあり、ソティラスは詳しい話も聞かず、シーヴェンの言うとおりにアルデア・アルバの進路を変えていた。

「大丈夫。このまま進んでもらって良いよ。その先に竜の台座がある」

「デゼルターもそこへ向かっていると?」

「うん。あの男はトゥスクとティテに竜の台座の封印を解かせた。それによって、トゥスクたちの虹の石は竜の台座に認証され、竜の台座の方向を指し示すナビゲーションの役割を果たすようになるんだ。あの男はそれを回収して竜の台座に向かっている。そして封印が解けたことで、僕にも竜の台座の正確な位置が分かるようになったんだ」

「なるほど。竜の台座に向かって進めば、必然的にデゼルターを追うことになるわけだな」

 シーヴェンは首を縦に振った。

「では、竜の台座の正確な位置を教えてもらえるか?」

 ソティラスとシーヴェンはテーブルの上の地図や方位磁針などの器具と相対しながら話し始めた。風向きや風力にまで話が及び、ソティラスが計算機を使い出すころには、内容が専門的すぎてサンカリはさっぱりついていけなくなり、完全に蚊帳の外だった。

「竜の台座があるのは、この辺りということか」

 ソティラスが地図に印をつけた。そこはモール海の洋上。大陸の北西側に位置し、アフォン川をはじめとした様々な川が流れ着く先に広がる大海。川の河口からも海岸線からも離れた、一切の陸地のない遠洋だった。

「二隻の船速差と……竜の台座までの距離……夜には追い風になるはずだから……」

 ソティラスはぶつぶつと独り言を呟きながら、計算機を弾き、紙と鉛筆でサンカリには難しすぎてさっぱり分からない数字の羅列を書き連ねて、

「奴に追いつけるのは夜明け前ぎりぎりというところだな」

 そう結論づけた。黒の飛行艇のほうが飛行速度は速い。しかし、デゼルターたちは竜の台座の正確な位置が把握できておらず、ナビゲーション役の虹の石を頼りに徐々に移動するしかない。一方でこちらはシーヴェンのおかげで最短ルートを進めるので、飛行速度の差を考慮しても徐々に距離を詰めることが出来る、ということなのだということを、サンカリはシーヴェンに教えてもらってやっと理解した。

「それから、竜の台座に近づくときは防衛機能に気をつけなければならない」

「防衛機能? 何だ、それは?」

「封印が解けたばかりの竜の台座は自己防衛状態になっているはずだ。認証された虹の石を持つデゼルター以外の者が近づくのを拒む」

「迎撃されるのか?」

「うん」

「何に?」

「竜だ」

「え……」

 無意識に口をついて出てしまったサンカリの声がシーヴェンとソティラスの会話を止めた。一人と一匹の視線がサンカリに集まった。「あ、ごめんなさい」サンカリは首をすくめ、ソティラスに先を促した。

「どういうことだ? 竜の台座にはまだ竜が生き残っているのか?」

「竜の台座の竜は無尽蔵だ。認証された石を持つ者以外の接近を認めないから、必ず竜が現れる。デゼルターを捕まえるのなら、竜の台座に着く前に決着をつけなければ、間に合わなくなる」

 サンカリは寒さにも似た感覚を覚えた。シーヴェンの話の内容にではない。シーヴェンの話し方そのものにだ。聞き馴染んだ涼やかで少し高い声なのに、どことなく冷徹で苛辣で、いつもの彼ではないような口調だった。まるでシーヴェンがどこか遠くへ行ってしまったような錯覚にサンカリは陥った。この強烈な違和感は何だろう。彼であって彼でないものを見ているような、嫌な感覚だった。その根源がどこにあるのか探ろうとしたが、結局サンカリには違和感の正体も、それがどこから来ているのかも、分からなかった。

 ふと視線を感じて、サンカリはテーブルに落としていた視線を上げた。軍人たちがいた。貨物室から通路へ出るための階段の手摺の隙間から何人かの軍人たちがこちらの様子を覗いていたのだ。貨物室の片づけをしてくれた兵とは別の人たちだ。

「お前たち、何をしている! 休憩中とはいえ無闇に私室を出るな!」

 ソティラスが怒鳴ると、軍人たちは蜘蛛の子を散らすように退散した。

「まったく……」

「あの、気になってたんですけど、どうしてみんなシーヴェンを見てるんですか? それも、ただ見てるだけじゃなくて、なんていうか、ちょっと変わった目で見てるっていうか」

 覗き見をしていた軍人たちの視線はシーヴェンへと注がれていた。その目はソティラスに報告をしていた若い兵と同じ目に見えたのだ。恐怖と尊敬の入り混じったような、形容しがたい複雑な感情が込められた視線だ。

「竜が飛ぶとき、人は空を飛ぶべからず、という言葉を知っているか」

「はい。知ってます」

 セバーに教えてもらった言葉だ。たしか、雲が竜の形に見えるときは空を飛んではならないという、軍で言われているジンクスだと言っていたと思う。

「あ、シーヴェンを怖がってる?」

「怖いのとは少し違うな。軍人にとって、竜というのは、……そうだな、畏敬の存在なのさ」

「畏敬?」

「顔向けできないようなことはしちゃいけないってことさ」

 軍人としての厳格さと大人としての優しさが絡み合った、サンカリには到底発音できそうにない声でソティラスは言った。畏敬という言葉の意味はよく分からなかったが、つまりソティラスのような声を出せる人が竜に対して持つ感情なのだろう。サンカリはそう思った。

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