保育園
藤崎の交番のデザインコンペは、残念ながら最優秀賞には選ばれなかった。
「残念だったね……。でも、凄いね。優秀賞なんて」
「まぁ、負けは負けだな。あっちとは、コンセプトが正反対だったからな」
「でも、龍一さんのデザイン、他の区の交番に採用されることになったんでしょ」
「気に入ってくれた人がいてね。良かったかな」
「良かったよ〜。私、気に入ってたんだから。本物が見られるなんて、嬉しい。また完成したら、見に連れてってね」
「了解」
と、乾杯した。藤崎としても、予定していた結果ではなかったとはいえ、自分のデザインが採用されることに、不満はなかった。
「あとさ、あのデザインを気に入ってくれた審査員の関係者の中に、保育園経営者の人がいてね。今度その保育園の建て替えの仕事も、貰えたんだ」
「ひゃ〜、すごーい! なに、その「棚からぼた餅」かと思ったら、実は「葱しょった鴨」だったみないなのは〜!」
璃帆は、親指を立てて、シャキーン! とポーズをとっている。「上手いこと言った私」顔である。
「璃帆、それ分かりにくい……」
「いいの、いいの! 要は、もう一回、乾杯ってことね! すいませ〜ん、鴨鍋追加でお願いしまーす」
と、本物も注文している。今日は、串焼き屋での祝宴となった。
「ほんとに、ここでよかったの?」
「うん。牛肉より鶏肉の方が、やっぱり食べられるし。ここ、おいしいでしょ。俺のお勧め」
「よーし。ほんとに今日は、お祝いだから飲むぞー!」
と、どちらが主役か分からないはしゃぎ様で、でもそれはやっぱり、藤崎にとってもうれしいことだった。
これからまた、忙しくなる。
設計事務所の所長と共に、「しんえい保育園」に打ち合わせに来ていた。
「いや〜、正直最初に藤崎先生を見た時は、驚きましたよ。あんな可愛いデザインをする人が、こんなガタイの大きな人とは」
と、園長先生が笑う。藤崎も、思わず苦笑いである。何度、言われたことか……。
「プレゼンシートの、傘さした子供と警官のイラストがよかった。白抜きで表情がなかったけど、子供の顔が浮かんでくるようでしたよ。子供の視線を分かっている。ぜひ、思いやりに溢れた保育園にしてください。幼児教育の環境において、建物はとても重要なのです。よろしくお願いします」
施主の大まかな考えを聞き取っていく。最初の打ち合わせは、順調に進んだ。
「所長。少し、園内を見てから帰っても、いいでしょうか?」
「ああ、そうするといい。終わったら、今日はこのまま、帰っていいよ。」
「ありがとうございます。お疲れさまでした」
園内を、ゆっくり散策し始めた。17時を過ぎた頃だが、まだ子供たちは大勢いる。19時がお迎えの最終なのだが、延長も受け付けているらしい。
この保育園には、まだ砂場があった。都内では、少なくなっている。そこに、1人の男の子がポツンと立っていた。しきりに、帽子を直している。
「あの子……」
じっと藤崎は見つめ続ける。
「ちょっと……、難しい子なんです」
と後ろから、保育士の女性が声を掛けてきた。40代のベテラン保育士さんだ。先程、園長先生から紹介されていた。
「祐樹君といいます。独りで遊ぶことが多くて、独り言も多い。発達障害の疑いも捨てきれておりません。ただ、多動ではないですし、人の気持ちにもなれる子なので、様子を見ているところです」
「そうなんですね……。今、発達障害の子供が増えてると聞きましたが、その子たちの教育を特別に考えていらっしゃるのですか?」
「したいのは山々ですが、あれは人手と時間が掛かるのです。現状では、当園では無理だと思います。待機児童も解決してませんし。うちも、毎年大勢お断りしてますから」
「そうですか……。また、色々お話伺っても、よろしいですか?」
「もちろん。現場の不便な点、全部解決して頂きたいですから」
「鋭意努力いたします。……ところで、祐樹君と話をしても、いいでしょうか?」
「いいですが、困るようでしたら、すぐ我々を呼んでくださいね」
と、他の子供たちのところに戻っていった。
「こんにちは」
「……」
うつむいたまま、こちらを見ようとしない。
「お祖母ちゃん、帽子かぶりなさいって言ってるの?」
祐樹が、弾かれたように藤崎の顔を見た。
「……」
明らかに、こちらを値踏みしている目である。
「祐樹君のお兄ちゃんは、砂でトンネル作るの、上手なんだね」
「……うん」
やっと、答えてくれた。子供は、こちらから多くを聞かないと、答えることはできない。
「水掛けて、砂を固めるって、お兄ちゃんが教えてくれたの?」
「うん」
「そうか。すごいね、お兄ちゃん」
「うん!」
間違いない。この子は、「見える」子なのだ。この子には、お祖母ちゃんと、幼くして亡くなったお兄ちゃんの霊が、ずっと見守るように憑いている。
また、お祖母ちゃんが帽子をかぶれと言っている。
「もう、お日様でてないから、やなの……」
祐樹は何も聞かなくても、教えてくれた。生きてても、亡くなっても、孫が心配なのは変わりがないようだ。
「お祖母さん、もうそんなに暑くありませんから、帽子は被らなくても、大丈夫ですよ」
と、お祖母さんに向かって、話しかけた。
「そうですか。心配でねぇ……」
「この小さなお兄ちゃんは、いつ亡くなられたのですか?」
「この子が生まれる2年前に、インフルエンザで亡くなりました」
「そうですか……」
お祖母さんと情報交換している藤崎を、祐樹はじっと見つめている。
「おじちゃん、お祖母ちゃんとお兄ちゃん、見えるの?」
「ああ。見えるよ。お話も、できるよ」
また、「おじちゃん」かと少し落胆しつつ、祐樹に目線を合わせるため、しゃがんで話す。
「みんな、そんな人いないって言うんだ……」
俯いて、泣きそうな顔をする。ずっと、嘘つき呼ばわりされてきたんだろうなぁと、ふと自分の忘れていた幼少期の記憶が、戻ってきた。お釈迦様事件の時だ。
「大丈夫。俺には見えてるよ。祐樹君は、嘘つきなんかじゃないよ」
祐樹の顔が更に歪んだかと思うと、目から大粒の涙がポロポロ落ちた。ずっと、1人で耐えてきたのだろう。保育士さん達に見つかる前に、笑顔にしよう。
頭を何度もポンポンして、そっと抱きしめてやる。あの璃帆の「信頼の花びら」のような、温かさに満ちたエネルギーを送る。祐樹のオーラがキラキラしだした。
「おじちゃん、みんなに教えてあげて。ちゃんとお兄ちゃんもお祖母ちゃんも、ここにいるって」
「そうだね。先生に、話してみるよ。でもね、これから言うこと、ちゃんと聞いてくれる?」
「うん」
「2人のことが、見えない人が、いっぱいいるの」
「どうして」
「えーとね、祐樹君は、この文字読める」
といって、持っていた書類の漢字を指差す。
「まだ、習ってないから、読めない。こっちなら、読めるよ」
と、ひらがなや簡単な漢字を指さす。「本」「月」「に」「の」と、読んで見せる。
「凄いね。ちゃんと読めるんだ。でも、こっちは習ってないから、読めないでしょ。それといっしょだよ。習ってなくて、見えない人が凄く多いんだ。逆に祐樹君は、習わなくても見えちゃったから、すごいね」
「う〜ん。ママはね、へんなことは言っちゃいけませんって言うんだ。ママも、まだ習ってないの?」
ママの情報が、お祖母ちゃんからもたらされる。
「ママね、見えてるんだけど、あんまりハッキリ見えないみたい。目が悪いのかな?」
「うん。コンタクトしてるよ」
「じゃあ、祐樹君のようには、ハッキリ見えないんだ。だから、ママの言うことも聞かないとね。ママが可愛そうだよ」
「そっか。みんなまだ習ってないから、僕が教えちゃいけないんだね」
「そう。教えちゃうと、ズルになるよ」
「分かった」
こんなもんかなと思いつつ、藤崎は迷う。いずれ本人も気が付くが、特殊能力と付き合うには、何度も何度も傷付くことになるのだ。しかし、それを周りの大人に説明するためには、藤崎自信もカミングアウトすることになる。
そして、それは、受け入れてもらえるとは、限らない……。
できれば避けたいと思っていた。母を見ていて、その後の人生がどうなるかは、大体の予想ができた。
園内に、「見える」人はいないのかと、お祖母さんに聞いてみる。ほんの少し、感じることができる先生が1人いるとのことだ。
「祐樹君。ちひろ先生って、どの人?」
「あの先生だよ。ちひろ先生だけは、僕の言うこと、少し聞いてくれるんだよ」
そうか、彼女がいたから、なんとか祐樹はこの保育園でやっていけてるんだなと、安堵した。
「じゃ、ちひろ先生とお話してくるけど、ちひろ先生もあまりまだよく分からないみたいだから、祐樹君もそのこと、よく覚えておいてね」
「分かった」
「これから俺、ちょくちょくここに来るから、困ったことがあったら、お話してね。じゃね、バイバイ」
「バイバイ」
と別れた。ちひろ先生に、何と切り出そうか……。
「始めまして。今度、こちらの園の建て替えの設計を担当させて頂くことになりました、藤崎と申します」
と、名刺を差し出す。ちひろ先生は、20代後半くらいの、かなりぽっちゃりした女性だ。
「はぁ。よろしくお願いいたします」
「あの、祐樹君のことで、少しお話したいのですが……」
「……。祐樹君の、ご親戚かなにかですか?」
「いいえ。……ちひろ先生が、園内で唯一、霊感のある方だとお聞きして……」
「……。誰が、そんな……」
「祐樹くんの、お祖母ちゃんです」
ちひろ先生が、絶句する。祐樹の祖母が亡くなっていることは、知っているのだろう。遠くにいる祐樹と、藤崎の顔を交互に見つめる。
「みんなに、内緒にしているんです。それに、霊感があるっていっても、はっきり見えるわけではありませんし……」
「分かってます。ただ、祐樹君は、「見える」子なんです。それには、気が付いてらっしゃるんですよね」
「……、藤崎さんは、見えるんですか?」
「僕も、隠してます。ですから、祐樹君のこと、見守っていただけないかと思いまして」
「たまに、お兄ちゃんとかお祖母ちゃんとか、独り言のように言っています。そんなときは、いつもいるなって、感じてて……。祐樹君は、しっかり見えてるんですか?」
「はい、とてもしっかり。2人とも、彼が心配なようです。他の子に悪さをするとか、本人に直接影響を与えるとかは、決してしません。一緒に遊んだり、世話を焼いているだけですから」
「……分かりました。少し、安心しました。気にはしていたんですが……」
目に見えないものは、誰でも怖い。ましてや、気配だけ感じるのは、余計に怖いだろう。これで、祐樹を遠ざけることはしないでもらえると、安堵した。
「よかった。ちひろ先生がいたから、彼は今までこの園に残れたようです。どうか、これからもよろしくお願いします。俺、これからしばらくはこちらに伺いますので、何かありましたら声掛けてください」
と言って別れた。これで、とりあえず祐樹君も安心だろう。
その夜、藤崎は飲み会だった。大学時代の水泳部の皆と、年に1度飲む。OBもOGも一堂に会する。藤崎は3年生の時、肩を壊してやめたのだが、今でも誘ってもらえるので楽しみにしている。
「では皆さん、カンパーイ!」
昔の話や、今の報告など、それぞれに会話が膨らんでいく。
さすがに女性は、結婚した人が多くなった。男声は、まだ1/3くらいだろうか。イケメンは、大体結婚している。面白いもので、男性も女性も、綺麗な人たちは、売れるのが早い。まぁ、スーパーに並んでる、果物みたいなものか。などと、どうでも良いことを考えながら、昔話に花を咲かせていた。
「藤崎さぁ、交番のコンペ、優秀賞だっただろ。惜しかったな〜」
水泳部とはいえ、同じ建築学科のメンバーも何人かいるので、さすがに知っていたかと頭を掻く。
「お陰様で、他の交番で採用されることになりましたー!」
と報告すれば、ヒュ〜! と、声が掛かる。ヤンヤと再度の乾杯攻勢を受けた。
「あのデザイン見た時、すぐ藤崎先輩だって分かりました」
ひと通り落ち着いた時、隣の女性が言ってくれた。確か、2年後輩の小野寺さんといったか。マネージャーだった。
「すごいな。俺のデザインなんて、そんなに見たことないでしょ」
「学生時代に、平野先輩に藤崎先輩の色んな課題の写真、見せてもらってたし、何回か学生コンペでグループ出品された時もありましたよね」
と、少し酔っているらしく、ほんのり赤い顔で言う。平野は学生時代の親友だ。今、大阪の会社に転勤中で、今日も出席できていない。
「えっ、そうなの? 小野寺さんって、平野と付き合ってたの? 俺、全然知らなかった」
「いっ、いいえ、違います。平野先輩に頼んで、いつも写メで送ってもらってたんです」
「へぇ、勉強熱心だなぁ。今も、確か建築設計事務所に勤めてるんだよね」
「……はい。でも、先輩みたいなデザインの才能は、私にはないらしく、なかなか設計までさせてもらえません。自分でも、平凡な設計だなって、いっつも情けなく思ってるんです」
「何が専門の設計事務所?」
「共同住宅や、建て売り住宅が多いですかね」
「そうなんだ。でもさ、共同住宅や建て売り住宅なんかは、いかに低コストで、万人受けして、きちんとしたものを建てるかっていう方が大事なんだから、「平凡な」っていう設計も、1つの大事な才能だと思うけどな。俺、いっつもコストと戦ってるからさ。独自性、いらないって、よく先輩に怒られてるよ」
「先輩……」
と、泣きそうな目で見られて、藤崎は少し驚いた。
「ありがとうございます……。やっぱり、優しいですね……。変わらないですね……」
「……」
「先輩は覚えてないと思いますが、大学入って、水泳部に勧誘された時、声掛けてくれたの先輩だったんですよ」
「えっ、そうだった?」
確かに、新入学生の勧誘は、3年生と2年生の仕事だった。
「はい。……私、先輩にあこがれて、この部活に入ったんです」
まっすぐ見つめられて言われた。すぐに俯いてしまったが、耳まで赤くなっている。
「……ごめん。全く気付かなかった……」
「先輩、選手だったから。一生懸命だったから……。それに、大会の前に故障して、部活やめちゃったし。伝える時、なくなっちゃって……」
完全に、酔いが覚めたかと思えるほど、うろたえてしまった。できれば、「その時言ってもらえれば」などと、どうでもいいことを考えながら聞いていた。
「残念なことしたなぁ。あの頃、彼女いなかったからなぁ」
小野寺は、少し思いつめたような目で、藤崎を見た。
「今は、いるんですか……? 先輩、まだ、独身ですよね。」
「うん……、いるよ」
「そうですか……。そうですよね。先輩が、モテないはずないですもんね」
「小野寺さんは?」
「……、私も彼氏います」
なんだか少しホッとして、藤崎はあらためて笑顔になった。
「今、幸せならよかった。お互い、設計頑張ろうな」
と、乾杯を促す。小野寺も、それに応えて、グラスを合わせた。そのまま、女性グループに戻っていく。何だが、久し振りに甘酸っぱい思いに浸って、その後ろ姿をぼんやり眺めていた。
「おーい、飲んでるか? 藤崎」
同級生の、吉村だ。俺が故障して引退した後、選手として大会に出場した奴だ。
「お前〜、今、告られてた?」
「む、昔話だよ」
「キュンキュンするなぁ。俺達にも、青春ってあったんだよなぁ」
「からかうなよ。彼女に失礼だよ」
「お前、ニブイからなぁ。あの子がお前に惚れてたの、水泳部のみーんな、知ってたぞ」
「えっ……」
「お前やめてから、彼女部活に引き留めるの、大変だったんだから」
「……」
「もう一つ、教えてやるよ。あの子、今年初めての参加でさ、今まで来た事なかっただろ」
「そうだっけ……」
「お前、そんなことも気付いてないの? ダメだねぇ。それでさ、何で急に参加したか気になったから、桜子に聞いたわけ」
桜子は、小野寺と同級生の同じマネージャーだった女性だ。いつも、一緒にいたっけか……。
「なんかさ、ずっと付き合ってた彼氏と、最近別れたらしくてさ。それで、な」
「な、って言われても……」
もう一度、小野寺の方を見てしまう。今は笑って、友達と話していた。さっき、「彼氏いる」って言ってたが……。そういうことか……。
「まあ、どちらにしても、今更な話だし。いいよ。いい思い出増えて、よかった」
じとーとした目で吉村に見られ、思わず視線を外す。そこで、初めて気が付いた。
「お前……、彼女が好きだったのか?」
「……、そーだよ。大会後に告って、フラれた。昔の『悪〜い思い出』だよ。お前だけ、いい思い出増やしてんじゃないよ」
と、後ろから肩を叩かれる。遠慮がないように感じるのは、気のせいか……。
「どうするの? 今日」
「何、どうするって」
「お前さぁ、子供じゃないんだから、独身同士でしょ」
「俺、今、彼女いるから」
「だろうけどさ……。お前少し変わったからな、分かるよ。去年までは、こう、もう少しピリピリしてたからな。その、彼女のお陰なんだろうけどさ……。でも、小野寺も、かわいそうじゃん。何とかしてやれば〜」
そうか……。確かに璃帆と色々あって、前みたいにいつも何かに神経すり減らしているみたいなことが、なくなったなと、あらためて思い起こす。
「お前、相当酔ってるな。お前が、何とかしてやればいいだろ」
「俺はさ、愛する妻と、可愛い娘がいてさ、何ともしてやれないわけさ」
「俺だって一緒だよ。彼女を愛してるの!」
「うわぁ〜、そんなセリフ、藤崎から聞くとは思ってなかったなぁ」
あっ、確かに。昔は、そんなキャラじゃなかった。思わず照れるが、後の祭りか。
「もう、いいよ。お前といると、酔いが醒める。奥さんと娘さん、大事にしろよ」
「ほ〜い。大事にしてるって〜」
と、やっと離れてくれた。吉村は、別のグループに向かった。
今日、璃帆んちに行ったら、イヤがるかなと、急に璃帆に会いたくなった。
璃帆は会社帰りのショッピングを楽しんでいた。昨日お給料日だったので、この春の洋服をウィンドウショッピング中である。行きつけのセレクトショップを覗き、今年流行ると言われて買った、青のガウチョに、オーバーブラウス。髪が短くなったので今までの割とフェミニンな洋服より、モード系のデザインの方に挑戦したくなって、買ってみた。今度のデートに着て行こうと思う。
「龍一さん、こういうの、嫌いかな……」
好みを全て男性に合わせるタイプではないが、あまり喜ばない格好をするほど、主義主張を持っているわけでもない。まあ、30歳にもなれば、大抵のパターンはワードローブに揃っているので、少し今年のテイストを入れればいいだけだ。
「わぁ、このネクタイ、素敵」
自分の洋服を探すことより、最近、紳士ものに目が行くことが増えた。仕事柄、スーツの多い藤崎だが、黒のスーツが多く、ネクタイも黒に近い色が多い。それも、カッコいいのだが、こういうのもたまにはどうだろうかなどと、眺めていた。
「プレゼントですか?」
と、店員が聞いてきた。
「ええ。これ、素敵ですね」
「今年の新作です。100年前のシャトル織機で作られた生地で、貴重なんですよ」
「この柄、地模様? ていうのかしら、地味すぎます?」
「確かに、今年は太めのストライプなんかが流行ですが、このソリッドも人気です。こちらの、織り柄でストライプになっているタイプも、いかがですか?」
「う〜ん。それも素敵だなって見てたんですが……。普段、黒っぽいネクタイが多くて、少し色が入ってるの、イヤですかね?」
「いえいえ、普段と違うネクタイは、プレゼントされなければ大抵の男性は選びませんから、意外と喜ばれるんですよ。それに、女性が選んだネクタイの方が、褒められる率が高いです。これは、経験上ですが」
と、にっこり笑って言う。さすが、店員さんだ。なかなかの、掴み具合です。
結局、最初に目に留まった濃紺の、地模様が素敵な1本を買ってしまった。特に、誕生日でもなかったのだが、これを締めた藤崎の姿を見たくて、もうワクワクが止まらない。この間のコンペのお祝い、何にもプレゼントしなかったから、それを言い訳にしようと思い立ち、スキップする気分で歩いていた。
そういえば、今日藤崎は、この近くで飲んでるんだっけと、ふと思い出す。大学の水泳部って、女性は少ないよね……。と、気持ちの中で確認する。あくまでも、確認であって、疑っているわけでも、心配してソワソワしているわけでもない。と、言い聞かせつつ、時間を確認した。そろそろ、1次会が終わる時間だ。
「ひゃ、私結構長い時間、ショッピングしてた……」
と思い直す。ネクタイで、知らない間に時間を取られていたらしい。店員さん、よく付き合ってくれたな……、と感謝しつつ、購入したネクタイを胸に抱き直した。
もしかしたら会えるかも、などと言い訳しつつ、繁華街の近くを帰路に選ぶ。どうせ、明日会う約束をしているのだから、真っ直ぐ駅に向かうべきだったと、この時の璃帆は思いもよらなかった。
「お疲れ〜。これから、2次会行く人〜!」
と、前方で30人程の塊が騒いでいた。そこに、背の高い見知った人を見つける。思わず、「やったー」と、璃帆は心で叫んでいた。またシンクロした〜! 藤崎だ。意外と女性の数も多い。
今近づいても、迷惑だろうから、LINEしよっと、スマホを取り出す。
すると、藤崎からLINEが来ていたのに気が付いた。バッグの中にあると、意外と気が付かないことが多い。
「今日、璃帆んち、行ったらダメ?」
とある。わぁ、と、一気に喜びに上気するが、ちょっとイタズラ心が動いてしまった。
「いいよ〜。でも、女性の香水の臭いしてたら、許さないよ〜」
送った瞬間、藤崎がスマホを確認している。近づきつつ、そんな様子を眺めているから、表情まで分かる。藤崎が笑って、返信しようとしていた。
と、そこに、女性が来た。そのまま、藤崎の前に来て、ゆっくりと首に両手を回す。
「先輩、好きだったんですよ〜」
と、しっかり抱き付いた。彼女、酔っている……。ここから見ても、それは一目瞭然だ。
周りのメンバーも、ヒュー! と言って、盛り上げている。女友達らしい人たちまで、喜んで囃し立てている。璃帆は、歩みを止めた。
藤崎の手が、彼女の背中に回された。1度応えるように抱き締め返して、そのまま彼女の背中をポンポンとしている。しかも、笑顔だ! 璃帆の頭が、真っ白になった。
「ごめん。やっぱり、今日は無理。ちょっと風邪気味で、移すと悪いから」
2次会に向かう途中で、LINEがきた。
「大丈夫? 今から、すぐ行こうか? 欲しいもの、ない?」
「心配しないで。楽しんで」
「じゃ、今日は諦めて、明日、行くよ」
「多分、明日も会わない方がいいと思う。扁桃腺腫れだしたから、治るのにちょっと掛かる」
「でも、明後日からまた出張だから、今度の週末まで会えなくなるし」
「帰って来るまでには、治しておくから。気を付けて」
う〜ん。と藤崎は、唸る。何か、いつもと違わないか……。電話を掛けた。
璃帆が出ない。もう一度、メッセージに戻る。
「どうした?」
「今、2次会でしょ。気にしないで。もう、寝るね」
やっぱり、いつもと違う。もう一度、電話を掛ける。粘って、やっと璃帆が出た。
「大丈夫なのか? 何かあった?」
「……」
「熱、出てるの?」
「……」
繋がったので、璃帆のオーラが確認できた。……えっ。
「……。嘘つき璃帆。どこも、悪くないでしょ」
「……」
「何か、怒ってるの? どした?」
「何でもない! 出張から帰って来るまでには、治ってるから、明日はキャンセル。おやすみなさい!」
と、切られてしまった。呆然と、してしまう。
「俺、何かしたっけ……」
結局、翌日の日曜日は連絡しなかった。お兄さんの将俊さんが言っていたが、確かに璃帆は頑固なところもあるので、一度ああなると、しばらく様子を見た方がいい。
3日後、出張先から帰ったことをLINEで報告するが、「お疲れ様」のスタンプが来ただけだ。帰るまでには、機嫌直ってるはずだったんだけどなと文句を言うも、忙しさにかまけてそのままになっていた。大体、ホントに俺が悪いのか?
今日も、保育園に来ていた。やはり、園長は大きな構想を描いていて、意匠的にもかなりこだわりを持っていた。どこまで意見を集約し、それに対しプロとしてのアドバイスをして、無駄なものや逆に不便になるものは取り除き、施主の思い通りのものを具現化する。と同時に、藤崎ならではのデザインラインを入れていく。口で言うほど、簡単な事ではない。
そして、現場からの要求はさらに細かく、オムツの処理用の部屋だとか、トイレのスペースの問題とか、下駄箱の仕様とか、多種多様の要求が挙げられていた。それが書面化さてれいる。どうやら、あのベテラン保育士が中心となって、園内で何度か話し合いがあったらしい。これは、とてもありがたかった。
「これは、助かります。なかなか皆さんの要求がまとまらないことも多くて、その分設計も遅れるので。最大限要求が網羅できるよう、事務所に戻って皆で検討させて頂きます」
「よろしくお願いします。とにかく、今回お渡しした分は、絶対なんとかして欲しい要件ばかりなので、こちらも妥協できませんから……」
「分かりました。では、今後も何かありましたら、遠慮なくお知らせください。その方が、こちらも動きやすくなりますので。後になるほど、難しくなりますから」
設計事務所に戻る前に、少し園内を見て回る。先程の要望書に照らし合わせて、現状の確認と写真撮影を進める。アシスタントの井原と採寸もしていく。
そんな中、祐樹の姿が目に入った。今日は、お友達と遊んでいる。少し、オーラも明るくなったように感じるが、上手くいっているのだろうか。
藤崎の視線に気づいた保育士が、近づいてきた。
「藤崎さん、こんにちは。祐樹君、元気でしょ」
ちひろ先生だった。
「少しは、前より皆んなと関われるようになりましたか?」
「もう、全然違うんですよ。他の先生もビックリしてるくらいです」
藤崎は、嬉しくなる。自然に笑顔になっていた。
「それは、よかった」
「私にも、色々話してくれるようになりました。お兄ちゃんやお祖母ちゃんの様子とか、きちんと説明してくれるんです。それも、最後には、必ず『みんなには、内緒だよ』って」
思い出すように、ちひろ先生も笑う。
「否定せずに聞いてもらえるだけで、きっとあの子は救われます。これからも、よろしくお願いします……。今、少し話してもいいですか?」
「もちろん、祐樹君も喜びます」
井原を少し待たせて、祐樹のもとに向かった。
「祐樹君、こんにちは」
「あっ、おじちゃん。えっと、違った。先生! こんにちは」
「先生?」
「うん。ちひろ先生が、おじちゃんのこと、先生って呼びましょうって」
「そっか。じゃあ、龍一先生でいいよ」
「りゅういち、せんせい?」
「俺の、名前」
「分かった」
少し、祐樹の後ろを確認しながら話す。
「今日、ママも来てるの?」
「うん。たまに来てくれるんだよ。でも、すぐいなくなっちゃうの」
「ママ、忙しいからね。遠くにいるの?」
「うん……。別のところで暮らしてるの……」
途端に、悲しそうな顔になった。そうか。離婚したか、別居したか……。
「寂しいね。でも、ママもすごく寂しいから、こうやってたまに会いに来るんだよ」
「うん……。でもね、ママとはお話、できないの……」
祐樹君のママは、生霊として体から離れて来ていた。
生霊の場合、本人に自覚がない場合が多く、知らない間に、相手のところまで気持ちを飛ばしてしまうのだ。よっぽどのことがない限り、ハッキリとしたコミュニケーションは難しい。
「お手紙は、書けないの?」
「お手紙?」
「祐樹君、字が書けるでしょ。だから、ママにお手紙書けば、パパが送ってくれるかも知れないよ。1度、パパに頼んでごらん」
祐樹の顔が、ぱぁっと明るくなる。父親の判断に、委ねよう。
「りゅう、先生にも、会いに来てるよ」
突然、祐樹が藤崎に向かって話す。藤崎の後ろを指差していた。
「ん?」
慌てて、後ろを振り向くが、誰もいなかった。
「さっきね、女の人が会いに来てたよ」
「どんな感じの人?」
「綺麗なお姉さん。髪がこれくらいでねぇ、ふわふわ〜」
と、耳辺りを指す。璃帆か……、と少し動揺する。
「怒ってた?」
笑いながら、聞いてみた。
「ううん。泣いてたみたい。悲しそうだったよ。ママみたいに、寂しくて、会いに来たんだよ、きっと」
驚いて、声が出ない。泣いてた……? ほんとに、俺、何した……?
「ありがとう、祐樹君。俺も、手紙書くよ」
「うん!」
「璃帆、ちゃんと、会いたいけど」
手紙……LINEを送る。
「はい」
よし! 返事が来た。
「今日は?」
「龍一さん、忙しいでしょ。週末まで、待ちます」
「ダメ。今日」
しばらく、時間が掛かったが、返信がきた。
「今日、スーツ着てる?」
「? 着てるけど」
「じゃ、了解です」
何……? 俺、何させられる……? 不安しかない……。
食事の前に話がしたいと、璃帆が言う。人通りの少ない、2人になれる場所をとリクエストされ、待ち合わせは、駅近くの公園にした。
後から来た璃帆は、少し緊張した顔をしていて、多分自分もそうだろうなと思いながら、藤崎は迎えた。
「ここで、よかった?」
「うん……。ここ、昼間は結構人が要るけど、夜はいなくなるんだね。」
「……」
「……」
藤崎は、どう切り出すか迷う。なんと言っても、璃帆の機嫌の悪い理由が、思い当たらない……。すると、沈黙を破るように、璃帆がゆっくり藤崎の首に腕を回してきた。
「抱きしめて、くれる」
「璃帆……? どうした」
「私も、機嫌、直したい」
戸惑いながらも、いつも通り優しく抱きしめた。
「やっぱり、無理……」
璃帆は、両手を藤崎の胸に当て、体をゆっくり離した。
「こんなのを、か……にもしたんだ……」
もう、泣く寸前である。聞き取れない。
「何? どういうこと? はっきり言って。俺、璃帆を何で苦しめてるのか、分からない」
「馬鹿みたいなことだから、私の問題だから……。少し、時間がほしいだけ」
「璃帆!」
藤崎は、璃帆の腕を掴んで、強く呼ぶ。
「そういうとこ、璃帆の悪いとこだよ。全部自分で判断して、思ってること言ってよ。全部吐き出してよ。俺のこと、信用しろよ!」
「ひどい……、藤崎君。私、一生懸命考えて、ここに来たのに。何とか、したいから、ここに来たのに……」
これ以上言ったら、ダメだとお互いに分かっているのに、引くことができない。落としどころが分からない。
「……俺が、何かしたんだろ。頼むよ。諦めないでくれ」
「覚えてないの! 『先輩のこと、好きだった』って……」
あっ、と口を手で覆う。璃帆は、目線を外した。
「先輩……? 何、それ」
「……」
藤崎は、やっと思い出す。何で璃帆が知ってる?
「どうして、それ知ってるの?」
苦痛に顔を歪めて、背けてしまう。
「ちょっと待った。たいした事じゃない。酔ってたし、挨拶みたいなもんだった……」
「だから、馬鹿みたいなことだっていってるじゃない! 馬鹿みたいだから、確かめて笑って済まそうと思ったのに……」
それで、さっきの「抱きしめて」になるのか。
「でも、実際にあんな風にされたんだと思うと、たまらないだけ! だから、ちょっと落ち着くまで待ってって、……っ!」
璃帆は、ふいに藤崎に抱き締められた。
それは、さっきとは違って、もっとこう、なんというか、さっぱりしているというか……。最後に背中をポンポンされる。「さあ、もう終わりだよ」と、静かに言われている様な気がした。
「こないだのが、これ」
「そしてこれが、璃帆の時」
藤崎が、もう一度抱きしめる。
「あっ……」
しっかり、抱きしめられた……と分かる。
2人の距離も、腕の位置も、顔の近さも、さっきと何にも変わらないのに、体全体を抱き締められたかのように、暖かくて、柔らかい。いつもの、龍一さんだ……。
最後にやっぱり、背中をポンポンされた。でもそれは「終わり」の合図ではなく、「もう、大丈夫」と言われたようで、だから、もうこのまま、離れたくないと思う。
「龍一さん……」
「分かった?」
「……」
抱き締められたまま、耳元で言われる。璃帆が答えられずにいたら、藤崎は、体を離して、目線を璃帆に合わせて、もう一度繰り返した。
「分かった?」
「……うん」
「……馬鹿だな」
今度は、本当にしっかりと、藤崎に抱き締められた。
「シンクロした!? ……あぁ、俺が呼んだかも。あの時、すごく会いたかったから……」
やっと食事にありつき、なぜ、璃帆が知っていたのかを、説明していた。
「でもあれ、9時近かっただろ。残業してたの?」
「あっ、忘れてた……」
璃帆は、持ってきた包みを、そっと藤崎に渡した。
「久し振りに、ショッピングしてたの。そしたら、素敵なのがあって。嬉しくて……」
藤崎は、箱の蓋を開ける。ネクタイに、驚いたようだ。
「買い物終わって、もしかしたら会えるかなって、帰り道の筋を1本変えただけだよ」
確かに、このデパートからの帰り道に、あの店はある。驚きだな……。それに、これ……。だからLINEで、スーツの確認だったわけね。
藤崎は、早々に締めていたネクタイを外し、璃帆のネクタイを締めた。
「どぉ?」
ぱぁと、璃帆の顔が花開いたように笑顔になった。実は藤崎は、この、璃帆が笑顔になる瞬間がたまらなく好きだなのだが、璃帆には内緒である。
「すごく似合ってる! と、思うけど……。こういうの、嫌い……?」
「いいよ、この色。俺、ホントこういうの面倒くさくて苦手なんだ。だから、いつも同じようなのばっかりになっちゃうんだよな。これ、手触りも柔らかいし、締めやすいし、璃帆が似合うっていうなら、間違いないし。うれしいよ、ありがとう」
璃帆が、何度も笑顔で頷いているのを確認して、ネクタイを外した。
「外しちゃうの……」
本当に残念そうに、璃帆に見つめられた。
「だって、もったいないでしょ。持って帰る。勝負ネクタイにしようかな」
「……勝負って、何の!?」、
と、途端に璃帆が下から睨みつける。
「仕事だよ。シ・ゴ・ト! 璃帆、そんなにヤキモチ焼きだった?」
「そうよ! 知らなかった?」
なんだか、似たようなこと、前になかったか……。あぁ、あの時は、立場が逆だったな。あの日は気持ちに流されて、独りよがりに璃帆を抱いたっけか……。思い出して、頭をポリポリする。
「仕事といえばさ、今度の保育園に、凄い子がいるんだ」
藤崎は、祐樹のことを話す。今日会うと言い出したのも、その祐樹のお陰だと告げた。
「そうなんだ……。私達、5歳の子供にケンカの仲裁されたのねえ……」
「そう言われると、情けな……」
顔を見合わせて、くすりと笑う。よく考えれば、初めてのケンカだったかもしれない。
「ごめんね。私が、悪いね。でも……、さすがに聞けなかった」
「俺なら、見た瞬間に、引き剥がしに行ったな。だから、璃帆は大人でした……」
「彼女、ホントに龍一さんが好きだったんだなって、なんとなく分かっちゃって……」
「あっ、それ。元カノでも、なんでもないからね。ちゃんと、今、彼女いるって言ってあったし。なんか、ずっと付き合ってた彼氏と最近別れたらしくて……。昔、好きでいてくれたのも、俺、気付かなかったし」
こらえきれない様に、璃帆が笑い出す。
「分かった、分かった。なんか、龍一さん必死だよ。もう、さっきので……、ホントよく分かったから……。ありがと」
「昔の仲間に言われたよ。俺が1年前と、雰囲気変わったって。きっと、今の彼女のお陰だろうって……」
「……」
「俺も、言われて、納得した。だから、俺も、ありがと」
もう1度顔を見合わせて、くすりと笑った。
この間お預けだったんだから、どうしても璃帆の家に泊まると、藤崎がダダをこねる。
「どうせ今日、相当無理をして、仕事早く切上げてきたでしょ」
「……」
「明日、その分頑張んなきゃいけないんでしょ」
「……」
「週末楽しみにしてるから、今日はちゃんと休んで」
何も言い返せない藤崎は、では、せめてもと、ビルの陰に璃帆を引っ張っていき、キスをした。やはり、溶けそうだ。
「……こんなの、ずるいよ。一緒にいたいのは、同じなんだから。帰れなく、なるでしょ」
「そこが、ネライなんだけどな。それに……」
「何?」
「璃帆抱いたほうが、ぐっすり寝られる」
「……もう、今日はダメ」
真っ赤になって、押し切られた。しょうがない。今日は引き下がるか……。明日もお仕事、頑張ります。




