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グッドバイ・ピッチ  作者: カロリーはうまみ
3年目(久松プロ6年目)
152/152

12/11 契約更改

今年は身なりを整えることが多いなと思いながら、通された部屋のソファに座り息を吐く。

毎度のことながら契約更改はなんとも言い難い不思議な緊張感があるが、待たされるとそれがより一層強くなる。

待たされること自体はいつもどおりだが、問題は誰が俺の正面に座るかだ。

そんな風に頭の中で組み立てていると、ドアノブの回る音がした。

そして佐々木本部長、扇GM、吉永監督が順番に部屋に入り、足早に卓に着く。


「はい、お待たせお待たせ。さーて久松君、今年は君が最後だ」


角0の大きさの封筒と資料の束をそっと机に置きながら、本部長がそう言った。

そうですか、と応答しつつ俺は両脇の2人に目を向ける。うん、もう結構やられてるらしい。

優勝したから大盤振る舞い、なんて簡単な話にはならないだろうし、組織運営上のリソース配分と効率化が財務の仕事なのだから、当然運用面についてそれなりの口出しがあるのは想像に難くない。とはいえ、ボコボコにされすぎだろ。


「はい、じゃあ話を始めようか。まぁ色々言いたい事はあるんだがね。まず成績。評価・査定のベースになるのは平たく言えば稼働と失点だ。これに加えて昨年度との比較を行い、年俸をどうするか決めるわけだよな。こんな事は君にとっちゃ当たり前だろう。なんなら一般の方々すら知ってるよね」


そこまで言って言葉を切った本部長は、俺の顔を見て微笑みを湛える。

その意図を解せず、俺はええまぁ、とだけ返事をした。


「先に結論を言うとだ。君の年俸は上げさせてもらう。ただ、ここで言っておかなければならない事だから言うんだがね?これ、去年の成績」


ファイルから取り出された資料には、社外秘の印が押されており、グラフや数字が白紙を彩っていた。129イニング43登板27セーブ、奪三振124で、防御率は2.09。紛れもなく去年の俺が叩いた成績だ。


「そんでこれが今年」


120イニング27登板8勝4敗9セーブ、奪三振136の防御率2.48。

俺にしては上々の出来だと思う。思うのだが、交渉の場でこれが出されるのはどういう事かというのは想像がつくわけで。


「数字を見るとね、本当によく頑張ってくれていると思うんだ。想定のない先発までやってくれてねぇ。ありがたい限り、ありがたい限りなんだけど、これで投球回数と防御率がキャリアハイにならないのはなんでなんだろうか」

「それは…。単純に役割が違うからでは」


そんな風に問いかけられるが、この程度のこと本部長がわからないはずもない。

そう考えつつ返事をしたが、本部長の視線は俺ではなく彼の両脇にいる人物たちを交互に捉えていた。あ、これ俺に対してどうこうとかじゃなくお説教なんだ。2人とももう死にそうだけどいいのか?


「そう、その通りだよねぇ。先発と抑え。そもそも役割が違うんだよねぇ。もちろん、君が了承の上、こういう運用になった事はこちらも把握している。だからそこをマイナス評価として扱う事はない。ただ、前年度との比較を原則に査定する以上、強いプラス要素にもできなかった」


眉を八の字に曲げながら佐々木本部長は言葉をそこで切る。

そして、置いていた封筒から紙を何枚か取り出し、卓上の資料と入れ替える形で俺の前に差し出した。


「そんな流れで出すのも憚られるが…。これがウチからの提示額だ。昨季年俸7500万をベースに、成績と稼動、ポストシーズンの働きも加味して2320万。JCS最優秀選手選定でご祝儀の1000万。奪三振インセンティブ5万かけることの136で680万。しめて1億1000万。どうだろうか」


世間一般で言われるところの大幅増、では確かにないのだろうが、俺のような人間に対してぁともらいすぎのような気すらする。

脳みその処理を行う部分がうっすら機能しなくなってきたなぁと他人事のように思っていると、死に体だった吉永監督がいつもよりは小さい声で言った。


「久松、もうちょっと粘れ…。多分まだ余裕あるぞ…」

「きーみは何を言ってるのかね?」

「いやだって…。武田も十川もいなくなって余裕はあるでしょうに」

「君がもうちょっと上手く回してやったらもっとベース上がってたかもしれないだろぉー!?守護神でなぁ?40セーブくらいしちゃったかもしれないんだぞぉ?」


あっ、監督大人しくなっちゃった。

ただ、佐々木本部長は苦々しい顔に変わっている。本当に突かれたくないところだったんだろうな。

いやまぁ実際億越えしてるだろう選手が2枚居なくなってかつ優勝ボーナスが入っているはずだし、さらにさらに皮算用どんとこいで武田さんのポスティングフィーも収入としては見込める。

容量のデカいアプリを消した時のように、ゴリッとキャパが出来ているだろう。


財布を握る側からするとこういうデカいところはバッファとして考えて、本当にのっぴきならない時までとっておくものなのかもしれない。

…逆に言えば、交渉で放出する用途の金が別枠でプールされてる可能性もあるか。

そこさえ見つけられればもう少し積めるかもしれない。

金額には満足しているが、吉永監督がああ言ってくれたのを無碍にするのも悪いか。


じゃあどういう材料があるんですかという話なのだが。

成績によるアプローチはハナっから潰されている。稼働が実質2年目だし、スタッツがそう変わらないながらも昨年より上がっているのだから、ここを積み上げの材料には出来ないだろう。タイトル系と持っていたインセンティブもしっかり計算された。成績によるベースアップがそう大きくなかった分、タイトル系の加算で積み増しされている感すら漂うが…。…まいった、アプローチ出来そうなところがひとまずここしかない。とりあえず突いてみるか。


「えー、タイトル加算は去年と比べるとどうなんですか?」

「タイトル?今年は出した方だと思うがね。去年はセーブ王に500万ご祝儀渡してるよ。今年はMVP単品で1000万。他のタイトルホルダーの事も考えてくれると助かるが…」


まぁそりゃそうだよな。そういう理屈が立つ以上ここは動かせない。

ただ、この言い方は他でなら出せると言ってるようなものだ。

では、それをどう引っ張り出すか。成績、個人タイトル、ボーナス条項。俺自身が持つネタは使えない。となると後はチーム成績。考えてみれば触れられてないのが不思議な要項がある。


「…MVPといえば、うちのチームは優勝のボーナスとかないんでしょうか?」


そう言ったその一瞬、佐々木本部長の口がほんのわずかに吊り上がる。


「…いくら欲しい?」


これは俺の想像だが、あえてここを言わず、指摘されたらある程度幅広くつけられる積み上げ枠としていたのだろう。

正解までなんとか行き着いた俺は少し考えて口を開いた。


「今1億1000万でしたっけ。7500万からだとちょっとキリ悪いですし、1500万くらい積み上がりませんか」


その言葉に、今度は片眉を吊り上げて、怪訝そうに本部長がいう。


「…1500でいいのかい?」

「正直、最初の提示額でも満足していますから。次にキリのいい数字となると倍増ですしね。充分です」


交渉とは本来、最大と最小から初めて擦り合わせて行くものだが、俺はそれを放棄した。

貰わなければ、それはそれで球団が上手く使ってくれるだろう。

本部長と視線を合わせ、俺は最初そうされたように微笑んでみる。


「…その日のうちに印鑑もらえるのはありがたいね。私からは以上になる。でね、そこの置物みてぇになってる2人から提案があるらしいんだ。もう少しだけ時間いいかな」


反射的に頷いてしまったがなんだろう。

交渉以外に何か重要な事項があったか?

なんて風に考えていると、いつの間にか扇GMが元気を取り戻し、話を始める。


「いやぁ久松くん、お疲れ様でした。今年は本当に色々と大変な目に遭わせてしまって申し訳ない。そして、そんな中でも非常に良いパフォーマンスを出してくれているのに感謝しかありません」

「…いえ、そんな」

「…で、ね?君さえ良ければ背番号を変えませんか?十川くんが背負ってた17だとか、他にも10番台20番台はいくらか空きがありますから好きな番号があれば。一桁がよければそれも可能ですよ。どうです?」


プロ野球においても、背番号というのはそれなりに意味を持つ。

各球団に固有の出世番号があったり、エースナンバーや永久欠番など、それぞれにストーリーがあり、重みがある。球団の歴史そのものと言ってもいいかもしれない。

それを俺に。憧れがない訳じゃない。提案された瞬間、自分の名前と候補になりそうな番号のユニフォームをいくつも想像した。

十川さんのも、武田さんのも、僭越ながらイメージをした。だがそれでもなお拭えなかったのは、SNSで流れてきたあのテープを貼り付けられ改造されたユニフォームだった。

ご大層な渾名についてきた代物ではあるが、どんな形であれ、あの背番号で俺が俺と認識されているのには違いない。そう考えると、そういうものを背負うよりは、この番号のままの方がいい。


「…お気持ちだけいただいておきます。それなりに43にも愛着がありますから…」

「…そうですか。それならそのまま背負ってもらっていた方が良いですね」


扇GMはにっこりと笑うと、俺の断りを快く受け入れてくれた。

交渉を終え、事務所の自販機近くにあるベンチに腰掛け、コーヒーを傾けながら色んな意味でエラいところまで来てしまったなと天を仰ぐ。

肩にずんと来るようなプレッシャーと変わらない重みの背中。

苦しいような晴れやかなようなそんな気持ちで、俺の2026年度決算はひとまず終了した。

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