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020_船旅

 魔汽船はフェーベの港を出航して外海に出ると、針路を北西に取った。

 前方は遮るものがまったくない大海原だ。

 波はほとんどなく穏やかで船はまったく揺れない。

 風もないが、そこは外輪を有する魔汽船、何の問題もなく進んでいる。


「海ってほんとに大きいですね!」

「フェーベの町がもうあんなに小さくなっちゃったニャ」

 ワイルドローズの面々は甲板で大はしゃぎだ。

 みんな渡し舟程度しか乗ったことがないらしい。

 俺も、船の記憶といえば修学旅行の時に乗った小さな遊覧船くらいのものだから、大海原を進むこの開放感に感動してしまった。


 すると突然、

「ダーリン、海ってすごいニャ!」

 そう言いながらチャロが元気良く飛びついてきた。

「そ、そうですね」

 俺は、彼女の勢いによろめきながらも何とか答える。

 彼女はフェーベの誘拐事件以降、ずっと俺にべったりだ。

 よほど気に入られてしまったらしい。

 俺は常に大きな子供を抱っこしているような状態になった。

 まあ、チャロは軽いからそれほど苦にはならないのだが。


 そんなチャロと話していると、何となく左腕に柔らかいものが当たった。

「タケルは船に乗ったことがあるの?」

 グロリアが俺の肩に手をのせ、耳元で囁きながら巨大な水風船を左腕に押し当ててきたのだ。

「……い、いえ、こんなに大きな胸、いや、船は初めてです」

 俺は左腕に全神経を集中させながら答える。

 グロリアとはテミスの一件以来、何となくぎくしゃくしていたが、チャロが俺と仲良くしているのを見て触発されたのか、嬉しい事にまたベタベタしてくれるようになった。


「タケル様、船酔いしたら言ってくださいね。ヒールしますから」

 さらに、今度は俺の右腕に手を添えながらリリアが話しかけてくる。

「ありがとうございます。今のところ大丈夫です」

 リリアはハリッサの一件以来、奴隷の俺を「様」付けして呼んでくれる。

 彼女にとって俺は神様のような存在らしい。

 しかも、俺は彼女から「胸をいつでも揉んでいい権利」を拝領している。

 残念ながら、ある障害によりその権利を行使できないでいるのだが。


 気が付けば、俺は三人の美女・美少女をはべらせている状態になっていた。

 奴隷の俺が主人の彼女達を、である。何とも不思議な光景だ。

 もちろん嬉しくないはずはない。自然と顔がにやけてしまう。


 そんな俺を少し離れた所から冷たい目で見ている一人の人物がいる。

 エステルだ。

 彼女は俺が他の三人と仲良くしているのを快く思っていないらしい。

 嫉妬? とも取れるのだが、彼女には忘れられない元彼がいるようだからそうではないだろう。

 単に「奴隷のくせに」ということか。


「せい、せい、やー」

 その時、船首の方から威勢の良い掛け声が。

「……何かしら?」

 グロリアが首を傾げる。

 みんなで声のした方に行ってみると、白い鎧を着込んだ人達が真剣な表情で剣の素振りに勤しんでいた。

「ああ、ヴァイロン軍の兵士達ね」

 彼らを見て、納得したように呟くエステル。

 そう、この船には護衛としてヴァイロン軍の兵士が乗り込んでいるのだ。

 海も魔物が出没するらしい。

 彼らは魔物から船と乗客を守る役目を負っている。

 大振りの両手剣を持ったウォーリアの兵士が四人、軽装備で弓を持ったアーチャーの兵士が六人、白いローブをまとったクレリックの兵士が一人と、彼らの稽古を見守る盾を持ったガーディアンらしき兵士が一人の総勢十二名。装備を白で統一していてとても格好良く見える。


 ただ、彼らの物々しさにリリアが少し不安になったらしく、

「……海で魔物に襲われたら逃げ場がなくてちょっと怖いですね」

 と、俺達にだけ聞こえるように囁いた。

 が、聞こえたのかガーディアンの兵士がこちらに近付いてくる。

「我々がいる限り、乗客の方々に危険が及ぶことはありません。安心して海の旅をお楽しみください」

 その兵士は自信たっぷりに言った。隊長だと思われるが、二十代後半くらいだろうか結構若い。

「強い魔物は出るの?」

「この辺りの海域ではそれほど強い魔物は出ません。たとえ出たとしても我々が素早く始末しますので何の心配もいりませんよ」

 エステルの問いに対し、隊長は不自然なくらいに胸を張りながら答えた。若い女の子を前にしてカッコつけているようだ。


 しかし、その隊長が戻っていった後、

「……大丈夫かしら、あの兵士達の素振り全然なっちゃいないんだけど」

 グロリアが意外なことを口にする。

「そうなんですか?」

「ええ、たぶん新米の兵士達よ」

 俺には強そうに見えたのだが、高レベルのウォーリアであるグロリアには頼りなく見えたらしい。

 ……強い魔物が出ない事を祈ろう。


******


 真っ赤な夕日が水平線の彼方に沈んだのを見届けた後、俺達は食事をするために魔汽船の食堂に移動した。

 甲板のすぐ下の階にあるその食堂は、天井こそ低いもののそこそこの広さがあり、十数卓ほどのテーブルが据え付けられている。

 壁にランプが掛けられ、木目調で統一されたシックな室内は、ちょっとした高級レストランのようだ。

 すでに何組かの乗客がテーブルに座って食事を楽しんでいた。


 俺達は六人掛けのテーブルに腰を下ろし、いくつかあるメニューの中から魚料理を選択。

「船旅がこんなに楽しいなんて知りませんでした」

「魔汽船は全然揺れないのね」

 みんな初めての船旅の感想を言い合いながら楽しく食事をした。

「この魚おいしいニャ」

「ヴァイロン王国は結構いいもの食べているのね」

 出てきた料理も手が込んでおり、この世界で食べたどの料理よりもうまかった。

 これはヴァイロン王国に上陸してからも期待ができそうだ。


 俺達は絶品の料理を次々に口へと運び、そして、テーブルの上の皿がほぼ空になった頃、

「今回のヴァイロン王国の仕事って、具体的にどんな魔物を討伐するんですか?」

 リリアがテーブルナプキンで軽く口元を拭いながらエステルに尋ねた。

「正確にはよくわからないわ。バウギルドの掲示板には何故か詳しい事が書かれていないのよ。ギルドの事務員にも確認したけど、ヴァイロン王国の魔物が活性化しているという事と、ヴァイロン王国がドーラの町のバウギルドに直接仕事を依頼してきたという事くらいしかわからなかったわ」

「ドーラの町?」

「ええ、ヴァイロン王国の北部にある町よ」

 この船が向かっているナディアの港は、ヴァイロン王国の港の中でドーラの町に一番近いらしい。


 エステルは顎に手を当てながら話を続ける。

「私が推測するに、ドーラの町は『魔界の門』の封印を守るためのヴァイロン軍の拠点にもなっているから、たぶん今回の仕事はそれに関係したものだと思うの」

 ……魔界の門?

 それを聞いて、俺は以前エステルに教えてもらったグロリアの過去の話を思い出した。

 闇エルフは、魔界の門が発する強力な魔力によって突然変異を起こした森エルフだという話だ。

 チラッとグロリアを見ると、彼女は腕を組み、目を閉じてエステルの話に耳を傾けているようだった。


 ……でも、魔界の門というのはそもそも何なんだろう?

 そう思っていたら、

「……魔界の門て何ニャ?」

 と、チャロが首を傾げながらエステルに質問した。

 どうやらチャロも知らないらしい。

「魔界の門というのは、この世界と魔界とをつなぐトンネルのようなものよ。普段は完全に封印されているんだけど、私がフェーベで集めた情報によると、今その封印が少し緩んでしまっているらしいのよ」

「封印が緩んだ?」

 眉間にしわを寄せながら小声で確認するリリア。

「ええ、それでそこから大量に魔物が出現してしまい、ヴァイロン軍では押さえ切れなくなってバウギルドに助けを求めてきたんじゃないかしら」

「……魔界の門は千年くらい前にも一時封印が緩んで世界が大混乱に陥ったことがあるらしいから、ヴァイロン軍が助けを求めてきてもおかしくはないわね」

 エステルの推測にグロリアも納得したように頷いた。


「……魔界の門ですか、厄介な仕事になりそうですね」

 そこまで聞いて、リリアは不安になったのか複雑な表情で呟いたが、

「でも、それだけに懸賞金は桁違いよ。成功すれば一気に大金持ちだわ」

 逆にグロリアは目を輝かせた。

 ……大金持ち。

 シンプルだがこれほど魅力的な言葉はない。

「詳しい事はドーラに行ってみなければわからない。でも、今回のような事はバウにとって何百年に一度あるかないかの大仕事だろうから、多少の危険があっても挑戦してみる価値はあるわ」

 エステルがそう言うと、みんなも決心したように頷いた。

 ……バウにとっては世紀の大イベントというわけか。



 俺達は食堂を後にし、客室に戻った。

 今回、ワイルドローズが借りたのは二等船室だ。

 両脇に二段ベッドがあり、真ん中にソファーとテーブルが置かれている。

 ソファーも使えば五人が泊まれる部屋だ。

 エステル達の財力なら一等船室でもよかったのだが、あいにくツインの部屋しか空いていなかったらしい。


 ……俺はソファーだな。

 そんなふうに思いつつ部屋に入ると、

「ダーリィン、私のベッドで一緒に寝よぅ」

 と、俺を見上げながらチャロが甘えてきた。

 猫族だけに、そのかわいらしさはもう人間レベルではない。

「は――」

 俺は迷わず「はい」と言おうとしたのだが、言い切る直前に、

「タケル様、もしよろしければ私のベッドで……」

 と、チャロに対抗するかのようにリリアが手をぎゅっと握ってくる。

 色白の顔を真っ赤にしてとても恥ずかしそうだ。

 それでも俺を誘ってくる健気さにキュンキュンしていると、

「タケルは巨乳が好きなんだから、私と一緒に寝るの!」

 今度はグロリアが後ろから抱きついてきた。

 せ、背中に水風船が思いっきり当たっている。

 あぁ、いつぞやの夜のように黒いポッチを押したりつまんだりしてみたい……。


 俺は三人の美女・美少女に迫られ、どうしようか悩んだ。

 ……誰か一人を選ぶことなんかできない。

 ……ならばいっそのこと床に毛布を敷いてみんなで寝るのはどうだろう?

 ……そうすれば平等だし、けんかにならずに済む。

 ……でもそれって、いわゆるハッ、ハッ、ハーレムってことになるのか!?

 俺の下半身が男にとって最高の解答を導き出したまさにその時、

「だめだめだめ、奴隷を甘やかしちゃ!」

 エステルが腰に手を当てながら怒鳴り声を上げた。

「タケルはソファー、他は自分のベッドで寝なさい!」

「……わかったニャ」

「……わかりました」

「……仕方ないわね」

 エステルにたしなめられ、三人はしぶしぶ自分のベッドに向かって歩いていく。

「……えっ、あの、いい考えが――」

 しかし、ハーレムという単語を頭の中から消去できないでいた俺は、去り行く彼女達に先ほどの提案をしようとした。

 が、エステルの強烈に冷たい視線を感じて沈黙せざるを得なかったのだった……。


******


******


「…………」

(……たけるー、どこだー)

「う、うぅん…………」

(……たけるー、お願いだから帰ってきてー)


「……はっ!!」

 目を開けると、板張りの天井が見えた。

 暗い部屋の中、エステル達のかすかな寝息が聞こえてくる。

 ……夢か。

 首の辺りを触ると寝汗でびっしょり濡れていた。


 久しぶりに夢を見た。

 夢にはよく知っている人達が登場した。俺の両親だ。

 彼らは懐中電灯を持って必死に俺を捜していた。あの森の中で……。

 この世界に来てから両親の事などすっかり忘れていた。

 自分の事だけで精一杯だった。

 どうして急に彼らが夢の中に出てきたのだろう……。


 ……たぶんチャロの父親のせいだ。

 俺は昨夜会った猫族族長ペペの顔を思い浮かべた。

 彼は家出した娘の事を思って夜も眠れないほど心配していたらしい。

 彼が俺を処刑しようとした時も、その気持ちがひしひしと伝わってきた。


 ……俺の両親もやっぱり心配しているだろうか?

 俺はソファーに座って考え込んだ。

 俺はお袋に電話で「実家に帰る」とは言っておいたが、正確にいつ帰るとまでは伝えていなかった。

 でも、俺が帰るはずだった日の翌日には引越しの荷物が実家に届いたはずだ。

 だから俺がいなくなったことに気付いただろう。

 彼らは俺がブラック企業で苦しんでいた事を薄々勘付いていた。

 東京のアパートを引き払い、実家にも帰ってこないとわかれば、俺が失踪、下手をすれば自殺したと考えるかもしれない。

 彼らは俺が東京で就職することに反対した。

 俺はそれを完全に無視したが、今考えれば、彼らの反対は、たぶん俺の事を強く思ってくれていたからこそ発したものだったに違いない。

 ……相当心配しているだろう。そのせいで体を壊していなければいいが。


 どうも眠れそうにないな……。

 俺はみんなが起きないよう静かに部屋を抜け出し、薄暗い通路を通り抜けて甲板に出た。

 相変わらず風はない。

 ただ夜空には少し欠けた月があり、波のない海をぼんやり照らしている。

 俺は手すりに肘をつき、ぼーっと黒い海を眺めていた。


「……どうしたの?」


 その時、不意に後ろから声を掛けられる。

 振り向くと、エステルが不安そうな顔つきで立っていた。


「眠れなかったので……」

「……そう」


 彼女はそのまま俺の隣にきて、手すりにそっとつかまった。

「…………」

「…………」

 それからしばらく俺達は黙って海を眺めていたが、突然、


「……戻りたいの?」


 彼女が俺の気持ちを見透かしたように尋ねてくる。

「……いえ、俺自身はもうどっちでもいいような気になっています」

「そう」

「……でも、たぶん両親が相当心配していると思うんです。突然いなくなってしまったわけですから」

「そうよね……」

「だから、俺が無事でいる事だけでも早く知らせて、安心させてやりたいんですが……」

「……」

 エステルは何も答えず黙って海を眺めている。

「……まあ、でもどうしたら元の世界に戻れるかもわからないんですけどね」

 俺は彼女に気を遣わせないようわざと茶化すように明るく言ったが、かえって悲しく聞こえてしまった。


「…………」

「…………」


 しばらくの沈黙の後、エステルが口を開く。

「……あなたはよくやっている。だから今回の仕事がうまくいこうがいくまいが、あなたを奴隷から解放するつもりよ。みんなも反対はしないでしょう。その後、あなたが元の世界に戻れるように私もできる限り協力してあげるわ」

「ほ、本当ですか?」

「ええ」

「エステル様に協力してもらえるなら、とても心強いです!」

「フフ、任せておきなさい」

 彼女は自信有り気に笑った。でも、俺はそれが何となく作り笑いに見えた。


「でももう少しだけ付き合って。今のワイルドローズにはあなたが必要なの」

「もちろんです。前も言ったじゃないですか、最後までお供させていただきますって」

「うん、お願いね……」

 彼女は海を眺めていた。少しだけ寂しそうな顔で。


******


 次の日、穏やかだった海は昼過ぎ頃からにわかに波が立ち始め、暗くなる頃には大しけの状態になった。

 船は立っていられないほどに大きく揺れた。


 ……き、気持ち悪い。

 完全に船酔いだ。さすがにこれだけ揺れると辛い。

 「船酔いしたらヒールしますね」と言っていた頼みのリリアはというと、昼からずっとベッドにもぐり込んだままだ。

 彼女も船酔いしてヒールどころではないのだろう。

 ……ちなみにヒールは、船酔いに対して一時的な症状回復効果しかないらしい。

 エステルやグロリアも真っ青な顔をして寝込んでいる。

 みんな辛そうだ。

 ただ、チャロだけはまったく平気で、部屋の窓から荒れ狂う海の様子を退屈そうに眺めていた。

 猫族だけに平衡感覚が抜群なのだろう。

 結局、チャロ以外の面々は夕食もとれず、ひたすらベッドで耐え続けていた。


******


******


 ズズーン……


 ……?

 波とは異なる振動を感じて浅い眠りから覚めた。

 まだ窓の外も部屋の中も真っ暗だ。たぶん真夜中だろう。

 しけは今も治まっていないらしく、船は大きく揺れている。

 少し寝たおかげで多少船酔いはよくなっているようだが、まだ胃がムカムカする。

 俺は気持ちの悪さを感じないうちにまた寝てしまおうと思い、すぐに目を閉じた。


 ズズズーン……


 けれども、また変な振動が。

 ……何だろう?

 そう思った瞬間、カンカンカンという警鐘がけたたましく鳴り響いた。

「何!?」

 その音に、すぐにエステルが飛び起き、

「……魔物かしら?」

 グロリアも具合の悪そうな顔でベッドから起き上がった。

 するとまたズズンという振動。

 ……何か嫌な予感がする。

「甲板に行ってみましょう」

 エステル達はとりあえず武器だけを手にして部屋を飛び出した。

 俺も彼女達の後に続く。


 外に出ると、波しぶきが容赦なく顔に当たった。

 波が甲板を激しく洗っている。酷いしけだ。

 そんな中で、警鐘が少し耳障りなほどけたたましく鳴っていた。

 見ると、左舷の前方が明るくなっている。ライトリキッドで何かを照らしているようだ。

 俺達は手すりにつかまりながら、ゆっくりその明かりの方へ移動していった。


「何あれ!?」

 そこで、先頭のエステルが唖然とした表情で叫ぶ。

 船の左舷に何かがへばり付いているようだ。

 吸盤の付いた太い足が船の手すりやロープなどに絡みついている。さらに、その向こうには巨大な眼球と先の尖った胴体。

 かなり馬鹿でかいイカだ! 青白い光を放っている。

「クラーケンだわ!」

 グロリアが叫んだ。


 クラーケンとは高位の魔物に属する海の怪物だ。体が巨大で、足の長さを入れれば恐らく魔汽船より大きいだろう。普段は滅多に遭遇することはないとのことだが、取り付かれると大きな船ですら簡単に沈められてしまうほど強い魔物のため、船乗り達から特に恐れられているらしい。


 クラーケンの周りにはすでにヴァイロン軍の兵士達が集まっており、交戦中だった。

 ウォーリアの兵士達がクラーケンの足を剣で切りつけ、アーチャーの兵士達が胴体に向けて矢を放っている。

 彼らは勇敢に戦っていた。

 しかし、かなり苦戦しているようだ。


「うわぁっ!!」

 そんな中で、ウォーリアの兵士がクラーケンの足に巻きつかれ、海に引きずり込まれそうになる。が、

「っ!」

 それを見ていたチャロが目にも留まらぬ速さで船上を移動し、クラーケンの足をダガーで鮮やかに切り落とした。

 おかげで、兵士は何とか甲板の手すりにしがみ付き、辛うじて海に落ちるのを免れることができたようだ。


「あれを見て!」

 するとそこで、エステルが何かに気付いたのか傷を負ったクラーケンの足を指差す。

 その足の傷口からは泡のような物が噴き出していたが、その泡が少し盛り上がったかと思うと、ものの数秒で新たな足が生えてきた。元通りに再生したのだ。

「こいつ、手強いわよ!」

 グロリアが唸るように言う。

 ……だ、誰だよ、それほど強い魔物は出ないって言ったのは。

 そう思って辺りを見回すと、ヴァイロン軍の隊長は操舵室の後ろに隠れてガタガタ震えながら様子をうかがっていた。あれは俺の役なのに……。


「私達も加勢しましょう、みんなちょっといい?」

 エステルはそう言ってみんなを召集した。

「あの魔物は足を攻撃しても再生してしまうから意味ないわ。だから私は強力な魔法で奴の胴体を狙う。でもそうすると私が奴の攻撃目標になってしまうだろうから、グロリアとチャロは私を奴の足から守って」

「わかったわ」

「ニャ」

 クラーケンの胴体は船の外側だから、攻撃するならエステルの魔法に頼るしかない。

「リリア、船酔いしている人にヒール、それとグロリアとチャロに羽のバフを」

「はい」

 リリアはチャロ以外のみんなに一時的にでも船酔いが改善するヒールと、グロリア、チャロに羽のバフを素早く施した。

 羽のバフ、正式名は「ヘルメスの羽」、素早さの能力を上げる支援魔法(バフ)だ。

 バフには素早さの他にも肉体剛性や腕力を上げる魔法があるが、ここではクラーケンの足に捕まらないよう羽のバフが最良だとエステルは判断したのだろう。

「タケルは私をしっかり押さえていて」

「は、はい」

 船はしけにより大きく揺れている。

 何かにつかまっていないと転倒してしまう恐れがあるから、彼女は俺に押さえていてくれと頼んだのだ。

「じゃあ、いくわよ」

 エステルの掛け声に、みんなが力強く頷いた。


 即座に、エステルは呪文を唱え始める。

 同時に、グロリアとチャロはエステルの少し前に立って身構え、俺はエステルの腰に右腕を回してしっかり抱き込むと、左手でマストに巻かれている太い縄を掴み、足を大きめに開いて踏ん張る体勢をとった。

 リリアはクラーケンの足が届かない所で俺達を見守っている。誰かが怪我をすればすぐにヒールしてくれるだろう。


 前方ではヴァイロン軍の兵士達がまだ戦っている。ただ、だいぶ疲れてきているようだ。

 そんな動きの鈍くなった兵士の一人をクラーケンが捕まえ、また海の中に引きずり込もうとした瞬間、エステルがクラーケンの胴体に向かって杖をかざし、叫ぶ。

風の剣(サナ エソ トムキ)!」

 すると、杖から半月形の白い板のようなものが飛び出した。

 ザウル湿原で大ワニの魔物を切断したあの真空の剣だ!

 それは前方の手すりをいとも簡単に切断しながら猛スピードで飛んでいくと、クラーケンの胴体に吸い込まれるようにして当たった。


 ……やったか?

 期待を込めて見守っていると、一瞬の後、クラーケンの胴体がぱっくり割れた。エステルの魔法がクラーケンの体を切り裂いたのだ!

「おお!!」

 ヴァイロン軍からどよめきが起こる。

 クラーケンの胴体は完全には切断されなかったが、大きな穴が開いて、そこから大量の体液が漏れ始めた。かなりのダメージを与えられたようだ。

 すると、先ほどまで元気だったクラーケンの足の動きが見るからに鈍くなり、巻きつかれていたヴァイロン軍の兵士も自力で足を払いのけることができた。


 ……勝てる!

 俺はクラーケンの様子を見て確信した。

 が、しかし、そう簡単にはいかなかった。

 胴体の穴がシューシューという音を立てながら再生を始めたのだ。

 足ほどの再生速度ではないが、瞬く間に穴は塞がっていく。

「だめか」

 エステルの顔に失望の色が帯びる。


 クラーケンは胴体の傷が癒えると、体の色を真っ赤にし、今まで戦っていたヴァイロン軍を完全に無視してエステルに長い足を伸ばしてきた。

「イカのお化けめ!」

 グロリアが叫びながらその足を長剣で切りつける。

 チャロもエステルを守るようにして足への攻撃を開始した。


 クラーケンの足は何度も切り落とされたり、深手を負ったりしたが、数秒で再生してまたすぐに彼女達に襲いかかってくる。まるでゾンビだ。

「はぁ、はぁ、はぁ、……」

「にゃぁ、にゃぁ、にゃぁ……」

 次第に、グロリアとチャロの息遣いが荒くなっていく。

 リリアがヒールで彼女達を支援しているが、切っても切ってもクラーケンの足がすぐに再生してしまうため埒があかないのだ。

 加えて、クラーケンの足は10本。いくらグロリア達が優秀でも10対2じゃ分が悪すぎる。

 ……このままじゃいずれやられてしまう。

 俺は不安になって頼みのエステルを見上げたが、彼女は顎に手を当て、目の前の戦闘そっちのけで考え込んでいる。大丈夫なのだろうか。


 クラーケンの苛烈な攻撃に、とうとうグロリアとチャロがじりじり押され出した。

 もうそんなにもたない。

 だが、ここでようやくエステルが呪文を唱え始める。

 ……何か良い案が浮かんだのだろうか?

 俺は、彼女がふらつかないよう必死に押さえつつ彼女の作戦に期待した。


 その直後、エステルの杖から繰り出されたものは、

風の剣(サナ エソ トムキ)!」

 先ほどと同じ真空の剣だった。

 それは、前方で戦っているグロリア達の横をすり抜け、クラーケンの胴体を直撃。

 途端、その場所にまたも大きな穴が開いた。

 ……えっ、でも。

 この魔法じゃクラーケンを倒せないのは、さっきの攻撃でわかっているはずなのに。


 シュゥゥゥ……


 案の定、その穴はまた再生し始める。

 ……エステルは良い案が浮かばずに破れかぶれに放ったのか?

 そう思って彼女を見上げると、彼女はまだもごもご何かを言っているようだ。


 クラーケンの胴体の穴はみるみるうちに小さくなっていき、そして、あともう少しで完全に塞がるといったところまできたその時、エステルが満を持して叫んだ。


炎の砲弾(クエソ エソ クハエ)!」


 すると、彼女の杖の先に小さな火の玉が現れる。

 それは直径十センチほどの大きさだったが、顔を背けたくなるほどの強い熱気を帯びていた。相当の熱を持っているようだ。

 彼女は杖を使ってそれを頭上で一回転させ、勢いをつけてからクラーケンの胴体めがけて放った。


 ボォォォォ。


 杖から離れた火の玉は、後ろに炎の尾をたなびかせながら暗闇の宙を飛び、クラーケンの塞がりかけた胴体の穴の中に見事に入った。そしてその直後、穴が完全に塞がる。


 エステルはそれを見届けるや否や、大声で叫んだ。


爆発(イクモ)!」


 その途端、クラーケンの胴体が瞬間的に風船のように大きく膨れ上がった。

 エステルの放った火の玉がクラーケンの体内で爆発したのだ!

 胴体は爆発に耐え切れずにあちこちが破れ、そこから火を噴き始めた。


 形勢は一気に逆転。

 クラーケンは「ズゥオー」という苦しそうな音を発し、体色を赤や白や黒に変えながらのたうち回っている。もう戦闘どころではないようだ。

 破けた胴体の穴も焼け焦げてしまっており、再生されてはいない。


 それからしばらくの間クラーケンは狂ったように暴れていたが、時間が経つとともにその動きは急激に鈍化した。足の力は抜け、ぎょろりとしたその目も光を失いつつある。

 ……今度こそやったか?

 そう思った時、

「ラー! ラー!」

 という歓声が沸き起こった。

 ヴァイロン軍の兵士達が勝ち鬨の声を上げたのだ。

「……ふぅ」

 その声を聞いてエステルも安心したのか小さく息を吐く。


 ……勝った。

 そう思って俺は気を抜いた。抜いてしまった。

 気付いた時には俺の右腕からエステルがいなくなっていた。

「えっ!?」

 彼女がいたのは俺の遥か上空。


 クラーケンはまだ息絶えていなかったのだ。

 奴は長い触腕を船底から右舷に回し、まったく警戒していなかった背後からエステルをさらっていった。


 彼女は触腕に巻きつかれたまま海の方へと運ばれていく。

「エステル様!!」

 俺は必死に追いかけたが追いつけず、無情にも彼女は船の外側まで運ばれてしまった。

 ……!?

 と、その時、触碗がぐにゃりと曲がり、急に力が抜けたように見えた。

 このタイミングでクラーケンが息絶えたのだ。

「キャー!!」

 エステルは触腕もろとも大しけの海に中に落ちた。


「エステル様!!」

 俺はその後を追うようにして無我夢中で海の中に飛び込んだ。

 そしてそのまま彼女の落ちた辺りまで泳ぎ、辺りを見回す。

 しかし、見当たらない。

「エステル様!!」

 さらに叫びつつ、必死に目を凝らした。

 すると海の中に光る何かが。エステルの金髪だ!

 俺は思いっきり息を吸い込むと、その金髪めがけて海に潜った。


 彼女は暗い海中を漂っていた。

 ……エステル様!!

 俺は心の中で叫びながら死にもの狂いで手を伸ばし、何とか彼女の左手を捕まえることに成功する。

 ……よし!

 その後、今度は海面に向けて全力で泳いだ。


「プファッ!」

 海上に出ると、俺はすぐにエステルを抱きかかえ、たまたま近くに浮いていたクラーケンが壊したと思われる船の手すりを強引に引き寄せた後、急いで彼女をその上に乗せた。

「ゴホツ、ゴホッ、ホッ」

 幸い、彼女には意識があった。が、激しくむせた後ぐったりしてしまう。


「タケル、つかまって!!」

 そこで、船上からグロリアの声が。

 彼女は俺達を引き上げるために、縄の付いた木の浮き輪を投げてくれていた。

 しかもそれは狙いすましたように俺の目の前の海に浮いている。

 ……いける!

 俺はこの危険な状況から早く脱したい一心で、その浮き輪につかまろうと手を伸ばした。

 が、その時、運悪く俺達を巨大な波が襲う。

「くっ」

 俺はエステルを押さえながら波の中で必死に耐えざるを得なかった。


「はぁ、はぁ、……」

 やっと息ができるようになり、辺りを見ると、悲しいことに船からはだいぶ離されてしまっていた。

 グロリア達の俺やエステルの名を呼ぶ声がかすかに聞こえてくる。


 ……くそ。

 俺はエステルが乗っている手すりを引張りながら懸命に泳いだ。けれども、波に阻まれ、船からはどんどん離されていく。

 その間にも、山のように大きな波が俺達を何度ものみ込んだ。


 それでも俺は諦めずに無我夢中で泳いだ。がむしゃらに泳いだ。力の限り泳いだ。

 だが、波のせいですぐに船の位置がわからなくなり、そのうちに自分が波の上にいるのか、その中にいるのかもわからなくなり、そしてついには、何もわからなくなった……。

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