第16話 仲が良いのか、悪いのか……
森を抜けた瞬間、淡く茜色に染まった空の下、視界いっぱいにエルドの家が飛び込んでくる。
苔むした屋根と、煙突からうっすら立ち上る煙。
家の窓からは、ランプのやわらかな光が漏れており、夕闇の中にほのかなぬくもりを漂わせている。
どこか懐かしいような光景に、リュミは思わず胸を撫で下ろした。
ここまで来れば、もう安心だ。
空気はすっかり冷え始め、背後の森からは夜鳥の鳴き声がちらほらと聞こえてくる。
不安と疲れが混ざった気持ちの中で、リュミはそっと息を吐く。
もう大丈夫――そう思いながら、リンコをしっかりと抱えたまま、戸口に足を踏み入れた。
「た、ただいま……っ!」
扉を開け放ち、少し息を切らしながら声をかける。
「おかえり。……ん?」
奥の机で分厚い本を広げていたエルドが、ぱたんとページを閉じて顔を上げた。
リュミの顔を確かめるように見たあと、すぐさま彼女の腕の中へと吸い寄せられる。
「……なんだ、それは」
低くうなるような声とともに、エルドの眉がぴくりと動いた。
リュミはおそるおそる、腕の中のリンコを少し持ち上げる。
「えっと、その……鳥の魔物が、ふわふわになっちゃって……」
「ふわふわに?」
エルドの眉がさらにひそめられる。
リンコはリュミの腕の中でバサッと羽を広げ、まるで威嚇するようにエルドを睨みつけた。
その姿はどこか必死で、自分を大きく見せようとしているようにも見える。
「なによ! わたしは禍翼の凶鳥! さぁ、怯え逃げ惑うがいいわ……!」
堂々とした台詞。
しかし、そのサイズと見た目のふわふわ感とのギャップはどうにも否めない。
「小さいな」
エルドは、呆れとも困惑ともつかない顔で机を離れ、リュミの前に立つ。
そして、片手でリンコをひょいと持ち上げた。まるで、羽根つきのぬいぐるみでも持つように。
「ちょっと、触らないでよ! わたしはおそろしい魔物なのよ!」
「……怖ろしい、ね」
淡々とした声で言いながら、エルドはまじまじとリンコを観察し始める。
赤くやわらかな羽毛に、丸みを帯びた体、ふにふにとした腹部。どこをどう見ても、魔物のイメージとはほど遠い。ましてや、禍翼の凶鳥なんて――。
指先で軽く羽毛をつまみ、質感を確かめるように指を動かす。
「やわらかい」
「や、やめなさいよぉぉ!」
リンコはバタバタと羽を動かして抵抗するけれど、それはまるでぬいぐるみがもがいているようで、全く迫力がない。
側から見れば、おじさんがアヒルのぬいぐるみを検分しているよう。
エルドの頑固な顔つきが、シュールさに拍車をかけている。
リュミは思わず笑いそうになるのをこらえつつ、おろおろとふたりのやりとりを見守るしかない。
「え、エルドさん……怒ってる?」
「怒ってはいない。ただ……面白い」
「面白い⁉︎」
リンコの頬が、ボッと真っ赤に染まる。
そのタイミングで、パッロがぼそっと口を挟んだ。
「……子どもをからかう大人にしか見えないな」
「からかってはいない。観察しているだけだ」
「どう見ても、からかっているだろ」
呆れたようなパッロの視線を受け流しながらも、エルドはまったく悪びれた様子もなく、なおも無表情でリンコを凝視している。
「だ、誰がからかわれてるですって⁉︎ わたしは禍翼の凶鳥よ!」
リンコは必死に翼を広げて叫ぶように言ったが、体はふわふわと揺れ、あまりの軽さにバランスを崩す。
「凶鳥が、そんなに暴れて落ちそうになっているのか」
エルドが淡々と告げると、リンコはバッと口を閉じ、リュミの腕にしがみつく。
「……お、落ちるのはいや」
その声は、さっきまでの勢いが嘘のように小さく、震えていた。
恥ずかしさと不安が入り交じったようなその表情に、リュミはそっと彼女を抱き寄せ、やわらかい羽毛をやさしく撫でてやる。
「……大丈夫。エルドさん、意地悪してるんじゃないよ」
「ふん……どっちにしたって、こんなちっちゃい姿、わたしらしくないのよ」
リンコは小さく羽を竦めて、少し震える声で続けた。
「……あんたに嫌われないなら、それでいいわ」
その言葉はぽつりと、リュミにだけ届くような小さなささやきで。
胸の奥がじんわり熱くなった。
*
ランプのやわらかな灯りが、部屋を照らす。
木のテーブルには、エルドが手早く用意した、簡素ながらもあたたかな食事が並んでいる。
湯気の立つスープ、焼きたてのパン、香草の炒め物に、香辛料の香る小さな肉団子。どれも素朴だけれど、ほっとする品々だ。
リュミは小さな椅子に腰を下ろし、膝の上にリンコをちょこんと乗せる。
パッロはリュミの足元、椅子の横に静かに座って、尻尾をふわりと揺らしている。
「……さあ、食べるか」
エルドが無愛想に言いながら、木の皿をひとつずつ配っていく。
ぶっきらぼうな手つきだが、その動きにはどこか慣れがあって、不器用ながらも丁寧な心遣いがにじんでいる。
リンコの前にも、小さな皿が置かれる。
彼女はきょとんとその皿を見つめていたが、次の瞬間、ぱっと目を輝かせた。
「な、なにこれ! おいしいにおいがするわ⁉︎」
言うが早いか、くちばしをすばやく皿の端に伸ばす。
「……勝手に食べるな」
エルドは淡々とたしなめるが、リンコは聞いていない。
むしろ「早く言ってよ」とでも言いたげな勢いで、ぱくっと肉団子を頬張る。
「うっ……うまっ!」
思わずといった様子で目を見開き、体を小さく震わせる。
その反応があまりにも素直すぎて、リュミは思わず吹き出しそうになった。
エルドはほんの少し眉をひそめるが、すぐにパンを取り直し、無言でリンコの皿にもう一切れ、パンを添える。
あまりの反応に、リュミはつい吹き出しそうになった。
「うるさい」
ぶっきらぼうな言い方だったが、その動きにはささやかなやさしさがにじんでいる。
「うるさいって言ったって、ほんとにおいしいんだから!」
リンコは小さな翼で皿を必死に押さえながら、夢中で食べ進めていく。
スープをくちばしで器用にすくいながら、「これはなによ⁉」「こんなの初めて!」と、いちいち感動の言葉を漏らしていた。
くちばしの周りには、もうすでにスープのしずくとソースがちょんちょんとついている。
リュミはその様子を見て、心の中がふんわりとあたたかくなるのを感じた。
(エルドさんのごはん、おいしいもんね)
思わず、心の中で頷く。
彼の作る料理は、どれもどこか素朴でやさしく、疲れたときほどしみる。
「リンコ、そんなに好きなの?」
やさしく声をかけると、リンコはくちばしをもごもごさせながら、ぷいっと顔を背ける。
「そ、そんなことないわよっ! ……でも、まあ、ちょっとだけね」
小さな声でそう言うと、羽をもぞもぞと動かす。
照れ隠しなのは明らかで、その不器用な態度が彼女らしくて愛らしい。
リュミの口元が自然とほころぶ。
パッロはやれやれといった顔で、尻尾をゆっくり左右に揺らしている。
「……これが禍翼の凶鳥とは思えんな」
「わたしは禍翼の凶鳥! 恐ろしく、気高く、そして孤高なる存在よ! ……でも、リンコって呼ぶことを許してやらないでもないわ」
威厳を取り戻そうとするように胸を張るリンコだが、ソースのついたくちばしがすべてを台無しにしている。
その滑稽さとかわいらしさに、リュミはつい肩を揺らして笑ってしまった。
エルドはふっと短く息を吐き、静かに言う。
「ふむ。凶鳥が、こうして平和に食事をする光景も……悪くないな」
「……悪くないとか、何様なわけ⁉︎ でもまぁ、このおいしいごはんに免じて許してあげるわ」
口調はツンとすましているが、リンコの目はどこかうれしそうに細められている。
笑い声とツンデレな抗議、そしてエルドの淡々とした口調が絶妙に混ざり合い、にぎやかながらも心安らぐ時間が流れていく。
そうしてようやく――リュミの胸の奥に、深い安堵がしみわたっていった。
お読みいただきありがとうございました!
おかげさまで、少しずつ読んでくださる方が増えていて嬉しいです。
本作は全42話、すでに最後まで書き上がっております。
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