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プロローグ

ゆう-しゃ【勇者】

①勇気のある人。勇士。

②かつてこの世界を救い、今の文明を創り上げた第一人者。不屈の精神と飛び抜けた身体能力を持ち、あらゆる魔法を操る。二角族。有名な言葉に「どうやら、世界が我を必要としているとみた」がある。


 みんみんみん。じいじいじい。ちゅんちゅん。

 そこに着いた瞬間、耳に入ったのはそうした虫の音で、僕だって決して長い時を生きている訳じゃないけど、それでも人生の大半ーー七・八年は聴いていない音だった。


 上を見上げれば淡い青で、時折り吹く風が生い茂った緑をさらう。

 草木に混じって茶色い木造の家屋が乱雑に立つその風景も、遠い記憶のものと同じで、あまりにも美しい。

 今にも誰かの声が聞こえてくるような、そんな気さえするからタチが悪い。


 だから僕はそれを振り切るように、思い切り走る。

 伸び切った緑を掻き分け、漂う蝶を退け、顔に張り付く蜘蛛の巣を払って、もうめちゃくちゃに走る。

 はあっはあっという規則的な自分の息遣いと、虫の音だけの空間が頭を覆うことに酔いしれて、走る。


 足下が見えなくて何度も転びかけたからか、単に鋭い茂みを来たからか、手足には血が滲んだ。

 けれども僕はこの時どこまでも走り続けられるような全能感に支配されていたから足を止めるという考えは気づけば綺麗さっぱり消え去って、やっぱりひたすらに前へ進んだ。


 走り続けてどれくらい経ったのだろう。

 それは唐突に終わりを告げた。


 視界が灰に染まる。手足が痛い。息も苦しい。

 干からびた大地から色は失われ、瓦礫の山に先ほどまでのような面影はない。空覆う深い灰が、()()()()()()()影を落としている。


 そうして、僕は再び、金縛りにあったかのように立ち竦むしか無かった。




 しばらくの休止の後、()()から目を背けるように引き返す。

 この辺りは草の丈も低く歩きやすいと同時に、荒野の侵食を感じて、どこか哀しい。


 そうして、()が見えなくなる辺りまで来て、すぅ、はぁ、と深呼吸をすれば緑の匂いに包まれる。それは砂煙とは違ってどこか懐かしい匂い。


「ばーちゃん」


 そうだ。これは、婆ちゃんの匂いだ。

 七年間、二人暮らしをした、大好きな婆ちゃん。婆ちゃんと別れてからもう三年も経つことが信じられない。


 三年前。僕の十二歳の誕生日の翌日に、婆ちゃんは死んだ。

 婆ちゃんって言っても血が繋がっている訳じゃない。

 でも五歳の頃からはずっと二人だったから、家族も同然であった。


 それなのに、婆ちゃんは死んだ。人工臓器が損傷していたそうだ。

 詳しいことは理解(わから)なかったけど、僕が殺したようなものだと思った。

 治療に専念すればもっと長生きしただろうに、婆ちゃんは身体の具合が悪い素振りなど終ぞ見せなかった。いつも僕のことばっかりで、食事のメニューから一日の予定まで全て僕に合わせてくれていたことを当時の僕は気にもとめいなかった。

 両親を、友だちを失ってから、もう誰も失うまいと一丁前に心に決めておきながら。


 そんな婆ちゃんは僕にいろんなことを教えてくれた。

 最期など微塵も感じさせなかったとはいえ、最後の数年になって明らかに僕の将来について話すことが増えていたとも思う。


 旅をしろ、はそのうちのひとつである。


 僕がなにか綺麗な景色だったり遺物だったりを見つけると、その度に婆ちゃんは世界にはもっと綺麗なものが、言葉には表しきれない凄いものが沢山あると言った。

 婆ちゃんは若い頃に修行であちこちを飛び回ったそうで、それは辛く苦しいものだったけど、それ以上にかけがえの無い経験になったと、何度も言っていた。

 それを話す時の婆ちゃんの顔はまるで恋する乙女のようで、僕は純粋に婆ちゃんの楽しそうな顔が見たくて、よく話を聞いた。


「だから自分が何をすれば良いか、分からなくなったら旅に出なさい。そうして、いろんな物を見て、触れてみなさい。それで自分のやりたいことが見つかったら、そっからやれば良いのさ」


 婆ちゃんが死んで、世界にひとりぼっちになってしまった気がして、でもそんな僕にもう一度前を向かせてくれたのも、その言葉だった。




「うわっ」


 思わず声を上げると同時に自分の右足に目をやる。

 屋根でも崩れたのか、積まれた瓦礫に、片足が乗っている。爆撃の被害を受けてないからといっても、時の流れには逆らえない。

 崩れかけの床は、予期せぬ来訪者を支えるのは苦しそうだ。

 少しの逡巡の後、もう一度前に進む。


 そこは周りの建物に比べて比較にならないほど古く、というか最早遺跡と呼べる代物だった。石造りの小屋は屋根の一部が崩れ、その大半が木々による侵食を許しており、いつ倒壊してもおかしくない。

 小屋の脇には大きな水車があったが、僕の淡い期待など知る素振りも見せず、当たり前のように水路は枯れていた。


 神様勇者様、どうか私めに食糧をお与えください、なんて祈ってしまうほどには腹が減っていた。


 神。この地をつくったとされる慈愛に満ちた存在。


 そして勇者。はるか昔に魔王を撃ち倒し、人々をその脅威から救ったとされる救世主。

 確か勇者にはあらゆる加護を持ち、化け物じみた身体能力に、王級魔術の使い手だったとか。更には決して折れない不屈の精神を併せ持ち、人類最強の存在であったが魔王と相討ちなったと聞く。

 もし実在していたらと思うと正直恐ろしいが勝つ。そんなのがどこかの国に付くなんて考えただけで身の毛がよだつ。


 しかし僕は、基本的に神も救世主(ゆうしゃ)も信じていない。

 それらは弱者を救済するなどと言うが、熱心に祈る婆ちゃん(きょうと)が救われてたようには思えないからだ。


 僕たちはいつも飢えから脱するために試行錯誤した。

 畑の作り方を変えてみたり、もっと綺麗な水源を探しに行ってみたり。

 神に頼っていても、腹は満たされなかったからだ。


 そうは言っても、やはり辛い時は何かに縋りたくなってしまうのが人間なのだろう。一人になってから、こういうことが増えた気もする。


 辺りを見渡す。ところどころ光が差し込む室内は多くのものが散乱しており、崩れた棚には本と思しきものが混じっているがこの分だと読めたものではないだろう。


 そうして室内を目でなぞるうちに、ふと部屋の奥に目が止まる。


 そこには明らかにこのボロ小屋には似つかわない豪奢な机が鎮座しており、素材は木であるだろうに形を保ち、表面の黒い塗装も合間って異質な存在感を放っていた。


 僕は誘われるようにそれに近づき、その上に一冊の本が置かれていることに気づく。


 気づけば僕はその本を手に取って開いていた。

 分厚く、ずっしりとした重さが手に伝わる。レザーの表紙は埃を叩けば艶が戻り、そこだけ時が止まったままのようであった。


 『日記』


 そう書かれた中表紙を捲り、力強く書き殴られた文字を辿ると、まるで本の世界に入ってしまったかのように、情景が浮かんだ。


第1話 戦いの終わり へGO→→→→

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