惑いの中を
森の中、木々の間を馬で走り抜けていくリーとアーキス。どこまでも代わり映えのしない景色の中、シングラリア討伐の際につけられたという目印を探して追っていく。
出立の朝、マルクから手描きの地図と追加の防寒具を渡されて説明を受けた。ひとまずの目的地は前回シングラリアの主体と戦った場所、ミゼットが均したそこに仮拠点を置いているらしい。そのまま青の二番へ連れていかれ、組織の馬を借りたまま二日をかけて黒の一番へ、今日は朝からヴォーディス内を進んでいる。予定では夜までに仮拠点に着くはずだ。
目印を見落とさないように気を張りながら、それにしてもとリーは考える。
マルクに渡されたヴォーディスの地図はほぼ白紙で、黒の一番と仮拠点の位置、南側と東側に海岸線が描き込まれているだけだった。馬で一日の仮拠点は、地図上では黒の一番から指一本分の距離もない。
先日アーキスに尋ねられた空からの景色―――。この道中、出立前夜にラミエとふたりきりにしてもらったことに礼を言うと、それもあったけど聞きたいことがあったのは本当なのだと、アーキスがフェイから聞いた話を教えてくれた。
フェイの目から見たヴォーディスは、黒の一番から北西方向にどこまでも続く森林で、果てには大きな山が見えているのだという。
広いとは知っていたが、どうやら思っていた以上らしい。
似たような景色が多く迷いやすい上に、魔物の多さと気温の低さもあり、請負人といえども依頼がない限りあまり踏み込まぬ土地。
黒の一番から離れれば離れるほど見つかりにくくはなるが、不便さも増す。こんな地では自給自足ができそうにない以上、物資は買いに出ねばならないが、目印がなければ往復もままならないのではないかと思いながら。
リーは僅かな違和感も見逃さないように、更に辺りに気を配りながら先を急いだ。
魔物相手の多少の戦闘を挟みつつも、真っ暗になる前に仮拠点に辿り着けたふたり。
「無事着いたな」
迎えた焦げ茶の髪の大男に、リーはあっと声をあげる。
「グレイルさん! お久し振りです」
組織長レジストの同期である、上級請負人のグレイル。どうやら知らぬ間にアーキスも面通しが済んでいたらしく、ご無沙汰していますと挨拶をしていた。
以前ミゼットが主体と戦いやすいように周りの木々を魔法で取り払ったこの場所は、森の中だというのにぽっかりと空が見える程度の広さはある。しかしそこに設営されたテントはひとつしかなかった。
皆はまだ調査から戻ってきていないのだろうかと見回すリーに、俺だけだ、とグレイルが応える。
「お前たちを待ってたんだ。ほかは次の拠点に行ってる」
あとで詳しく説明するからと言われ、まずは野営の準備に取り掛かった。
一通り準備が終わったふたり。グレイルがその間に準備してくれていた焚き火を囲んで食事にする。
「普通なら帰路を確保しないとならないから、目印をつけながら進んでいくんだが。今回は痕跡を残せないからそれはできない」
炙った干し肉と乾パンを受け取りながら頷くふたり。水は明日の道中で補充できるまでは節約しなければならない代わりに、飲みすぎるなよと濃い酒を渡された。喉から胃に落ちる熱に、量さえ加減すれば身体が温まるだろう。
「この先は大きくバラけず、拠点を移動しながら半日ずつ周辺を探索していく。今晩はここで休んで、明日レジストたちに合流するからな」
あとで写すよう言いながら見せてくれたグレイルの地図には、この拠点の更に奥の探索結果が書き込まれていた。
「もし迷ったら南か東の海岸まで出て黒の一番に自力で戻ってくれ。そこから保安に副長への伝言を頼んでくれればあとの指示はする」
「わかりました」
頷くふたりを一度言葉を止めたグレイルが見据えた。
真剣味を帯びた砂色の瞳に、リーたちも自然と気持ちを引き締める。
「今から俺たちは互いの命を預け合う。立場は関係ない。言いたいことは言え。遠慮はすんな」
「「はいっ」」
揃う応えに満足そうに頷いて、よろしくな、とグレイルは相好を崩した。
「確かにそうだよね」
明日には畳む拠点だからと一緒に使うことにしたテントの中で、寝る前に状況を整理し始めたふたり。
リーが道中考えていた補給の不便さを口にすると、アーキスも思案顔で、書き足してもまだ大部分が白い地図を眺めながら頷く。
「でも、俺たちが痕跡を残さず探さないといけないのと同じように、向こうだって目立った印はつけられないはずだし。同じところを頻繁に通れば跡もつくよね…」
「気配察知に長けてるっつっても、誰も彼もわかるわけじゃねぇだろうし。ただでさえここは魔物の気配が多いから、視覚に頼るほうが無難だと思うんだけどな」
「アドだけが行き来してるわけでもないだろうしね」
そこがエルメのいた場所なら、それなりに規模もあり、人数もいるはずだ。とてもアドひとりで必要物資を運び込めはしないだろう。
「目印をつけられないなら、元々あるものを目印にするしかないけど……」
「代わり映えしねぇもんな」
延々と続く森は取り立てて違った様子はなく、どこまでも同じに見える。
「水源沿いにでもなかったからね」
南側に抜ける細い川は、既にある程度上流まで遡ってあった。
「東側にもあるかも知んねぇし。まぁちょっとそのへんも気にしながら見てくしかないか」
焦る気持ちはもちろんあるが、それでもできることをするしかなく。
それに、アリュート山の時とは違い、探しているのは自分たちふたりだけではない。同行するのは組織長レジスト率いる面々なのだ。
覚える心強さと安心感の反面、足を引っ張らないようにしないと、と緊張もするが。
なんとかなる―――そう思わせてくれるには十分な存在であった。
翌朝、レジストたちと合流するべく出発した三人。
グレイルの地図には集合予定の拠点が記されていた。今日の午後には辿り着く算段らしい。
迷う様子もなく進んでいくグレイル。休憩の時にどうして拠点の位置がわかるのかと聞くと、日の射し込む位置と進む速さで方向を合わせているのだと返された。
馬上から見上げてみるが、背の高い木々の上からは、時折風で葉が揺れてできた隙間が明るく見えるだけにしか思えない。
こんなところも上級と中級の差なのだろうなと思いながら、リーはおとなしくうしろをついていった。
道程はどうやら順調だったらしい。辺りが薄暗くなる前に、グレイルが足を止めた。
「お、あったあった」
そちらを見てもわからないので近付いてみると、馬上からちょうど手を伸ばしたくらいの高さに茶色い何かがある。近付いてみると、小さな布切れがピンで留められていた。
「これって…」
「いくら半日でもこの森の中じゃ方向を見失うからな。辿れば帰れるように印をつけながら進んでる。この背面が拠点の方向だ」
「え、でもグレイルさんは……」
「だから俺が迎えに来たんだろ」
山育ちだから慣れてんだよと笑って、グレイルは布の留められた反対側へと進みだした。
皆が皆そうではないという安堵は、もう少しだから頑張ろうと声をかけてくれたアーキスを見てすぐに消える。
(俺の周りってこんな奴ばっかだよな……)
平凡な己を思い、リーは内心嘆息した。





