第九話 勝利のご褒美
オークが音を立てて倒れる。地下通路に響き渡ったその音は、この場の戦闘の終結を意味した。
「ひいっ!」
次に狙われるのは当然クーデルだ。クーデルは短い悲鳴を上げるとジリジリと後ずさった。
一歩一歩ウィルがクーデルとの距離を詰める。
「お、お前達何をしている!?助けんか!」
しかし、兵達は動けない。それを責めることはできない。目の前で魔物を倒したウィルを前に動けないのは当然だ。
「もし俺を助ければ報酬は弾むぞ!一生遊んで暮らせる!」
兵達の表情が一瞬揺らぐ。これはまずいとセリーナは思った。ウィルは疲弊している。オークにくらったダメージも残っているだろう。この人数を相手するには分が悪い。
「止めておきなさい。怪我じゃすまないわよ」
だからこそ、セリーナは強気で言った。
「金はある!なんならこの街の所有権を譲ってもいい!」
クーデルも必死だ。兵達の中に動き出そうとする者が出てきた。
もう言葉では止まりそうにない。実力行使だ。
「セリーナさんの言うとおりです」
セリーナが身構えたとき、ウィルが静かに言った。ゆらりとこちらに目を向けセリーナの背後、クーデルの兵達を見た。
静かな殺気が込められた冷たい瞳だった。喉元に刃を突きつけられたような感覚、セリーナさえも背筋が凍った。
「止めた方がいい」
その一言だけで十分だった。竦み上がった兵達は動けない。それどころか、続々と逃げ出していく。
「おいお前達どこに行く!?」
兵達の足音が聞こえなくなるとウィルはまたクーデルを見た。
「クーデルさん、教えて下さい。俺を狙ったのは独断ですか?それとも誰かの指示ですか?」
「そんなことお前に教えるか!」
クーデルが今度はセリーナに目を向ける。唇が震え必死の形相だ。
「セリーナ、こいつをやれ!俺の全財産をやる!お前みたいなあばずれには到底できない生活ができるぞ!」
その変わり身の早さにセリーナはむしろ感心した。それがクーデルの商人としての武器なのかもしれない。だからといって許せる訳ではないが。
「クーデル、諦めなさい。あなたはもう終わり」
「俺達を襲ったのは王国に対する反逆となります。でも、話していただければ多少罪が軽くなるように体調に掛け合います」
「ほ、本当か!?話す、全部話す!」
セリーナは呆れて言葉も出ない。
「では、話して下さい。クーデルさんの独断ですか?」
何気なくウィルの表情を見たとき、セリーナはウィルの顔色がよくないことに気付いた。かなり限界に近そうだ。セリーナはそっと背中に手を添えた。それに気付いたウィルが途端に落ち着かない表情でになる。
本当にこの人は……!
こういう所をかわいいと思ってしまうセリーナはおかしいのだろうか。
クーデルはそんなセリーナとウィルに気付く様子もない。
「俺の独断じゃない。命令されたんだ」
「誰に?」
「それは知らない。ただかなり偉い奴なのは確かだ。そいつが使者を寄越してきたんだ」
「何と命令されたんです?」
「『人狩り』のウィルを殺せとだけ、そうすればここを中立地じゃなく俺所有にしていいと言われた」
「その条件がでたらめじゃなければ、相当上の人間ですね」
考え始めるウィル、それを隙とみたのか懐から短剣を取り出したクーデルがウィルに近づいた。
「死ねえ!」
注意深くクーデルを見ていたセリーナがそれを許すはずもなく、拳を打ち込まれたクーデルは気絶した。
「すみません、助かりました」
「いいのよ、気にしないで。それよりこいつ、どうする?」
「警戒する必要はないでしょう。放っておきましょう。それより……」
そう言ってウィルは地面に転がっているオークに目を向けた。
「これ何か分かりますか?」
ウィルはオークの首を指差した。オークの首には拘束具のようなものが巻かれていた。内側に針がついている。
「おそらく、これでオークを操っていたのね。基本的に魔物は人間に従わない」
「そうですか、だからですね。少し違和感があったんです。動きが少しぎこちないというか……」
あの戦いの中で、ウィルはそんなことを感じていたのか感じる余裕があったのか。セリーナはもう驚くことにも慣れた。
「悪いことをしてしまいました」
「え?」
「相手殺す気がないなら、俺も殺す必要はなかった」
それは、『人狩り』と恐れられた部隊の人間の言葉とはとても思えなかった。
「それは少し思い上がりがあるわ。ウィー君にそんな余裕はなかったでしょ。それに、殺す気がなかったかは分からないわ」
「そう、ですね」
「そうよ」
「では、外に出ましょう。隊長が気になります」
そう言って一歩踏み出したとき、ウィルの体が大きく傾いた。
「ウィー君っ」
セリーナが咄嗟に手を伸ばし、半ば抱き留めるような形で体を支えた。
「すみま、せん。体が上手く動かなくて」
「痺れ薬が効いてるんだから、当然よ。ここまで耐えられたのが奇跡なの」
ウィルは乾いた笑みを浮かべた。額には汗が浮かび、もう声を出すのも苦しそうだ。
「安心して、アルバンさんの所には私が行くわ」
ウィルはほっと息を吐くとすっと目を閉じた。微かに寝息を立てるその顔は年相応の少年である。今まで死闘を演じていたとは思えない。
辺りを見回す。誰もいない。
「ウィー君、ありがとう。おかげであなたを殺さずにすんだわ」
もう一度辺りを見回す。やはり誰もいない。
セリーナはウィルの頬にそっと唇を落とした。