第一章
正月という時期は日本中がいつもとは違った雰囲気につつまれる。金融・製造業など多くの企業ビルが集中する都市部では、年末年始を休業とする企業が多い影響か、賑わっている平日とは打って変わって閑散とした雰囲気だ。逆に普段はひっそりとしている農村が、都会に働きに出た人が帰省するため、大いに盛り上がる。これが成田や鎌倉に代表される門前町となると、寺社へ初詣に向かう人だかりで道路はラッシュ時の如く混雑するが、地元の一般家庭にとってはあまり好ましくないらしい。
東京都の西、ちょうど西武新宿線とJR武蔵野線が交差するあたりに、小平という町がある。この町には有名な武蔵野美術大学や一橋大学のキャンパス以外に特に目立った観光地はないが、かの大都市東京のベッドタウンとしてそこそこの人口を誇り、十分なにぎわいを見せている。
その小平市も元日の朝を迎えた。日が昇ると静かだった町で人々が活動を始める。ときおり聞こえるカラスの鳴き声や小鳥のさえずりも、新年のあいさつなのだろうか。
西武新宿線小平駅のすぐ近くに
「ショウヘイ」
という喫茶店がある。この店はまだ開店していないが、同じ建物の二階はにぎわっていた。部屋の入り口には、「中山探偵事務所」という表札。
そう、この部屋は探偵事務所なのだ。
ここ「中山探偵事務所」では、「ジャックマン」こと中山裕也を筆頭に七人の探偵が活躍している。いつもは難事件に追われて忙しい事務所のメンバーも今日、元日には皆で来る年を祝いつつ宴を楽しんでいた。
「おっと、そろそろはじめるか。」
皆が机を囲んで座っている中、場のリーダー的な男が口を開いた。山高のニット帽をかぶり、両サイドの髪を肩までのばしている三十歳くらいのこの美青年こそジャックマンである。
「みんな、明けましておめでとう!」
「おめでとう!!!!!」
事務所のメンバーが口々に声を上げた。
「いやー事務所で年越しとはすごいね、さすがジャックマン」
長身でスポーツ刈りの、一人の部下が言った。彼の名は寺原洋一、ジャックマンの第一助手だ。
「どうもどうも」
と中山裕也が返す。
「まあそんなことより、このおせちを食べろよ。この伊勢エビは親父の知り合いから取りよせたものだ。昆布巻きと黒豆もうまいぞ。」
「さいですか。ではお言葉に甘えて」
メンバーはさっそく重箱をつつきはじめた。と、洋一の隣に座っている、小柄でメガネをかけ学帽をかぶっている和差積商が、急に、
「そういえばジャックマン、御屠蘇はどうしたの?」
「あ、しまった、まだ用意していない!」
と、そのとき、
「何、私のいない間に食べはじめてるんですか!」
ロングヘアーで足の長い若めの女性が、お盆を持って調理場から出てきた。まさに御屠蘇のはいった小さな盃をのせている。彼女の名は小野麗子、ジャックマンの優秀な秘書で、事件のときは忙しく働く。
「いけない、すっかり忘れてたぜ。すまないな。」
「しょうがないですね。そういうところに気を配れないと、いつまでたってもお嫁さんもらえませんよ」
何ということを。いつもどおりこの秘書は口が悪い。
ともあれ、これでジャックマン、寺原洋一、和差積商、本田龍一、真樹美緒、大原勤、そして小野麗子の七人、事務所のメンバー全員が出揃った。
「まあ全員揃ったことだし仕切り直そう。あけましておめでとう、乾杯!」
「カンパーイ」
では今度は安心して一杯やりましょうと、皆はおせちを肴に御屠蘇をぐびぐびと飲みはじめた。宴の再開だ。
「しかしね」
ジャックマンが口を開いた。
「どうしました」
「うん、正月のいいところは、何といっても、事件が起こらないことなんだ。仕事がないからラッキー」
「そういえば、そうですね。」「ナルホド」
「ほら、テレビをつけてもお祭り騒ぎしか流れないぞ」
そう言いながら…ジャックマンはリモコンの電源ボタンを押した
それが、事件のはじまりだった。
〈ニュースです、今日の午前五時ごろ多摩川の河川敷で死体が発見されました〉
テレビから最初に流れた言葉がこれだった。
「何だよ、新年そうそう」
するとすぐに事務所の電話が鳴った。
プルルルル プルルルル ジャックマンはあわてて受話器をとる。
「もしもし」
「あー君か、いやー急なことで出勤した。今すぐ多摩川へ急げ」
この声は、府中警察署の署長だ。
「みんな、仕事だ、行くぞ!」
「えー、この正月に」
というわけで、事務所のメンバーは皆多摩川へ行くことになった。
小平から電車で十五分。一行は府中市の現場に到着した。武蔵野線の駅から少し歩いたところにある、多摩川の河川敷である。
そこにあったのは、溺死体だった。
「被害者:藤原光 死亡推定時刻は夜の十時」
府中警察署の隊員が、鑑定結果を読み上げる。
「あれ?」
ジャックマンはふとつぶやいた。
「藤原光…どこかで聞いたことがあるような名前だな。」
「わかったぞ!」
寺原洋一が叫んだ。
「藤原光って、人気アイドル『ハジメノセカイ』のリーダーですよ」
洋一は音楽関係に詳しい。
「ハジメノセカイといったら昨日の紅白に出てたばっかりだ。」
ジャックマンはさっそくメンバーにそのことを伝えた。
「えーうっそー!!」
皆、大さわぎとなった。
「あっあのハジメノセカイのリーダーだったんですか」
こう言ったのは、世間から「小平一イケメンな男」と言われている本田龍一だ。彼も芸能情報に興味があるらしい。
「うむ、どうやらそうらしいんだ、本田くん。ところで、すまん、美緒ちゃん、ハジメノセカイとやらについて教えてくれ…って」
府中警察署の署長が隣をみると、美緒と呼ばれた眼鏡の女はすでにノートパソコンを開いて、ネットにつないでいた。ほこりが入らないように、キーボードにはビニルカバーがついている。彼女、真樹美緒も先に述べたとおり事務所のメンバーだ。
「えーと、世界中が注目しているアイドルですよ。」
ハジメノセカイこと「ハジセカ」は、去年の春に結成されたグループだ。声・衣装がかわいいと、幅広い年齢層から人気を集め、デビュー曲「リボン乙女」ではオリコン音楽ランキングに於いて一位を獲得。そこからヒットの波に乗り、昨日行われた紅白歌合戦にも出場した。
そんな「ハジセカ」のリーダーが、今、ここにいるーーー死体として。
署長は、
「『ハジセカ』が紅白で出番だった時間を調べろ!」
部下に指示を出した。すぐに報告が入る。
「えーと、だいたい午後九時半ごろですね。」
「そうか」
「あと、最後まで紅白に出ていたそうです。」
「なるほど……」
警察はどうやら本格的に動き出すようである。
「よし、俺たちも『ハジセカ』の事務所に行こう」
ジャックマンの一声で、中山探偵事務所の一行は都心にあるハジセカの事務所ヘ向かった。
事務所は、六本木に建つ高層ビルの十階にある。扉の前に立つと、部屋の中からすすり泣きとしゃくり声が聞こえてきた。
「失礼します」
ジャックマン一行が中に入っても、一部のメンバーは泣き止まない。
それでも、ジャックマンが
「あの、少し話をお願いします」
と言うと、少し落ち着きを取り戻した。
「実は」
と語り出したのは「ハジセカ」のメンバーの一人、七浜美織だ。
「実は紅白後から朝五時まで年越しパーティーをしていたのです。光ちゃん以外の全員で」
「…五時って光さんの死体が発見された時間じゃないですか?」
洋一が小さい声で聞いた。
「確かにそうだ。」
次にマネージャーの小田貴司に話を伺った。
「実は俺と光くんで食べ物買いに行ったんすよ」
「それは何時くらいですか?」
「十時ごろです。パーティーに間にあわせるために」
「なるほど。」
このくらいで一行は退散することにした。事務所を出ると、ジャックマンはつぶやいた。
「この買い物の時間が怪しいな。」