第9話 ストレイヤーの謎 1/4
「ねえ、自分で〈ディールナイト〉って名乗っちゃったね」
「う、うん、つい、うっかり……」
「どうして?」
「どうして、って……」
こころがストレイヤーにさらわれた事件の日の夜。バス停を下りて家まで帰る道すがら、直は翔虎の失態を諫めていた。
「どうして本人が、いち学生の翔虎が付けた名前を名乗るのよ。おかしいでしょ」
「……ごめん、今度から気を付けるよ」
「もう今度なんてないよ。〈ディールナイト〉の名前は本人公認になったって、もうこころ先輩あたりが言い回ってるわよ。きっと」
「うん……」
「それに――」
「まだ何かあるの?」
「あるわよ! 何、あれ。ディールナイトがいなくなったと思ったら、すぐに翔虎が同じ方向から走ってきて」
「あ、あれは……」
「しかも、手を振りながら『おーい』だって。怪しすぎるでしょ」
「こころ先輩が、僕がいないって怒ってたから、つい……」
「先輩たちには疑われていないみたいだけど、気を付けてよね。特に、矢川先輩は鋭そうだから、注意するのよ」
「わかってるよ」
「何、その言い方。私は翔虎のためを思って言ってるんだよ。翔虎が正体隠したいって言うから協力してるんだよ」
「うん、ごめん……」
翔虎は暗い表情で俯いた。
「……またそうやってすぐすねる」
「すねてるんじゃなくて――」
「ごめんね、私もまた言い過ぎちゃった」
直は翔虎の頭を撫でて、
「お疲れ様。今日もかっこよかったよ」
「あ、ありがとう……」
翔虎は少し顔を赤らめ、笑顔になった。
「――ディールナイトが。じゃあね」
直はそう言って笑うと翔虎の頭から手を離し、ひとり歩いて行った。二人がいるのは翔虎の家の前だった。
「うん、また明日」
翔虎が手を振ると、直も手を振り返した。
「……ディールナイトが、か」
翔虎は直に撫でられた頭を自分でも撫でた。
翌日の一限目はまたも自習となった。昨日の怪物騒ぎについての緊急職員会議が開かれたためだった。
一年四組の教室は、自習時間特有の騒々しさはいつもよりも抑えられていた。この傾向は一年四組だけではなく、他のクラス、学年でも同様だった。
四組の生徒の半分はいつものように〈自習〉とはほど遠い行動を取っていたが、残り半数は違った。一学期の中間考査が近いためだと思われる。
「どうですか、尾野辺さん。高校生活で初めて臨む試験の展望は?」
「はい、まったく自信ありません。きっぱり」
「きっぱり、って口に出して言うなよ」
弘樹と翔虎は、〈自習〉組ではなく、いつものように駄弁りに時間を費やしていた。
「そう思うんなら、少しは自習でもしろよな」
「そう言うテラはどうなんだよ」
翔虎は弘樹の隣に座った男子生徒に言った。
「俺にはサッカーがあるから」
「答えになってないわ」
グループには、翔虎と弘樹の他にもうひとり加わっていた。サッカー部に所属する寺川巧。サッカーや好きな漫画など、共通の話題を持つことがわかり、翔虎、弘樹と仲良くなったクラスメートだった。
「見ろ、直は真面目に自習してるぞ」
翔虎は、自分の机で教科書を開き、ノートに書き込みをしている直を指さした。今日は翔虎が席を移動し、弘樹の机の近くに座っていたため、直は自分の席にいながら、翔虎、弘樹と距離を近くしていた。
「あんたたちさ……」
直はシャープペンシルの動きを止めて、
「静かにしてくれる? せっかく深井が翔虎のところに行くから静かになると思ったら、何で今日に限って翔虎がこっちに来るのよ」
「成岡は頭いいから、それこそ自習なんてしなくていいだろ」
「こういう日頃の積み重ねが成績に出るんです」
「ちぇっ、いつもは自習になると、俺たちや女子と話し込んでるのに」
「メリハリ付けなきゃ。いつもぐうたらしてると、いざって時に何もできないよ」
「おおう、今のは効いた」
弘樹は仰け反った。
「効いたなら、その勢いで少しは勉強しなさい。同じ中学から来た友達が、二人とも赤点なんて、恥ずかしいからね」
「同じ中学の友達が成績優秀なら、逆に俺たちは鼻が高いよな」
弘樹は翔虎に言って、
「そうだな」
と、翔虎は答えた。
「バカ言ってないで。寺川くんも、友達は選んだほうがいいよ」
直は寺川に向かって言った。
「直、失礼だな」
翔虎は聞き捨てならないといったふうに、
「じゃあ、今度のテスト、勝負するか?」
「おー、いい度胸じゃない。もちろん受けて立つわよ」
「僕たちチームヒロ対直で」
「三人掛かりかい。ま、いいけど」
「その余裕がむかつくな」
「おいおい、俺をリーダーにしてくれるのは有難いけど、勝てる見込みはあるのか?」
「ヒロは名前だけ。実質のリーダーは僕。僕たち三人の合計点と、直ひとりの点数で勝負だ」
「成岡さんがいち教科につき、平均八十点取るとして……俺たちは、ひとり三十点くらい必要か……ショウ、ヒロ、どうだ?」
寺川は翔虎と弘樹の顔を見る。
「いける……と思う」
弘樹は顎に手を当てて言った。
「あんたたち、この条件で負けたら、しばらく立ち直れないわよ……」
直は頬杖を突いてため息を吐いた。
「へえ、直と翔虎ちゃんたちで試験勝負をするのね」
放課後の文芸部室。美波は直と翔虎から自習時間での話を聞いて、そう言った。
「そうなんです。私としては、ぜひ翔虎たちに勝ってほしいんですけど」
「直、その強者の余裕に足下を掬われるなよ」
「本当、負かして。もし私が勝っちゃったら、いたたまれないから」
直は翔虎を見た。その口調と視線は、憐憫といえる感情を湛えていた。
「そ、そんな目で見ないで……」
翔虎は直の視線から目を逸らした。
「じゃあ、我が文芸部も、中間考査のノルマを立てましょうか」
美波は、ぽん、と手を叩いた。
「えー」
即座に反応したのはこころだった。
「みなみな先輩、ひどいです!」
「大丈夫よ。文芸部だから、評価対象は現国のテストだけにするから。日本語を扱う部活に所属してるんですもの。そうね……」
美波は顎に人差し指を当てて、
「八十点以上は取ってほしいかな」
「厳しいです! みなみな先輩っ! 私、現国でそんな点数取ったことないです!」
「え? ……ないんだ」
と、翔虎が口を挟む。
「何ですか尾野辺! 先輩に対してそれは!『ないんですか』でしょ!」
「こころちゃん、突っ込むところ、そこでいいの?」
「そうだ、どうせなら盛り上がるように」
と、パソコンに向かっていた矢川がキーを叩く手を止めて、
「ノルマに届かなかったら罰ゲーム、ってどうですか」
「矢川先輩! てめえ、余計なことを言わないで下さい!」
「こころ先輩も、言葉遣い、ですよ」
直が諫めた。
「そうだねぇ……」
矢川はうーん、と考え込む顔をして、
「こころちゃんの罰ゲームは、エラリー・クイーン著『ギリシャ棺の謎』における、〈後期クイーン的問題〉の発生に関する事例と、その対処方法、の論文を書いてくる、っていうのはどう?」
「何ですかそれは? 私、まだ『ギリシャ棺』読み終わってません。クイーンさんが何か問題を起こしたんですか?」
こころは、ガクガクと膝を震わせた。
「尾野辺くんは……」
「ちょ、ちょっと」
さらに言葉を続けた矢川に翔虎は、
「僕もですか?」
「当たり前じゃないか。同じ文芸部の仲間だろ。もしかして、尾野辺くんも中学時代、国語で八十点以上取ったことない?」
「いえ、何回かあります。国語は得意でした」
「尾野辺、お前、どうして私のほうを見て言ったんですか! ちょっと校舎裏までツラ貸せです!」
「失礼します」
ドアが開く音とともに入ってきたその声で、こころは翔虎に指を向けたまま停止した。
「あ、お前……」
こころはドアの向こうに立つ男子生徒を見て言った。
男子生徒は、美波と矢川に小さく頭を下げた。
「確か……林くんね」
美波の言葉に、林はもう一度、先ほどよりも深く頭を下げる。癖の付いた長髪が揺れた。
「まあ、入りなよ」
矢川の言葉に林は、「失礼します」と言って文芸部室に入ってきた。
「で、何の用ですか?」
こころの問いかけに、椅子に座り、美波にお茶を出されて、ぺこりとあたまを下げた林は、
「……礼を言おうと思って」
「お礼?」
そう返したのは美波だった。
「はい、昨日の、あの怪物騒ぎのことで」
「お前に礼を言われるようなことは何もないです」
こころは言ったが、林は、
「お前、俺たちを助けてくれたじゃないか」
「別に……」
そう呟いて、こころは横を向いた。
「へえ……」
と、矢川が声を漏らした。




