11.
ぽっかりと目が覚めた。
良く寝たと言う感想が真っ先に浮かぶくらい、気持ちの良い覚醒だった。
「うー、どんだけ寝たんだろう」
お腹を庇いつつ起き上る。
窓を見るとまだ明るい。
夜まで寝こけてしまった訳ではないらしい。
その点にはホッとしつつ、眠る前の事を思い出して無意識にため息が出た。
色々と聞いたような気がする。
けど、肝心な所を聞いていない様な、確証のない疑いも少しだけある。
疑いと言うより、何となく座りが悪い気がするのだ。
聖女様がどうのこうのに偽りはないと思うけれど、うーん。
何がひっかかるのか自分でも良く分からない。
勘なのか、ただの印象なのか。
「……どうしようかな」
お腹を撫でつつ、寝たおかげでスッキリと回り始めた頭で考える。
さっきは、ディーンさんと一緒に行く方に傾いていた。
今も、出産のリスクを考えると医者のいると言う神殿には行った方が良いと思っている。
むしろ行くべきだろう。
ハッキリ言って、行くと言う事が既にリスキーだとは思うけど。
素人知識で出産に臨む勇気はない。
「いかん。思考がループしてる」
切り替えよう。
スッキリしたと思ったのは勘違いだったらしい。
悩みが少しも進化していない。
とりあえず、行く事にしよう。
行くと決めた場合の懸念事項は何だろう。
「とりあえず、体調が不安だよね。後は、上手く神殿とかに着いたとしてちゃんと保護して貰えるのかしら」
女の少ない世界だと言う事だったから、いきなり拘束とかされたりとかされないだろうか。
いや、そこはさすがにフィズさんを信用するべきか。
言葉に出して整理していくと、結局似たような所で詰まってしまう。
「……フィズさんに一緒に来て下さいって言うのは駄目かな。駄目だよね」
情けない独り言を呟いて、ふうっと息を吐く。
何か飲んで落ち着いたら、部屋を出てまた話してみよう。
カップを手にするとそれだけでちょっと落ち着く。
指先が冷えているのが気になったので温かいお茶にする。
「ふう、美味しい」
ぽこんっとお腹が蹴られる。
たぶん、蹴ったのだと思う。
あんまり考えなくても良いのかな。
考え過ぎて墓穴を掘るのも馬鹿みたいだし。
ハッキリ言ってこれまでの人生、大した危険もなく過ごして来た。
一個だけ大きすぎる位大きな不幸はあったけど。
平和ボケ万歳な人生だった。
いきなり人を疑えとか、大局を見て行動しろとか無理すぎる。
今の所言えるのは、フィズさんは信用しても良い人だろう。
そうして、そのフィズさんの知り合いと言うディーンさんも良い人、だと思う。
言いきれないのは、恨んでるからじゃないよ。
と言うか、昨日出会ったばかりの人を信じるとか言えるほど子どもじゃないだけです。
ただ、その分はフィズさんへの信頼でカバー出来る。
私の中でのフィズさんへの信頼度を再認識して驚いた。
ここまで依存してて、それはそれで大丈夫だろうかと我がことながら心配になる。
いや、でも今日まで保護して頂いたご恩は忘れません。
「お別れは、嫌だなぁ」
我がままだとは思うけれど、希望くらいは伝えても良いかな。
言うだけ言ってしまって、後で恥ずかしさに悶えたり、後悔したりするのもありではないでしょうか。
いや、この考えはフィズさんへの迷惑を度外視している訳ですが。
悶々としていると、控えめなノックが聞こえて来た。
「カエ、起きているか?」
静かに憚るように落とされた声は、フィズさんだ。
「あ、はい。起きてます。ちょっと待って下さい」
ベッドの上で行儀悪くあぐらをかいていたので妙に慌ててしまう。
「慌てなくて良い。気分はどうだ?昼を食べれるようなら来ると良い」
「はい、行きます」
やっぱりフィズさんは紳士だ。
部屋に入って来ようとしない優しさを噛みしめつつ、残っていたお茶を飲み干した。
居間の方に顔を出すと、香ばしい香りが漂っていた。
フィズさんがパンを焼いてくれたらしい。
ただ、いつもならお腹が空くだろう匂いなのに、ちょっと気持ち悪くなる。
熱のこもった匂いが駄目なのだろうか。
口元を覆ってしまった私に、入り口近くの椅子に座っていたディーンさんが気付いた。
「おい、大丈夫か?」
「……えぇと、ちょっとごめんなさい」
我慢しようかと考えてもみたが、遅かれ早かれギブアップするだろう事は明白だ。
敵前逃亡も良い所だが、足早に窓に近寄ると新鮮な空気を吸い込んだ。
こもった匂いが逃げて、気分的にも落ち着いた。
「カエ、大丈夫か?」
台所に立っていたフィズさんが、慌てた様子でやって来る。
「大丈夫です。ごめんなさい、お昼用意してくれたのに」
これでは食べれそうにない。
「いや、そんな事は良い。何か食べられそうな物があるか?」
「うーん、焼いた物は臭いが駄目みたいなので」
何かあるだろうかと考えを巡らせるが、食べたいと思う物が出て来ない。
ここが日本だったら、心太に三杯酢をかけて、とか言えるのだけど。
ふとした思い付きだったが、頭に浮かぶと途端にそれが食べたくなる。
酸っぱいのが良いな。
きゅうって口がすぼまっちゃうくらい酸っぱいのが食べたい。
「それなら、果物でも採って来よう。少し待っていてくれ」
「え!大丈夫ですよ、落ち着いたら食べられるかもしれませんし」
無意識の内に口に出していたのかと慌てるがそうではなかったらしい。
「温めた物が駄目なら、パンは固すぎるだろう。今の時期なら、森に入れば果物ぐらいならすぐに見つかる」
確かに、フィズさんが時折、スモモに似た果物を採って来てくれる。
でも、毎日見つかる訳ではないらしいし、数だってそう多くない。
口で言う程に、簡単ではない筈だ。
引き止める口ぶりになったが、フィズさんは笑って休んでいるように言うと身軽に行ってしまった。
おおう、申し訳ないです。
有難さと申し訳なさに思わず玄関に向かって拝んでいると、ふわっと肩に何かがかけられた。
「ほら、座っとけ。寒さは身体に悪いんだろう」
うっかり存在を忘れていたがディーンさんがいたんだった。
フィズさんが居ない今、家の中に二人きり。
改めて認識するとちょっと緊張する。
いや、身の危険を感じる訳ではないが、あんまり親しくない人と盛り上がれるほど話上手な人間ではないのですよ。
「ありがとうございます」
羽織らせてくれたのは、見覚えのない男物の上着だ。
たぶん、ディーンさんの物だろう。
ずり落ちそうになる上着を両手で押さえて、ディーンさんが引いてくれた椅子に座る。
テーブルから離れた場所に椅子を引いてくれたのは、臭いが駄目だと言ったからだろう。
見た目はチャラいし、偶にヤクザな口調になるが、優しい人ではある。
「あのさ。あんたの、その腹の子だけど」
「はい、何ですか?」
決まり悪そうにお腹を見る目は、何だろう思春期の男子高校生のようだ。
「父親は?その、言える範囲で良いんだけど」
お腹を撫でていた手が止まった。
父親かぁ。
苦い笑いと共に答えようとして、白いシーツと甲高い機械音が頭の中を支配する。
「……っ!」
大きく息を吸い込んでふらつくのを堪えた。
「悪い、余計な事を聞いた」
慌てたディーンさんの声を聞きながら、どうしてと自分自身も慌てた。
ディーンさんは当たり前の事を聞いただけだ。
旦那さんの事を考える事は毎日のことだ。
忘れる事なんてないくらい考えている。
こんな時、旦那さんならどうするのかな、とか。
この料理は旦那さんも好きだろうな、とか。
頭の中ではいつも考えているし、思い出を振り返ってもこんな事はなかった。
なのに、口に出そうとした途端に駄目だった。
「なんで」
震える唇で自問する。
涙だけは根性でせき止めた。
ディーンさんにこれ以上、変な罪悪感を与えたくない。
「悪かった。大丈夫か?水でも飲むか?」
「いえ、あ、水を貰っても良いですか?」
咄嗟に断ろうとして、落ち着かない様子に水を頼んだ。
何かを頼んだ方が、気が楽になる場合もある。
お互いにね。
飛ぶように走っていったディーンさんから水を受け取って、湿らす程度に口をつける。
冷たい井戸水は、飽和した脳内を静めてくれる。
「ふう、お騒がせしました」
「いや」
気まずそうだ。
主に、私のせいでしょう。
分かっていても、雰囲気を盛り上げる話題なぞ思いつかない。
社内の飲み会でも、適当に親しい人と話してばっかりだった私に営業的な腕前は無しに等しい。
それでも無い知恵を絞り出せ、私。
「そうだ、フィズさんとは昔からの知り合いなんですか?」
共通の話題と言えば、フィズさんしかない。
「あぁ、そうだな。もう十年近くなるのか」
「それは長い」
変な相の手を入れてしまった。
どこの居酒屋の親父だ。
「ええと、王子様の部下だったんですっけ?」
「なんか、あんた言うと別に聞こえるな」
くっと喉を詰めるように笑ったディーンさんは、こう物慣れた大人の男の人っぽくて恰好良かった。
フィズさんにはないタイプの男の色気だ。
ちなみに私の周りにもいなかったタイプだ。
「フィジーは先祖代々近衛騎士を務めた生粋の騎士の家系だよ。俺は父の代からのなり上がりの騎士の家系だから、本当はこんなに馴れ馴れしく出来ない立場だけどな」
「へぇ、そうなんだ」
騎士か、部下って言ってしまったよね、私。
そして、生粋の騎士の家系ってなんか恰好良い。
なり上がりって言うのも、頑張っている庶民代表みたいで心惹かれますけどね。
「昔から仲が良かったんですか?」
「いや、割りと悪い方だった」
「へ?」
いきなりバッサリ切られた。
「だって、あっちは良い所のお坊ちゃんだぜ。俺なんて、平民で金も持ってねえし。僻んだ、僻んだ」
「あー、それは何か分かります」
こう立派な人って遠くにいるから憧れるんであって、近い所にいると羨むよね。
「分かるのかよ」
「だって、私だって庶民ですよ。庶民代表ってくらいには庶民ですよ」
「そうなのか?」
「そうですよ。私がお姫様に見えますか?」
「見えねえな」
「それは、それで酷い」
軽い言い合いを続けると空気が解けて行く。
内心でそれにホッとする。
「それがどうして、仲良く?」
「んー、まぁアイツはあれだろ。馬鹿正直だろう。男社会で、それじゃ駄目な事も多かったしな」
「あぁ、なんか目に浮かびます」
真っ直ぐで、真っ直ぐ過ぎて出世とか出来なさそうな感じ。
人として尊敬出来る資質って、会社では真逆の評価を受ける事が多い。
真面目って言葉が褒め言葉じゃなくなるのは、社会人になってからだ。
フィズさんは、そこのところが確かに下手そうだ。
そして、目の前のディーンさんはとっても上手そうだ。
「何だかんだで、手助けしてる内に一纏めにされる事が多くなって結果的にって感じだな。って、何語ってんだ」
恥ずかしそうに口元を覆ってしまった。
もっと語ってくれて良いのに。
「……フィズさんが、ここに居るのは真面目だったから、ですか?」
ふと気になっていた事を憶測混じりに聞いてみる。
騎士だったと言うフィズさん。
良い所のお坊ちゃんだったとディーンさんは言った。
そんな人が今は人気のない山奥に住んでいる。
私の中に、左遷と言う言葉が浮かんだのは仕方ない事だと思う。
普通に考えるとそうなるよね。
恩人に対して失礼な憶測をしてしまっているけれど。
ディーンさんは、少しの間黙ってしまった。
「そうだな。真面目な馬鹿だからだな」
吐き捨てる様な言葉、でも否定的な感情は含まれていなかったから冷たくは聞こえなかった。
「あのですね、ディーンさん。折角なので、ちょっとお話をしておきたいんですけど」
今、まさにお喋りはしていますが、今後についても少し話しておきたい。
目線だけで先を促したディーンさんに、少し温くなった水を飲んでから話し出す。
「ディーンさん、妊娠についてどれだけの知識がありますか?」
「へ?いや、そりゃ、女の腹に子どもが出来て、一年くらいで生まれてって言う事だろう」
あぁ、思った以上に知識がアバウトだ。
ちょっとくらっとしそうになった。
まさかの保健体育の授業をここで?
良い年した男に真面目な顔で講座を開くのか、どんな辱めだ。
「ええとですね。まず、妊娠期間と言うのは個人差がありますが、私の国では十月十日、だいたい十ヶ月ちょっとで生まれて来ると言われてます」
ほんとうにざっくりとした月数だが、昔から言われているだけあって語呂が良くて、割りと正確なのが凄いなと今改めて思う。
病院では週数を使うので、週で言うと出産目安は39周になる。
「とつきとおか」
ぼんやりと繰り返すディーンさんは、あんまりピンと来ていない様子。
折角の美形が台無しですよ。
「はい。この場合の妊娠初日って言うのは月経が止まった日になるので、実際は妊娠してないんですけど。だいたい妊娠の兆候が分かるのが二ヶ月目とか三ヶ月目とかですね。二ヶ月目くらいに受精卵が、ええと赤ちゃんの種?卵?が身体にくっつくと言うか、出来るので」
この世界に、精子や卵子と言った言葉があるのかも怪しいので、なるべく砕いて説明しようとすると微妙に卑猥な感じになった気がする。
ええい、悪いのは私じゃないぞ。
ちなみに、この辺りは病院で説明を受けてそうだったのかと私も驚いたので良く覚えている。
「そして、今の私は妊娠五ヶ月です。胎動、赤ちゃんもお腹の中で動き始めてくる頃ですね」
実際、もう元気に動き回っている。
まだまだ身体は小さいので、感じる胎動も微々たるものだがこれからどんどん大きくなって、胎動も力強くなるのだろう。
その事が楽しみでもあり、ちょっと怖くもある。
聞いた話だと、お腹が内側から赤ちゃんの足の形でぼこってなる時もあるらしい。
何そのホラーって聞いた私は思いました。
「その、動き回っても平気なのか?」
「安定期ではあるので、大丈夫です。ただ、あんまり激しい運動とかは出来ないですけど」
登山などもっての外ではあります。
ちょっとした運動とかはむしろ推奨されてはいる。
難しい顔になったディーンさんに、同じくこちらも難しい顔になる。
本当にどこまで自分が耐えられるのか、私自身にも分からない。
「一日かけて、山を降りる所からだな。あとは、村についたら馬車を手配して休み休み行くか」
「ここから村までってどのくらいですか?」
フィズさんが日帰りしている位だからそこまで掛らないのだろうとは思うけど、と気楽な気持ちで聞いてみた。
一時間とかぐらいかな。
それでも徒歩だとキツイよね。
「俺やフィジーで三時間の距離だ。アンタを連れてとなると、半日はかかるか」
「あちゃー」
思わず情けない声が出た。
日ごろから動き回っている男の人の足でも三時間。
ディーンさんと目を見合わせていると、玄関から物音がしてフィズさんが帰って来た。
「どうした?」
情けない顔を並べた私たちを見て、フィズさんも驚いた顔だ。
いえ、残酷な現実に途方に暮れているだけなので、お気になさらず。