第2話 ヒーローの魂 2/5
翌日の日曜日。
亮次は繁華街の喫茶店に入りボックス席を確保した。通りに面した側が全面ガラス張りの、大手チェーン喫茶店だった。
店員の、「いらっしゃいませ」という声が聞こえる度に出入り口に目をやっては、視線をテーブルに戻すという動作を亮次は繰り返していた。
テーブルに置かれたコーヒーには手が付けられていない。
腕時計を見る。時刻は午前十一時半を回ったところだった。
「いらっしゃいませ」
亮次は何度か目の店員の声を聞き、ルーティンワークのように出入り口に視線を向ける。
今度は、その視線は元に戻ることはなく、亮次は入店してきた客に向かって右手を上げた。
出入り口に立っていたのはナオだった。
ナオは小さく会釈してから歩いてきて、亮次の対面の席に座った。
ナオが店員にカフェオレを注文すると、亮次は、
「時間ぴったりだね。ナオくんだっけ? 君ひとりだけ? 翔虎くんは?」
「翔虎は来ません」
ナオは突っぱねるように言った。
「そ、そうか……」
その答えに亮次は視線を彷徨わせる。
ナオの前にカフェオレの入ったカップが置かれ、店員が下がると、亮次は、
「……ナオくんって、どういう字書くんだ? 教えてくれないかな?」
「成岡直です。成功の成に、岡山県の岡。ナオは、直線、の直と書いてナオ、と読みます」
「成岡直くんか。いい名前だね。直線ていうか、素直の直、って言ったほうがいいんじゃないか? ……あ、いや」
亮次は笑いながら言ったが、直は無表情のままカフェオレに手をつけた。
「あ、あのさ、翔虎くんも一緒に話を聞いてもらいたいんだ。大事なことなんだよ」
亮次は、恐る恐る声を掛けた。直はカップをソーサーに置くと、
「翔虎に、また昨日みたいに怪物と戦えって言うんですよね」
「あ、ああ……」
亮次は短く答えた。
「駄目です」
直もまた、さらに短く言い放った。
「頼むよ。戦え、っていうか、そうしてほしいとお願いしたいんだ……翔虎くんと話をさせてくれないか?」
「駄目です。翔虎だと、何だかあなたにうまいこと言いくるめられそう」
「言いくるめるとか、そういうことじゃなくって……」
「約束したので、今日は連絡してこうして会っただけです。これを飲んだらもう帰りますから」
「そ、そんな……」
亮次は必死に直に声を掛け続け、直は亮次と目を合わせないまま、カフェオレを飲み続ける。
そんな様子の二人は、店員の「いらっしゃいませ」の声も、入ってきた客が自分たちのボックス席の横に立ったことにも気が付いていないようだった。
「な、直……」
横から掛けられた声に直はカップを口に運ぶ動きを止め、
「……翔虎!」
「隣、座るね」
立っていた翔虎は、そう言って直の隣に腰を下ろした。
「翔虎、どうして?」
「うん、多分、ここだろうなって思って。あ、コーヒーを」
翔虎は直と、注文を取りに来た店員にそう告げると、はは、と笑った。
「翔虎くん……」
亮次は、安堵した表情になって翔虎の顔を見る。
運ばれてきたコーヒーにミルクをたっぷり、砂糖を少々入れてスプーンでかき回しながら翔虎は、
「で、どこまで話してたの?」
「実はね、翔虎くん――」
「待って」
「直、喋らせてやろうよ」
亮次を制した直を、さらに翔虎が制して、
「えっと、何さんでしたっけ?」
「亮次、叢雲亮次だ。翔虎くん、名字聞かせてもらえるかな?」
「尾野辺です。尾野辺翔虎。尻尾の尾に、野原の野、周辺の辺、で尾野辺」
「尾野辺翔虎くんに、成岡直くんか。二人とも、いい名前だね」
「で、叢雲さん……」
「ああ、亮次、でいいよ。いかつい名字で呼ばれ慣れないもので」
「じゃあ、亮次さん。昨日のあれ、いったい何なんですか?」
「翔虎くんが変身した戦士は、〈錬換武装戦士ディールナイト〉そして、君が倒してくれた怪物は、私は〈ストレイヤー〉と名付けた」
「れんかん……? ストレイヤー……?」
「そう、ストレイヤーというのは、そもそも二次元クラウドに漂っている錬換武装プログラムが実体化したもので、元を正せばディールナイトの装備品なんだが――」
「ストップ!」
直が亮次と翔虎の顔の間に手を挟み込んだ。
翔虎は、ちら、と直の顔を見てから、
「装備品って、どういうことなんですか?」
「それはね――」
「だから、ストップ!」
直は、テーブルに身を乗り出した翔虎の肩を掴み椅子に深く座らせ、亮次を見て、
「あなた。妙な専門用語を連発して翔虎の興味を引くような真似、やめてくれますか?」
「わ、私はそんなつもりじゃあ……」
「直、話を聞くだけ聞こうよ」
「駄目、翔虎」
直は翔虎の目を見て、
「そうやって相手のペースに引きずり込まれちゃ駄目だよ。それとも翔虎は、また昨日みたいな危ないことをしたいっていうの?」
「直くん」
亮次は緊張を孕ませた声で、
「五分、いや、三分だけ時間をくれないか?」
「直」
翔虎もそう声を掛けた。
「……もう」
直は、仕方ない、といった声を出すと、
「三分だけね」
と、腕時計に目を落としてから、カフェオレのカップを手に取った。
「あ、ありがとう」
亮次は直に頭を下げ、二人に向かって話し始めた。
昨日翔虎が変身した〈ディールナイト〉には、トランプのマークと、2からAまでのナンバーで管理された、五十二の武装プログラムが存在すること。
現在、その武装のほとんどは失われてしまっているということ。
普段、〈二次元クラウド〉と呼ばれる異空間に漂っているその武装プログラムが体を得て実体化した姿が、昨日翔虎が倒した怪物〈ストレイヤー〉であること。
〈ストレイヤー〉は、この町にしか出現しないということ。
「どうして実体化した錬換武装が人を襲うのかということについては――」
「はい、三分経ちました」
直は、喋っている途中だった亮次の顔の前に手を差しだして、口を止めさせた。
「き、厳しいな、直くん……」
「……で、僕に、そのストレイヤーを倒せと?」
「翔虎!」
亮次は話をやめたが、逆に翔虎が聞き返していた。
「そ、そうなんだよ!」
話が意を得たり、と亮次は強く頷く。
「どうして翔虎なんですか? あなたが自分でやればいいじゃないですか」
直が強い口調で訊くと、
「わ、私は……駄目なんだ」
亮次は勢いを失ったように声のトーンを落として答えた。
「駄目って、どうしてなんですか? あんなビキニみたいな格好をするのが恥ずかしいってことですか? 翔虎ならいいやって? まあ、翔虎なら……」
喋るうちに直の目は、亮次から次第に翔虎の、女の子と見紛うばかりのかわいらしい顔に向けられていた。
「直!」
翔虎は顔を赤くして叫んだ。
「と、とにかく!」
直は再び亮次を見て、
「外見の問題じゃないんです。あんな怪物と翔虎を戦わせるだなんて。そんなこと――」
「頼む」
亮次は、テーブルに両手を突いて、深々と頭を下げた。
「ちょっと、やめて下さい」
直が困ったように声を掛けたが、亮次は僅かに頭を上げただけで、
「こうなった以上、もう頼れるのは翔虎くんしかいないんだ」
「も、もしかして……」
と、翔虎が口を挟み、
「その、ディールナイトっていうのには、もう僕しか変身できない、とか?」
その言葉に、亮次は黙って頷いた。
「何とかならないんですか? 誰か他の人に譲ることはできないんですか?」
直が訊くと、亮次は、
「できないわけじゃない」
「どうすれば?」
直の言葉に頭を上げた亮次は、神妙な表情になり、
「翔虎くん」
翔虎の目を見て、
「……君が死ねばね」




