73話 狂想曲+秘密(4)
口元に血を垂らしながら笑う皐月。右手で口を伝う血を拭う。氷に閉じ込められたまま絶命した死体の上を歩き、時には死体ごと氷を破壊しながら三人のもとへ歩く。
「蝿の王……」
猛の呟きに皐月はこたえるように背中の羽をばたつかせた。虫独特の羽音が三人の耳を支配する。
「めーっちゃ久しぶりー。その名で呼ばれるのー。流石裁きの大天使ミカエルじゃーん」
皐月が魔力の塊を猛に放つ。猛はそれを剣で受け止め、そのまま自分の魔力を使い相殺した。
「サタン。モロク。ベルゼブブ。ルキフグス。第一地獄の地獄長全員が転生したというのか」
剣を構え、皐月を睨みつける猛。六枚の翼が忙しなく音を立てる。
「そっちも四大天使ほぼ揃ってんじゃーん。これでやっとイーブンだとオレは思うよー」
皐月は再度魔力を放ち、攻撃した。しかし、今回は猛ではなく、可憐に狙いを定めた。それを次は弘孝が魔力で作った剣で二つに斬った。
「安心しろ。お前は僕が殺す」
弘孝が剣に魔力を込め、利き足を踏み込んだ。一気に皐月との距離を縮め、剣を振りかざした。皐月はそれを自分の魔力の込められた剣で防いだ。金属音が二人の耳を支配する。
「殺し損なったくせしていい度胸だねー」
皐月もまた、利き足を踏み込み、剣ごと弘孝を押した。魔力の差により弘孝が押されることになり、数歩さがる。
「弘孝!」
可憐が弘孝の援護に入るよう彼の背中に魔力を注ぐ。しかし、それは半分の血が拒否をし弘孝を微かに苦しめた。
それを見た皐月は可憐に視線をずらしながら笑った。
「可憐ねぇー。知らないのー?兄貴は——」
「僕は天使と悪魔、両方の血を引く混血だ!」
皐月の言葉を途中で遮り、弘孝は大声で叫んだ。弘孝の言葉に可憐は目を見開いた。
「こんな状況でカミングアウトするのを赦してくれ。僕の父は悪魔、母は天使だったんだ。それで僕は混血、皐月は悪魔寄りの混血の子どもとして生きてきた」
皐月と剣を交えながら可憐に話す弘孝。時折、猛が応戦するが、皐月はそれを自身の羽で防いでいた。
「だから僕はお前が幼い頃からラファエルであることを知っていたし、僕自身も、大天使の誰かと契約をし、ウリエルとして死後生きる事も知っていた。今まで隠していてすまなかった」
弘孝の言葉に可憐はしばらく話すことが出来なかった。スカートの裾はシワだらけになっていた。
「なーんだ。言っちゃったのかー。天使と悪魔は結ばれる事は絶対にありえないけどさー。オレたちの父親たちはそれを破ったんだー。その罰としてほとんどの魔力を奪われて、人間と偽って残り少ない魔力でちまちま老化しながら生きていたんだってー。ま、オレがそんな事しなくていいように、殺してやったんだけどねー」
オレって優しー。と付け足し、剣を振りかざす皐月。その攻撃は弘孝ではなく、猛が受け止めた。金属が重なる高音が可憐の耳を痛める。
「じゃあ、あなたは私がラファエルの後継者だから今まで一緒にいてくれたの……?」
今までの弘孝は磯崎可憐としてではなく、その中に隠れている癒しの大天使ラファエルに向けて接していたのか。そう聞きたかった。しかし、口に出たのは精一杯の強がりと絶望の言葉。四肢が震えた。全てを失ったような感覚だった。その姿を皐月は見逃さなかった。
「違う! 確かに僕は僕が混血だと自覚した頃からお前がラファエルだと薄々感じていた。しかし、僕は一度たりも、お前の事をラファエルの器としての人間だなんて、思ったことは無い。お前は磯崎可憐であって、僕にとって唯一無二の……幼なじみだ」
唯一無二のと幼なじみの間に僅かに沈黙があった。それは、弘孝の本音はこのままの勢いで可憐に思いを伝えようとしたからだ。しかし、それは許されないことだと分かっていたため、言葉を濁していた。その間も皐月から容赦なく放たれる剣技と魔力を防いでいた。
「えー。今の絶対告る雰囲気だったじゃーん。じゃあここはオレがー」
皐月が剣を持っていない左手の指を鳴らした。すると、数秒後、彼は魔力に包まれ、その魔力消えるとそこには皐月ではなく、弘孝の姿があった。
「弘孝?!」
可憐の驚きの声はそのまま弘孝の姿をした皐月によってかき消され、魔力を本物の弘孝と猛に放ち、動きを封じた。その後、倒壊する前の集合住宅で行われたように可憐の腰を取り、左手で可憐の顔を撫でた。
「可憐、お前は僕にとって唯一無二の想い人だ。これから先、永遠に僕のものになって欲しい」
口調、声色。長い黒髪。そして微かに感じる体温。全てが弘孝そのものだった。しかし、目の前にいる男からは普段弘孝から感じている慈しみはなく、瞳からは闇と毒に近い色をした魔力がこぼれていた。
「人に化けてそんな事をするなんて、悪趣味ね」
顔に触れられていた皐月の右手首を可憐は掴み、自分の魔力を流し込んだ。エメナルドグリーンの魔力が皐月の手首に激痛を走らせた。悲鳴とともに可憐を突き飛ばすように距離をとる皐月。既にその姿は弘孝ではなく元の六枚の羽を忙しなく動かしている皐月の姿に戻っていた。
皐月が痛みを感じている隙をついて弘孝と猛も自分の魔力を使い皐月の拘束をといた。駆け足で可憐のもとへ行く弘孝。
「可憐! 大丈夫か!?」
自分の背後に可憐を誘導しながら視線を合わせる弘孝。剣先は皐月に向いていた。
「大丈夫よ」
弘孝の背中にそっと触れ、魔力を流す可憐。先程まで弘孝の動きを拘束していた魔力は完全に相殺された。
「痛っー。やっぱ大天使ラファエルとなりゃ人間でもここまで強力な魔力使えるのかー。欲しいなー。可憐ねぇー」
未だに残る痛みに耐えながら皐月は剣を握りしめた。力を入れるだけで激痛が走るが、それを悟られないように笑う。
「あの方が言ったことが本当なら、オレが死ぬことになっても手に入れる必要がある」
誰にも聞こえない声で呟く皐月。それは椋川皐月としてではなく、蝿の王ベルゼブブとしての威厳高いものであった。
「磯崎の魔力で微かに弱っている。一対三の今のうちに一気に倒すぞ」
猛が剣にゴールドの魔力を纏わせる。弘孝もルビーレッドの魔力を剣に込めた。
「あー。もしかして今から本気出す感じー?んじゃ、オレ達もー」
猛のゴールドの魔力に注意しながら皐月は数歩さがり、剣を地面に雑に刺した。空いた右手を上にあげた。そして、指を鳴らすと、尋常ではないほどの魔力と死人の臭いが彼を包み込んだ。
「弘孝、気を付けろ」
可憐を庇う弘孝。その二人を守るように前に出て剣を構える猛。
数秒後、皐月を包んでいた魔力は消え、彼と共に現れたのは悪魔の魔力に似た色をした髪を内巻きにし、両肩には髑髏をカタカタと鳴らしながら笑う少女と魔力に似た色のワンピースを着た金髪を揺らしながら赤と青のオッドアイを見せる美しい少女。二人の少女を見た可憐と弘孝は目を見開いた。
「久しぶり。可憐ちゃん。そしてはじめまして。癒しの大天使ラファエル」
髑髏をつけている少女はゆっくりと可憐に手を振る。彼女の動きに合わせて髑髏がカタカタと音を鳴らす。
「七海さん……」
「うふふ。まだその名前で呼んでくれるなんて嬉しいわ」
口元から腐敗した血を垂らす七海。それが地面に落ちた時、地面から微かに蒸発した煙が上がる。
「……スズ」
想い人に偽りの名前を呼ばれ、思わず目をそらすスズ。金髪が美しく揺れる。
「いいだろー。両手に花って感じでー。ほら、ベル、自己紹介しなよー」
スズの背中を軽く押す皐月。無理やり一歩前に出され、思わず自分の胸元を掴むスズ。二つの色の異なる瞳が揺れる。
「十地獄第六地獄"破壊された墓穴"地獄長ベルフェゴール。あなたのお命、頂戴致します……」