09 ぐるぐる巡る
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「魔力回路?」
思わず聞き返したタツミにクヅキが訝しげな視線を返す。
「うん。お前、もしかして魔力回路も知らないのか?」
「いや、いや、さすがに知ってます」
タツミは手をパタパタ振った。
魔力回路なんて常識だ。小学生の子供だって知っている。しかしクヅキの疑う視線は緩まない。
「ほんとか。お前、ちょっと説明してみろ」
「え、え。えっと」
タツミは下にあるクヅキの顔を窺った。知ってはいても、説明するとなるとあやふやだ。
「あの、簡単に言えば、魔力を溜めるやつ、ですよね?」
タツミの回答は小学生のテストなら丸がもらえるかもしれない。高校生だと部分点も怪しい。
「うん、正解。まぁ、百点だ」
採点者が甘々だった。
「なんで回路って呼ぶかっていうと、円環状の紋の中で魔力をぐるぐる回してるから、だな」
「あ、そうなんですか」
「……そうなんですよ」
一応タツミには魔力があり、そして魔力や魔術についても義務教育程度には学んでいるはずである。
それなのに、魔力がなくて義務教育も受けていないクヅキよりも知識が乏しいときがある。どういうことだ、とクヅキも思う。
たぶん、タツミがアホだからだ。と思った。
「魔力ってのはエネルギーとしては消失しやすい、だろ。その人の魔力の質によっても違うけど」
「はぁ、まぁ」
タツミはまったく実感していない顔でうなずく。
「魔力は因子で生まれて体内をめぐる。で、使われなければ一定期間で消える」
つまり個人の魔力量は「魔力因子の数」「魔力因子の生産速度」「魔力の持続性能」の3要素で決まる。
タツミはこの3つがいずれも低い。だから魔力がどちゃくそ低い。
「それが体内での話だな。体外へ出た魔力はさらに不安定で、消えるまでの時間が早くなる。ってのは、ライドウの受け売りなんだけど。そうなのか?」
タツミは思い出そうとするように「ええっと」とつぶやいた。
「そう、ですね。出したらこう、ふわふわ~って飛んで消えてっちゃう感じですね」
正確に言えば、魔力もエネルギーであり保存の法則にのっとっている。消えているわけではない。
でもタツミにもクヅキにもそこまでの知識はない。目をつぶってあげてほしい。
「だから俺、魔術はニガテです」
複雑な術式を構成する間、体外へ放出した魔力を手元に留め、操り、消えないよう維持しなければならない。そんな器用な真似がタツミにできるわけがない。
「そういう意味でも魔導紋は便利だろ? 紋が魔力の拠り所になるからな」
「あ、なるほど。そうですね」
「ともかく、そういう消えやすい魔力を少しでも長持ちさせて、溜めて、魔術に使おうってのが、魔力回路だな」
魔力消費の高い魔術に利用されるほか、灯りのように効果を持続させたい魔動機にもよく利用される。
「魔力回路をいっぱい使ってたくさん魔力を溜めれば、俺とかもすごい魔術が使えるってことですよね」
「単純計算ならな。実際には、魔力回路使っても消えるまでの時間が長くなるだけで消えないようにできるわけじゃないし。回路の中での損耗もある。回路は他の紋とは絶対重ねられないからな、場所とるし。限りはある」
有用ではあるが万能ではない。そんなものだ。
「ともかく。そんな魔力回路だが。実は刺繍としてみると難易度が低い」
「……簡単、てことですか?」
「まぁな。基本使うのはランニングステッチだけ」
「ランニン……?」
「お前が最初にやった、上下上下刺してくだけのやつ」
「ああ、あの」
「スレッデッドランニングとかも使うけど。ランニングステッチの応用で、別に難しくはない」
刺し方を覚えるより名前を覚えるほうが難しいだろう、タツミには。
「あと紋自体もな。すげー定型式ってのかな。工房の他の紋に比べたら図案がシンプルだ。きっとタツミでもできる」
魔力回路は現代魔術に基づく魔導紋である。クヅキが作る古代紋のそれとは本質からして違う。クヅキの紋のような、異常な複雑さはない。
「てか、俺も魔力回路の紋はよく分からん」
そもそも魔力を溜め込むようなものをクヅキは感覚的に好かない。だから興味もない。
立ち上がったクヅキが棚をあさってファイルをひとつ引っ張り出してくる。
「ってわけで、うちで使ってるのはライドウが公開紋様を改良して作った回路なんだ」
クヅキは綴じられていた紙を一枚取り出してタツミに渡す。
「さすがにそこそこの性能だけど。ライドウも専門じゃないからな。本職の回路メーカーの回路図なんかと比べるとイマイチ、らしい」
しかしライドウも身を入れて改良してくれる気配はない。発展し尽くした魔力回路の開発はすでに頭打ちの気配がある。
「これがうちで使ってる魔力回路のひとつ」
タツミは渡された紙へ目を落とした。円環状の紋様が描かれている。
クヅキはシンプルだと言うが、タツミにはどこから始まってどう繋がっているかもよく分からない。目が回りそうだ。
「一番性能の高い回路だ。で、こっちがその回路を小さく簡略化したミニ回路」
クヅキが取り出したそれは、小さくて線の数がぐっと少なかった。
「まずはこのミニ回路をひとつ作ってみな。できそうなら、回路の仕事を任せる」
任せる。その一言にタツミの背筋がふるふるっと震えた。
しかし、突然作れと言われても、なにをどうすればいいのか見当もつかない。
「ええと、俺、どう、すれば?」
タツミは必要以上にうろたえている。クヅキは口元を緩ませた。
「ちゃんと教える。タツミ、ミシンの片付け方は覚えてるか?」
「え、あ、はい。たぶん」
「じゃあちょっと片付けてろ。俺は布とってくるから」
クヅキが部屋を出ていった。
その背が消えるまで目で追っていたタツミは、さてとミシンの片付けを始める。
ミシンが突然に動いたりしないよう、スイッチを切って。フットコントローラーを外し。上糸を回収してボビンも引っ張り出す。針はそのままにして。道具を収納にしまってからケースの蓋を被せる、だけ。
たぶん、これで良かったはずた。
クヅキが戻るまでの間、タツミは何度もミシンのあちこちをチェックした。
なにもはみ出してないし。大丈夫だと、思う。
「お、片付けたか。それは横においとけ」
戻ってきたクヅキの手には生成りの布があった。タツミはがたごととミシンを動かしながら、クヅキの行動を注視する。
クヅキは空いた机の上に布を広げた。布はハンカチぐらいの大きさだった。
「図案の転写方法もいくつかあるんだけどな。とりあえずペーパー使う方法な。これは平らな布に使う」
タツミはこくこくうなずく。
「布をひいた上に転写シートを乗せる。このシートは色がついてる面を布にあてろ」
クヅキがタツミに見せながら、シートを乗せる。
「その上に図案を重ねる。この三枚をテープでしっかり止める。で、上から図案をなぞると、布に写るってわけだ」
そう言いながら、クヅキは図案とシートを布から剥がした。やってみろ。そう言われるのだとタツミは思ったが、だが違った。
おもむろにクヅキがペンシルを取り上げる。
「まぁ、今説明したみたいに転写して、」
突然布へ直接書き出した。
途中色を変えたりして、瞬く間に魔力回路の下書きが出来上がる。
「できあがるのがこちらですね」
「……」
真顔でまじまじ見つめてくるタツミに対し、クヅキはやや唇をとがらせた。
「だって書いたほうが早いだろ」
書けるなら書いていいのだ。クヅキが書いた下書きは、見事に図案と寸分たがわない。
たぶん、クヅキにしかできない。
タツミはちゃんと手順を踏んで転写しなければならないだろう。
「今日はこれでやれ」
口をとがらせたままのクヅキが布を突き出してくる。タツミは神妙に受け取った。
「まずはこの指示書な。1枚目見ろ。この図を俺が青で引いた。分かるか?」
タツミにもなんとなく、分かる。
「で、次のこれが糸の指定。ポリエステルの5番な。色はなんでもいいぞ」
タツミはクヅキの糸棚へ刺繍糸を取りに行った。ポリエステルの棚の5番というのを見つける。色はなんでもいいと言われ、かえって迷う。
しばらく棚の前でうろうろ手を動かした末に、タツミは明るい黄緑色の糸にした。ちょうどクヅキの瞳みたいな色だ。気に入った。
「この5番の糸は太いから、一本だけで使う。で、指示書をもう一度見ろ。ランニングステッチ5ミリって指示だろ。刺し目を5ミリでやってみろ」
「はい。ええと、どこから始めるとかは」
「図で『S』って書いてあるところが刺繍の始点だ。そのSに数字がついてるだろ? S1、S2、S3って。その順番で刺してく」
図の分からないところは聞け、とクヅキは言った。
「分かったか?」
「あ、はい。たぶん。やってみます」
タツミにはそう簡単にできるとも思えないのだが。ただ、線をなぞって上下上下刺繍しろ、というだけならタツミが練習したのとそれほど違わない。
とりあえずやってみることにした。
「5ミリって、どれぐらいですか?」
「お前の裁縫箱にも物差し入ってるだろ」
「あ。はい」
最初は測りながら刺してみる。三針ぐらい刺したところで手を止め、タツミはクヅキに見せた。
「あの。これぐらいで、どうですか?」
クヅキが覗き、物差しで測る。
「ああ、これでいい。魔力回路のランニングステッチは、どれだけきれいに一定に刺せるかで回路の善し悪しが変わる。そこが頑張りどころだ」
刺繍の出来で魔力が回路を巡る際の損耗率が変わるのだ。雑に刺し目を揃えず作ると使い物にならない。
「タツミは器用で丁寧に刺繍できるからな。回路に向いてるんじゃないかと思うんだ」
タツミは下を向いて刺繍を続けた。
ときどきなぜだか鼻がぐずぐずして、盛大にすすり上げる。
「困ったらすぐ聞けよ」
自分の作業へ戻ったクヅキが向こうから声を飛ばしてくる。
タツミは黙ったまま大きくうなずいた。
もしもタツミに消えろと言う誰かがいるとしても。
タツミのために型紙を描いてくれる人や。タツミの仕事を考えて任せてくれる人が。そんな人たちがいるのだ。
だから、大丈夫だ。
鼻はかみましょう