第3話 高校生活始まる 1/4
「ハンカチ持った?」
「持ってる」
「定期は?」
「ある」
「お財布は?」
「持ってるよ……」
「教科書とノートは?」
「今日は入学式だから、授業はないよ」
「ああそう……じゃあ、えーと……」
「母さん、もう大丈夫だから……」
尾野辺翔虎は、真新しいブレザーの制服姿で母親のチェックを受けていた。
翔虎の母は、息子の全身を眺め、
「うん、やっぱり翔虎にはブレザーが似合うと思ってたわ。そうよね、父さん」
と、翔虎の父親に向かって言うと、満足そうに頷いた。
「ああ、そうだね」
翔虎の父親は、視線をネクタイを結んでいる胸元から上げないまま返事をする。
「もう、ちゃんと見てあげて下さい。ひとり息子の入学式なんですよ」
「母さん、僕、もう行くから。バスの時間が」
「あらそう? いってらっしゃい。頑張ってくるのよ」
「入学式で何を頑張るんだよ……」
「翔虎」
玄関に向かった翔虎は、ようやくネクタイを結び終え背広を羽織った父親に呼び止められた。
「何?」
振り向いた翔虎に、父は、
「気を付けてな」
「うん」
翔虎が返事をすると、
「ごめんくださーい」
玄関から成岡直の声が聞こえた。
それを聞いた翔虎の母は、いそいそと翔虎を追い越して玄関に駆けていき、
「あら、直ちゃん。まあー、きれいだこと!」
玄関に立っている、こちらも真新しい制服姿の直を見ると、胸の前で手を合わせ感嘆した声を上げた。
「おはようございます、おばさま」
直はにっこりと微笑んだ。
「直ちゃん、とてもよく似合ってるよ」
母の後ろから顔を出した翔虎の父も、そう言って微笑んだ。
「ありがとうございます」
「おはよう、直」
両親の後ろから翔虎も直に声を掛ける。
「おはよう、翔虎。ブレザー似合うね」
「でしょう」
翔虎を見た直の感想に、翔虎の母もそう言って、うんうんと頷く。
「もういいって……」
翔虎は、ため息混じりに呟いた。一足先に靴を履いた翔虎の父は、
「じゃ、お先に。行ってくるよ」
と、玄関を出た。いってらっしゃい、との三人の声を受けて、翔虎の父は車に乗り込み出勤して行った。
翔虎も靴を履きながら、
「直、別にバス停で待っててくれてよかったのに」
「入学式だし。寝坊してると悪いと思って」
「大丈夫だよ……」
翔虎は、これもおろしたての学校指定靴を履き終え、つま先で玄関の床を二、三度突いて、
「じゃあ、行ってきます」
「行ってきまーす」
直も翔虎の母に挨拶して玄関を出た。
「翔虎、この制服、スカート短い」
バス停までの道すがら、直はそう言って歩きながらくるりと回った。グレー地に赤と白のチェック模様のスカートがひらりと舞う。
「あ、見えた?」
直はスカートの裾を押さえて、翔虎に探るような視線を送った。
「み、見えてないから!」
必死な声で答える翔虎。
「本当かな? 翔虎は背が低いから、背の高い女子なら、少し屈めば見えちゃうかも。よかったね」
「何が!」
「ほら、バス遅れるよ」
「何だよ」
走り出した直を追って翔虎も駆け出した。
バスは停留所に停まるごとに二人と同じ制服を着た若い男女を飲み込み続けていき、車内はすぐに満員となった。翔虎と直が乗り込んだ時点で、すでに乗客の半分以上は同じ制服の男女で占められていた。
バスは〈学園高校前停留所〉に到着すると、制服姿の乗客をひとり残らず吐き出した。
〈学園高校前〉とは言っても、学校のすぐ真正面に停留所があるわけではない。停留所から校門までは、さらに百メートルほど歩かなければならなかった。
「ショウ、成岡」
翔虎や直と同じくバスから吐き出された乗客のひとりが、そう言って後ろから翔虎の肩を叩いた。
「おー、ヒロ!」
振り向いた翔虎が笑顔で答えた。
その相手は、二人の中学校時代の同級生、深井弘樹だった。
「バスの中で二人を見かけたんだけど、混んでたから声掛けられなくってな。何か、学生服じゃない制服姿って新鮮だな」
弘樹は交互に二人を見て言った。
「ヒロもだよ。ブレザー全然似合ってないじゃん」
翔虎も弘樹を見返す。
「くそ。悔しいがショウはブレザーが似合うな。いや、お前は学生服が似合ってなかったからな。黒くて堅苦しい学生服が、服を着ているというか、服が着させてやってる、って感じだったからな」
「意味分かんない。ま、もう過去のことだからね。学生服が似合わなかった僕の三年間は終わり。これからはヒロのダサい三年間が始まるというわけ」
「ひでーな、ショウ。だが全面的に否定出来ないところがつらい」
弘樹は自分の首から下がっている紺色のネクタイを指で弾いて、短髪の下の顔を歪めた。
「ヒロ、髪伸びたね」
翔虎はその弘樹の、伸びた言っても十分短髪な頭に目を向けて言った。
「ああ、ようやく野球部丸刈りの呪縛から逃れたんだからな。俺の高校生活は流れるような長髪と似合わないブレザーで幕を開ける」
「ここの野球部は丸刈り強制じゃないんだってね」
「そうなんだよ。部活関係なく、髪型自体うるさく言われないらしいからな。ショウももっと髪伸ばしていいんだぞ」
「やだよ」
「ほら二人とも、歩行者の邪魔になってるよ。歩きながら喋ろうよ」
直の提案で、三人は足を動かしながら会話の続きを始めた。
「成岡はショウ以上にブレザー似合ってるな」
「あら、そう?」
弘樹に褒められ、笑みをこぼす直。
「成岡は学生服も似合ってたしな」
「へへ、元がいいのかな?」
「なあ、ショウ」
「――え?」
声を掛けられ、翔虎は直に向けていた視線を弘樹に戻した。
「翔虎、私たちの話聞いてた? 入学式がら、ぼーっとしないでよね」
「べ、別に、ぼーっとしてたわけじゃ……」
「クラス割り、見に行こうぜ」
「うん」
弘樹と直は、玄関先に張り出されているクラス割りの掲示に早足で向かっていく。
「あ、ま、待って……」
翔虎も二人のあとを追って駆け出した。
「お、三人とも同じクラスだね」
張り出されたクラス割り表を見上げながら直が言う。
「東学に同じ中学から進学したのって、俺たち三人だけなんだよな。気を遣ってくれたのかな?」
「ありがたいことだね」
弘樹と翔虎も、掲示を見上げて言った。
尾野辺翔虎、成岡直、深井弘樹の三人は、そろって一年四組に所属することとなった。
翔虎らが通う〈東都学園高等学校〉は一学年六組。一クラスは約三十人で編成されている。
これから体育館で行われるのは、入学式兼在校生も加えた始業式だ。
式に先駆け、新入生は各教室に集まり、入学最初のホームルームを行い、担任から式の進行の知らせや案内を受けることになっている。
一年生の教室は四階建て校舎の四階に位置していた。
翔虎たち三人は、一年四組のプレートの掛かった教室に入った。すでに半分以上の生徒が教室に来ているようだった。
輪になって話し込んでいる同じ中学校から来たと思われるグループ。
ひとりで静かに席に着いているもの。それぞれだった。
黒板に、出席番号順に席に着いているように、との旨が書いてあり、翔虎は教卓の上に乗っていた出席番号表のプリントを取って、それを見ながら席に着いた。
名字が「尾野辺」の翔虎の出席番号は早く、「成岡直」「深井弘樹」とは離れた廊下側の席になった。
ホームルーム開始時間が近くなり、散らばっていた生徒は各々の席につき、話し声も段々と小さくなっていった。
近づいてくる足音が大きくなり、教室のドアが開かれる。
「諸君、おはよう」
そこに姿を現したのは、精悍な顔つきの男性教師だった。ひと目で担当教科が体育だと分かる。普段はジャージ姿なのだろう。入学式用に着てきたと思われる背広がやけに窮屈そうだ。
教師は教壇と黒板の間に立ち、
「諸君、ようこそ東都学園高校へ。俺が君たち一年四組の担任を務める木下だ」
そう言って木下は黒板に書かれていた席順指定の案内を消し、黒板消しから白いチョークに持ち替え、
「木下真吾」
と力強い字で綴った。
「木下真吾。担当は体育だ。よろしく」
そう言ってにっこり微笑んだ。本人は女生徒からの黄色い声でも期待していたのか、少し反応を待つように静止していたが、
「……では、入学式及び始業式の進行を伝える」
と、持ってきたファイルを開き始めた。
進行といっても、完全に客人である新入生が取り立てて何かやるようなことはない。体育館に入場して席に着いたら、あとは黙って教師、校長、生徒会長らの挨拶を聞いているだけだ。
説明を受けた後、生徒らは廊下に出て整列し、一組から順に体育館へ入場していった。




