03 目玉焼きは二個あってこそ目玉焼き
(´ー`)ノ
翌朝、ガンガンと激しく叩く音に驚いてタツミは飛び起きた。
慌てて薄暗い部屋のなかを見回す。音は扉を叩くものだった。
「ターツーミー! 起きろー!」
外からクヅキの大きな声がする。次はガチャガチャとレバーを上げ下げだ。
「あ、すみません!」
スプリングマットレスから転げるように降り、急いで扉を開ける。
慌てて開いた扉の向こう、まさに扉を叩こうと手をあげた姿勢でクヅキが立っていた。
「お、タツミ。やっと起きた。お前、いくらなんでもそろそろ起きろ。ってライドウが言ってるぞ」
起き抜けのタツミは目をしばたいた。
さて、今は何時なのだろう。
家政夫のライドウがタツミのためにと寝床を作ってくれたのは、物置代わりの空き部屋である。どうやら時計なんてものは置かれていない。窓にもブラインドが降りていて閉じているから薄暗い。
しかし扉を開けた外はもう十分に明るかった。
「ええと、すみません、今、何時ですか……?」
「ん、8時過ぎだ」
「はち、8時!?」
完全に寝坊だ。
普段のタツミはこんなに朝のんびり寝ていることはない。だいたいいつも家族より早く起きるのが習慣だ。今日に限って寝過ごしたことが自分で信じられない。
「そんな、俺、すみません!」
「いや、別にいいけど」
泊めてもらっておいて朝起きてこない。これは相当心証が悪いに違いない。
別にいいと言うが、タツミにはクヅキがどこか怒っているように見える。
「す、すみません。俺、」
「そんなことより、タツミ。扉閉めたら俺が入れないだろ! 閉めるなよ、お前」
やっぱり怒っていた。というか、むくれていた。
扉は簡単な魔術でくっつけることで閉まっている。だから開け閉めには少しの魔力が必要なのだが。
魔力のないクヅキには扉の開け閉めもできない。それで締め出されたことを怒っている、らしい。
「へ、あ、す、すみません」
謝りつつもタツミは内心で首をひねる。
昨日の夜、ここへ案内してくれたライドウから扉は閉めておけと言われたのである。開けておくと夜中にクヅキが夜這いに来るぞ、と。
もちろん冗談だろう。さすがにタツミだってその程度のからかいに引っかかりはしない。笑いとばしたのだが。
ひょっとして。まさか本当に。侵入しようとでもしたんだろうか。
「もう。せっかくびっくりさ……じゃなくって、優しく起こしてやろうと思ったのに」
ぶちくさ言いながらクヅキは睨んでくる。
もう一度すみませんと謝りながら、タツミはまた泊まることがあっても扉は閉めよう、と心に決めた。
扉が開いていたら、この人は入り込んで何をするつもりだった?
「ま、いいや。お前、それ着替えて顔洗ったらダイニングに来い。朝ご飯あるから」
クヅキがタツミの借り物の寝間着を指差して言う。
「あ、はい」
「洗面所の場所、知ってたっけ?」
「え、ええと」
「シャワー室の横。なんならシャワーも好きに使えよ」
「あ。ありがとうございます」
「ん」
用件を伝え終えたクヅキはさっさと帰っていく。それを見送ってからタツミは着替えるために中へ戻った。
適度なスプリングの利いたマットへ腰を下ろす。昨晩ライドウが魔術で生成してくれたものだが、よくもまあ即席で作れるものだ。タツミには絶対無理だ。
工房の家政夫なんかをしているが、実はライドウは偉大な魔術師なのだ。たぶん。
……たぶん。
あまり深く考えると恐いので、タツミは思考を止める。
働き始めて日の浅いタツミは、クヅキのことも他の人たちのこともよく知っているとは、まだまだ言えない。
けれど。みんないい人たちだ。
ここは、いい職場だ。ここで働けることが、タツミは嬉しい。
「……寝心地よかったなぁ」
名残惜しくマットをなでる。
タツミが寝過ごしたのは、絶対にこれのせいである。
***
「おはようございます」
タツミは言われた通りダイニングを覗いた。
たぶんライドウとかがいて、朝食を食べさせてくれるのだろうと思った。起きるのが遅い、と怒られるかもしれない。
が、ダイニングにライドウはいなかった。
クヅキの姿もなく、ブロッサが一人朝食を食べていた。彼女は工房のデザイナーで、ちょいと暴力的だが小粋なお姉さん、である。
「あー、おはよー、タツミ」
やや眠そうな顔で、いつになく間延びした挨拶をタツミへ返してくる。普段はおしゃれにあげている栗色の髪もまだ今は下ろしたままだ。
新鮮なその姿にタツミはどぎまぎする。
「あ、ええと。あの、ライドウさん、は」
「ライドウ? んー、洗濯じゃない?」
ブロッサは朝に弱いのだろう。
普段のはきはきした様子は微塵もなく、もくもくのんびり口を動かしながら言う。
「ほら、その上にタツミの分、あるから。スープとご飯は好きなだけよそって」
「あ、はい。ありがとうございます」
調理台の上にワンプレートが置かれていた。サラダと分厚いベーコンと目玉焼き、それにヨーグルトの器が山になって乗っかっている。
朝から大盤振る舞いだ。
タツミはうきうきご飯とスープをよそう。
やっぱり遠慮して食べたほうがいいのだろう、と思わないでもない。でもタツミ用に置いてあった茶碗ときたら、どんぶりみたいな大きさなのだ。
存分に食べろということだろう。タツミは存分によそった。
大きなトレーにのせてテーブルへ持っていくと、それを見たブロッサが目をまん丸くした。
「朝からずいぶん食べるのねー」
見ればブロッサの前にはスープとヨーグルトしかない。
「……俺、すみません。大食いで」
「ううん。感心してんの。育ち盛りの男の子だもん。そのぐらい食べるよねぇ」
クヅキの少食を見慣れてるとびっくりしちゃうけど、とブロッサが言う。
「あの、そのクヅキさんとかは、朝ご飯は?」
「もう済ませたんじゃない? いつも早いし」
やはりタツミは寝坊したのだ。急いで食べて早く仕事しよう、と思うが目の前のブロッサはのんびり食べている。
ここでタツミががつがつと食べたら、よほど食い意地のはったやつだと思われそうだ。
タツミは気を付けながら箸を運ぶ。
「そう、ですか。ええと、すみません、いま工房に住んでるのって……?」
「ブロッサとクヅキとライドウとモズクの四人。あとはみんな通い」
「あ、そうなんですか」
ブロッサは目の前で食べている。クヅキはもう食べ終えていて、ライドウもすでに洗濯を始めているらしい。
ということは、あと見ていないのはモズク、である。
「モズクさん、は?」
「モズク? んー。あんまり金庫から出てこないから。ご飯も一緒には食べないし」
モズク。タツミにとってこの工房で最も謎な存在だろう。
見た目は可愛らしい少女。でも無表情で素っ気なく、なにを考えているか分からない。
そして、本性は魔獣。金色のオオカミで、工房の金庫の守護である。ただし、食事は金属で好物は金。
金庫番の好物が金。……大丈夫なのだろうか。
そのあたりの詳しい話をタツミはまだ聞けずにいる。
なんというか、誰にどう聞けばいいのか、分からない。
「タツミは」
急に黙りこんだタツミに、今度はブロッサが話しかける。
「タツミの家は、何人家族なの?」
「え、うち、ですか? ええと、四人、と一匹です、けど」
タツミはもごもごと答える。
「へえ。四人ってご両親と、ご兄弟?」
タツミ的には“一匹”のほうを聞いてほしかった。てもブロッサは当然のように“四人”について聞いてくる。
「あ、はい。あの、ええと、父と母と、あと兄、です」
ちなみに“一匹”は猫だ。
タツミはなぜブロッサがタツミの家族のことなど聞いてくるのか、その顔をそっと窺う。
「ふうん。あ、ごめん。んー、なんていうか。実は昨日の朝、タツミのお母さんと話したのよね、あたし」
「へっ!?」
タツミの手から箸とベーコンが落ちた。びっくりした顔でブロッサを見つめて固まる。その反応にブロッサも少し慌てた。
「あ、あ、話したっていうか。別になにか会話したわけじゃなくって。ただ図書館を名乗って、タツミが帰ってるかどうか、それを確認しただけだけど」
「と、図書館?」
「うん、そう」
これでも闇工房の一員である。ブロッサも不用意に身元を明かしたりしないくせがついている。
「だから、ほんとに大して話してはないんだけど」
最初、通信のつながったタツミの母親は、とても愛想のいい人だった。それがタツミの名前を出した途端に素っ気ないものへ豹変した。
ブロッサにとっては、なんとも後味の悪い出来事だった。
「なんていうか。仲、良くないの?」
ブロッサは精一杯に言葉を選んでそう聞いた。
「あ。別に、悪いとか、そういうことは」
箸を拾いもせず、タツミは目を泳がせる。
「ただ、ええと俺、母とは血が繋がってないので、あんまり話したりとか、しないっていう」
「そうなんだ。親、再婚?」
「や、違、くて、その」
タツミはいわゆる“父が外に作った子”だ。
タツミがどうにも肩身の狭そうなのはそれが原因か、とブロッサは納得する。
一方で、子供にそんな思いをさせて父親はなにをしているのだろうと腹立たしさも感じた。
「お父さんは? タツミのお父さん、なにしてる人よ?」
「え。えっと、父は。あんまり家には帰ってこないので。俺、よく知らないというか」
実はもうずいぶん顔を合わせていない。たぶん仕事、なのだろうと思う。が、タツミは父の仕事も知らないし、父は母親以上によく分からない人だ。
「なにそれ」
ブロッサの発した呆れ声にタツミは肩をこわばらせる。
「あの、でも、別に、俺、そういうんじゃ」
おろおろと意味の分からない言葉をこぼす。
「俺、大丈夫で、だから、ほんとに、」
困った顔でタツミは言う。
だって家族がタツミに怒るのは、タツミの魔力が低くて家族の恥さらしなのがいけないのだ。とタツミは思う。
「俺、が悪くて、もっと、ちゃんと……」
尻すぼみになったまま、しばらく沈黙が流れる。
そしてブロッサのため息がもれた。
「タツミ」
「……はい」
名前を呼ばれ、タツミはさらに縮こまる。
「ご飯を食べたら、あんたの採寸、しよ」
「……俺、さい。え、さいす……?」
戸惑うタツミを見て、ブロッサはニヤリと笑う。
「タツミの紋衣。デザインができたら、次は採寸なの。せっかくカッコいいの描いたんだから、早く完成させたいでしょ」
早く食べてとせっつかれ、タツミは目を白黒させた。
20/03/31 工事しました。
(´・ω・`)/~~