引越し
藤崎デザインの交番が、竣工式を迎えた。
区長はじめ、警察署長、マスコミまで呼ばれ、テープカットまで行われた。
近くの幼稚園の生徒たちによる歌も披露され、その時ばかりは、日頃厳つい顔の警官も、頬を緩めていた。
璃帆からもらったネクタイを締め、藤崎ももちろん参加していた。この様子が、テレビの地域の話題として、ニュース番組に取り上げられた。その日、特に大きなニュースもなく、この小さな話題が無事流され、デザインの可愛らしさも手伝い、キャスターらにも好意的に取り上げられた。
そして意外にも、SNSでバズることになった。日本の中でと言うより、海外からの注目が高かったのだ。「KOUBAN」として、今や世界中に知られるようになった、日本の治安を守る代表的なシンボルが、まるでアニメの様なデザインで、本来交わらないだろうこの2つのコラボに、世界の人々が感動していた。
「これができるのが、日本だよな」
「現実に建てちゃうから、うらやましい」
「俺たちの国から、100年先いってるな」
「これを見に、また日本に行きたい!」
「さすがに、落とした財布が戻ってくる国だよね。まるで夢の国のようだね」
これをきっかけに、設計士の藤崎の名があちこちで広まっていった。結果、「倉敷邸」や「長谷川邸」を含め、今建設中の「しんえい保育園」のデザイン画まで流れ、建築事務所への仕事のオファが、殺到することになった。
「藤崎、ちょっといいか」
藤崎は所長に呼び出され、意外な提案をされた。
「お前、会社の近くに引っ越す気はないか?」
「……さすがに、この辺りは家賃が高いので」
「給料なら、上げてやる。近くのマンションに、1つ空きができるんだ。私の友人がオーナーをしている。今なら、何とかねじ込めそうだが、どうだ」
「……詳しく教えていただけますか」
藤崎の仕事が、殺人的な忙しさになっており、所長が考えた末での話しらしかった。
「怒りは、自己防衛の一部に過ぎない。自己肯定を押し付け、否定される恐怖に怯えているだけだ。矛盾だらけだ……」
いつもの詩人のマスターが、ため息交じりに語る。
「人はひずみを持って生まれてきます。怒りもその一部です。無くすことは、できません。それをコントロールし、支配されることから解放される手法を、身に着けるべきです。自分の見ている景色が、全てだと思ってはいけません。同じ景色を見ていても、覗いてる窓が違えば、違って見えるものです」
最近、就寝中によく宇宙空間に飛ばされていた。忙しさから、睡眠が安定していないのかもしれない。しかも、仕事までさせられている。
地球にはそれを守るエネルギーの膜が、いわゆるバリアーの様に取り巻いているのだが、それが日々、色んな場所で破れたり壊れたりしていて、その修復の手伝いをさせられていた。漁業の網を直す作業に似ていると思いながら、エネルギーを組み立てて破れを修復していく。
「寝てる時まで、働かされてる……」
朝、目覚めては、そんなことを思っていた。「怒り」についての言葉は、そんな修復作業の合間に語られたものだ。
「やっぱり、ちょっとテンパってるかな……」
「話があるんだけど、明日の夜、会えないかな」
忙しい藤崎から、珍しくLINEがきて、逆に身構えながら、璃帆は返信した。
「大丈夫だよ。……ゴメンね、明日まで怖くて待てないから、教えて。悪い知らせじゃないよね」
「大丈夫(^-^)」
「安心した。じゃ、明日。楽しみにしてるね」
藤崎は、璃帆の返信を読みながら、「璃帆の答え次第だけど……」と、独りごちた。
イタリアンのお店の個室が用意されていた。璃帆はビックリして、藤崎に文句を言う。
「こんな素敵なお店に、こんな普段着で来ちゃった。やだ、もっと早く教えて」
「大丈夫だよ。璃帆は、普段着でも充分綺麗だから」
「それ、ダメだ。バイアスがかかってるし、言い訳も混じってるよ」
藤崎は、相変わらず全力で否定しにかかる璃帆を楽しみながら、食事も楽しむ。
「美味しいねぇ。アヒージョも、鳥の香草焼きも、パスタも……。コースじゃなくて、良かった。色々楽しめるね〜」
という璃帆に、藤崎も納得顔で同意する。今日ばかりは、この店を紹介してくれたアシスタントの井原に、感謝しておこう。
「ところで、今日はどうしたの? 龍一さん、また何か賞でも、もらえたの」
ワクワク顔で璃帆が聞いてくる。
デザートを横に置き、ちょっと居住まいを正して、藤崎が真剣な顔になった。
「璃帆。俺と一緒に、住まないか?」
ケーキにフォークを突き刺したところで、璃帆の動きが止まる。ゆっくりと顔を上げ、藤崎を見つめた。
「この間の交番のお陰で、オファがすごいことになってて……。所長が、もっと会社の近くに引っ越せないかって」
「……」
「璃帆が、今の部屋を出るのが怖いのも、何となく分かるから、無理にとは言わないけど、俺、実は前から考えてたんだ。一緒に暮らせないかって……」
「龍一さん……」
まっすぐ見つめられて、璃帆は言葉が出なかった。
「考える時間は、もらえますか……?」
「ゆっくりでいいって言ってあげたいんだけど、引越しの返事をしなくちゃいけなくて……。どんなところか、もし一緒に暮らせるなら、璃帆も見ておきたいだろうと思って」
「場所が、決まってるの……?」
「所長の友人がオーナーしてる、マンション。物件的には、いいと思うけど……」
璃帆の答えは、もう決まっていた。ただ、あらゆることに慎重に生きてきたため、躊躇しているだけだ。この人以外、一緒にいたい人はいない……。
覚悟を決めた顔をして、藤崎に向き合った。
「どうぞ、よろしくお願いします」
と、両手を膝にそろえ、ゆっくり頭を下げた。
「は〜、よかった……。緊張した……」
藤崎が、気の抜けた声を出した。思わず璃帆が噴出す。そういえば、今日は璃帆がプレゼントしたネクタイを締めていた。「勝負ネクタイ」だったのだろう。もう一度、嬉しくなった。お互いに、やっと、笑顔が戻ってきた。
「今週の土曜日、内見できるんだ。一緒に行こう」
「うん。楽しみにしてる」
個室を出る間際、璃帆は藤崎に片腕で抱きしめられた。
「璃帆。本当に、無理してないか?」
「うん。もう、怖くない。一緒にいられるの、すごく嬉しい……」
「よかった……」
お店を出て、駅に向かう。特別な嬉しさが後から後からやってきて、璃帆は思わず口にする。
「今日、寝られるかなぁ」
「ん……?」
「だって……、嬉しすぎて、きっと寝付けない」
「うん」
藤崎は、繋いだ手をもう一度強く握った。
「でもさ、会社の近くになるってことは、今よりもっと働かされるってことじゃないの?」
「わっ、気付いちゃったか」
2人で笑う。家電をどうしようとか、璃帆のアパートの契約の日取りだとか、思いつくまま話し合う。これから璃帆も忙しくなる。
ふと、藤崎の足が止まった。
「……どうしたの?」
前方の虚空を見ながら、藤崎が答えた。
「今、祐樹君が来た……」
保育園の、「見える」子だ。生霊として、ふっと藤崎の前に立った。泣いている……。
「どうしたんだ……」
藤崎のスマホが鳴る。「しんえい保育園」と表示されていた。
「はい。藤崎です」
「しんえい保育園の、足立ちひろです。分かりますか? 会社に電話したら、携帯を教えていただけて……」
「はい。ちひろ先生ですね。大丈夫ですよ。……祐樹君に、何かありましたか?」
「祐樹君が、いなくなってしまったんです!」
今日は祐樹の父親が、預かりの延長を申請していたため、お迎えが19時になる予定だった。祐樹は、残った他の子供と一緒に、いつも通り遊んでいたそうだ。
ところが、突然「ママが、お腹が痛いって泣いてる」と騒ぎ出し、皆が驚いたらしい。ちひろ先生が、「どうしたの」と聞いても、「ママを助けてあげてー!」と繰り返し泣き叫ぶばかりで、要領を得ない。最後には「ママが死んじゃう」と突っ伏して、どう呼びかけても収まらなくなった。しかし、ちひろ先生はもしかしたらと、父親に連絡を取ったそうだ。
祐樹の両親は、離婚しており、母親の連絡先は保育園では把握していなかった。最初父親は、子供の戯言だと取り合わなかったらしいが、ちひろ先生の説得により、渋々電話を掛けたらしい。
はたして、彼女は意識が途切れる寸前だった。かろうじて電話には出たが、「救急車を」とひとこと言ったきり、応えなくなったそうだ。すぐに救急車を呼び、玄関は父親の承諾を得て、壊して入ったらしい。今、緊急手術中とのことだった。
ちひろ先生が父親に電話している間に、祐樹がいなくなったというのだ。年長の子供に聞いたら、「りゅう先生―!」と泣きながら、保育園の出口に向かって行ったところまで分かったらしい。
「りゅう先生……」
藤崎は、居ても立ってもいられなくなった。とにかく、保育園に向かうと電話を切る。
「璃帆、ごめん。ここで……」
「私も、行く」
「でも……」
「人手は、多いほうがいい」
「うん……」
タクシーに乗った。こんなに取り乱した藤崎は、初めて見るかもしれない。璃帆がそっと藤崎の手を取ると、とても冷たかった。
「落ち着いて、龍一さん」
「……」
「私も一緒に探すから、祐樹君の画像を送って」
「ん……」
璃帆の左手を取り、波動を上げる。
「かわいい子ね……。大丈夫よ。必ず、元気で見つかる。そう、信じよう」
「……」
緊張した顔が、戻らない。何がこんなに藤崎を不安にさせているのか。璃帆は考えていた。
「私を見つけてくれる時みたいに、してあげて」
「……、あれは璃帆だからできるんだ」
窓の外を見ながら、藤崎が呟く。
「龍一さんに、できないはずがない」
きっぱりと、言い切った。毅然とした声に、藤崎がゆっくりと璃帆を振り返る。
「祐樹君は、私なんかより、よっぽど力を持ってる。あなたのあの光を、受け止められないはずがない」
「光……?」
「そう、この前の花火のとき、はじめて分かった。いつも私に送ってくれるあのエネルギーは、光なんだって。だから、離れていても届く。どんなに不安でも、龍一さんを感じることかできるの。いま祐樹君はとても不安なはず。まずは、安心させることが一番だと思う」
「璃帆……」
――そう。彼女が、言ってるわ。もっと、心を開きなさいと。そうしたら、もっと色んな声が聞こえるようになる。人を、助けなさいって。
以前、母美千代の友人、横川に言われた言葉を思い出す。藤崎のマスターの言葉だ。
思い直したように、藤崎はひとつ大きく深呼吸をした。璃帆は、集中してもらおうと、手を離そうとした。しかし、その手をもう一度、藤崎は握る。
「手伝って……」
小さく頷いて、分かったと伝える。何ができるかは分からないが、藤崎がそれで落ち着くなら、充分だと思った。
手から、すごいエネルギーが璃帆に伝わる。あぁ、私を呼んでくれるときは、こんなにパワーを使っているのかと、改めて驚いた。
「りゅう先生……」
えっ……。璃帆に、子供の声が届いた。思わず、外を見ている藤崎を見る。藤崎も、顔を璃帆に向けて確認した。
「聞こえた?」
「うん……」
「あっちだな……、運転手さん、そこ左に曲がってください」
タクシーは、しんえい保育園に向かっている。しかし、もう少し違う方向から声がしていた。どんどん強くなる……。
公園だった。後で分かるが、よく保育園からお散歩に来る公園だったらしい。
「祐樹君! どこだ!」
公園に街灯はあるが、人の姿はなかった。でも確かに、ここから声がしたのだ。2人で公園の中を探す。藤崎は、祐樹の小さな兄の姿を捉えた。藤崎を手招きしていた。
「いた! 祐樹君!」
遊具の中で、祐樹は寝ていた。大きなコンクリの塊のような、登り台と滑り台が一体化している遊具だ。その土台が、トンネルになっていて、そこにいたのだ。
「りゅう先生〜」
目覚めた祐樹の泣き声が木霊する。彼を抱えて、遊具から出てきた藤崎は、改めてしっかり祐樹を抱き抱えた。藤崎にしがみつきながら、祐樹は泣きじゃくる。その2人の姿を、璃帆は眩しいものを見るような思いで、眺めていた。
しんえい保育園に、祐樹の無事を連絡し、母親の入院した病院に連れて行くと伝える。
祐樹が、「ママが、ママが〜」と言い募るので、藤崎は「もう、大丈夫だよ。パパが、助けてくれたから」と伝えた。
移動する車の中で、藤崎に抱かれたまま、祐樹はまた寝てしまった。
「璃帆、ありがとう……」
「ううん……、よかった……」
「うん……」
病院に到着したのは22時を過ぎていて、母親の緊急手術は終了していた。
病室には、いつも祐樹のそばにいる、あの祖母がいた。そうか、あのお祖母ちゃんは、母方のお祖母ちゃんなのだと、藤崎は知る。今は娘が心配で、こちらにいるらしい。
開腹手術になったらしく、母親は少し痛みで苦しんでいた。それでも、祐樹の顔を見れば、嬉しさを顔一杯に広げて、喜んだ。祐樹も心配そうに見ていたが、母が手を差し伸べてくれて、その手に縋るようにベッドの脇の椅子に座る。
「ママ、痛い?」
「大丈夫よ。祐ちゃんの顔見たら、すごく元気が出てきた」
「ホント?」
「ホント」
覗きこむ祐樹の顔を、愛おしそうにそっと撫でる。見ている璃帆の方が、泣きそうになった。母を見つめる祐樹の横顔は、何と真摯なのか。「高潔」という言葉が浮かんできた。子供であろうが、やはり高い魂は、それと分かるらしい。
「ママのことね、パパが助けてくれたんだよ。すごいね、パパ」
「……でも、皆んなに知らせてくれたのは、祐ちゃんでしょ。さっき、パパから聞いたよ。ありがとうね」
「ふふ。僕、ママのことならなんでも分かるよ」
「祐ちゃん……」
母親は、泣き出してしまった。
「ママ、痛いの? ヨシヨシしてあげる。イタイのイタイの、飛んでけ!」
と祐樹は、母の頭を小さな手で撫でる。母は、余計涙が止まらなくなった。祐樹は、困ってしまい、藤崎に助けを求める。
「りゅう先生……」
「大丈夫。ママ、痛くて泣いてるんじゃないから、安心して」
「あなたが、もしかして、藤崎さんですか……?」
「はい、はじめまして。苦しいでしょうから、それ以上、お話しないほうが……」
「いえ、お礼だけ言わせてください。本当に色々、ありがとうございます……」
璃帆は、以前から知り合いのような2人の会話を聞いて、不思議に感じていた。
間もなくしんえい保育園の園長と、ちひろ先生も病院に駆けつけた。藤崎たち2人は、さんざんお礼を言われ、祐樹君を預ける。とりあえず、一件落着である。
病室を出ようとした時、父親が入ってきた。スーツを着た40代前半と思われる、ビジネスマンだ。一目見ただけで、内勤者だと分かる。決して営業マンではないだろう。薄っすらと他者を排除する空気をまとっている。コンビニの袋を提げているので、とりあえず入院に必要なものを、下のコンビニで購入してきたのだろう。
「祐樹!」
祐樹を見るなり、ツカツカと近寄り、その右手を振り上げる。叩かれる、と誰もが思ったその瞬間、藤崎がその手を掴んで止めていた。
「……っ!」
父親が、腕を掴まれたまま、動きを止める。
「なにやってるんだ」
藤崎の、聞いたことがないような、冷たく厳しい声が病室に落ちた。
「外へ出ろ……」
有無を言わせない態度で、藤崎は父親を連れ出す。璃帆も慌てて外に出た。
そのまま、面会ブースまで連れて行って、やっと手を離した。
「君は、誰だ? 失礼じゃないか」
「あなたは、いつも祐樹君にあんな態度なんですか」
睨みつけたまま、挨拶もしない。
「誰だか知らんが、祐樹は俺の子だ。どうしつけようと、君にとやかく言われる筋合いはない」
「確かにあなたの子だ。だが、あれは『しつけ』とは呼ばない! 怒りに任せた、暴力だ」
「偉そうに……。あの子は、言うことを聞かないんだ。いつも、訳の分からんことばかりを言って大人を困らせる。いもしない人が、いるだのいないだの、嘘ばかり言って。今日だって、黙って勝手にいなくなって、厳しく怒らなきゃ、あいつは分からんのですよ!」
「……それは、嘘じゃ、ない!」
藤崎は、面会ブースにあるテーブルを、拳で静かに叩く。鈍い音が、響いた。父親も、璃帆も驚く。
「現に今日だって、祐樹君のお陰で、お母さんを助けられた……」
「それは、何かの偶然でしょう……。大体、どうやって連絡を取っているのか……。あいつと祐樹は、昔から訳の分からんことを言ってばかりだ」
「……そもそも、どうしてあなたが祐樹君と一緒にいるんです。祐樹君は、母親と一緒にいる方が幸せなのに……。いや、いるべきなんだ!」
「何を根拠に、まったく。ちゃんと合法的に親権は取ってる。女手1つで、どうやって食わしていけるんだ。教育だって大事なのに。金は、生きていくためには、必要なんだ。それに、あいつにまかせておいては、いつ殺されるか分からん」
璃帆も藤崎も、刃のような言葉に、身を硬くする。
「殺されるって……、祐樹のお兄ちゃんのことを言ってるのか……」
そう口にした途端、藤崎の頭の中に、祐樹の兄が死んだ時の情報と映像が、怒涛のように流れ込んで来た。
「……何だ、これ?」
藤崎の顔が、どんどん怒りに満ちていく。拳が、小さく震えているのを見て、璃帆は何が起きているのか分からない。
「あんた、祐樹君のお兄ちゃんが亡くなった夜、飲んで帰るのが遅くなったんじゃないか! だから、病院に行くのが遅れた……」
「君は、何だ。どうして、そんな話を知っている。あいつの新しい男か……?」
いけない。その言葉は、更に藤崎の怒りに火を注ぐ。璃帆は、この場から藤崎を連れ出そうと思った。が、一歩遅かった。
藤崎が、父親の胸倉を掴んでいた。あまりの怒りに、言葉が出ない。その目の圧力に、父親の方が言い訳を始めた。
「私がいなくても、タクシーでもなんでも使って、病院に行けばよかったんだ」
「あんたの母親が、あんたの帰りを待つように止めたんだ……。祐樹の母親は、救急車を呼ぶって言ったのに、みっともないから止めろって……。奥さんは、何度も何度も電話したろ! それも無視して、飲んだくれてたのは、どこのどいつだ!」
「知ったような口を利く! まるで、見てきたみたいに、勝手に話を作って!」
「今、見たんだ……。あんたの母親に、聞いてみればいい。きっと、覚えてもいないだろうが……。あんたと、あんたの母親が、祐樹のお兄ちゃんを、殺したんだ」
「龍一さん!」
璃帆は、龍一の前に、割り込むように入った。これ以上は、いけない!
「祐樹のお兄ちゃんは、尊い魂だったんだ。あんたのために……、あんたに「愛する」ことを教えるために生まれてきたんだぞ。短い命だって分かってて……」
藤崎は、諦めたように掴んだ父親を放す。
藤崎の言葉を聞いて、璃帆も思わず口に手を当てた。「そうなのか……」
「あんたには、分からないだろうが、なぜもっと子供を大切にしないんだ……。祐樹だって、あんたとあんたの母親のために、ママと離れることを選んだんだ。あんた達は、可愛くて祐樹を引き取ったんじゃない。跡取りを手元に置きたいだけなんだ。それを、あの子は、あんな小さいのに、ちゃんと分かってるんだぞ!」
あぁ、藤崎は、祐樹に自分を重ねている……。だから、行方が分からない間、あんなに取り乱して、不安に苛まれていたし、こうやって怒りが抑えきれないのだ。特殊な能力を持つばかりに、周りとの軋轢を生み、生きにくくなる。そして、そのことを、祐樹は誰にも分かってもらえない。その苦しみが、自分の苦しみとして、藤崎をがんじがらめにしている。いつ、この怒りの目から涙が溢れてきても、不思議ではなかった。
「君の言っていることは、まるで新興宗教の誘い文句みたいだな。もう、いいか」
藤崎は、緊張の糸が切れたかのように、椅子に身を預けた。もう、父親の顔も見ようともしなかった。
父親が病室に向かおうとしたら、祐樹がパタパタと走ってきた。
「パパ、もう終わった? ちひろ先生が、もうお家に帰りましょうっていってるよ」
「この人が、邪魔をしてね……。行こう」
璃帆は、祐樹をそっと引き止めた。「まだ、何か?」と言う父親を、無視する。祐樹の視線に合わせるように、しゃがんだ。
「祐樹君。私、りゅう先生のお友達なんだけど」
藤崎が、疲れたように璃帆と祐樹の方に、少し顔を向けた。
「あっ、知ってる。前に、りゅう先生に会いに来てたお姉さんだよね」
と、とろけそうな笑顔で答えてくれる。
「うん。あの時は、りゅう先生に教えてくれて、ありがとうね」
「いいよ」
「あのね、1つ聞きたいことがあるの。祐樹君は、どうして、ママじゃなくてパパと一緒に暮らしてるの?」
藤崎は、奥歯を噛みしめる。父親は、璃帆達に分らない様に、小さく身構えた。
「だって〜、パパはお友達がいないから、僕がいないと寂しいでしょ。あと、お祖母ちゃんも〜。それに僕、あのお家にいないと、いけいんだって。お祖母ちゃんが言ってたよ。僕のほかに、小っちゃい子がいないからだって」
父親の胡散臭そうだった顔が、ピクリと反応する。
「でも、ママもきっと寂しいと思うよ」
「ママはね、お友達たくさんいるから、大丈夫なんだって。だから、パパのそばにいてあげてって言ったんだ……」
藤崎は、顔を背けてしまった。額を片手で覆う。泣いている……と、璃帆には思えた。
璃帆から、あの「信頼の花びら」が舞い上がり、祐樹との絆を結ぶ。
「そっか。祐樹君って、本当に優しい子なんだね。お姉さん、祐樹君のこと大好きになったよ」
「ふぁ〜。これ、綺麗だねぇ。お花みたい〜。ぼくも、お姉さんのこと好きだよぉ」
といって、璃帆の花びらをふんわりと両手で集めたかと思うと、パッと手を広げて、その光を舞い散らした。
「もう少しだけ、パパとお話しするから、ママのところで待っててくれる」
「うん、分かった〜」
「私の両親も、私が5歳の時に離婚しました」
璃帆が、静かに語る声を聞いて、藤崎は、我に返った。ゆっくり、璃帆の後姿を見上げた。
父親は「だから何だ」という顔をして、聞いている。
「祐樹君と同じように、私も父に引き取られました」
「ほら、見ろ」と、顔が語る。
「私は、とても愛情を受けて育ちました。ですから、母の顔もほとんど覚えていないですし、会いたいと思うことも、すぐになくなりました。父が大好きでしたので……」
「愛なんて、現実ではさほど重要ではない。生活環境がいかに大切か、貧困の中に安らぎはない。君達みたいな若造が、夢みたいなことをほざいてるだけだ」
「……そうかもしれません。祐樹君は大変聡明なお子さんです。そして、とても勘が鋭い子でもあります。それを、お父様は残念ながら、分かってらっしゃらなかった……。でも、さっきの祐樹君の言葉を聞いて、少し思い直されたのではないですか?」
「……」
藤崎は、弾かれたように父親を見た。璃帆が真っ直ぐ見ているその視線を、外していた。
「子供は、本当によく親を見ています。私も、そうでした。父の背中を見て、何が必要なのか、何をしてあげたらいいのか、そんなことをいつも思っていたような気がします。」
「……」
「祐樹君は、近い将来、もう変なことは言わなくなるでしょう。でもそれは、お父様に叱られるからでも、嘘をつかなくなるからでもありません。彼にとっての真実と、周りにとっての真実が違うことに気づくからです。それまで、どうかもう少しだけ、待ってあげてください。あの無邪気さを奪わないでいただきたいのです。そうすれば、祐樹君は、ずっとお父さんを好きでいられます……。どうか……」
璃帆は、きちんと頭を下げた。
「……もう、いいですか。あの子が待ってますので」
父親は、病室に戻っていった。
「璃帆、ゴメン……」
「龍一さんが謝ること、何にもないよ」
璃帆も、龍一の隣に腰を降ろした。藤崎の目に、涙はなかった。
「私ね、龍一さんみたいな力、羨ましいなって、少し思ってたの……。でも、違うんだね。人と違うってことは、それだけ傷を背負うってことなんだって、少し分かったような気がする。私の方が、泣きそうになったよ……」
「……」
「忘れて欲しい? 私、忘れるの、得意だよ」
さっきの、怒りに任せた自分の姿のことを言っている……。
「いや、いい。璃帆にはちゃんと知っておいてもらいたい」
「分かった……」
病院から駅まで、歩いて帰ることにした。15分程だ。
「祐樹君のママと、知り合いだったの?」
「ん? あぁ、いや、会ったのは今日が始めて」
「会ったのは……?」
「実はね、祐樹君がママに会えなくて寂しいって言ったときに、手紙書いたらどうかって言ったんだけど、あのお父さんが許すはずもなかったらしくて……」
「う〜ん、でしょうねぇ」
「そしたら、祐樹君、ママからの手紙を、ちゃっかり家から持ってきてね」
「すごい……」
「賢い子だよ。まぁ、いつも憑いてるお祖母ちゃんが、教えてくれたのかも知れないけど。それで、俺が祐樹君にハガキをあげたの。100枚。住所を印刷してね」
「わぁ」
「そのまま、ポストに入れればいいよって。で、最初のハガキのときだけ、色々説明した手紙を添えて、お母さんに送ったんだよ。それを多分覚えてくれてたんだと思う」
「龍一さんの怒りは、その優しさからくるんだなぁ……。だから、むやみに止められない」
璃帆にニッコリ笑って言われ、藤崎は苦笑いするしかない。
「参ったな……。やっぱり、忘れてくれる?」
「残念でした。もう、記憶にインプットしちゃいました」
「でも、お父さんの気持ちが少し動いていたなんて、俺だけじゃ分からなかったから、やっぱり璃帆がいてくれて良かった」
「親子、だもの……。でも、この先苦労することに、変わりはないかな。がんばれ、祐樹君」
「そうだな……」
駅で藤崎と別れた。別れ際、藤崎の顔に掛かった髪を直しながら、「お休み」と挨拶した。藤崎は、されるがままになりながら、そっと笑って「お休み」と応えた。
一緒に暮らしたい……、璃帆はこれ程強く思ったことはない。できれば、藤崎をひとりにしたくなかった。あと、少しの辛抱だ……。
マンションの部屋は8階にあった。藤崎の会社から、徒歩5分くらいの場所だ。
「ほんとに、近いのねぇ」
「あぁ、これで少しは、ゆっくり寝られる」
部屋を2人であれこれ見ながら、璃帆は不安なことを確認した。
「寝室、別々にする……?」
「何でっ!」
「北海道行った時ね、友達皆んなが言ったの。寝顔喜んでるの、独身の時だけだって。毎日見るようになったら、百年の恋も覚めるって……」
「うわっ。ダメダメ。何があってもダブルベッド。それ以外、却下」
「でも……」
「大体、何でそんな話になったの」
「……、怒らない?」
藤崎が頷くのを見て取って、スマホの画像を見せた。藤崎の寝顔だ。
「これ、見せたの!」
「だって……、お気に入りなんだもん……」
「ダメだろ。俺は、誰にも見せてないよ」
と言って、自分のスマホを璃帆に見せる。
「……」
「俺も、お気に入り!」
そこには、璃帆の寝顔が写っていた。
「やっぱり、一緒に寝ようね……」
「ん……。分かれば、よろしい」
ベランダから外に出て、その眺めを楽しむ。貸しビルが多い地区で、景色が途切れてしまうところも多いが、それでも充分開放感のある眺めだった。
「本当に一緒に暮らせるんだな……」
「うん。よろしく、お願いします」
「璃帆……。できるなら、その先のことも考えて欲しい。俺は、璃帆とずっと一緒にいたいと思ってる。これは、ほんとにゆっくり考えてくれていいから……」
心地よい風を顔に受けながら、璃帆はゆっくり応えた。
「私、龍一さんの、子供が欲しい」
「……」
藤崎が、瞠目する。何よりそれは、怖かったことではないのか……。
「この間、祐樹君を抱いた龍一さんを見てね、この子が、2人の子供だったら、どんなに幸せだろうって思ったの……」
公園で、遊具から出てきて、祐樹を抱きしめた藤崎を思い出しながら、続ける。
「私ひとりよりも、子供達が一緒なら、もっともっと龍一さんのこと、幸せにできるんじゃないかって……。だから、私、龍一さんの子供が欲しい」
「璃帆……」
藤崎は、璃帆を抱きしめた。空の雲間から、日が差し込む。璃帆が大好きな瞬間だ。この光景を、藤崎は決して忘れることはないだろうと思った。
「大切にするよ、一生。幸せになろう」
「うん」
結婚式の会場に、藤崎の父、公毅の挨拶が響き渡る。
「まだまだ未熟な2人ではありますが、末永く、ご指導、ご鞭撻の程、よろしくお願い申し上げます」
2人のマスター達にも、この言葉が届いていることを願って、藤崎と璃帆は深々と頭を下げた。




