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80話 マリオネットの珍道中

第80話 マリオネットの珍道中

 

 昭和60年11月、夜――。

 青龍会四天王入りをかけて、秋津イサオ・ユタカ父子は、結託して『狂言誘拐』を決行しようとした。

 ところが、その前に突如現れた1台の戦車――。

 呆気に取られていたのは数秒で、すぐにユタカがその正体に気付いた。

「キサマッ…成滝か!」

 呼び掛けに応じるように、戦車の砲塔から、褐色の肌をしたスカーフェイスの男が姿を現した。

 ――青龍会四天王、月狼会の成滝!

 思わぬ大物の登場に、流石のイサオも驚いてしまった。

「茶番はそこまでだ」

 男――成滝は砲塔から降りると、ゆっくりとイサオとユタカの元へと歩み寄って来た。

 ――まさか、今夜の狂言がバレたのか?

 イサオとユタカの間に、密かな緊張が走る。

「何しに来た!ボクは今、忙しいんだ!」

 ユタカが怒鳴りつけると、成滝は、平然と答えた。

「海堂会長の命により、助太刀に来た」

「キサマの協力などいらん!」

 ユタカの罵声に、成滝は黙って目を閉じた。

 成滝はユタカや難波と同世代で、既に青龍会四天王の一人に数えられている。

 そのせいか、30代という年齢や、精悍な見た目に反して、中身はかなり冷静沈着なようだ。一拍置いて、静かにこう答えた。

「…気持ちは分かる。父子の一騎打ちに、俺のような赤の他人が助太刀をするのは無粋だろう」

「分かっているなら、何故」

「会長のご命令だからだ」

 ぐっ。分かり切っていた返答に、ユタカが言葉に詰まる。

 成滝は、精悍な顔つきに似合わぬ淡々とした口調で説明した。

「会長の中で、お前の四天王入りは既定路線だ。だが、朱雀組の4代目を父に持つお前をあっさり四天王に入れてしまっては、傘下の組から反発を買うのは必定。藤浪が、お前の四天王入りに反対していることは知っているだろう」

「…ああ」

「藤浪は我々四天王の中でも最年長であり、傘下の組の代弁者でもある。会長とて、奴の言うことをむげには出来ん」

「だから、ボクがこの手で父を討ち、海堂会長への忠誠を証明しようとしているんじゃないか」

 ユタカの反論に、成滝は「親心だ」と答えた。

「は?」

「相手は仮にも朱雀組の4代目だ。万が一にもお前が仕損じないよう、会長が俺に付き添いを命じたんだ」

「会長は、ボクのことをお疑いということか」

 ユタカが核心を突くと、成滝は目を逸らした。

「どうだろうな。会長のご意志はさておき、俺という第三者が立ち会ったほうが、確実ということだろう。藤浪だって文句は言えまい」

 つまり、これはユタカのためなのだと、成滝はそう言いたいらしい。しかも割と本心からそう言っているようなので、ユタカとしても調子が狂う。

 ――こんな奴に付きまとわれていたら、パパとの狂言がバレてしまう…!

 しかし、ここで下手に断れば、それこそ怪しまれる。不本意だが、受け入れるしかなかった。

「…分かった。だが、父を殺るのはあくまでボクだ。キサマは立会人に過ぎないことを忘れるなよ」

 ユタカがビシッと人差し指を突きつけても、成滝は顔色を変えなかった。

「ああ、それでいい。我が組の総力を挙げて、徹底的に援護させてもらう」

「総力を挙げて……?」

 成滝の率いる月狼会は、元自衛隊や傭兵上がりの男が主力の武闘派だ。旧陸軍から手に入れた兵器や、密輸入した武器の類もゴロゴロ持っており、その扱いにも長けている。

 成滝は、太い指が揃う大きな手で戦車を指し示した。

「朱雀組4代目の身柄は、この戦車で護送する」

「はあ~っ!?キサマ、正気か!?」

 思わずたたらを踏んだユタカを、傍にいた源がさりげなく支えた。

 ユタカの悲鳴を喜びと勘違いしたのか、成滝が照れ臭そうに鼻の頭を指でこすった。

「これでも、小さいほうなんだ。本当はレオパルトⅡあたりが良かったんだが、目立ちすぎると会長から止められてしまってな…」

「冗談じゃないっ!キサマは、戦争でも始めるつもりなのかっ!?」

 ユタカは、ぷるぷる震える指で、そぼ降る雨に濡れる鉄塊を指差した。

「………」

 旧日本軍の戦車なんて、イサオも初めて見た。戦時中は玄武会絡みの極秘実験ばかり受けていたため、こうした兵器とは縁が遠かったのだ。

 ――はへー。青龍会って、こったなオモチャも持ってるなや…。

 ユタカの動揺とは対照的に、成滝は至って冷静だ。

「秋津イサオをトラックなんぞで運べば、途中で朱雀組に奪い返される可能性が高い。俺の知る限り、朱雀組に戦車のストックはない」

 確かに、とイサオは心の中で頷いた。

 ――いくら摩耶でも、戦車は持ってねえだろーなぁ。車やヘリはしったげ持ってるって話だども。

 ユタカはとことんイサオの戦車護送に反対した。

「当たり前だ!あんなデカブツで公道を走れば、目立ってしょうがないぞ!」

「心配はいらん。あれでも、書類上は『映画撮影用特殊車両』ということになっている。サツの目を誤魔化す準備は万端だ」

 成滝は、本気でイサオを戦車で護送するつもりらしい。

 移動は主に夜間で、日中は青龍会傘下の会社が所有する倉庫に駐車して隠れる、という緻密なルートを、地図と一緒に説明した。

 成滝の大胆かつ完璧な作戦の前に、ユタカは途方に暮れた。

 ――どうしよう、パパ…。

 ちらっとこちらを伺うユタカに、イサオは目顔で頷いた。

 ――俺たちに退路はねえ、ユタカ。やれ!

 父子の会話に、言葉はいらない。視線を交わしただけで、イサオの想いはユタカに伝わった。

「いいだろう。キサマの悪趣味に付き合ってやる」

「悪いな。肝心なところでは邪魔しないから、少しの間、辛抱してくれ」

 ――この成滝っての、みょんけた奴だな。

 成滝が妙に親切なのが、イサオはちょっとおかしかった。



 イサオが戦車に乗り込んでいた頃、さやかは列車に揺られていた。

 青い車体に金色の帯も美しい、博多行きのブルートレインだ。

 懸巣は切符を買ってくれただけで、行き先を明かさなかった。想像以上に長そうな旅路に、自殺志望者の2人――児玉と外国人の青年は、硬い表情で俯いている。

 寝台はそれぞれさやかと懸巣、児玉と青年という形で分かれることになった。

 薄暗い蛍光灯の下で、さやかは手の中の切符をじっと見つめた。

 ――切符は姫路までになってる。姫路の辺りで自殺に向いていそうな場所と言えば…。

「夏目さん…だったかな」

 上のベッドの懸巣から声をかけられ、さやかは「はい」と答えた。

 カーテン越しに、懸巣の穏やかな声が降ってくる。

「夜行列車は初めてかな」

「…はい」

 控えめに返すさやかに対し、頭上からは苦笑するような声が洩れてきた。

「こんな席順ですまないね。本来なら男同士、女同士で分けるべきなんだろうが」

「いえ、平気ですから」

「実のところ、飛び入り参加の君のことがちょっと気になってね。少し、話をしたかったんだ」

 つまり、懸巣はさやかを疑っているというわけだ。

 ここに来るまでの数日間で、さやかは懸巣にコンタクトを取り、『朱死夜』のファンであることや、受験ノイローゼに陥っていることを話してきた。自殺志望者であることはきちんとアピールしてきたつもりだ。

 ――日頃から本物の自殺志望者を相手にしてるだけあって、偽者には敏感なのか。

「君は、何か隠している。どうせだから、ここで吐き出してしまわないか。僕は、一晩寝たら忘れてしまうタチでね。何を話したって大丈夫だよ」

 懸巣の声は、まるで生暖かい手で心をまさぐってくるかのようだ。こうやって、その気のない若者たちを誘惑してきたのだろうとさやかは思った。

「………」

 さやかは、さも深刻な秘密を話そうか、どうしようかと躊躇っている少女の沈黙を作った。

 たっぷり黙り込んだ後、さやかは、硬い声で話し始めた。

「実は、親友が……」

 さやかが語ったのは、三船の自殺未遂のことだった。

 デパートの屋上で女子高生が頸動脈を斬った、という事件は、テレビでセンセーショナルに報道された。さやかは観ていないが、『少女M』の自殺騒ぎは、懸巣の耳にも届いているはずだ。

「そうか。あれは、君の友人だったんだね」

 三船の話になった途端、俄然、懸巣が興味を示し始めた。

 実際、三船の自殺未遂を引きずっている、というのはさやかの本心でもある。今、懸巣の耳に聞こえているのは、演技ではない本物の独白だ。

「あの時のことが忘れられなくて……私……」

 気持ちをうまく言葉に出来ない少女・さやかに対し、懸巣はいたわるような声音になった。

「もういいよ、話してくれてありがとう。さぞかし辛い想いをしたことだろう」

「はい…」

「今夜はゆっくり眠るといい。もう何も、君を苦しめることはないのだから」

 おやすみ、と言って、あとはレールの音だけが響いた。

 どうやら、懸巣の疑いは解けたようだ。ほっとするのと同時に、さやかは懸巣への警戒を強めた。

 ――優しそうな顔はしているけど、懸巣がやってることは誘拐犯と同じだ。当然、人質同士が手を組むのは避けるだろう…。

 今も、懸巣は寝ているふりをして、さやかの動向に耳をそばだてているかもしれない。

 常に懸巣に監視されている状況で、どうやって児玉を翻意させるか。さやかは解を探した。



 一方、イサオはずぶ濡れのまま、戦車の砲塔の中へ押し込まれていた。

 ――戦車の中って、思ってたより狭いなや。

 渋面が顔に出ないように苦心するイサオだったが、成滝は別のところに注目していた。

「実力で成り上がった朱雀組4代目にしては、ずいぶん静かなんだな。息子に裏切られたのが、そんなに堪えたのか」

 ――しまった!ちょっと大人しすぎたべか!?

 無意識のうちに、ユタカと協力しているという安心感が態度に出てしまったのかもしれない。これから殺されようとしているヤクザの親分にしては、無言・無抵抗で戦車に乗り込んでしまった。

 今からでも暴れるべきか、でもこんな狭いところで暴れたら手足がぶつかって痛そうだな、などと逡巡するイサオに対し、成滝は勝手に完結してくれた。

「何か企んでいるようだが、無駄なことはやめたほうがいい。息子のことを想うなら、猶更な」

「………」

 一瞬、ユタカとの共謀がバレたのかと思ったが、成滝は別のことを告げた。

「戦車の中は振動が激しい。ヘタに動くと、舌を噛むぞ」

「…………」

 成滝は、妙に優しい。表裏のないタイプのようで、言葉以上の含みはないようだ。

 ――問題は、こいつをどうやって撒くかだな。

 この際、戦車で護送されるのはいい。その後、肝心の『イサオ殺し』を、成滝の前でどうやってやり遂げるかだ。

 ――いっそ、本当にユタカに殺されちまうか。それはそれで結構だが……。

 とはいえ、青龍会や玄武会との闘いをユタカ一人に任せるのは酷だ――と思ってしまう自分もいる。親心かもしれないが、イサオには冷静な見立てもあった。

 ――ユタカは優しすぎる。青龍会の海堂や玄武会の不破みてえな化け物を相手にするには、心が綺麗すぎる…。

 ススムや源の助けもあり、ユタカは奇跡的に青龍会の上層部まで上り詰めた。だが、ここから先は本当の闇だ。

 ――まだ俺が死ぬわけにはいかねえ。ユタカが闘える道を整えるまでは…。

 いっそ、成滝を亡き者にするか。幸いにも成滝の手勢は最小限で、ユタカが率いる桃華組の精鋭と数はそれほど違わない。

 とはいえ、仮にも四天王の一人を討ってしまったら、イサオが密かに進めている青龍会との和睦が水の泡になってしまう。

 イサオが死ぬか――成滝を殺すか――青龍会との和睦を諦めるか……どうせ柘植からも反対されているし……だが、玄武会を倒すには、青龍会を何とかしないと……。

 ああでもない、こうでもない、とイサオが狭い戦車の中で寝返りを打った瞬間、胸元でじゃらっという金属が擦れる音がした。

 柘植からもらったロザリオだ。

 その冷たい感触を肌に感じながら、イサオはふと、遠い神戸にいる柘植のことを思った。

 ――摩耶の奴、俺が今、青龍会四天王さ戦車でさらわれてるなんて知らねえだろうなあ。

 今頃、柘植は地元で亡き娘のことを思い出しているだろうか。

 娘を青龍会に殺された柘植と、息子を青龍会に送り込んだイサオ。皮肉なことに、柘植とイサオが反目しているのは、共に我が子を想うがゆえだった。

 ――いいよな、青龍会四天王は。全員独身みてえだから、俺たち父親の苦悩とは無縁だべ。

 イサオはふと、ユタカとそう年齢の変わらぬ成滝のことが気になった。

「なあ。ちょっとえか」

 イサオが声をかけると、成滝は咎めるでもなく「どうした」と静かに答えた。

「お前…成滝は、親兄弟とかいねのか」

「何だ、藪から棒に。天下の朱雀組の4代目が、泣き落としでもするつもりか」

 嫌味というより、成滝は純粋にイサオのセリフを訝しんでいるようだ。

「気になっただけだなや。青龍会四天王つったって、木の股から生まれたってわけじゃねえべ」

 年寄りは若者のことが知りてえんだ、とイサオが重ねると、成滝は切れ長の目を伏せた。

「親も兄弟もおらん。母親はパンパンで、俺がまだ幼いうちに梅毒で死んだ。父親は分からん」

「ほー。苦労してるなや」

「この世界にいる奴らなんて、みんなこんなものだろう。秋津ユタカのようなお坊ちゃんが珍しいんだ」

「確かにな」

 ユタカのように無垢で明朗で絶世の美青年はそうそういないからな、とイサオは心の中で胸を張る。

「それで、なして青龍会さ入った?お前、傭兵やってたって話だなや」

「ああ。海外を転々としている間に、一度ヘマをしてな。死にそうになったところを、海堂会長に助けていただいた」

 イサオは、海堂がわざわざ傭兵だった成滝に救いの手を差し伸べたことがちょっと引っかかった。

「助けたって、金か隠れ家でも提供されたんだか?それとも、臓器移植か?」

「全部だ。助けて頂いて、回復と同時に青龍会の傘下に入った」

「ふーん…」

 成滝の手術に、玄武会が関わっていたかは定かではない。海堂のほうは恐らく、成滝の旧日本軍との繋がりや傭兵のネットワークに目を付けたのだろうが。

「海堂会長も、血の繋がった家族とは縁のない方だからな。不遜な言い方かもしれないが、息子同然に可愛がっていただいている」

 成滝の声音は淡々としているが、言葉の裏からは確かに海堂への恩義が感じられた。

 ――『血の繋がった家族とは縁のない方』ねえ。

 イサオは話のついでを装って、更に気になることを聞いた。

「なあ、お前がたと同輩の藤浪ってな、どったな奴だ?」

 イサオの唐突な質問に対し、成滝は眉をひそめた。

「……確かに肩書きは同じだが、同輩というのは違うな。奴のほうが俺たちよりずっと年上だし、会長のおそばにいる時間も長い」

「ふむ。んだば、お前も藤浪の背景については知らねなが」

「知っているのは会長ぐらいだろう。俺は興味がないが」

 戦車の振動に紛れさせるように、さりげない口調でイサオは核心を突いた。

「俺よ、むかーし、藤浪によく似た奴さ会ったことあるど。ずる賢い狐みてえな笑い顔で、ぞっとするほど声の冷たい男」

「………」

 成滝は表情を変えない。ただ、イサオの言わんとするところは、確かに伝わっていた。

「俺には時々、奴が会長によく似て見える」

「ほう?」

「顔が似ているわけじゃない。ただ、仕草というか…雰囲気が、会長に近いものを感じることがある」

 そう言ってから、成滝は肩を竦めた。

「それこそ、狐のような男だからな。敢えて会長の所作を真似て、会長に取り入っているんだろう」

「ははは。確かに、そったな媚び方をする奴はいるなあ、どこにでも」

 笑い話にしながら、イサオは内心、確信を深めた。

 ――やはり、奴はあの男の……。

「がぬ!」

 とか考えていたら、戦車の振動でイサオは舌を噛んだ。

 そんなイサオを笑うでもなく、成滝は真顔のまま言った。

「…世間話が長くなり過ぎたな。そろそろ、一人で静かに過ごしたほうがいい。あんたは俺より余程長い人生を生きているんだから、今際の際に思い出すことも多いだろう」

 成滝のよく分からない気遣いにより、イサオはまた一人、戦車の隅で寝転がることになった。

 今際の際ではないが、イサオの頭の中を様々なことが駆け巡る。

 ユタカのこと――柘植のこと――海堂のこと――そして……。

「……ぐぅ」

 あれこれと考えているうちに、イサオは寝入っていた。戦車の暗さと振動が、雨に冷えた身体に妙に心地よかった。



 日付がすっかり変わった夜更け頃――。

 さやかは、ベッドからもそもそと通路に出た。

 上段で寝ている懸巣は静かだ。狸寝入りかもしれないが、さやかの動きを咎める気配はない。

 デッキの窓の向こうには、もう東京のネオンは見えない。今はちょうど、名古屋を過ぎたところだろうか。

「……眠れないの?」

 という声は、さやかに向けられたものではなかった。

 さやかから少し離れた通路の先に、2人のシルエットが見えた。

 ――児玉さんと、あの外国人だ。

 2人はぽつりぽつりと、何やら会話している。眠れぬ夜に、お互いの身の上話をしているようだ。

「ホストファミリーのお母さんが亡くなってしまわれたの…。それは辛かったわね」

「君も、学校で孤独な想いをしてきたんだね。お互い、ずっと一人で耐えてきたね」

「そうね。でも、今は少しだけ平気よ。あなたのおかげで」

 時折、2人の間には、弱々しいが笑顔も垣間見える。悪い雰囲気ではなさそうだ。

「………」

 ――ひょっとしたら、僕の出番はないかもな…。

 ああして話しているうちに、2人は冷静になるかもしれない。児玉は結構可愛いので、さやか自らお近づきになりたかったが――さやかの下心とは裏腹に、児玉の目線は青い瞳に釘付けだ。

 ――まあ、2人が前向きになってくれれば、理由は何だっていいや。

 起きた懸巣に見つからないよう、さやかはしばらく2人を見守ることにした。

 ふと、窓の外を見つめれば、朝日が少しずつ昇ろうとしていた。

 見渡す限り山ばかりだった景色から、徐々に家や建物が増え、街の風景に近付いている。薄明が照らす道路を、大型トラックが整然と走っていく。

「……ん?」

 一瞬、行き交う車の中に、戦車っぽいものが見えた気がして、さやかは目を凝らした。

 だが、汽車はすぐに道路を横切り、戦車らしきものは窓の後ろへと流れていく。

 ――気のせいか。重機を見間違えたかな…。

 さやかを乗せたブルートレインと、イサオを乗せた戦車がその瞬間、並走していたことなど――当の本人たちは知る由もなかった。



 朝日に照らされて、戦車の輪郭が金色に輝く。

「……んが」

 光も差し込まない戦車内だが、体内時計が正確なイサオは、夜明けと共に目を覚ました。

 ――戦車の中で目を覚ますなんて、平和なもんだなや…。

 というか、この戦車は一晩中走っていたのだろうか。イサオはちょっと不思議になった。

 ――俺、いつ殺されるんだべか。

「今、どの辺走ってるんだ」

 イサオが不躾に尋ねると、成滝は咎めるでもなく親切に答えてくれた。

「富士山の麓だ。景色を見せてやれなくて、すまないな」

 これまた皮肉というわけでもないようで、成滝は淡々と戦車を操縦している。

 ――富士山…ってことは、静岡くんだりまで来たのか。

 寝ている間に、イサオはずいぶんと東京から離れていたようだ。ユタカと成滝の打ち合わせをろくに聞いていなかったイサオは、戦車がどこまで行くのか見当もつかない。

 ――うーん。あんまり俺が行方不明になってると、組の奴らが騒ぎだすかもしれねえなあ。悪くすれば、摩耶のとこまで連絡がいっちまうかも……。

 というか、イサオは嫌なことに気が付いた。

 ――まさか、この戦車、神戸まで行かねえよな?

 いくら娘の墓参り中とはいえ、自分の縄張りに得体の知れない戦車なんかが走っていたら、柘植だって不審に思うだろう。

 ――いや、流石に青龍会だって、摩耶のシマのど真ん中で俺を殺そうとはしねえだろ。そうだ、富士山には有名な樹海があるんだから、あの辺で俺を降ろすんでねが?

 イサオがそんなことを考えている間にも、戦車は茶畑の横を通り過ぎて行く。

「……映画か?」

 たまたま通りかかった新聞配達のおじさんが、そう呟いて二度見した。



 朝7時。

 さやかたちを乗せたブルートレインは、兵庫県に入っていた。

 ホームに降りた4人を、11月の朝の冷たい空気が包み込む。

 姫路駅、と書かれた看板を見上げ、さやかは溜息を吐いた。

 ――まさか、ここまで遠くに来ることになるなんて…。

 母には適当に誤魔化してあるものの、こんな時に限ってイサオや柘植が自分を探していたらどうしよう、という心配が頭をよぎる。

 ――まあ、あの人たちはあの人たちで忙しそうだから、僕のことなんか素で忘れてるかもしれないけど。

 今は自分の心配より、自殺の妨害だ。通勤客のタバコで煙る一角を、さやかは指さした。

「ねえ、お腹すきません?あそこで、立ち食い蕎麦でも食べていきましょうよ」

 さやかの提案に、寝不足の児玉と外国人はぼんやりと蕎麦屋のほうを向いたが、懸巣が首を横に振った。

「ダメだ」

「どうしてです?懸巣先生だって、お腹空いてませんか?」

「……君、最後の晩餐に、駅前の立ち食い蕎麦ってこともないだろう。とにかく、先を急ごう」

 そう言いながら、懸巣はしきりに周囲を気にしている。やはり、警察の目を恐れているようだ。

「じゃ、飲み物だけ買って行かせてください。児玉さん、行こ」

「えっ…」

 さやかは強引に児玉の手を引いて、自動販売機の前まで歩いた。

「何にしようかな。児玉さん、お茶とジュースなら、どっちが好き?」

「………」

 児玉は訝しそうにさやかの顔を見てから、「…お茶」と答えた。

「お茶ね。僕は炭酸にしようかな」

「………」

「児玉さんはさ、姫路って初めて?」

 自販機の前で話し始めたさやかに、児玉が不審そうに肩を強張らせた。

「……初めて、だけど」

「そっか。児玉さんの学校だと、来年の修学旅行はサイパンでしたっけ。いいですね、海外旅行なんて」

「…なんで、そこまで知ってるの」

 さやかはジュースを選ぶふりをしながら、人差し指を自動販売機のウィンドウに滑らせた。

「珠洲さんから聞きました。僕は、葵山学院の生徒会長です」

「…珠洲が…」

 児玉は、少しずつだがさやかの意図を察し始めたようだ。長い睫毛に、透明な緊張感が乗った。

「…珠洲から何を聞いたの?」

「大した話はしていません。あなたと珠洲さんがとても仲のいい友達だってことと、同人誌を作った話ぐらい」

「…っ!」

 同人誌の話を他人にされるのが恥ずかしいのか、児玉の頬に朱が差した。

 それを見て、さやかは児玉の心はまだ生きている、と感じた。

 ――児玉さんにはまだ、守りたいプライドや羞恥心がある。こんな娘に、見知らぬ男たちと一緒に死ぬなんて無理だ。

 さやかは、硬貨を自販機に入れるふりをして、ちらりと背後の懸巣たちを伺った。

「児玉さん。このまま、一緒に逃げませんか」

「逃げる…?」

「ここなら人も多いし、懸巣を撒くのは簡単です。女2人で、姫路城でも見に行きましょうよ」

 さやかは敢えて、「自殺を止めろ」とは言わなかった。

 今は、児玉の胸に残っている生きたい気持ちを本人に気付かせるのが大事だ。

 だが、児玉は目を吊り上げた。

「嫌よ。あなたとなんて」

「えっ……」

「私、あなたのこと信用できないわ。珠洲から私の話を聞いたって言うなら、なおさらよ。どうせ、あの子は私のこと、バカにしてるんだから」

 どうやら、児玉と珠洲の間には何らかの確執があるようだ。それも、恐らく珠洲は自覚しておらず、児玉だけが苦しんでいるらしい。

 ――珠洲さんの名前を出したのは、早かったか…。

 さやかは微苦笑して、「そうですか」と言った。

「あなたと珠洲さんの間に何があったのか、僕は知りません。ただ、それでも珠洲さんは、あの懸巣って男よりはあなたにとって値打ちがあると思いますけどね」

「………」

 児玉は答えない。

 さやかの手からひったくるようにして缶を奪い、児玉は背を向けた。

 自販機からジュースを取り出しながら、さやかはじっと考えた。

 ――児玉さんの心のスキに、確かに手が届いた。まだ交渉の余地はある…。

 4人は朝の混み合う駅を出て、駅前のバス停へと向かった。



 姫路駅から少し離れた、神戸の港湾エリア。

 海を望める高層ビルの最上階で、朱雀組若頭・柘植雅嗣は執務机に着いていた。

 傍らの花瓶には、紫色のリンドウの花――亡き娘・亜里沙が愛した花だ。

 娘の墓前に供えたものと同じ花を見つめながら、柘植は胸騒ぎを感じていた。

 ――何でしょう、この胸のざわつきは…。私の知らないところで、予期せぬ何かが動いている気配がする…。

 先日、イサオから玄武会との因縁を明かされたこともこの不安の呼び水になったかもしれない。あれから、玄武会について調べさせているものの、週刊誌に書かれていること以上の情報はないのが現状だ。

 だが、柘植の脳裏をよぎっているのは、実態も分からぬ玄武会のことよりも、イサオのことだった。

 柘植が娘の墓参りに行く、と告げた時、イサオはやけに明るい笑顔で送り出してくれた。

「おう、分かった!俺からもよろしく伝えておいてけれ」

 そう言って、イサオは娘のためにと金も出してくれた。

 自分は亜里沙の好きなものを知らないから、この金で彼女が喜ぶものを買ってやって欲しい、と。

 イサオの心遣いに感激した柘植だが、その金は恵まれない子供たちへの寄付に充てることにした。

「きっと、そのほうが娘も喜ぶでしょうから」

「んだか?お前の娘は欲がねえなあ」

 ははは、と笑うイサオは眩しくて、柘植は少し胸が痛かった。

 ――4代目と亜里沙の話をしていると、私には分からなくなってしまう。あの方が悪魔なのか、神なのか…。

 青龍会と和睦したい、というイサオの願いを理解こそすれ、完全に協力する気にはなれない。

 娘を殺された恨みもあるが、青龍会と手を組み、さらに玄武会と闘ったその先に、何が待っているのか――西日本でも有数のヤクザである柘植をもってしても、未知数だからだ。

 ただ、イサオが青龍会や玄武会に殺されることだけは避けたい、と思っている自分がいた。

 ――4代目と志は違えど、あの方をお支えしたい。出来ることならお救いしたいと願うのは、矛盾しているでしょうか……。

 今まで、相手を正邪や利害ではっきり二分してきた柘植にとって、こんなに入り組んだ想いを抱くのは初めてのことだ。

 無性にイサオに会いたくなってきて、柘植は机上の受話器を手に取ろうとした。

 ――せめて、4代目のお声だけでも聞ければ……。

 だが、柘植の指先が受話器に触れる寸前で、先にコール音が鳴った。

「……!」

 予感めいたものを感じて、柘植はすぐに電話を取った。

「ご機嫌よう、朱雀組の柘植若頭。青龍会の藤浪です」

「……!藤浪…」

 思いもよらない相手からの電話に、柘植は言葉を失った。

 対照的に、受話器の向こうからは余裕めいた笑みが響いてくる。

「フフッ…突然の無礼はお詫び致します。しかし、どうしても柘植さんにお知らせしたい、火急の用がありまして…」

「…伺いましょう」

 青龍会四天王の最年長にして、海堂の右腕とも目される男だ。その藤浪が、単なる悪ふざけで宿敵である朱雀組の若頭に連絡してくるはずがない。

 固唾を飲んで返事を待った柘植は、思いもよらない言葉を耳にした。

「秋津イサオはこれから殺されます」

 何ですって、という柘植の驚きは、声にならなかった。

 続けて、藤浪は衝撃的な発言の理由を説明した。

「ご存知の通り、我が青龍会には秋津ユタカという男がおりまして――彼を青龍会四天王に格上げするに至って、海堂会長への忠誠を証明してもらおうと思いましてね。父親殺しは、海堂会長こそ新しい『親』である、と秋津ユタカが誓いを立てるのに最適でしょう?」

「………」

 父親殺し、というおぞましい罪を愉快げに語る藤浪に、柘植は頭がくらくらした。

「ですが、私はこの父親殺しに反対しております」

「…何故です?」

 柘植が一応、理由を聞くと、藤浪は理路整然と語った。

「朱雀組の4代目ともあろう方が、そうそう青二才の秋津ユタカに討たれまいというのが一つ。もう一つは、もしこの父親殺しが成功してしまった場合、秋津ユタカが力を持ち過ぎるという懸念です」

「……確かに」

 天下の朱雀組の4代目を討てば、秋津ユタカは弱冠34歳の若さで極道界のスターダムに躍り出ることになる。ユタカが力をつけるのは勿論、そのユタカを担ぎ上げ、海堂らに反抗する輩も出てくるに違いない。

「ですから、柘植さんにこうしてご忠告申し上げた次第です」

 藤浪は慇懃に言ったが、柘植は今一つ、藤浪の話を信用出来なかった。

 ――秋津ユタカの父親殺しを私に妨害させて、この男に何の利益がある?

 若く、朱雀組からの裏切り者であるユタカが、青龍会四天王として並び立つことを阻止したいのか。はたまた、ユタカの件は陽動で、藤浪は他に魂胆があるのか――。

「……忠告と言われても、そのような根も葉もない話を信じろと?」

 柘植がはっきり疑念を口にしても、藤浪は動じなかった。

「ちょうど今、そちらの4代目を乗せた戦車が柘植さんのシマに入ったと思いますよ。成滝さんは人目を気にしない方ですからねえ、さぞかし目立っていることでしょう」

「……戦車が、こちらに?」

 思いもよらない展開に戸惑った柘植だが、次の瞬間、「まさか」と藤浪の意図を察した。

「ええ、そのまさかです。秋津ユタカと成滝さんは、あなたに秋津イサオ殺しの犯人になってもらおうとしているのですよ」

 ぞっとするような計画を、藤浪は嬉々として明かした。

 つまり、青龍会四天王入りの試練として秋津イサオ殺しを命じられたユタカが、東京でイサオを拉致。同じく四天王である成滝と結託し、戦車でイサオを護送した。

 イサオ殺しの舞台に選ばれたのは、この神戸――柘植にイサオ殺しの罪をなすりつけるためだ。

「柘植さん、かねてからあなたと4代目の不仲は世に知られていましたねえ。そのあなたのシマのど真ん中で4代目の遺体が見つかったとなれば……」

「そのような真似は許しません」

 思わず啖呵を切った柘植に、藤浪からは満足そうな笑みが返ってきた。

「私のつまらない話を聞いて頂き、感謝します。秋津ユタカはともかく、成滝さんは本気で4代目を亡き者にするつもりですからねえ。急いだほうがいいですよ」

「……ご忠告、感謝します」

 そう言って、柘植は電話を切った。

 受話器を置いた体勢のまま、深い溜息が零れ出る。

「悪魔の囁きに耳を貸すのは愚行……しかし、無視することは出来ない……」

 己に言い聞かせるように独り言ちてから、柘植は再び電話を取った。

 かけた先は、東京からこの神戸の病院に転院した若頭補佐・小鳥遊だ。

 菱喰に撃たれた怪我は回復しているが、念のため、柘植が懇意にしている医師に診せることにしたのだ。

 柘植が話を切り出す前に、小鳥遊のほうから堰を切ったように話し始めた。

「若頭、えらいことになってまっせ。うちのシマをでっかい戦車が!」

「……見たのですか、小鳥遊」

 藤浪の電話の直後に、小鳥遊のこの反応だ。柘植は、見えざる何かに操られているような気がした。

「私は見てませんけど、外を出回ってた若いのが見たって言ってます。戦車は、湾岸倉庫のほうに向かったそうです」

「映画か何かの撮影ではないのですか」

 神戸は港もあり、ロケーションが良いことから、よく映画やドラマの撮影地に選ばれる。関係者の中には柘植に挨拶してくる者もいるが、最近ではあまりにもその手の撮影が多いので、柘植もいちいち把握していない。

 小鳥遊も同じことを考えたらしく、「いやぁ」と考えるような声が返ってきた。

「私もそう考えて、今、確認させてるところですが……あんなけったいなもんを通らせるんだったら、真っ先に私か若頭のところに話が来ると思うんですわ」

「確かに」

「菱喰や魚住のことがあったばっかりですし、私らはとにかく若頭のことが心配で。ご無事でホッとしましたわ」

 どうやら、小鳥遊らは戦車が柘植を襲撃するのではないか、と危惧していたらしい。

「………」

 小鳥遊からは折り返し連絡をもらうことにして、柘植は東京の朱雀組事務所に電話した。

「…4代目と連絡が取れないですって?」

 若い衆たちの困惑声に、柘植は思わず目を見開いた。

「はい。姐さんにも電話したんですが、ゆうべから迦陵殿にも戻ってらっしゃらないみたいで…。今、手分けして探してます」

「………」

 引き続き捜索するよう命じ、柘植は受話器を置いた。

 ――東京の4代目が消え、神戸に戦車がやって来た……。

 いよいよ、藤浪の話が真実味を帯びてきた。もしもイサオが本当に青龍会に拉致されたとして、柘植はどう動くべきか。

 柘植の視界に映ったのは、娘が愛したリンドウの花だった。

 ――4代目がいなくなれば、青龍会と和するという話もなくなる。亜里沙の仇を討てる……。

 心の中でそう呟いてみたものの、言葉が空回りするだけだった。

 娘の仇である魚住は、既に先日の病院襲撃で逮捕されている。何より、魚住や青龍会の人間を皆殺しにしたところで、娘を失った柘植の心が癒えることはない。

 それよりも今は、一刻も早くイサオの元に行きたかった。

 ――あの方を失うことで私が得るものは、孤独と虚無だけでしょう……。

 きっと、亜里沙も柘植がイサオを助けることを望むはずだ。リンドウの花を見つめ、柘植はそう確信した。

「今参ります、4代目」

 革張りの椅子から立ち上がり、柘植は自らイサオを救出すべく、高層ビルの外へと向かった。

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