第29話 「二転→→→」
薄暗い通路を、こそこそと空き家に忍びこんだ泥棒のように進んでいく。
それに対して前を先導するセレナは堂々としており、豊かな胸が強調されていた。やはり、住処にしているだけはある。
「あなたたちは何をしている人なの?」
セレナが前を向いたまま尋ねる。
彼女の斜め後ろを歩いていたヴァルターは、食べ物を咀嚼するように口をもごもごと動かして、何と言うべきか一考した。
さすがに革命軍であると暴露できるはずもないし、だからといって奇をてらった嘘をつくことが出来るほどの才もない。
「あー、そうだな。冒険者みたいなところだ」
ゆえに、ヴァルターはそう何の変哲もない答えを返した。悪く言えば面白みに欠けるが、良く言えば安全策だ。
しかし、運の悪いことに女の勘というやつが働いたのか、
「……本当に?」
セレナのじろりとした目線をまともに受けて、瞬きの間隔が短くなる。相変わらず演技が下手だと辟易する。
「……本当だよ」
「ま、私に正しいことを教える必要なんてないものね」
特に問い詰める気はないらしく、そうあっけらかんと言い放つとヴァルターから目を離してしまう。
その鷹揚とした様子に思わず肩透かしを食らったうえ、すべて見透かされているような感じを受けなくもないが、まあ結果的にはこれで良かっただろう。
と、それから間もなくして、
「……プリオンを甘く見るなとは言ったけど、今からそう警戒する必要はないわよ」
「う」
……バレていた。
まさか本当にここまで見透かされているとは、と心の中で驚嘆するも、最初からヴァルターはことあるごとに後ろを振り返ったりしていたので見透かすもなにもないだろう。
今更どうこう言い訳しても意味がない。
既にセレナからプリオンという男のルガルについて聞いていたため、彼の凶悪さは十分理解していたのだ。
砂を爆弾に変え、自在に制限時間を設定して爆破させることが出来る――。
砂が大量にあるこの砂漠地帯においては、比肩するものなど存在しないのではないかというほどに強力なルガルだ。
「想像していた以上にやばそうなルガルを持ってるらしいからな。その、あれだ。油断せずにいこうと思って」
「ビビってるわけね」
「セレナの言語ではそう言うのかもしれない。……本気で何言ってんだこいつみたいな目で見るのやめて」
「漏らしたらお姉さんが処理してあげるわよ」
「余計なお世話だよ!」
「あら、年上はきらい?」
小さな子供をあやしつけるように茶化してくるセレナを、目を細めて睨みつける。
闇の中で光っているヴァルターの目はまるで暗がりに身を隠した獣のようで、こんな状況で何をふざけているんだという批判的な意思が込められていた。
セレナはそんなちっぽけとは言え精一杯の反抗を流し目で受け取って、
「そうね。度が過ぎた。控えるわ」
そうあくまで冷静に呟くと、それっきり黙り込んでしまった。
無機質な空間に、固い床を踏む足音と息遣いだけが響く。それと、時折鼻孔をくすぐる、セレナの美しい黒髪から放たれる女性的な香り。
出会ってほんの少しの女性と気まずい沈黙を共有していると、何だか話を切り上げさせたこちらが悪いことをしたような気になってしまう。
「……あれだけ殺意を剥き出しにしてたのに、何で今はお気楽な感じなんだよ」
苦し紛れに発した言葉が形のいい耳を貫いた瞬間、セレナは微弱な電流が走ったかのようにピクリと体を動かした。
「私、性格悪いのよ」
「は?」
真面目に口を開いたかと思えば、返ってきたのは予想だにしなかった答え。いや、答えというにはあまりに文意の繋がりがなさすぎる。
「ねじ曲がってるの。……ヴァルターが動揺しているのを見て、心を落ち着けてる」
「――」
「本当は、すごく怖い。怖くて、怖くて、それなのにあいつを殺してやりたいって気持ちがふつふつと湧き上がってる」
心細そうに告白するセレナを、ヴァルターは責めることが出来なかった。
ヴァルターだけではない。同じことをしていた人間なら、誰にも彼女を非難する資格なんてないだろう。
今となってはだいぶ過去のことだが、イグナーツとレオが刃を交えたとき、ヴァルターは震えあがるフィリーネを見て冷静さを保っていた。
それはむなしく惨めな人間の性で、どれだけ意志を固く持とうと本能には逆らえないのかもしれない。
きっとセレナの性格が悪いだとか、そういう話ではないのだろう。
「……そうか」
ただ、やはりヴァルターにはこの飄々とした、やけに大人びた彼女が弱気なところを見せるというのは意外に思えた。
彼女とプリオンは、どんな関係性なのか。それがどうして、端正な顔立ちにこうも暗い影を落としているのか。
真相を知りたいがためにセレナの心に土足で踏み込むほど、ヴァルターは無神経ではない。
だから、何も聞かないでおく。セレナが、ヴァルターの素性をあれこれ詮索しなかったように。
すると、隣に並んだ彼女はフッと息を吐き出した。
「ごめん。私は大丈夫。早く行きましょう」
鬱々とした表情は晴れていないが、呼気と一緒に不安を吐き出したことでいくらか気持ちが楽になったらしい。
ヴァルターは頷いて、足を速める。
「あとどのくらいで着くんだ?」
「もう少し。そこの突き当りを右に曲がれば――」
右折した途端、ヴァルターの視界が少し明るくなる。
イグナーツとレオを探し出すといっても手掛かりがないため、とりあえずプリオンがいるであろう大部屋に向かうという話をしていたのだが、
「……この先か」
「そう」
蛇がとぐろを巻くように歪曲しているため、通路の奥はうかがえない。
しかし、この先にプリオンがいる部屋が待ち構えているということを認識して、自然と二人の声は固くなった。
人を殺すことに悦を見出し、無辜の人間でも関係なしに虐殺する。
そんな人とも呼べない非人道的な生物が、目と鼻の先まで近づいている。
その事実に、ヴァルターは全身が強張っていくのを感じた。
「そこよ」
セレナが立ち止まる。彼女の細く長い指が指し示す方には、石壁をそのままくりぬいたような台形の入り口があった。
内部は明かりが灯っているようで、煌々とした光が漏れている。
……あの中に、標的がいる。
「私が先に行って、様子を見る。ヴァルターは――ヴァルター?」
隣をちらと見たセレナがおかしな挙動をしている男を捉えて、それを怪訝な顔で見つめる。
しかし、声をかけられた本人の耳には彼女の言葉など届いていない。
ヴァルターは、劣化などで偶然出来たものだろうか、壁に開いた穴に自身の右目を押し付けて、中の様子を覗いていた。
「そんな穴が空いていたのね。プリオンは見え――」
「なんだよ、あれ」
「え?」
セレナの言葉を遮って、ヴァルターが疑問を投げかける。その声はおびえたように震えていた。
「なによ、どうしたの」
同行者の一変した雰囲気に戸惑い、説明を促そうとするセレナだが、ヴァルターの意識は完全に大部屋の中へ向けられてしまっている。
すると、ヴァルターはおもむろに穴から目を離して、セレナを正視した。
「――なんで、イグナーツとレオが捕まってる?」
「――!?」
それを聞いた刹那、セレナが代わって穴を覗き込む。
尻が突き出され、露出した足が艶めかしく並ぶその姿に、いつもの女慣れしていないヴァルターなら目のやり場に困ったことだろう。
ただしそれは、今この状況において何一つ影響を及ぼすことがない。
ヴァルターが中を覗いたとき、全景とまでは言わないが部屋の内部の様子がつぶさに観察できた。
まず目に入ったのは部屋の中央に立っていた細身の男で、おそらくあれがプリオンという男なのだろう。
しかし、そんな情報は一瞬にしてヴァルターの脳内から消え去ることになる。
プリオンが立っていた位置からさらに奥を見ようと瞼を持ち上げたそのとき――床に座り込んでいるイグナーツとレオを発見した。
距離があるため細かいところまでは確認できなかったが、二人とも後ろ手に縄を縛られているらしいことはわかった。
つまり、彼らはプリオンに拘束されている。
「……嘘」
前で上体を曲げているセレナが小声で言う。彼女も二人を見つけたらしい。
セレナの言う通り、甘く見すぎていた。まさか、あの二人がプリオンにやられるとは。
それは言ってしまえば、アインハルト軍の中で奴を倒せることが出来る人間はいないということになる。
そしてそれは必然的に、イグナーツとレオを救出する方法も存在しないということに繋がる。
と、目の前が真っ暗になりかけたその瞬間、ヴァルターの思考回路にある一つの可能性が浮上した。
「あの二人は、本当にあなたの仲間なのよね」
「……ああ」
問いかけに、ヴァルターは何もかも放り出したような冷たい声音で応じた。
それだけにとどまらず、セレナを光の消えた目で見下ろす姿はさらにヴァルターから受ける印象を冷徹なものにしている。
浮上したある一つの可能性――セレナが、最初から謀略していたという可能性だ。
そもそもおかしな話だった。同じ暗殺者であるのに、ルールに反したからというだけの理由で仲間を殺そうとする。
騙されたのだ。
初めからセレナは既にイグナーツとレオを捕えていることを把握していて、最後に残ったヴァルターを回収しようと奸計をめぐらした。
プリオンを殺すなどと嘯いて、ヴァルターをここまで連れてきて、三人の首をまとめて切る。
気づいてみれば単純なたくらみに、ヴァルターはまんまと嵌められた。
「ヴァルター。とにかく私が先に行って話を聞くから――」
「いや、いい」
「!」
呑気に上体を起こし、セレナがこちらを振り向いた瞬間、彼女の細い首に剣先が突きつけられた。
セレナはその美貌を驚いたものに変えてみせ、丁寧なことにごくりと唾を飲む音まで出す。
「お前、最初からわかってたんだろ。騙されたよ」
「ちょっと待って、何を言って」
あくまでしらを切ろうとする姿を見て、苛立ちが生じてくる。
それは自身の剣の扱いに反映され、喉元をいまに貫かんとしている剣先が小刻みに揺れた。
それにより、セレナの白く色気のある首筋から一滴の血が垂れる。なるほど美人に返り血とはよく言ったものだ。
美しい女性には真っ赤な鮮血が似合うことを、ヴァルターは初めて知った。
「もういい。お前をこのまま人質にして、プリオンに突き出す。それで二人と交換させる」
「待ってってば。誤解なの。私も本当に知らなかった」
「そんなの、誰が信じると思う……!?」
プリオンに気配を察知されないよう声を押し殺して会話していたが、最終的には語気が強くなってしまった。
プリオンに見つかってしまう前にセレナを早く拘束しなければ。このまま悶着していたら、発見されるのも時間の問題だ。
と、ヴァルターが一瞬プリオンのことを意識して目をそらしたそのとき、
「――!?」
ヴァルターの体が何かに引っ張られて、柔らかいものに顔から激突した。
急いで脱出しようとするも、剣を持っていた右腕を固く握られて身動きが取れない。
この腕の痛み、覚えがある。
そう感じて顔を上げると、案の定セレナが目の前にいた。
「はぁ、はぁ」
命の危険が迫っていた緊張から解き放たれたからか、それともヴァルターを確保することに成功した安心感からか、セレナの息は荒い。
吐息がかかるほど近いこの距離で、ヴァルターの顔を支えている柔らかいもの――どう考えても彼女の豊かな胸だろう。
通常の男ならこんな状況は嬉しいのかもしれないが、今のヴァルターにとっては残念ながら最悪以外の何ものでもない。
あまりに無力すぎる。
意識を他のところに向けたその隙を突いて、セレナはヴァルターの右腕を引き寄せた。
同時に首を傾けて剣をかわし、右腕を拘束したまま胸に顔を押し付けた。
滑稽なことに、ヴァルターが逆に拘束されてしまったのだ。
「クソ! 離せ……!」
「だから無駄なんだってば! 私とプリオンは協力関係じゃないし、それどころか私を人質にしたってあいつは少しも気にしない!」
セレナが顔を寄せて、耳元で囁く。しかし囁くと表しがたいほど強い言い方で、彼女が焦っていることが伝わってきた。
ただし、それでもヴァルターの警戒が解かれることはない。まさに小さな生き物が自身を守るように、しつこいものだった。
「証拠もなしに信じられるかよ、そんなこと……!」
「証拠ならある!」
はっきりとした物言いで断言するセレナ。
呼気が耳にかかってこそばゆい。しかしヴァルターはそれを感じさせない目つきで自分を押さえつけている者の顔を睨みつけて、
「どこにあるって――」
「ここよ」
食い気味に言った彼女の言葉に、小首を傾げる。
いや、ほとんど身動きが取れないのだからそんなことは出来ないはずなのだが、気持ち的にそうした感覚だった。
とにかく、セレナが謀ったわけではないという証拠がここにあるとはどういうことなのか。
「今こうしていることが、何よりの証拠よ」
「は――?」
「この状況を鑑みて。私は今、あなたをすぐにでも殺せるの」
「――」
彼女の言っていることに合点がいった。
現在ヴァルターの右腕はセレナに握りしめられており、唯一の得物である剣を無力化されている。
そして、彼女の余った右腕はまるで抱きしめるようにヴァルターの体を抑え込んでいて、顔面を柔らかな胸が受け止めていた。
セレナの艶のある太腿には弓矢を収納する矢筒が巻き付けられていて、さっさとそこから矢を取り出してしまえばヴァルターの無防備な背中を刺し貫けるだろう。
自由な左手で【貯蔵】を行使すれば打破できたかもしれないが、セレナはその事実を知る由もない。
畢竟、セレナの視点からすれば、彼女の言う通りすぐにでもヴァルターを殺すことが可能なのだ。
でも、自分はまだ殺されていない。それはつまり、
「……殺す気がないってことか」
「そうよ。私を信じて」
セレナの懇願に、ヴァルターは答えない。しかし、ゆっくりと左手を上げてひらひらと振った。降参の合図だ。
それを見てセレナが安心したように息を吐く。暖かな吐息が顔にあたって、ヴァルターの前髪が揺れた。
「よかった」
言って、ヴァルターを拘束から解放する。
自由になった本人は気まずそうに剣を鞘に納めて、
「……悪かった。動揺してたよ」
そう謝罪した。勘違いしてもおかしくない状況だったとはいえ、剣を突きつけて脅してしまったことは事実だ。
するとセレナは口元に微笑を浮かべて首を振り、喉元に付着した自身の血を指で擦り取った。
「いいのよ。仲間があんな状態なのに冷静でいられる方がおかしいもの」
「そうだ――イグナーツとレオ。あいつらをどうにか助けなくちゃならない」
何があったのかは想像も出来ないが、ヴァルターにはどうしても二人が戦って負けたということが腑に落ちなかった。
もし本当にそうだとすれば、プリオンはアストリア騎士並み――いや、それ以上の実力を有した男だということになる。
イグナーツ・アルトマンとレオ・エーレンベルク。彼らの強さが身に染みてわかっているからこそ、無名の男が二人を纏めて圧倒するというのはどうも非現実的なことに感じられた。
だから、ヴァルターの考えは自然とその裏をかくようなものへ収束する。
「何か……何か、あるはずだ。二人が存分に戦えなかったとか、そういう事情があったはずなんだ」
ヴァルターの願いとでも言うべき予測を受け、セレナは口元に手を当てる。
「私は彼らの強さを知らないから、何とも言えないけど――プリオンは頭の回る男よ。あいつが何か細工した可能性は十分にあると思う」
そう見解を述べるのを見て、ヴァルターの中で確信に近いものが生まれる。
同じ暗殺団だったくらいだから、セレナはプリオンのことをそれなりにわかっているのだろう。彼女の裏付けは非常にありがたい。
プリオンが何らかの策略を仕掛け、それにより二人が本来の力を発揮できなかったのであれば、つまるところ“本当なら二人はプリオンを倒せていた”かもしれないということになる。
誰かに言えば鼻で笑われるようなたらればであるのは無論承知している。
しかし今はそんなちゃちな、それこそ砂粒のような希望でも、少しもないよりはマシなのだ。
「何とか二人を連れ出せれば、光明が見えてくるかもしれない」
「目的は一致したってことね。皮肉な話だけど」
そう言うと、セレナは邪気を吹き飛ばすように、肩に乗りかかった黒髪を爽やかに振り払う。この混沌とした臭気が立ち込める空間ではやや不釣り合いな立ち振る舞いだ。
ヴァルターはイグナーツとレオを救い、セレナはプリオンを殺す。どちらにしろプリオンを何とかしなければならない点で、二人の目論見は交差している。
この迷宮のような基地から単独では抜け出せないから、仕方なく力を貸すのではない。
名実ともに、協力することになったわけだ。
「ああ。改めてよろしくな、セレナ」
「ええ。よろしく、ヴァルター」
彼女は力強く頷くと、早速というふうに向きを変えて、台形状の大穴へ歩いていく。
セレナ、と呼ぶが振り返らない。
「私がプリオンの様子を見る。ついでにあなたの仲間たちの話も聞いてみるわ。すぐに戻ってくるから、それから作戦を立てましょう」
確かに、一応は暗殺団の仲間として認識されているはずのセレナが一人で行った方が安全だろう。
相手の情報もルガル以外に有益なものはなく、イグナーツとレオの負傷の程度もわからないのでは自分に出来ることはない。
今は冷静に、場を俯瞰しているのが最善策だ。
「わかった。気を付けろよ、セレナ」
そう告げて、右手を上げるセレナを見送った。




