シュッツガルド・ディーン編
帝都から馬で三ヶ月。
あちこち寄り道していたから、実際はもっと掛ってたどり着いたのは辺鄙な村だった。
洗練された帝都とは比ぶべくもない寂れた村の様子は、しかし今まで巡って来た村々とはそう大差がない。
辛うじて開いていた厩に長旅を共にした馬を預ける。
ここから先は馬では厳しい道のりになる。
見た目は左程でもない山だが、村の人間に話を聞けば麓近くはなだらかな地形だが上に行くに連れて峻険さが増すらしい。
村の人間もあまり奥までは入らないようだ。
何故、そんな所に行くのだと問われて苦笑いで返す。
「知りあいが居るんでね」
そう言えば、何人かが訳知り顔で肯いた。
「あの兄さんの知り合いかね」
「知ってんのか?」
「あぁ、たまに降りて来る。山から降りて来るのは兄さんくらいだ」
だろうな、と思いつつ丁度良いと最近の様子についても聞きこんだ。
「あんまり兄さんは喋らんからなあ」
「そう言えば、この前は珍しくすぐに降りて来たな」
「そうだな。最近は良く顔を見るな」
確認し合う村人たちは、けれどそれ以上の話題は持っていない。
左程、期待もしていなかったので予想通りでもある。
山の暮らしなら、潤いも必要だろうと近くの店で酒瓶を数本購入した。
「さて、登るかね」
長々とした山道は、話しの通り進むに連れて険しくなる。
それでも、岩登り等がないだけマシと言った道のりだ。
低く垂れこめた枝を払いのけて、丸まった背中を伸ばすため立ち止まった。
山道を登る事に集中していると自然と前かがみになる。
「うお、痛え」
思いの外、強張っていたらしい背中が盛大に音を立てた。
視線が上になった途端、目指す先の小さな屋根が見えた。
黙々と歩いていたら、目的地まで近づいていたらしい。
気合を入れて最後の頑張りで足に力を込めた。
家と言うか、小屋と言うか。
質素な佇まいは、あの男には似合っているのかも知れない。
帝都に居た頃は、馬鹿みたいに大きな屋敷に住んでいた。
あの家は、あの家で似合っていた。
生まれ育った家なんだから当たり前か。
でも、目の前の小屋としか言いようのない家も違和感はない。
獣避けの門を開けて、玄関に立つと躊躇いなく扉を叩いた。
が、反応がない。
まさかの留守か。
ここまで来ておいて、冗談だろ。
何度も扉を叩くが誰も出て来ない。
だが、何者かが息を顰めているような空気は感じ取れた。
怪しまれたか。
いや、それにしても出て来ないのはおかしいだろう。
せっかく友人が訪ねて来たのに、放置はねえだろ。
不審な思いで家の周りを巡る。
裏庭だか畑だか分からん場所に面して窓があったので、そこから覗きこんで驚いた。
人が居る。
扉の方を向いて、窓には背を向けているが子どもらしい。
あいつの家に子ども?
従騎士ですら傍に置きたがらなかったあの男が?
離れていた年月が、堅物にも変化を与えたのか。
気付かれないように観察していたつもりだったが、家の中の子どもは振り返った。
バッチリと目が合って、子どもが目を大きく見開かれる。
驚きだか恐怖だか。
引きつった顔で、こちらを見て来ると止める間もなく駈け出して行かれた。
「おい、こら!」
まるで不審者扱いじゃねえか。
転がった椅子に、子どもがどれだけ驚いたのかが伝わって来る。
「……仕方ねえ、待つか」
これ以上、驚かせても可愛そうか。
玄関へと戻って、外に置かれていた椅子に落ち着く。
野宿にも慣れた身だ。
外で待つくらいは、楽なもんだ。
長閑な山の中。
日差しも温かで眠たくなって来る。
いつ帰って来るかも分からん奴を待っているのだ。
仮眠くらい取っていても問題ないだろう。
椅子に背を預けて数秒。
即座に眠りに落ちた。
眠って起きてまたしばらく待った後で、ひどい渋面顔の奴がやって来た。
友達思いの優しい友人が来てやったんだ、もっと喜べよ。
もともと近衛騎士団でもあった俺が、帝都を離れる事になったのは聖女降臨のお告げがあったから。
通常であれば、神殿騎士団が動く案件だが、今の状況下では神殿騎士団は身動きが取れない。
神殿にいる女性たちへの対応と警護で手いっぱいだからだ。
不安定な情勢で、神殿に忍び込もうとする輩は引きも切らないらしい。
家族や恋人を思う侵入者たちの気持ちは分からないでもないが、同じ騎士として神殿騎士団には同情する。
勿論、そんな同情を退く輩以外にも馬鹿はいる。
そう言った人間には容赦は無用だ。
厳罰を土産に刈り取られて行っている筈だ。
話がずれたが、そう言った理由から比較的手が空いている近衛騎士団に話が回って来た。
皇族の警護が主要な仕事である近衛騎士団は、皇族が出歩いたりしない限りは大掛かりな警護体制は不必要だ。
現皇帝陛下は、その辺りがとても柔軟で優しい方だ。
聖女の保護を一番にと外回りの公務を一時中止と言う決定を行った。
おかげで俺も帝国中を走り回る事になった訳だが。
まぁ、城の中で四六時中ジッとして居るよりも気楽で良い。
持たされた判定の水晶は、活躍の場がないまま半年が過ぎようとしている。
このまま取りだす事もなく旅が終わるかと思っていた所だったが、思わぬ所で活躍の場が生まれた。
ただの子どもだと思っていたフィジーの所のちいさいのが、実は少女だった。
あり得ないだろう。
この帝国での状況下で、何でお前が素性不明の女を匿っているのか。
神殿に保護も頼まずに暢気に暮らしている意味が分からない。
本気で山暮らしで頭が腐ったのかと疑った。
実際、少しばかり緩んでいたらしいが、もっと現実的な問題があった。
フィジーから寝床を借りてひと眠りしていた頃、そっと近づいて来る足音があった。
どんなに眠っていても近づいて来る気配に気づかないようでは近衛騎士は務まらない。
眠りの縁にいながらも意識だけは、忍び寄る足音を拾っている。
一度近づいた足音は、少し離れた場所で止まり、何だか奇矯な声を上げてからまた遠ざかった。
しばらく物音がしなかったので、また眠りに戻ろうとした所で今度は重たい何かを引きずる音と共に近づいて来る。
何だ。
警戒だけはしつつ、傍らに忍ばせていた剣をほぼ無意識的に握る。
やがて、気配は警戒域を越えて近づいた。
これ以上は、近寄らせては危険。
ほぼ本能に近い警戒体勢から、近づいて来た影を突き飛ばした。
呆気なく影は床に転がり、だが安心は出来ずに抜き放った剣を押し付ける。
小さな影は、唖然とした表情を暗がりの中から覗かせる。
「何をしている?」
「はっ、はい?」
どうして近づいて来たのかと尋ねれば、間抜けな返事が上がる。
寝入った人間に暢気に近づいて来る人間など、周りにはいない。
特に、騎士や警邏などの職種についている人間に不用意に近づくのは愚かな事だと子どもでも知っている筈だ。
「答えろ、どうして近づいた?」
何らかの意図があった筈だと重ねて問えば、震える声が返ってきた。
「ふとん……」
「……?」
あまりに予想外の単語に、声にならない疑問が生まれる。
何て言ったんだ、こいつ。
彷徨う視線を追い駆けて見れば、床には重そうな掛け布団が転がっている。
まさかとは思うが。
「コレを俺に?」
念のため尋ねれば、数度の肯きが返される。
「寒いかと思って」
遅れてもたらされた説明に全身から力が抜ける。
アホか、こいつは。
「なんだ、驚かすな。間者かと思っただろうが」
耄碌したあいつが、とうとう敵国の人間を引き入れたのかと疑ったぞ。
だが、どう見ても抜き身の剣に怯えている子どもに、そんな高度な真似が出来るとは思わない。
今も震えて床に倒れたままの子どもに剣を仕舞って手を差し伸べる。
「悪かったって。ほら、立てるか。もう乱暴な事はしねえって。ほらよ」
警戒する子どもに、無理やり手を掴んで引っ張り上げる。
「うわわわ」
訳のわからん言葉を上げつつどうにか立ち上がった子どもだったが、すぐに倒れ込んで来る。
足腰の弱い奴だな。
呆れて支えてやると、慌てたのか寄りにもよって首にかけていた“信託の石”の上に手を付きやがった。
水晶でもある石はそれなりにゴツゴツとしているせいで、胸に食い込むと普通に痛い。
つか、神聖な石だ。
こんな事で壊されたら洒落にならん。
「あぁ、無事だな。つか、俺が痛ぇよ、ちくしょう」
「それは、良い気……スミマセン」
何か、聞き捨てならん言葉が聞こえたが、子どもは明後日の方向を向いて誤魔化している。
案外、良い性格をしてるんじゃないか、こいつ。
石を引っ張り出して傷が無い事を確認していると、目の前に揺れている石が気になったのか子どもが手を伸ばして来る。
猫か、お前は。
呆れつつも、別に触れられて困る物でもない。
何となく見守っていると、子どもが触れた瞬間に石が光った。
今まで、触れる相手すら見つけられずに居た石が、あっさりと。
余りの事に、唖然とするしかない。
まさかだろう。
「あの、ディーンさん?」
不思議そうな顔でかけられた声に、我に返る。
「どう言う事だ?お前がそうなのか?」
「え?」
掴みかかるようにして問い質す。
何も分かっていない顔に、焦れる。
長い間、探し続けていた人物が目の前にいるのだ。
幸運を喜ぶ前に、理不尽な采配に目眩がしそうだ。
「ちょっと、痛いって!」
小さな悲鳴を聞いて、慌てて手を離す。
そんなに力を入れた覚えはないが、改めて子どもを見下ろして、その細さと小ささに愕然とする。
そうか、女と言うのは男よりも弱い存在だった。
痛そうに腕を摩っている姿を見ながら、動揺を抑える。
混乱するな。
落ち着いて考えろ。
“信託の石”が間違える事はない。
光ったと言う事は、それが正しいのだ。
「いや、でも移民なら該当しない筈だ。どう言う事だ……。いや、良い。お前、ここを動くなよ!」
考えれば、考えるほど混乱していく。
埒が明かねえ!
一先ず、フィジーを叩き起こして話を聞こう。
あいつ、まだ何か隠してたんじゃねえだろうな。
殺気だったまま、奴の寝室の扉を叩き開けた。
一通りの説明やら経緯やらを説明して、どうにか神殿に行く方向で話が決まった時には丸っと一日が経過していた。
振り返れば、一日で済んだ事が短い様な気がするが、気分的には長かった。
あり得ねえだろ。
選ばれた聖女候補が、その、妊婦だったって。
神殿の奴らが知ったら卒倒するんじゃねえか。
大丈夫か。
神殿の長って結構な爺さんだったぞ。
何より、年齢が若すぎる。
帝国では女性の成人は15歳と定められている。
もちろん、婚姻も15歳以上からでないと認められない。
婚約ならば制約はないが、正式な結婚となると子どもが産める年齢まで待つ事が定められている。
フィジーの所の子どもは、どう見ても15歳には達していないように見える。
もしかしたら、ギリギリ年齢はクリアしているのかも知れないが。
見た目だけだと不安になる幼さだ。
フィジーに相手の事も聞いてみたが、具体的には聞いて居ないらしい。
状況だけを聞けば、確かに突っ込んで聞くのも憚られる。
この帝国で、女性を手荒に扱い、あまつさえ奴隷や道具として扱う事は重罪だ。
死刑で済めば温情とも言える刑罰が定められている。
話した所は能天気な子どもにも思えたが、分からない所で何かを抱えている可能性は十分ある。
あまり余計な事は探らない方が良いかもしれないが。
迷うのは、騎士として身元が不審な者への警戒心だ。
そこはフィジーが数カ月とは言え一緒に暮らしている所からある程度は差っ引けるが、気にかからないでもない。
「お前、この先どうする気だったんだ?」
あの子どもが、先に休んで二人きりの家の中。
ふとした疑問を聞いてみる。
このまま時が満ちれば子は生まれるだろう。
その時に、どうやって乗り切るつもりだったのか。
それとも、その時が来る前に何らかの手を打つつもりだったのか。
「……カエの体調が落ち着けば、近くの神殿へ行くつもりだった」
「それ、あいつには言ってなかっただろ」
「あぁ、あまり負担をかけてはいけないかと思っていた」
見た目が幼いとは言え、あの子どもは落ち着いた思考力を持っても居る。
フィジーがそう言う気遣いまでしていると知ったら、確かに入らぬ罪悪感まで持ちそうだ。
だからこそ、先回りしてでも守ってやろうとしているのだろう。
帝都に居た頃には、あまり見なかった過保護さだ。
いや、責任感と優しさはあの時にも見え隠れしていたが、こうまで開けっ広げに表現はされていなかった。
大切なんだろう。
良い事だ。
切り捨てられない対象を持つのは、それが枷になり、生にしがみ付く理由になる。
あの頃、この男にはその対象がいなかった。
だからこそ、あっさり立場を捨て、友を捨てた。
歯がゆく思い、自分の力不足を痛感した出来ごとだった。
それでも、女神の加護は続いていたらしい。
ここに来て手に入れた物があるのなら、女神の思し召しも残っているのだ。
もしくは、ようやく許されたのかもしれない。
一度は裏切った人間たちをその慈悲深さですくい上げてくれたのか。
何にせよ、ありがたい。
「まぁ、良いや。どちらにせよ、お前にとっては時期が少しばかり早まっただけの事だな」
「数日は様子を見る時間が必要だろう。この家も、手入れをしておかないといけない」
「適当で良いだろ、そんなもん」
あっちの体調を見る事は賛成だが、この小屋にまで手を入れる意味が分からん。
帰るつもりがあるのか。
嫌な気持ちで見やると、何とも曖昧な表情を浮かべた奴が居る。
苛々した物を飲み下して視線を背ける。
顔を見ていたら手が出そうだ。
手酌で酒を飲んでいると、立ち上がった奴が外に出て行こうとする。
「あん、どうしたよ?」
「果物を取って来る。カエが起きたら、食べるだろうから」
「あっそ。気を付けろよ」
近くとは言え、夜の山は危険だ。
夜行性の獣も多い。
まぁ、こいつが簡単にやられるような男ではない事は知っている。
気楽に見送って、やれやれと杯を空にした。
細々と働く二人を見物しながら、たまに手伝わされながら数日はすぐに過ぎた。
最初は怖がっていたらしい子どもも、いつの間にか遠慮がなくなった気がする。
打ち解けるのが早すぎるだろ、お前。
もっと警戒しろよ、大丈夫か。
出会った頃の警戒心をこの子どもに持ち続けるのは難しい。
危なっかしくてそれどころじゃない。
お前、それは重すぎるだろ。
馬鹿だろ、頼めよ。
「あーもー、分かった貸せよ」
何だかぶつくさ言っている手から取り上げて荷物を移動させる。
こいつは、何だかかんだ言いながら全部を一人でやってしまおうとする。
フィジーの過保護が笑えなくなりそうだ。
「あ、ディーンさん、それはそっちじゃなくて、こっち」
「最初に言えよ、こら」
「言いましたよ!」
きゃんきゃん言う子どもを適当にあしらう。
まぁ、退屈はしなくて良い。
フィジーと二人きりだったら、もっと剣呑な事になっていたかもしれない。
色んな意味で、幸運だったと思おう。
「持って行く物の準備は良いのか?」
「ほとんどないので、大丈夫です。着替えと、後はこのカップくらいかなぁ」
考えながら言うその手には、何の変哲もない杯がある。
白木で作られたそれは、滑らかで使い易そうではあるが、突飛な物ではない。
ただ、その滑らかさが少しだけ気にはなる。
普通の村で作られている様な食器類は、もっと無骨な物が多い。
あそこまで滑らかさを追求した物は帝都でもお目にかかった事が無い。
それなりに高価な物ではあるだろう。
もしかしたら、この子どもの唯一の財産かも知れない。
「失くさないようにしろよ」
「もちろん!」
冗談半分に忠告すれば、大真面目に返された。
余程大事にしているらしい。
「ディーンさん、ついでに今度はこれもお願い出来ますか?」
「はいはい。次は何だよ」
段々と便利に使われている気がするが、しょうがない。
付き合ってやるか。




