第3話 高校生活始まる 2/4
入学式では、校長、教頭、来賓らの挨拶が続いた。
並べられたパイプ椅子に座り、四月が始まったばかりのまだ底冷えのする体育館。各人の挨拶が終わる度に機械的に拍手の音を鳴らしていた新入生らの空気が変わったのは、生徒会新会長、霧島凛が挨拶のため壇上に立ったときだった。
「ようこそ新入生の皆さん」
今までの教師や来賓がしたのとまったく同じ挨拶の出だしであったにも関わらず、新入生の、主に男子生徒の壇上へ注ぐ眼差しの真剣さはこれまでの比ではなかった。
「本年度の生徒会長を務めさせていただく、三年一組、霧島凜です」
その名を表すかのような凜とした声がスピーカーを通して体育館に響いた。
赤いヘアバンドをした艶やかな長い黒髪。やさしさと意志の強さを同時に住まわせたと思わせる大きな目。滑るような白い肌。桜色の唇。今は演壇に隠れてしまっているが、ステージに上る時に見せたスカートの裾から伸びた白く長い脚。
そのどれか、あるいはすべてが、男女問わず新入生の誰をも魅了したかのようだった。
「皆さんがこれから送る三年間の高校生活が、充実したものであることを願っています。そして、それを後押しするために生徒会は存在しています――」
生徒会長の挨拶が続く中、
「美人だな」
席並びで翔虎の真後ろに座っていた弘樹が翔虎の耳元で囁くと、
「うん」
翔虎も壇上から目を離さずに答えた。
同じようなやりとりは、新入生らのそこかしこで行われているようだった。
翔虎は視線を壇上から直に向けたが、直の席は翔虎よりも後方のため、振り返るように頭を回さなければならない。その行動が変に目立つと感じたのか、頭の回転は最低限に目だけを動かして翔虎は直の姿を視界に捉えた。
直と目が合った。
が、それは一瞬で、直はすぐに壇上に視線を向けた。
直は自分を見ていたのか、それともたまたま視線が交差しただけだったのか、理解しかねるように難しい表情をして、翔虎も美貌の生徒会長に視線を戻した。
「――最後にもう一度。みなさんの高校生活が、実りある、悔いのないものとなるよう願っています」
生徒会長、霧島凜は、挨拶の最後をそう締めくくって一礼した。
新入生、教師、来賓らからこの日一番の拍手が送られた。
案の定、教室に戻った主に男子生徒、と一部の女生徒の間では、生徒会長霧島凜の話題で持ちきりだった。
弘樹も自分の席を離れ翔虎の隣――この席の主もどこかへ移動していた――に座り、生徒会長の声を、髪を、顔を、脚を、賞賛する言葉を浴びせた。
浴びせられた翔虎のほうは、「うん」だとか、「そうだね」と相づちを打つことがほとんどだった。
「何だよショウ、お前、会長みたいな女性は好みじゃないのか? だとしたらおかしいぞお前。あの脚で踏まれたいと思わないのか? おかしいぞお前」
「いや、後ろのほうの願望はおかしいよ。別に好みじゃないわけじゃないよ……」
「何ー! 好みじゃないわけじゃない、だと? 向こうがその気なら付き合ってやってもいい、ってか? 何様なんだお前!」
「そ、そんなこと言ってないだろ!」
「あーあ、さすが、中学時代にファンクラブが存在したモテ男子は言うことが違いますね」
「バカ! 誰かに聞かれたら変に思われるだろ!」
翔虎は慌てて周囲を見回したが、誰も二人の会話を耳に入れているものはいなかった。
「ありかもよ」
「わっ!」
いつの間にか、翔虎に後ろの、これまた本来の座るべき生徒が空位にしていた椅子に座っていた直が声を掛けてきた。
「な、何が?」
「翔虎、年上の女子にモテるもんね。だから、会長もありかも、って」
「そんなことないだろ! 大体、ああいうのはモテたって言えるのか?」
「モテモテだったじゃんか」
「そうそう」
と、直の意見に弘樹が賛同した。
「そういえば、翔虎……」
直は眼を細めて、
「南方先輩って、確かここに入学したんじゃなかった?」
「え? そうだっけ?」
「あ!」
と、弘樹も、
「そういえば、聞いたことある」
「マジかよ……」
「翔虎、よかったね」
「ショウ、よかったな」
「何がだよ!」
「また南方先輩に可愛がってもらえるね」
直の言葉に翔虎は、
「いや、違うから! あれは――」
翔虎の訴えはドアが開く音で中断された。教室内の喧噪が大きかったため、誰も廊下を歩いてくる足音に気付かなかったのだ。
「席つけー」
入ってきた担任教師木下の声で、生徒たちは蜘蛛の子を散らすように本来の自分の席に戻っていった。
「入学式と始業式ご苦労だった。座りっぱなしは退屈だっただろ。明日は部活動見学のオリエンテーリングだから、明後日から、ようやくみんなお待ちかねの通常授業が始まるからな」
木下は配布するプリントを席の縦列分取り分け、最前列の生徒に渡していった。受け取った生徒は自分の分一枚を取り、残りを後ろの座席に回していく。
「まだ時間があるから、みんな自己紹介でもしてもらおうか。特に新入生は出身中学もバラバラで、初めて見る顔ばかりだろ。じゃ、出席番号順に……青木から」
木下の指名で、廊下側最前席に座っていた生徒が、はい、と立ち上がった。
「尾野辺翔虎です……」
自分の番になった翔虎が椅子から立ち上がり名前を口にした直後、教室内のほとんど、正確には直と弘樹以外の全員が、おや? という表情をしたのがわかった。
翔虎は気にすることなく、出身中学校、趣味を口にしていく。中学時代にサッカー部に所属していたことを口にしたときは、ほとんどの生徒が意外そうな顔を見せた。
「翔虎……翔る虎、か。かっこいい名前だな」
木下は自己紹介を終えた生徒にひと言コメントを付けていたが、翔虎の番に付けたコメントがそれだった。木下のコメントは続き、
「よし、お前のことは『ショウ』って呼ぶぞ。みんなもいいな」
返事こそしないが、反対意見を言う生徒もおらず、全員がそれを了承したようだった。
「よろしくな、ショウ」
木下は最後にそう声を掛け、
「お前、かわいい顔してるな。アイドルみたいだな」
そこに触れずにはいられなかったようだった。
翔虎は、周囲のクラスメートが微笑む中、やや憮然とした表情で席に着いた。
自己紹介も中盤に差し掛かった頃。翔虎はぴくりと体を震わせた。ポケットに入れていた携帯電話が振動したのだ。困ったような顔で現在自己紹介をしている生徒を見直す。
翔虎への着信は亮次からのものだった。亮次からの着信のみ、着信音と振動設定を独自のものにしてある。そのため、着信振動のパターンで、それが亮次からものだと分かるのだ。
そして、亮次から翔虎への連絡、しかも学校にいる時間にわざわざ掛けてくる用件というのはひとつしかなかった。
「せ、先生……」
自分の番の自己紹介を終えた生徒が着席し、木下が次の生徒を指名するまでの僅かな時間を狙って、翔虎は右手とともに声を上げた。
「どうした、ショウ?」
「ちょ、ちょっと気分が悪くなって……」
翔虎の声は先ほどよりもか細くなり、顔色も青くなっていた。それは意識してしたものと自然にそうなったものが入り交じっているようだった。
「大丈夫か? 保健室行くか?」
「は、はい……」
木下のその言葉を待ってましたとばかりに、翔虎は立ち上がった。
「誰かついていってやってくれ」
木下は教室を見回す。
「じゃ、私が」
直が手を上げた。
「私、翔虎――尾野辺くんと同じ中学でしたから」
「そうか、よし頼む。俺も後で顔を出すからな」
「行こ」
木下の言葉が終わらないうちに、直は翔虎を連れて教室を出た。
「亮次さんから?」
教室を出て一階へ向かって階段を下りる最中、直は翔虎に訊いた。
「さすが、察しがいいね」
「翔虎のお芝居が不自然だったから」
「もしかしてバレバレだった?」
「ううん、他の人には大丈夫でしょ。ねえ、私も行く」
「駄目だ。危ないし、直までいなくなったら変に思われるだろ」
「逢い引きだと勘違いされるかな?」
と言って、直は微笑んだ。
「バカ!」
翔虎は青かった顔を赤くして、
「それより、何だよ『尾野辺くん』って、変な呼び方するなよ」
「だって、先生が『ショウ』って呼ぼうって言った手前、私だけ『翔虎』って呼ぶのも変かなって思って、でも咄嗟に『ショウくん』なんて言いづらくて」
「直は今まで通りでいいよ」
「そう?」
「そう。亮次さんに電話するからもう直は戻れ」
「ちぇっ。……ねえ、翔虎」
「うん?」
直の顔を見た翔虎は立ち止まった。直もまた、廊下に立ち止まり俯いていた。
「直? どうした?」
「……気を付けてね」
「……あ、ああ。わかってるって」
翔虎は笑顔になって直に答えた。直も笑顔を見せたが、その表情にはまだ憂いが残っていた。
直と別れた翔虎は、誰の姿も見えない一階廊下を抜けて生徒用玄関まで行き、外履きに履き替えながら直前の着信にかけ直した。
「翔虎くん。まだ入学式の途中か」
亮次はコール音も鳴らないうちにすぐに電話に出た。
「いえ、もう終わってホームルームだったから。もう抜け出しました。それより」
「ああ、ストレイヤーが出た」
「場所は?」
「地図からして山裾の雑木林だな。学校から近いと言えば近い」
「場所教えて下さい」
「待て、近いと言っても徒歩で行ける距離じゃない。私が学校まで車で迎えに行く。もう向かってる最中だ。あと五分くらいで着くから校門の前の通りに出て待っていてくれ。オレンジのSUVだ」
「わかりました」
翔虎は人目を避けながら校門へ出た。一応まだホームルームの時間であるため、外に出ている生徒はひとりもいない。
素早く校門を出ると校舎側から目につかないよう壁づたいに少し歩き、車道を見回すと、左側からオレンジのSUVが交差点を曲がってきたところだった。
翔虎は横断歩道を渡って反対車線に接する歩道まで歩き、SUVの運転席にいるのが亮次だと判断がついた距離で車に向かって手を上げた。
「新車の匂いがする。買ったんですか?」
助手席に滑り込んでシートベルトを付けた翔虎は、車内を見回して言った。
「ああ、ストレイヤーの出現地域がこの町に限定されたとわかったからね。足が必要だからね」
真新しいハンドルを握った亮次が答えた。
「新車なのに、よくすぐに納車できましたね」
「たまたまキャンセルした車がディーラーにあったんだ。それがこれを買う決め手にもなったんだが」
工場に送り返される直前で亮次がオーナーとなり、この町に留まることになったオレンジ色のSUV、スバルXVは、二人を乗せて道路を走った。
カーナビには、『目的地まであと3キロ』と表示されていた。




