142 気泡は弾けて
この作品、実は先日書籍化しました。
web版とはちょこちょこ違いがあるので是非購入して読んでみて下さい!
そしてX(旧Twitter)等に感想を書いていただけたらとても喜びます!
https://sutekibooks.com/items/book018-2/
海に落ちた私は、すぐには浮上しなかった。鈍い波と泡の音と、水中に居るせいでやや遠く聞こえる、金属音のような鋭く甲高い音を右から左へと耳の中を素通りさせて、水の中で軋みヒビが入るような痛みを訴える足を押さえていたのだ。
刻印共鳴のおかげで現実ではあり得ない脚力を得たが、肉体が耐えられる訳ではない。ほんの数歩で数十メートルを駆けた代償に、筋肉や骨が悲鳴を上げているのだ。ワンチャン断裂してたり粉砕骨折してるかもしれないが、骨の髄まで凍えさせんばかりの海水の冷たさが痛みを誤魔化しているせいでよく分からない。痛みと冷感を感じる神経は同じせいだ。
神速の刻印を外して、すぐさま水蜘蛛の刻印を貼り付ける。水蜘蛛、要するにアメンボの事だが、その名の通りこの刻印は水面に立ち、走れるようになる刻印なのだ。本来なら装備品等に付与する用途の刻印であり、このような使い方は権能で自由に刻印を切り貼り出来る私にしか出来ない芸当だ。
ぐんっ、と刻印の効果によって体が水面へ浮上する。水面に立つという性質を忠実に守ろうとしているからだ。
ただし、当然ながら流氷を避けるという性質はない。水面から飛び出すように流氷の上に打ち上げられたが、その際に脛をしたたかに流氷の角に打ち付けてしまい地味に痛かった。だが、代償として痛みを訴える両足の鈍痛より、今し方打ち付けて鮮烈な打撲の痛みを発する脛の方が痛いと感じたので、幸いにも代償の痛みは大したこと無かったようだ。
こんな時だけどかっこつかねえな、私!
音が止む。あの空を覆い尽くす程の光の剣の数々が、全て弾かれた証拠だ。水面に上がってから視界が眩しい上に防壁が反応する音がうるさくて仕方なかったとは思っていたが、それより打ち据えた脛が痛くて悶えていて、見ていなかったので音で判別した。
顔を上げると、光の剣が四散し粒子が煙を成しており、その隙間から、ほんの十秒くらい前まで居た場所が見えた。モズが片膝を着いて蹲っており、ユリストさんとレイシーが慌てた様子だ。それを認識した私は、「あ、やっべ」と無意識に小さく呟いていた。
隷属の刻印のことすっかり忘れてた……! そういえばアレ、ある程度離れるとアカンやつだった!
早いとこ合流しなければ、と思いつつも、聖女が気になってしまいつい空を見上げる。セレナの肩越しに、宙に浮かぶ聖女を視界に捕らえた。
相当距離があるにも関わらず何故かハッキリと見える彼女は、愉悦の表情を浮かべていて――しかし、未だ変わらずそこに居るセレナの姿を見て、すぐに驚愕の表情へと変わった。
冬の海に落ちた上に吹きすさぶ寒風で一気に体温を奪われて、体が震えてガチガチと歯が鳴る。これなら海の中の方がマシに思えるわ!!
ぐっと歯を食いしばる。これ以上歯を鳴らさないように。
息を大きく吸い込む。波風にかき消されないように。
腹に力を入れる。より遠くまで声を届けるように。
そうして私は、思いっきり、叫んだ。
「――この子に!! 敵意は!! ありませえぇぇぇんッ!!」
早急に事を済ませるために、端的且つ分かりやすい言葉で伝える。
しかしそれに返事を返してきたのは、聖女ではなく、ダニエル女公爵の鋭い毒舌であった。
「貴様、ついに気が触れたか!?」
「一から十まで健全且つ健康で正常です!!」
ついに、って何だよ!? ついに、って! 私のこと「コイツそのうちマジキチになりそう」とか思ってたんか!?
流氷から降りて海面に立ち、小走りでセレナの前に立つ。セレナは桁違いのスペルで攻撃されたと思ったら何故か全部防がれていた、という事態に目を白黒とさせていたが、自分の前に出てきたのが私だと気が付くと、警戒しながらも少し納得のいった様子で上げかけた触手を下ろしてくれた。
私はようやくここで気が付いたのだが、彼女が抱いていたはずのヘレンが居なかった。右腕は肘より少し上辺りで無くなっており、何か鋭利なもので切り落とされたようになっていた。右側の胸には塞がりつつあるものの、何かで穿たれたような大きな傷跡がある。左腕は無事なようだが手の甲には大きな穴が空いていて、同じくらいの大きさの傷跡が体のあちこちにあるし、触手のいくつかは失っている。目に分かる速度でじわりじわりと塞がりつつあるものの、手酷く攻撃されていただろう痕跡が生々しく映った。
ヘレンはどこに居るのだろう。埠頭の方に視線を向けて確認すると、ダニエル女公爵の近くに小さな氷の壁が出来ているのが見えた。近くには切り落とされただろうセレナの右腕と、触手がいくつか落ちている。あそこに居る、と直感で理解した。
セレナは傷だらけな一方で、埠頭の方面は大した被害が無い。ディープワンからの襲撃の痕跡は視認できるものの、氷の壁は小揺るぎもせずそびえ立ったままだ。
海には分厚い流氷があちこちに浮かんでいるが、何か大きな衝撃を受けて割れたように見える。ディープワン達にこれを割れる程のパワーがあるかと言われたら怪しく、そんな事が出来ると言ったら――私にはセレナしか思いつかない。
その人外パワーを埠頭に向けていたら、氷の壁はとっくの昔に崩れていただろう。だがセレナはそうしなかった。そうする必要も無いし、彼女はただ、ヘレンを助けたかっただけなのだから。
「この子はですねぇ! ディープワン共と敵対してるんですよ!! 別に人に危害を加えるつもりはないし、一方的に攻撃される謂れは無いんですけどォ!?」
「危害を加えるつもりが無いなら何故人前に姿を現した? 宙族が姿を見せる時は、必ず人族を蹂躙する時だ!」
「じゃあセレナが攻撃したって……いやしたけど! ちょっとノーサウンドクソデカボイス出してたけど! アレはたまたま近くに居た人族を巻き添えにしちゃったっていう単なるフレンドリーファイアですー!!」
ふつふつと腸が煮えくり返る感覚がする。右肩上がりに怒りの温度は上がっていくし、煮えたそれは煮詰められて、より濃くなっていくものだ。それが地雷と接触し続けた後の限界精神状態なら、尚更だ。
ダニエル女公爵の考えも分からんことは無い。彼女の立場だったら、この世界の人だったら、最初から宙族である人魚を敵だと思って攻撃をしかける気持ちも理解は出来る。
しかし、取り付く島も無くセレナを敵だと決めつけるダニエル女公爵に、ヘレンにとても懐いていたセレナの姿を知っている身としては、つい怒りの矛先を彼女に向けてしまう。
既に氷の槍をいくつも展開し、すぐにでも私達を射抜ける状態であるが、推しの一人を手酷く傷つけられて怒りのボルテージが上がっているせいか、恐怖は一切感じなかった。むしろ「ダッコラー! その喧嘩買ってやんぞ! 不敬罪なんて知るかボケェ!」と心の中のヤンキーがオラついている。ヤンキーだった時期なんて無いけれど。
一歩、また一歩と足を前に出し、埠頭に向かって歩き出す。何故か体色を白くしたり黄色にしたりと忙しなく変色させているセレナは、頭上のヘーゼルに促されて、ゆっくりと私に追従して泳ぎ始めた。
先程まで寒さで震えていたはずの体はいつの間にか震えが消えていたが、握る拳は怒りで少し震えている。怒りを感じて血圧や心拍数が上がったせいか、汗が出るほど体が熱く感じられた。
濡れて肌に張り付いた服の不快感も、いつの間にか消えていた。
「宙族は人族とは相容れん存在だ。庇い立てするなら、貴様ごと屠ってくれよう!」
「まず本人の意見聞いてからにしてくれます!? この子普通に意思疎通が出来るんで手話の知識さえあれば平和的に会話出来ますんで!! 通訳としてヘレン起こしてもらって、どうぞ!!」
「ちょっと、何なのよ! というか、私を無視するんじゃ――」
完全にダニエル女公爵にしか意識が向いていなかった中、空からイラついたような、焦ったような聖女の声が降ってきて――。
横槍を入れられたせいで、ギリギリまで引き延ばされていた堪忍袋の緒がぷちっと切れてしまった。
「今大事な話してるからちょっと黙っててくれませんかねぇ!!」
確実に今日一番のクソデカボイスを上げるのと、爆炎が空に打ち上がったのは、ほぼ同時だった。
明けましておめでとうございます。大変お久しぶりです。
書籍化を始め、スランプ、葬式、親族への週一泊まりがけの見舞い等で忙しくて去年は全然更新出来ませんでしたが、年も明けたので更新再開いたします!
まだ多忙を極めているのでしばらくは週一更新(日曜日17:00更新 諸事情により更新時間が遅れたりお休みする可能性有り)となりますが、何卒よろしくお願いします。
ところで書籍化したこの作品「同人女の異世界召喚」見ました? 表紙絵めっちゃ良くないです?
挿絵も大変素晴らしいんですよ。宗教画っぽいと言えば見た人なら伝わると思うのですが、後半のあのシーンの挿絵が一番のお気に入りです。
そしてキャラクターデザインがまた良い。元々作者私が描いていたデザインがあったのですが、それを元にマーモット山田先生が良い感じにアレンジしてより良いデザインに仕上げてくれました。
ちなみにキャラデザの際に何がとは言いませんが「トワは盛ってもいいけどジュリアよりは小さくなるように」「ジュリアはどんだけ盛ってもいいけど筋肉質に」「ルイは将来性を感じる控えめな大きさに」と指定しました。




