第12話 ミステリ作家の苦悩 1/5
土日が明けた月曜日。
週初めは憂鬱になりがちだが、この日の朝、登校する翔虎、弘樹、寺川の三人の足取りは、ことさら重く見えた。
中間考査が終わった喜びもつかの間。テストが終わったら当然返ってくるべきものが返ってくる。
「これはこれは、チームヒロの皆さん。おはよう」
三人の背中から声を掛けたのは直だった。
三人はゆっくりと振り返り、か細い声で、おはよう、と返した後、重そうな足取りを再開させた。
「何だ何だ暗いぞ。葵ちゃんのステージで元気をもらったんじゃないのか」
直は三人の背中を順番にばんばんと叩いて回った。
「それとこれとは別」
寺川がため息をついて、
「それに、ショウは葵ちゃんのステージ観なかったろ」
「あ、ああ、そうだっけ……」
直は翔虎の顔を見る。
翔虎は、葵の名前が出ると、少し複雑そうな表情をした。
「それによ」
と、弘樹は、
「今日は月曜だから、朝礼で理事長の話があるだろ。朝っぱらからあの濃い話を聞くと胃もたれするんだよな……」
東都学園高校理事長、神崎雷道は、普段ほとんど学園に顔を出さないが、毎週月曜日に行われる全校朝礼には欠かさず出席し、講壇から全校生徒に向けて話をするのが慣例となっていた。
欠かさず出席、と言っても、理事長は朝礼の最後まで残ることはなく、自分の話を終えるとすぐに帰ってしまっているのだが。
「それだけ教育熱心だってことなんじゃないの? 遅れるよ、行こう」
直は玄関に向かって駆け出した。
「成岡さんは理事長の話、好きそうだよな」
と、その背中を見送って寺川が言った。それを聞いた弘樹も、
「ああ、やっぱ優等生は俺たちとは出来が違うな」
翔虎は、さらに複雑な表情になり、玄関の中に消えていく直を見つめた。
全校生徒が集まり並んだ体育館。
それを見下ろすステージの上、講台に広げた両手を付いた神崎理事長は、
「おはよう生徒諸君」
そう語りかけ、生徒の中から、おはようございます、という挨拶を返す間も与えず、すぐに喋り出す。
「若者は夢を持て。できるだけ多くの夢を。
大人になるということは、生きていく中でひとつずつ夢を捨てていくことだ。大人になって、ふと立ち止まったある日、自分の背負った篭の中に夢がひとつもない。すべて捨てきってしまった。それに気が付いたときの喪失感。それだけは味わって欲しくない。
君たちは何にだってなれる可能性がある。何だって生み出せる可能性がある。夢がない、何をやりたいのかわからない。そんな生徒もいるだろう。
とにかく何でもいいから拾ってみろ。君たちはまだ何だって拾うことができる。大人がもう拾えなくなってしまったものも、何だって。若いうちにできるだけ多くのものを拾い集めろ。捨てるのはいつだってできる。
大人になれば、否応なしに捨てざるを得なくなる――」
神崎理事長の話は、妙に生徒たちを引きつけるか、もしくは、有無を言わせない迫力がある。
校長が話す時とは違い、生徒の中から私語などはほとんど聞こえてこない。
神崎は話を終えると、いつものように足早に壇上を下りた。
その週はストレイヤーの出現もないまま木曜日となった。
この日の六限、数学の答案用紙が返ってきて、これで一年四組は中間考査の答案が全て返ってきたことになる。チームヒロ対成岡直の戦いに決着が付く。
「どうですか深井選手。もし負けたとなったらこれはかなり恥ずかしいことなのでは……」
翔虎がマイクを持つ真似をした手を弘樹の口元に向けた。
「……時は来た。それだけだ」
弘樹は神妙な表情で答えた。
「というか」
インタビューに割り込んできた寺川が、
「恥ずかしいのはショウも一緒だからな」
そんな三人の立つ隣の机では、直がチームヒロのメンバーの点数を集計している。
「……出ました」
と、シャープペンシルを置いて直は、三人の顔を見上げる。
「発表します……」
固唾を飲んで、もしくはそういう演技をして、三人は直の発表を待つ。
「勝者、チームヒロ」
直の口からその言葉が出た瞬間。三人は互いに握手を交わした。
「よかったな」
「みんな頑張ったもんな」
「俺はみんなを信じてたぜ」
翔虎、弘樹、寺川はそう口にして互いの健闘を讃え合った。
「うん、本当によかったわ」
と、呆れたように三人を見る直は、机の上を片付けて、
「じゃ、私、部室行くから」
「よし。また三人で葵ちゃんのイベントに行こうぜ」
寺川の言葉に、弘樹は、ああ、と、翔虎は、ひと呼吸置いて、うん、と答えた。
翔虎は答えてから直を見る。直は、すでに教室を出ていた。
「あ、噂をすれば」
部室に入った翔虎は、お疲れ様です、と挨拶をする前に美波からそう声を掛けられた。
「え? 南方先輩、何ですか?」
「直から聞いたわよ。中間テスト、勝負に勝ったそうじゃない」
「いやー、勝ったっていうか……」
と、頭を掻く翔虎。それを見た直は、
「そうよ、あんな勝負、私に勝って当たり前だからね。あんまり余裕持ったらダメだよ。三人とも、個別に総合点数を見たら、平均点以下だからね」
「まじで?」
翔虎は、そう言いながら席について鞄を机に置いた。
「翔虎ちゃん、現国は八十八点だったんだってね」
美波の言葉に翔虎は、
「ええ、おかげさまで。そう言えば、こころ先輩は……」
と、美波に抱かれて眼を細めるこころを見て、
「……合格だったみたいですね」
「ふふふ」
こころが細めていた目を開き、
「私は八十点ぴったりでした。どやぁ!」
「どやぁ、って。おめでとうございます」
翔虎の労いにこころは、うんうん、と頷き、
「だからこうしてみなみな先輩にだっこしてもらってるんです。ご褒美です」
「いつもと同じじゃないですか」
「うるさいです、尾野辺! 目標を達成した満足感があると、抱かれ心地も違うです!」
「八十点ぴったりって言うか、八十点ぎりぎりって言ったほうが正しくないですか?」
「本当うるさいわね! 何か文句あるですか!」
「僕は八十八点です」
「あんた! いちいち突っかかってくるわね! やるですか?」
こころは美波の腕の中で目を吊り上げてファイティングポーズを取る。
「いえ、やりません。すみませんでした」
翔虎は深々とこころに向かって頭を下げた。
「みなみな先輩! 私、やっぱり尾野辺にコケにされてます!」
こころは美波の背中に腕を回し、胸に顔を埋めた。よしよし、と、美波はその頭を撫でながら、翔虎に向かって、
「でも、ちょっと残念だな」
「何がですか?」
「翔虎ちゃんが八十点未満だったら、罰ゲームとして、私と一晩付き合ってもらうはずだったのにな」
「そんな約束してませんよね!」
「ダメです、みなみな先輩!」
がば、と美波の胸の谷間から顔を上げたこころは、
「それだと尾野辺のやつ、わざと八十点未満を取ってしまいます」
「そんなことしないから!」
顔を赤くして反論する翔虎に、
「本当かなー?」
と、突っ込みを入れてきたのは直だった。
「本当だよ!」
翔虎は直を見て念を押したが、直は冷ややかな目で、
「顔、赤いよ」
「そっそうだ」
翔虎は直から目を逸らして、
「南方先輩は何点だったんですか? 現国」
「ふふ……」
美波は含み笑いをして、
「九十八点よ」
「さ、さすが……」
翔虎は感嘆し、直も、おー、と声を上げた。
「じゃあ、矢川先輩は……あれ? 矢川先輩?」
翔虎は矢川を見た。
矢川は相変わらずノートパソコンに向かっていたが、いつもと違っているのは、その指が一切キーを叩いていないことだった。
普段であれば軽やかにキーボードの上でステップを踏んでいるその指は、腕を組んでいることで体と腕の間に押し込まれていた。
「何だかいつもと違うなと思ったら、矢川先輩がキーを叩く音がしてなかったんですね」
直も矢川を見て納得したように言った。
「先輩、何かあったんですか?」
翔虎は机越しに矢川に声を掛けた。その声が聞こえたのか聞こえなかったのか、しばらく無言だった矢川は、ようやく目を翔虎に向けて、
「尾野辺くん……」
「はい?」
「……書けないんだ」
矢川は目を閉じて、ため息を吐き出した。
「えっ? スランプ? 矢川先輩、いや、ミステリ作家、速水疾駆狼が?」
一大事じゃないですか、と言って翔虎は、ガタリ、と机に手を付いて立ち上がった。
「尾野辺くん」
矢川は立ち上がった翔虎を見て、
「頼みがある」
「はい。何でも言いつけて下さい」
「まだ途中なんだけど、俺の次回作を読んで感想を聞かせてくれないかな?」
「え? そんなことなら、ぜひ!」
「それとね、まだ書いていないんだけど、この事件のトリックの解答を教えるから、それについても感想聞かせてもらいたいんだ」
「えっ? ……それは駄目です!」
「どうして?」
「未完成作品のトリックだけ聞くなんて、邪道です」
「未完成っていうかさ」
矢川は頬を掻いて、
「まだ本になるかも決まっていないんだよ?」
「いえ、速水疾駆狼の次回作なんて、出版されないわけがないじゃないですか!」
「うーん……」
毅然とした態度の翔虎に、矢川は唸って首を傾げた。
「じゃあさ」
矢川は首を起こすと、
「トリックの解答はともかく、今まで書いたところまででいいから読んでみてよ。メールするからさ……」
矢川はマウスを操作しメールソフトを開き、メールを作成するため、ようやくパソコンのキーを叩き始めた。
しかしその指の動きから、いつもの軽やかさは消えていた。
ステップを踏むという比喩からは程遠く、薄氷の上をおっかなびっくり歩いている、というふうだった。
「じゃあ、俺、帰ります」
メールを送り終えると、矢川はノートパソコンを閉じて椅子から立ち上がった。
お疲れ様です、と残った部員たちに声を掛け、矢川は鞄を片手に部室を出た。
「僕、矢川先輩のあんな顔、初めて見ました」
翔虎は矢川が出て行ったドアを見つめたまま言った。
「そうねー」
と、美波は相変わらずこころを抱いたまま、
「ちょっと心配よね」
「そういえば」
翔虎は矢川が残していったノートパソコンに視線を移し、
「矢川先輩って、いつもパソコン部室に置いていきますよね。家では執筆しない主義なのかな?」
「こころちゃん」
との美波の声で、こころは、ぴょん、と美波の膝から下りて椅子に座った。
「矢川先輩はね」
そのこころが翔虎、そして直に向かって、
「色々大変なのよ」
「大変って、何がですか?」
翔虎の問いにこころは美波を向く。美波は頷いて、
「矢川くんの家は小さな工場を経営してたんだけどね」
と、こころから語り手をバトンタッチし、
「去年、倒産しちゃったの。それで、今は家族四人で2DKのアパート暮らしなの。とても家で執筆出来る環境じゃないのよ」
「えっ?」
翔虎と直は同時に驚いた声を出した。美波は続けて、
「矢川くんのお父様は体を悪くされていて、ほとんど家で横になっていらっしゃるそうだし、お母様は昼間はパート、夜は家事。弟さんはまだ小学生。他に病院にお婆様が入院していらっしゃるわ。
だから、矢川くんは家に帰ると、家族の世話で忙しいし、お父様たちがいるから、夜遅くまでパソコン開いて執筆してるわけにもいかなくて」
「そんなだからね」
と、こころが、
「去年出した本の印税も、ほとんど工場の借金を返すのに使ったみたい」
「……そうだったんですか」
そう言って翔虎は、沈黙した矢川のノートパソコンを見つめた。




