第66話 健星の秘密
鈴音は呆れてしまうが、選挙戦を戦うためとしてやったあれこれを思い出すと、誰もが回避したくなるのも解る。ついでに、健星がそれでも立ち上がろうとしたことの凄さに気づく。
妖怪を嫌っているところがあるし、現世でのトラブルを減らしたいというのが第一の目的だったけど、健星はこの冥界のことが好きなのだ。
そうでなければ、鈴音が王に相応しいからといって、すぐに選挙から手を引くはずがない。支えて王にしようなんて思わないだろう。
ちらっと健星を見ると、これからの段取りについて真剣に議論をしている。その姿は真っ直ぐで、やっぱり誰よりも冥界を思って行動しているのがよく解った。
でも、健星は本当にそれでいいのだろうか。俺も妖怪だと言い、それでも人間の彼がずっと冥界に縛られているのは正しいのだろうか。
「死んでも無意味なんだ。またここに生まれる。いや、気づいたらこの姿に戻っている。二十歳前後の姿で再生されるんだ。なっ、俺は人間じゃないだろ?」
あの時、ふと聞いてしまった真実。にやっと笑った顔は意地悪で、でも、とても辛そうだった。
それを見てしまっているからか、鈴音は自分が王と定まった今、健星がこのまま冥界を支え続けるのが正しいのか。それが疑問になってしまった。
御前会議の後、鈴音は月読命に呼ばれて二人で話をすることになった。場所は後宮にあたる飛香舎という場所だ。別室に紅葉と晴明がいる以外、人払いがされている。意外なことに健星まで追い出されていた。
鈴音は王としてのあり方でも教えてくれるのだろうかと、出されたお茶を飲みながら考えていたが
「ずっと健星を見ていたけど、何か心配事かな」
にこっと笑って月読命が放った言葉に思い切り咽せた。
「なっ、はっ」
確かに悩んでいたけど、恋じゃないですからね。散々からかわれているだけに鈴音は警戒したが、月読命の目元は真剣だった。
「彼の運命を知ってしまったんだね」
そしてそう続ける。鈴音は何を心配している解っているんだと気づくとほっとし、大きく頷いていた。
「健星は人間なんですよね。でも、この冥界のために何度も生まれ変わっている。そしてずっと支えている。それはなんでですか?」
月読命の真剣な眼差しを見つめ返しながら、鈴音は真っ直ぐに訊ねた。それに、月読命は答えずに
「哀れに思うのかな」
と問い返してきた。鈴音は少し遠慮したものの、こくりと頷いてしまう。
だって、とても辛そうな顔をしていたもの。あれが本心のはずだ。しかも普段は現世に冥界にと多忙を極めている。そんなの、一人で背負うべきことじゃない。
「この王位の交代が健星のためだというのは話したよね」
「あっ、はい」
そうだ、月読命も健星の状態を変えたいと願って退く決意をしたんだった。気まぐれに見せかけて、この人も健星のことを心配している。
「彼にももう少し心の余裕が必要だろうと思っていたんだ。輪廻がこの冥界で止まってしまっているのは健星が、いや、その前世の小野篁が望んだことだ。しかし、いつまでもその好意に冥界が乗っかっていていいわけじゃない。昔は今ほどトラブルが少なかったから、健星が陰陽頭たちと協力すれば対処出来るものだったけれども、もうそれも限界に来ていた」
月読命はそう言うとパンパンと手を叩いた。すると晴明がすっと部屋に入ってきた。その手には盆を持っていて、布が掛けられているが何か載っているようだった。
「これですね」
「そうそう。鈴音、君にこれを託そう」
晴明が差し出したお盆を受け取ると、そのまま月読命は鈴音の前に差し出す。
「これは」
「健星の輪廻の鍵、というべきかな」
「え?」
予想外のものに、鈴音は目を丸くしてしまう。
思わず布を取ると、そこには小さな、しかし綺麗な装飾が施された壺があった。
「これが」
「その壺を壊せば、健星は二度と冥界に生まれることはない。いや、すぐにでもここから消えてしまい、前世の記憶を持たない、普通の人間として生まれ変わることだろう」
手に取ろうとした鈴音は、月読命の言葉にびっくりして手を引っ込める。
「こ、これって」
「その中には健星の、いや、小野篁の魂魄の一部が入っている。魂魄が欠けているからこそ、健星はこの冥界に縛られているんだ」
「そんな」
晴明の説明に、鈴音はビックリしすぎて、どういうリアクションを取ればいいのか解らなくなる。
「もちろん、それは健星が望んだことだ。いや、冥界の状況を知った小野篁が望んだことだ。俺はその願いを受けてこの術を施した。人間と妖怪、そのバランスを取ることが必要だと、健星は、篁は平安の時代から気づいていたんだよ。そして自らを冥界に縛り付けた。さすがに未来永劫と続く政務に、少々苛立ちを覚えるようになっているようだな。お前が苦しそうと思うほどに。しかし、奴の望みが今の状況を作り出したのは間違いではない」
晴明はそんな鈴音に淡々と説明を続ける。鈴音はその思いの重さに、ぎゅっと拳を握ってしまう。
口ではあんなに悪く言っているのに、妖怪のために冥界の礎になる。その思いの結晶がこの壺なのだ。それは生半可な気持ちでは触れられない。
「もしも健星がいなくても冥界が正しく続くとなれば、この壺を壊してあげなさい。それが、俺からの王としての最後の頼みだ」
月読命は、正しい時を見極めなさいとだけ言う。それに晴明も頷くだけ。
ただ心配だから。ただ辛そうだからでは駄目だと、そう釘を刺されたのだ。どれだけ心配しても、それだけでは健星の覚悟には敵わない。
「必ず、健星にもう大丈夫だなって言わせてみせます」
心配しなくていい。ここはもう任せて。そう言えた時、健星は普通の人間に戻れる。
それはちょっと寂しいけれども、いつか必要なことだ。鈴音はそっとその壺を持ち上げ、愛おしそうに抱き締めていた。
王になる。
それがますます重い物になった。それでも、今度は自分の意思で王になりたいと思った。飛香舎を後にしながら、鈴音の気持ちは大きく変化していた。
「おい」
だから、清涼殿に戻ったところに健星が立っていたことに気づかなかった。声を掛けられ、はっとしてしまう。
「健星」
「無駄に気負うな。あと二百年続こうが三百年続こうが、俺には同じだ。もう千年もやってるんだからな」
「あっ」
鈴音は健星を見つめたまま固まってしまう。いつもどおりにやっと笑う健星は、月読命が自分の秘密を喋ったことに気づいているのだ。
「だから、無駄に気負うな。俺がお前を立派な王にしてやるからさ。せいぜい、覚悟しておけ」
にやっと笑う健星に、鈴音はようやく心が思いの重さに潰れそうになっていたことに気づいた。あの壺を受け取って、そして壊すことに恐れていたことに気づいた。
もし一人になった時、やっていけるの。健星がいなきゃ何も出来ないのに。
そう不安になっていたのだ。それを健星は見透かしている。そしてその決断は今すべきことじゃないだろと、わざわざ言いに来たのだ。
気づいた鈴音は、恥ずかしさを隠すためにべっと舌を出す。
心配している自分が心配されてちゃ、健星はあの壺を壊すことを了承するはずがないじゃない。
「それだけ言うなら、何百年もこき使ってやるんだから」
「はん。こき使われるのはお前だ。お飾りの王め」
「何ですって」
そこまで言い合って、しかし、鈴音はくすくすと笑ってしまった。勝手に心配しちゃったけど、健星は自分よりも長くここにいて、ここが大好きで、ここを守りたいと思っているのだ。すぐに解放されたいなんて望んでいないのは、一目瞭然ではないか。
「ふん。即位式の段取りについて大まかに決定した。来い」
「はいはい」
いつも通りに適当に返事をしつつ、でも、鈴音は思わず健星の手を握っていた。健星は驚いたようだったけれども、何も言わずに握り返してくれた。




