第42話 この森で、生きていく
焚き火のそばで、エルドが静かに薬草を刻んでいた。
小刀が乾いた葉をサク、サクと切り分ける音が、森のさざめきと混ざり合う。
やわらかな風が吹き抜け、火にかざされた薬草の香りがふわりと立ちのぼる。
燃える木のにおいと混じり合って、春の森の空気をほんのりと甘く染めていった。
そのとき、ひときわ軽やかな羽音とともに、リンコが枝から舞い降りる。
ふわりと切り株に降り立ち、くちばしを小さく鳴らした。
「ねぇ、じいじ」
その呼びかけに、エルドの手がぴたりと止まる。
細い肩がわずかに震えたようにも見えた。
「その呼び方はやめろ」
低く、けれどどこか困ったような声。
リンコはくちばしを軽く傾けて、小さく笑う。
「だってもう、完全にじーちゃんポジションじゃない」
少しだけ意地悪そうな瞳。
けれど、そこに悪意はまるでない。
「……否定はせんがな」
エルドは苦笑し、眼鏡の位置を指先でそっと直す。
火の光に眼鏡のレンズが反射して、ちらりと鈍く光った。
揺れる炎と立ちのぼる香り。
その向こうで、リュミの明るい声が響いた。
見れば、彼女は森のウサギたちと遊んでいる。花を編み、耳飾りを作っているのだろう。
笑顔が春の空気に溶けて、辺りがひときわ明るくなる。
リンコが目を細める。
「ねぇ、神殿のこと……もう大丈夫なの?」
声には少しだけ、心配がにじんでいる。
「処理は済んだ」
エルドは淡々と答える。
その言葉には、無駄な飾りも余分な感情もない。
「今回の件は、地方の中級神官による独断として片付けさせた。足切りにはなったが、あれ以上荒立てても奴らの面子が傷つくだけだ」
「ずいぶん、うまくやったのね」
「昔のコネを少しばかり使っただけだ」
そう言って、エルドは小さな枝を一本、焚き火へとくべた。
パチッと音を立てて火がはぜる。
「……かつては王族からも相談を受ける立場だったからな。少しばかりの筋は、まだ残っておる」
「つまり、脅したってわけね」
「次があればこの程度では済まぬ……そう伝えただけだ」
「こわっ! 完全に黒幕の言い方!」
「脅しではなく警告だ」
エルドは腰を上げ、焚き火の向こうに視線を向けた。
遠くでリュミとムスティが、夢中になって花を編んでいる。
それを見て、パッロが尻尾をぶんぶん振っていた。
「……フォルステアの件も、王族に報告しておいた。あの貴族には、正式な処分が下るだろう」
リンコは目を丸くした。
「ほんっと、あんたって根はえげつないわ」
「褒め言葉として、受け取っておこう」
エルドは肩を竦め、目を細めた。
「……ただ、リュミには知らせん。今はなにも、余計な心配をさせたくない」
「そうね、それがいい。あの子には、あんな騒動、もう十分よ」
焚き火の向こうで、リュミの小さな手が耳飾りを完成させる。
それを見て、ウサギがうれしそうに跳ね回った。
「……リュミの笑顔を守ることが、今のワシの役目だ」
ぽつりと、エルドがつぶやく。
「じーさん、ずいぶん丸くなったじゃない」
「年を取るとな、どうにも頑固がやわらぐものだ」
「嘘。あんた、頑固さ三割増してるでしょ」
「……ワシはハーフエルフだからな。人間よりは少しだけ、長く生きる」
エルドの言葉は穏やかで、それでいてどこか切なかった。
「だが……リュミを見送るだけの時間は、まだある」
「……看取るつもり?」
リンコがそっと問い返す。
その声音は、ふだんの軽口とはまるで違っていた。
「そういうものだ」
エルドは炎の奥を見つめるように、遠い目をした。
「この森の終わりを見るよりも……あの子の人生を見届けて終わる方がいい。その方が、ワシの魂も穏やかに眠れる」
リンコはなにも言わなかった。
しばらくの沈黙が、ふたりの間に流れる。
焚き火の明かりが、エルドの横顔を照らしていた。
その表情には、厳しさとやさしさが宿っている。
「……ねぇ、そういうの、かっこいいって言うのよ」
「ほう……おまえの口からそれを聞く日が来るとはな」
「やめてよ、照れるじゃない」
リンコが翼で顔を隠すふりをする。
エルドが笑い、火花がふわりと舞い上がる。
空に溶けていくその光の粒は、まるでふたりの笑い声を乗せているかのようだった。
「……行くか。あの輪の中へ」
「了解。せっかく笑ってるのに、じーさん顔してちゃ台無しよ」
「言葉の選び方を学べ、鳥」
リンコがくすくすと笑いながら羽ばたき、宙に舞う。
そのあとを、エルドがゆっくりと歩き出す。
焚き火の光が、ふたりの影をゆっくりと包み込んでいった。
笑い声と羽音、そして春の森のざわめき。
すべてがやさしく重なって――夜は静かに降りてきた。
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