91話 狂想曲+別れ
可憐がCランクから初めてAランクに昇格した日、学校で簡単に転校生として紹介された。肩に着く程度の長さの黒髪に、それに似合った大きな黒い瞳。十二歳の少女として平均的な身長の彼女は誰も寄せ付けない異様な空気を放っていた。それはまるで、Cランクから来た劣等生にコンプレックスを抱き、威嚇しているような雰囲気だった。
「磯崎可憐です。よろしくお願いいたします」
簡単な挨拶を済ませると、可憐はそのまま空いている席につき、自習を始めた。周りのクラスメートが初めて出会ったCランクの人間にヒソヒソと架空の噂を流し始めた。
「Cランクはチョコレートも知らない人間しかいないってよ」
「その程度の学力って事じゃないか。身分相応って事だろ」
「でも、Aランクに上がれたって事は、国に認められた人間って事でしょ? そんな事言うのは良くないよ」
クラスメートの各々の考えを可憐に聞こえるか聞こえないか微妙な声量で話す。そんな光景を優美は違和感を覚えながら聞いていた。ふと、視線を可憐に向けると、彼女は聞いていないふりをするかのように紙とペンを忙しなく動かしていた。
優美は可憐を自分と重ねて見ていた。幼い時に両親を亡くし、祖母と二人り暮しの優美。寂しさは無かったが、両親がいない孤独を時折感じていた。その孤独感に近いものを目の前の少女は感じているのでは無いか。そう思った時には優美の身体は勝手に動き、可憐の目の前に立っていた。優美の気配を感じ、顔を上げる可憐。黒い瞳には金髪の少女が映っていた。
「あたし、沖田優美っ! ここで分からない事とかあればなんでも聞いてねっ! 仲良くしましょっ!」
右手を差し出し笑う優美。そんな彼女を見た可憐は今まで焦点の合っていないような瞳だったが、光りを取り戻していた。そして、優美の手を取り、握手した。
「よろしく。優美さん」
「さん付けなんて寂しいなっ。優美って呼んでよ、可憐っ」
握手された手を更に握りしめ、可憐の瞳を見る優美。その時、可憐はAランクでは初めて笑った。無意識に上がった口角。その表情は慈悲深く、儚い笑みだった。
「分かった。よろしく。優美」
彼女の笑みを見た瞬間、優美の心臓は大きな音をたてた。天使のような笑みだと優美は直感的に感じていた。この子と一緒にいたい。そう強く優美は心のどこかで誓っていた。
可憐と初めて出会った時を思い出した優美。目の前で涙を流しながら自分の名を何度も呼ぶ可憐を愛おしそうに見つめていた。
「優美は私が助ける! 私が初めてAランクに上がった日、偏見なしで話しかけてくれたのは、あなただけだった! それが凄く嬉しくて、私はあなたとずっと友達でいたいと思っていたのに……。こんな形でお別れなんて絶対に嫌!」
エメラルドグリーンの魔力が無意識に可憐の両手から優美に伝わる。しかし、地獄長となった彼女には苦しみしか与えることが出来なかった。優美はそれを悟られないよう無理やり笑顔を作る。
「もう、可憐の知っているあたしはとっくに死んでいるんだよ。あたしは地獄長のリリス。あなたの敵なの。だから、そんな悲しい顔をしないで。あたしは、あなたの親友になれて良かった」
優美はそこまで言うと、可憐の手をゆっくりと離した。その時、二人の話を黙って聞いていた吹雪がしびれを切らして、第九地獄の地獄長が耐えれる以上の魔力を流し込んだ。すると、優美の足元から徐々に肉体が砂へと変わっていった。
「優美!」
吹雪を睨みつける可憐。吹雪はそんな事はお構い無しに優美に魔力を注ぎ続けた。既に優美の下半身は失われていた。
「さぁ! 可憐! オレと契約しろ!」
「やめろ! 可憐! 彼女は既に手遅れだ! 無意味な契約は誰も望んでいない!」
弘孝が吹雪に向かって何度も剣を振りかざす。しかし、それは全て吹雪の十二枚の翼が受け止め、無意味な攻撃となっていた。
「可憐」
優美が苦しさを我慢しながら優しく微笑む。既に四肢を失った優美はもう可憐に触れることは許されなかった。
「優美! 優美!」
優美の頬に触れる可憐。彼女の涙がこぼれ落ち、優美の頬を濡らした。
「あたしからの最期のお願い。自分が信じた方と契約して。悪魔の心に負けないで……。あたしの事は忘れて。そして、愛しているわ、可憐」
「優美!」
可憐の叫び声が優美に届いたかは誰も分からなかった。ただ、そこには優美であった砂が風に流されるように可憐の目の前から徐々に消える。数秒後、その砂さえも可憐の目の前から姿を消していた。
「可憐!」
光の叫び声に可憐は返事をすることが出来なかった。ただ、瞳から光りを失いながら吹雪を見つめていた。そんな彼女を見た吹雪はニヤリと笑った。
「契約する気になったかぁ?」
吹雪の言葉に可憐の十字架のネックレスが光る。それは、光のオレンジ色の魔力ではなく、ラファエルとしてのエメラルドグリーンの魔力だった。その光りを目にした可憐は、瞳の光りを取り戻し、吹雪を睨みつけた。
「いいえ。あなたのような姑息な人と契約なんてごめんだわ。私はあなたを赦さない」
エメラルドグリーンの魔力を吹雪にぶつける可憐。予想外の行動だったので、吹雪は避ける事が出来ずに可憐の魔力が直撃した。腹部に当たった魔力は吹雪の口から大量の血を吐き出させた。
「サタン様!」
皐月が忠誠の姿勢から立ち上がり、魔力を可憐に向かって放つ。しかし、それは弘孝が剣で守ることによって可憐に当たることは無かった。
「おもしれぇ。可憐、一週間だ。一週間の期限をやる。もし、オレと契約したいと思ったらいつでもオレを想え。いつでも駆けつけてやんよ」
口元からこぼれた血を手で拭い、立ち上がる吹雪。十二枚の黒い翼を使い、自分の下僕たちの元へ向かう。瞬間、悪魔たち全員を吹雪の魔力が包み込んだ。それに合わせ、光たちの動きを封じていた魔力が一瞬にして消えた。身体の自由を取り戻した光と猛が吹雪に向かって剣を振りかざしたが、その時には既に悪魔たちの姿は無かった。
残ったのは溶けかけた氷と天使側の契約者たちのみだった。