信じる
社内コンペの締め切りが迫っていた。今回、隣の区の交番の建て替えが、コンペ形式になった。所長の鶴の一声で、参加が決まる。それに向けて、所属設計士同士での、社内コンペが行われることになった。
社内選考の結果、藤崎の案が最終まで残っていた。テーマは「お巡りさん」。
初めて見た社員は、一様に驚いた。こんなに可愛い設計を、藤崎がするとは予想外だったのだ。屋根は、警官の帽子をデフォルメし、帽子のつばは、庇として取り入れる。入り口や建物の外壁は、警官の制服を表現し、全てに角がない。大きなRで角が取られ、まるでゆるキャラを思わせる。
どこまでも「かわいい」を取り入れた交番だが、この区域は小学校と保育園が多く、「街に溶け込む」コンセプトの1つとして、子供にも認知される交番を目指している。誰でも入りやすい、優しい「お巡りさん」を建てたかった。
「雨降ってるショット足したいんだけど……。間に合うか……」
傘を差した子供と、しゃがんで対応している警官のショットのグラフィック処理に、新たに手を付けていた。
藤崎にはアシスタントが1人、付いている。まだ2級建築士の資格しか持っていないため、アシスタントをしている。他の設計士にも、それぞれ付いている。そのアシスタントの井原がボヤく。
「ああ、今日も家帰って、寝るだけですよ。藤崎さん、よく続きますね。すごいです」
「悪いな、付き合わせて。こればっかりに集中できれば、もっと早く帰してやれるんだけどさぁ。他の設計もあるし、あと少し頼むよ。雨のシーン、絶対良くなると思うんだよ」
「ほーい。頑張りまっす! しかし、彼女が怒るんですよね〜。あんまり会わないと、俺、捨てられます。藤崎さんは、大丈夫なんですか?」
「あ〜、ちゃんと連絡はしてるからね。会わないことは、結構あるよ。文句、言われたことないなぁ。」
「いいですよね、大人で。やっぱ、21歳は「かまってちゃん年齢」で、大変です」
「お前、何気に若い彼女、自慢してないかぁ」
「へへっ。そんなこと、ないっス〜」
「なんか、ムカついたから、今日も遅くしてやる!」
「うわ、勘弁してください」
そんな会話をしていたら、さっき璃帆からLINEが入っていたのを思い出した。
「仕事終わったら、連絡ください」
帰ったら連絡しようと、藤崎は仕事に戻った。
梶原は外から帰社の途中だ。施主との打ち合わせが長引いた。今日は、天気予報通り、とても寒い夜になった。本当に雪でも降ってきそうである。明日が土曜日で、ひとまず安心だが……。美味いコーヒーでも買って帰るかと、会社の近くのスタバに入る。ふと、道路に面したカウンター席に、見知った顔を見つけた。
先日、電車が事故で動かなくなった日に、会議室に藤崎が連れてきた美人である。あの時は、本当に変な様子で、今日の姿が本来のものであるのは、一目瞭然である。
スマホを手に、疲れた様子で、1人で座っていた。心ここにあらずといった風情で、声を掛けるのがためらわれた。
「藤崎と、約束でもしているのかな」
何となくそう感じ、後で茶化してやろうと、店を出た。
「お前ら、頑張るね〜」
と残った皆に声を掛けつつ、梶原は席に着く。今日もコンペに残った両人とも、ガッツリ残業していた。もうすぐ22時になる。
「藤崎〜、お前あんまり待たせると、気の毒だぞ。早めに切り上げろよ〜」
「はぁ、それ俺ですか? 誰かと間違えてます?」
「あんな美人、見間違えるもんか。1人であんなとこに長いこといたら、他の男がほっとかないぞぉ」
藤崎は、あらためて真剣な顔で、梶原の近くにやってきた。
「あの、彼女を見かけたってことですか?」
「何だ、お前を待ってるんじゃないのか。そこのスタバ。ちょっと、疲れた様子だったぞ。スマホ持って、ぼぉっとしてたなぁ。まあ、そこがまた儚くて、男からしたら、たまらんがな。声掛けたくなるぞ、あれは……」
と言って、挑発してくる。梶原のいつものイジリなのだが、藤崎の胸はざわついた。
「いえ、会う約束はしてないので……」
「あらあら。お前また何週間も会わずにいるんじゃないだろうな。遠距離でも熟年夫婦でもないんだからさぁ。今時そんなんじゃ、愛想尽かされるぞ。上手く、バランス取れよ」
と、話を切り上げ
「おーい、今日はもうみんな撤収。今夜雪が降ってくるから、電車動いてるうちに帰れよ〜」
と声を掛けて回った。
「え〜! いいですよぉ、そしたらここに泊まりますから」
という若手に
「ダメダメ! 俺も上から言われてるの! 今日も会議で言われたんだから、今日ぐらいは帰れー! 命令だぞ」
とのことで、藤崎も適当に切り上げて帰ることになった。
藤崎は、スタバを覗いたが、もう璃帆はいなかった。
「何やってるんだ、璃帆は。どうするか……」
藤崎は、駅に向かう足が、速くなった。
璃帆は、自宅の部屋に戻った。電気も付けず、動けない。
しばらくそうしていたが、何とか思い直し、カーテンを閉め、電気を付けた。
「どうしよう……」
玄関のチャイムが鳴る。誰だろうと、のろのろと立ち上がった。
「藤崎君……、あぁ、よかっ……」
「中に、入れてくれるかな?」
璃帆の言葉を途中で遮り、藤崎が玄関に入る。声が硬い。
「上がって……」
璃帆も少し緊張した声で、促す。
「ここでいい」
藤崎は、玄関から上がろうとしない。
「璃帆。俺、少し怒ってるよ。さっきまで、俺の会社の近くにいた? 梶原さんが、璃帆を見たって」
璃帆は、笑っていない藤崎の言葉に、心臓がズキンと痛む。
「ごめんなさい……。あの、仕事の邪魔をするつもりは、なくて……。もし会えたら、ちょっと聞きたいことが、あって……。待ち伏せしてたわけじゃなくて……、ごめんなさい。もう、行きません……」
声が、どんどん小さくなる。顔が見られなくて、俯いてしまう。
「すみませんでした……」
「そうじゃ、ないだろ」
叱るような声に、璃帆は思わず顔を上げた。
「何があったか、ちゃんと話して。聞くから」
「大したことじゃ、ないの……。あの、今日仕事で、外に出掛けて……。誰かとすれ違ったときに、ブレスレットが……」
藤崎が、目を見開く。璃帆の手首には、ブレスレットがなかった。
「ブレスレットが、弾けて……。水晶が……、1番大きなのが、粉々になって……。迷惑掛けちゃだめだって、分かってたんだけど……。顔見たら、安心するかと思って……。私、こっ……」
とうとう、我慢しきれず、涙が出てしまう。
「怖くて……。ちゃんと、自分で何とかできると思ってたのに。こんなこと、初めてで……。いつからこんなに、弱く……。ほんと……に……、ごめんなさい……」
藤崎は、嗚咽する璃帆の頭を抱えて、しっかり抱きしめた。
「謝らなきゃいけないのは、俺だな。ゴメン」
「……怖かった」
璃帆は、藤崎にしがみついた。
「大丈夫。璃帆には何も、憑いてないよ。本当に、この水晶が守ってくれたらしい」
やっと温まってきた部屋で、藤崎は水晶の破片を前に安堵していた。
「誰かとすれ違った時だって、言ったね」
「そう……。ぶつかった訳じゃなかったんだけど」
「これ、その人に憑いてた霊と、ぶつかったんだと思う。かなり強いエネルギーがぶつかってる。他の小さい水晶も、中がエネルギーで傷ついてるから、もう使えないと思う。大きいの、中から弾けてるけど、璃帆、ケガはなかったの?」
残りの水晶を見ながら、藤崎は心配になった。
「かすり傷……。大した事ない」
そっと、璃帆は手首を見せた。
小さく傷が付いた手首を引き寄せ、藤崎はそっと唇を当てる。
「よかった……」
「なぁ、璃帆……。俺が怒ってたのは、璃帆が会社に来たことじゃないんだ」
「……」
「来たのに、黙って帰ったことだよ」
「うん……」
「璃帆の、「炎の中の城」の前世、俺、見ただろ」
「うん」
「あの時、璃帆『自分のことは、自分で守る』って、思っただろ……」
璃帆は、驚く。確かに、そう思ったが、ほんの一瞬だった。しかも、藤崎には話していない。
「その気持ちが叫び声のように、あの夢の間、ずっと木霊してたんだ」
「言葉には、してない……」
「璃帆にとっては、そうかもしれない。でも、俺にはずっと聞こえてた。叫び続けながら、脇差を構えたし、貫いたし、絶命した……」
「絶命した……」
璃帆は、初めて知る。私は、あの後、死んだのか……。
「それは、今の璃帆にも、続いてる」
「自分のことは、自分で守る……」
璃帆は、独り言のようにつぶやく。確かに、根底にある。
「璃帆、俺のこと信用するの、怖い?」
優しい笑顔を向け、藤崎は聞いた。
「そんなこと、ない!」
「責めてるんじゃないんだ。俺だって、怖いから」
「藤崎君……」
「人を信用するというのは、自分の一部を、その人に託すってことだと思うんだよ。それは、誰だって怖い……。ましてや、俺は、俺自身も信じ切れない」
「どうして? 藤崎君は、強くて誠実なのに……」
真剣に言い募る璃帆の手を取り、そっと握る。
「この間の、電車の人身事故の時も、鉄板が落ちてきた事故の時も、俺は璃帆を守りきれなかった。その恐怖が、分かる?」
璃帆は言葉に詰まる。藤崎の不安が、璃帆の心に沁み込んでくる。
「ちょっと、まって……。でもそれは、やっぱり違う」
「分かってる。璃帆が、自分のことは自分で守ろうとしてることも、璃帆を24時間守れないことも、分かってる。でも、俺は、俺の方法で、璃帆を守りたいんだよ。怖いんだよ。璃帆を失うのは」
「もし、もし私に何かあったとしても、それは藤崎君のせいじゃない。それは、私の宿命なの」
「そう。そう言って貰って、分かった。結局、俺は璃帆を信じきれてないんだなって……」
「藤崎君……」
そこで一旦、藤崎は大きく息を吐いた。
「これ、きっと2人の課題なんだな、この人生での」
「カルマ?」
「そう……。お互いに、相手を信じる」
――彼を、信じなさい
璃帆は、石の声を思い出していた。
気持ちを整理するように、藤崎は話し出した。
「璃帆、知ってる? 気持ちってね、訓練できるんだよ。スポーツ選手が、筋トレするのと同じ。俺、水泳部だったって言ったよね。だから、メンタルトレーニングもしてたからね。だけど、あれは、自分を信じる方法だったから、相手を信じるのとはちょっと違って……。相手を信じるほうが、より難しい」
「より難しい……」
「そう思う。自分のことは、自分で確認ができるだろ。どれだけ練習して、どれだけ苦しい思いを超えてきたかって。だけど、他人のことは、分からないから。つまり、何の保証もなく信じるということ。ただ、無条件で信じる。それは、とても難しい」
「無条件……」
「でもさ、やり方を応用すればいいわけだよね。相手を疑う気持ちが、少しでも沸いてきたら、まずそれを止める。「ダメダメ」って、頭から追い出して、その都度、『大丈夫。信じる』って言い聞かせる。何度も何度も繰り返せば、本当に信じることができるようになると思うんだ」
「言い聞かせる……」
「うん。『もしかしたら』とか『でも』は、なし。それが浮かんできたら、「ダメダメ」。それであとは、『大丈夫。信じる』だよ」
「大丈夫。信じる……」
「俺はさ、璃帆の生きる力を信じることにした。先回りして、悩んだりしない。だから、これから璃帆も、ちゃんと遠慮しないで俺に伝えて欲しい。会いたかったら、ちゃんと会いに来て。不安だったら、すぐ電話して。会いに行くから。『迷惑かけるかも』とか、『嫌われるかも』とかは、なし! 今度から、それしたら、ほんとに怒るよ」
「うん、分かった。じゃ、藤崎君も、ちゃんとダメなときは断ってね。」
「よし、分かった」
藤崎は、璃帆の頭を引き寄せて、おでこを合わせた。
「2人で、頑張ろうな」
「うん」
「また、ブレスレット買いに行こう」
「うん!」
藤崎は、ベランダ側のカーテンをそっと開けた。雪が、降り出してきていた。
「これは、積もりそうだな」
璃帆が、横に並ぶ。
「寒いと思ったら……」
「なぁ、璃帆……。俺のこと、好き?」
藤崎は璃帆を見る。璃帆は、藤崎の手をそっとつないで、答える。
「大好き……」
藤崎は、満面の笑みになった。
「初めて、言ってもらった」
璃帆は驚いた顔になる。こんな大切なこと、言ってなかったのか。
で、藤崎はどうなのかと、目だけで問いかける。
「俺は前に、もう言ったよ」
璃帆は人差し指を立てる。もう一回、とおねだりしているらしい。
藤崎は笑って、璃帆の頬に手を当てた。
「愛してるよ」
そのまま、唇を重ねる。やっぱり、璃帆とのキスは、溶けるかと思う。
「今日、泊まってって、いい?」
「うん……」




