第4章 飛行艇アルデア・アルバ ①
シーヴェンが急に体勢を崩した。
「シーヴェン、大丈夫?」
「ぐうう……」
サンカリの問いかけにシーヴェンは苦しそうな呻き声で応え、山の斜面に着陸した。降りる、というよりも落ちるに近かった。背中のサンカリとティテだけは落とすまいと体を水平に保ったために、硬い鱗が山肌に擦りつけられて岩石を抉り落とした。
サンカリたちを救出したシーヴェンは、すさまじい勢いで竜を殺す機械の射程範囲から離脱したのだが、黒い飛行艇の姿が見えなくなった途端に高度を落としたのである。
サンカリはティテを竜の背にそっと横たえてから飛び降り、シーヴェンの前に回り込んで彼の顔を覗き込んだ。
「しっかりして、シーヴェン」
いつもより瞬きの頻度が高く、口の閉じ方もわずかに緩い。他人には見分けがつかない微妙な変化だが、彼は明らかに疲れを見せていた。
「大丈夫。昨日から飛びすぎて、少し疲れてしまっただけ……。しばらく休めば良くなるよ」
サンカリの不安げな視線に気づいたシーヴェンは、首をほんの少しもたげて、笑顔を無理に作った。それはサンカリをより一層不安にさせる効果しかなかった。
「でも……」
「大丈夫だって……。それよりも早く引き返さないと、奴らの飛行艇が出発してしまう」
「無茶だよ! こんなに疲れた体で飛んでいったら、今度こそ狙い撃ちにされちゃうよ。少し休まないと!」
「悠長なことを言っていられないんだ。奴は竜の台座の封印を解いた。すぐにでも竜の台座に向けて飛び立ってしまう」
シーヴェンはサンカリの制止を振り切り、再び翼を動かそうとした。しかし、
「ふう……ふう……」
三度ほど動かしたところで、荒い息を吐き出して、それ以上動けなくなってしまった。
「シーヴェン!」
サンカリはシーヴェンの頭をぎゅっと抱きしめた。サンカリの小さな体では竜の大きな頭を包み込むのがやっとだった。
「どうしよう。こんなこと、今まで一度もなかったのに……」
知る限り今まで、シーヴェンは息を荒げるどころか、ほんの少しの疲れさえ見せたことはなかった。サンカリの十歳の誕生日に、プレゼントだと言って一日中飛び回った日だって平然としていたのだ。それなのに、目の前のシーヴェンの疲労の度合いは尋常ではない。まるで、このまま消えてしまいそうなほどに。
「竜の台座は二度と甦らせちゃいけないんだ。それが君たちのご先祖様との約束なんだよ。ぐずぐずしていたら、本当に間に合わなくなってしまう」
シーヴェンは荒い息の合間にかすれた声で言った。
「ご先祖様との約束?」
サンカリのおうむ返しの言葉にシーヴェンの瞳は大きく揺らいだ。それは彼の感情のうねりを表しているのだろうが、それがどんな種類のものなのかまでは、サンカリは読み取ることはできなかった。その「先祖との約束」というサンカリの知らないものが、シーヴェンにとってはとても重要なものだということだけは分かった。
「今はそんな話をしている暇はない。とにかく早く行かないと」
シーヴェンは立ち上がろうとした。そして、すぐにくずおれて、ふぅふぅ、と激しく息を吹き出した。
サンカリはシーヴェンの顎の下に潜り込んだ。
「サンカリ、何を……?」
「僕が君を背負っていく」
サンカリはシーヴェンの顎を肩に担ぎ、両膝を懸命に突っ張って立ち上がろうとする。
「無理だよ。どれだけの体格差があると思っているんだ」
シーヴェンの言うとおり、その差はあまりにも歴然としていた。両足にどれほど力を入れても、シーヴェンの顔すら満足に持ち上げることは出来なかった。
「でも、シーヴェンは行きたいんでしょう? だったら僕が連れていく」
家で使う一か月分の灯油を運ぶのだって苦労するような小さな体だ。その何倍、いや何十倍あるかも分からない竜の体を持ち上げるのは不可能だというのは分かりきっていた。それでも、
「竜守は竜とともに生きるものなんだ。シーヴェンが行くのなら、僕も行く、絶対に」
「サンカリ……」
決意は少しも揺らいではいなかった。しかし、決意だけで成し遂げられるものは何もなかった。サンカリは竜の顔の重さに耐えきれず、押しつぶされ、ごつごつした砂地に押しつけられた。
「うぐっ」
「サンカリ!」
背中に竜の首の重みがのしかかる。
後ろのほうで、どさりという何かが叩きつけられる音がした。
「大変だ。ティテが落ちたよ、サンカリ」
「ええっ」
サンカリはもがいてシーヴェンの下敷きから抜け出そうとしたが、立ち上がるどころか、手足を動かすことさえままならない。脱力した竜の首は一か月分の灯油よりも遥かに重い。シーヴェンが鈍った体を無理に動かしてわずかに隙間を開けてくれたことで、やっと抜け出すことが出来た。
「ティテ!」
サンカリは地面に倒れたティテを抱え起こした。彼女はまだ目を瞑ったままだった。落ちた時の衝撃でくっついてしまったのか、頬に細かな砂利が纏わりついていた。
「やっぱり無理だよ、サンカリ。大丈夫、なんとか自分で飛ぶから」
シーヴェンの気遣うような声を聞きながら、サンカリは悔しさを滲ませた。竜守は竜とともに生きるのが唯一の役目だ。それなのに、竜の願いの一つすら満足に叶えられない。意識を失ったままのティテを放っておくわけにもいかない。解決すべき課題はたくさんあるのに、サンカリには何一つ打破するすべがない。己の無力さが悔しかった。拳を握りしめた。手のひらについた砂が皮膚に突き刺さって、鋭い痛みとなった。
(考えろ。考えるんだ)
デゼルターを追いかけなければならない。しかし、今のシーヴェンは飛ぶことはおろか動くことさえ困難だ。相手は軍用飛行艇だ。並大抵の移動手段ではその速度に追いつくことは出来ないし、そもそも今からそんなものを探している時間はない。飛行艇に追いつける何か。そんなものがあるとすれば……。
『──無事か、少年?』
首からぶら下げていた通信機がピッという受信音を発したあと、あの白服の女性の声がヘッドセットから聞こえた。色々なことがありすぎて、ヘッドセットを頭につけたままだったことをすっかり忘れていた。
「あ、はい」
本当は全然無事ではなかったが、サンカリは細かく説明する手間を惜しんで、そう答えた。
『それは良かった。我々も今、そちらに向かっている。もう少しで視認できるはずだ』
ヘッドセットの向こうで女性がそう言うのとほぼ同時に、プロペラの回転とエンジンの排気音が聞こえた。二つの音が混ざり合って、まるで大地が鳴動するような音が雲の向こうから響く。
飛行艇が近づいてきた。一般的な軍用飛行艇よりも随分と小さい。両翼と後部に三つのプロペラを持ち、天面前部が突き出ている。白一色で塗装された機体は翼を折り畳んだ白鷺を連想させる独特なシルエットをしていた。
『ああ、見えた。シーヴェンも竜守の少女も一緒だな。──ん? もう一頭の竜はどうしたんだ?』
白い軍服の女性はあの飛行艇から見下ろしているのだろう。サンカリのほうからはもちろん見えないが。
飛べないシーヴェンと一緒に、軍用飛行艇を追うことが出来るもの。それがいま、サンカリの目の前にあった。
「乗せてください!」
サンカリは叫んだ。
「僕たちを飛行艇に乗せてください!」




