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四人兄弟の長女として妹や弟の面倒を見てきた陽茉莉からすると、悠翔は小学二年生にしてはとても聞き分けのいい子供だと思う。
けれど、聞き分けがいいと言っても子供は子供。
ときには駄々を捏ねることもある。
「僕も行きたい!」
「今日は遊びに行くんじゃないから、だめだ」
「やだ、僕も行く」
「だ・め・だ」
日曜日の昼下がり、悠翔はいつになく我が儘を言って駄々を捏ねていた。これから仕事──これは、恐らく邪鬼退治なのだと思う──に行く相澤に付いていくと言って、なかなか聞かないのだ。
こんなやり取りを見たのは、ここに来て初めてかもしれない。
しかし、相澤のほうも頑として引かなかった。普段の悠翔に甘い様子からするとここまで駄々を捏ねられたら「仕方がないなぁ」と折れてしまいそうなものだが、ここは絶対に引けない理由でもあるのだろうか。
「悠翔君、お姉ちゃんと一緒に待ってようよ」
「やだ。僕もお兄ちゃんと行く」
「悠翔、いい加減にしろ」
先ほどまでは穏やかだった相澤の口調が、一段低いものへと変わり、表情も険しくなる。
悠翔はそこでようやくこれ以上我が儘を言っても通じないと悟ったようで、口を引き結ぶと目に涙を一杯に溜めた。
「新山。すまないが、悠翔を頼む」
「はい、わかりました。行ってらっしゃい」
陽茉莉はこくりと頷くと、相澤を見送った。
コツコツという足音が遠ざかり、やがて聞こえなくなる。それとほぼ同時に、悠翔がうわーんと泣き出した。
「僕も行きたかったああぁぁぁ」
廊下に突っ伏して、わんわんと号泣している。本当に、よっぽど行きたかったようだ。
「悠翔君、お姉ちゃんとお家で待ってようよ」
「やだ」
「公園はどう?」
「やだ!」
「じゃあ、お菓子でも作る?」
今度は返事をせずに、丸く亀のようなポーズになったまま動かなくなった。
(困ったなぁ)
陽茉莉の経験上、小さな子供はこうなるとなかなか手強い。
放っておくというのもひとつの手ではあるが、普段は聞き分けがいい悠翔がここまでへそを曲げるというのになんとなく引っかかった。
「お兄ちゃんと一緒にいたかったの?」
悠翔は床に突っ伏したまま、ぶんぶんと首を振る。どうやら、相澤と一緒にいたくて駄々を捏ねたわけではないようだ。
「お兄ちゃんが行く場所に行きたかったの?」
今度は首がこくこくと動く。
(そういえば、相澤係長ってどこに行ったんだろ?)
邪鬼の退治に関することだとは予想がつくけれど、具体的な場所は一切知らされていなかったことに気付く。
「お兄ちゃん、どこに行ったの?」
「八幡神社」
「八幡神社?」
陽茉莉は首を傾げる。場所がわからずにスマホで検索すると、三駅ほど先にある神社であるとわかった。
「じゃあ、お姉ちゃんとこの神社にお参りに行く?」
「本当?」
床に突っ伏したままだった悠翔がガバリと起き上がり、こちらを見上げる。ずっと亀のように伏していたせいで紅潮した頬は涙で濡れ、大きな瞳にはまだうっすらと水の膜が張っている。
「うん。たまにはちょっと遠くにお散歩に行こうか」
陽茉莉は悠翔と目線の高さを合わせるようにしゃがむと、にこりと微笑む。
(係長のお仕事を邪魔するわけじゃないし、それくらいは平気だよね……?)
その神社に何があるのかは知らないけれど、そこに行きさえすれば悠翔も満足するだろう。
「じゃあ、お昼ご飯を食べたらお出かけの準備しよう」
「今日のお昼は何?」
「うーん。クレープはどうかな? ツナとレタスを乗っけた」
「クレープ? 僕、好き! 家で作れるの?」
「作れるよ。お姉ちゃんに任せて」
「やったー」
機嫌を直した悠翔がピョンと跳ねた瞬間に子犬──正確には子オオカミになる。尻尾をぶんぶんと振りながらリビングに向かうその後ろ姿を見て、陽茉莉は相好を崩したのだった。
◇ ◇ ◇
参道の階段を上って境内に入ると間もなく、車の走る音も聞こえなくなる。
俗世と隔離されたような神社特有のこの独特な雰囲気が、陽茉莉は昔から好きだ。
八幡神社は想像したよりも大きな神社だった。
中央には社があり、それとは別にお守りやお札を売る売店がある。敷地内に生える大木の合間からは木漏れ日が差し込み、地面を優しく照らしていた。
「お姉ちゃん、どんぐり見つけた」
手を繋いでいた悠翔が急にしゃがんだので何かと思えば、小さな手にはどんぐりが二つ乗っかっていた。
「あ、本当だ。よく見つけたね」
「うん。あっちにもっとあるよ」
悠翔が嬉しそうに笑い、大きな木の下を指さす。そこには確かにどんぐりがたくさん落ちていた。きっと、この木から落ちたのだろう。
「持って帰ってもいい?」
「持って帰るの? じゃあ、お家に帰ったらコマを作ろうか?」
「コマ?」
「うん。ここに穴を開けて、爪楊枝を刺すの」
「うん、作りたい! 幼稚園のとき、作ったことあるよ」
悠翔は大きく頷くと、また地面に座り込んで綺麗などんぐりを探し始める。陽茉莉はその傍らで、周囲を見渡した。
境内には何人かの参拝客がいた。売店の前ではカップルがおみくじを紐に結びつけている。
(係長はいないみたいだけど、悠翔君の勘違いだったのかな?)
悠翔は今日、ここに相澤が行くから一緒に行きたいと言っていた。けれど、陽茉莉から見える範囲に相澤はいない。
十五分ほどすると、悠翔は手から溢れそうな程のどんぐりが集めていた。
「悠翔君、持って帰れなくなるから、そろそろおしまいにしようか?」
陽茉莉が声をかけると、悠翔は「うん」と頷く。陽茉莉は持っていたスナック菓子の箱から中身の袋を取り出すと、その箱にどんぐりを入れてやった。
「お姉ちゃん。僕、次はあっちに行きたい」
「あっち?」
次に悠翔に手を引かれるがままに向かったのは、社の裏手だった。
陽茉莉はここに来るとき、駅から表参道を通って来た。しかし、実は裏参道もあるようで、社の裏手には道が続いていた。
「こんなところに美味しそうなレストランがある。カフェかな?」
境内から裏参道へ出てすぐの位置には、お洒落な雰囲気のカフェがあった。
道路側の壁が全面ガラス張りになっており、その合間の上下に欄間のような装飾が施されている。空いているガラス越しにウッドテイストな店内の内装が見えた。
こんなわかりにくい場所にありながらも意外と人気があるようで、店内は半分以上が埋まっていた。
「あのお店のプリンが美味しいんだよ」
「そうなの? じゃあ、せっかく来たし、食べて帰ろうか」
プリンは好きだ。店の雰囲気的に和カフェに見えるから、プリンも和三盆などの和テイストプリンだろうか。
悠翔の手を引いて歩き出した陽茉莉はその直後、つと足を止めた。カフェの店内、ガラス越しに見える席に見覚えがある人の姿が見えたのだ。
(係長?)
そして、その正面には若い女性が座っていた。色白の美女で、切れ長の目と高い鼻梁、形のよい唇が美しい黄金比で配置されている。長いストレートの髪の毛は、後ろでひとつに結ばれていた。
(あれって、もしかして!)
楠木さんが噂話していた相澤の恋人ではないだろうか? 和風な雰囲気の美女というのも特徴が一致する。
(邪鬼退治の仕事って言っていたのに、本当はデートだったってこと?)
ムッとしてそちらを見ていると、女性のほうが何かに気が付いたように視線をこちらに向ける。そして、何か会話を交わした相澤がこちらを見た。
(まずいっ!)
陽茉莉は慌てて、元来た神社のほうへ戻ろうとした。
今、相澤に鉢合わせするのは避けたい。
仕事だとうそを言って恋人と会っているのを知ってはいけない気がしたし、相澤の弟である悠翔と陽茉莉が一緒にいることを恋人に不審に思われると、色々と面倒だ。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
急に方向転換した陽茉莉に、悠翔が驚いたように声を上げる。
「ちょっと用事を思い出したから、戻ろうね」
「用事って何?」
手を引かれる悠翔が首を傾げる。
子供の純粋さは、ときに面倒だ。
そのときだ。背後から聞き覚えのある声がした。
「新山!」
あー、見つかってしまった。
陽茉莉ははあっと息を吐く。
観念して覚悟を決めると、おもむろにそちらを振り返ったのだった。




