12th day.-5/その【先】にあるもの - 穿つ牙 -/MBR BULLET
精製されていく影の狗は際限なく、飢えた獣の如く襲い掛かる。統一された動き。流麗の立ち回り。草原を駆け抜ける豹の如く速く。舞い落ちる葉の如く華麗に。獲物の動きを見据え、一瞬の隙を付狙う、統括された狼の群れを思わせる。
狗が牙を向ける獲物は、一枚のカードだけを握っていた。それを翳し、振るうだけで、狗たちを消滅させる。
ヴァチカンの聖堂騎士会に所属する魔法使い、栗崎菊が用いるカードは現存するタロットカードの古代魔具であった。二十二の大アルカナと五十六の小アルカナの七十八のカードから構成されるタロットカードは、トランプの原型でありながら、呪術の最高峰と称されるほどの魔具である。それは人の運命を占い、過去を呼び出し、未来すら見透かすことができ、魔術を学ぶ者にとって初歩的魔術の一つであり、最終的に極めることは希有の才の持ち主だけである。
カードにはそれぞれ、名と象徴、そしてある"現象"が与えられる。
菊が持つ第十八のカード、『月』。そのカードに秘められた現象。其は即ち、『確定の逆転』。非自然現象によって存在を確定付けられたエーテル体を分子にまで還元、世界の霊脈へ還すことができる。本来あるはずのない存在を元に還すことができ、それは量子的な存在確立をも消滅させることが可能である。
盲目の魔術師が出現させた影の狗は、本来現実世界には存在しない第三系の魔物である。失われた楽園から追放された罪人の欠片を、盲目の魔術師は自らの使い魔として召喚し、それを使役することで幾多の魔術師を処理してきた。体のいいディスポーザブルな使い魔である狗は、それによって世界に歪な異常を巻き起こす。
そんな悪魔性のエーテル体の獣を、カード一振りで消滅させるなど、並大抵の魔術師には無理な話だ。菊にとって、タロットという魔術は、理由はわからずとも無意識下で行使が可能であった。才能の塊。あくまでも魔術として、占いの呪術としての行使は素人当然であったが、カードに秘められた現象を呼び出すことだけは飛びぬけて優れていた。
そのため、古くから繋がりがあった第五魔法協会の斉藤アギトは、彼に保管されていた古代魔具のタロットカードを譲渡した。
―――菊がアギトから譲り受けたカードは四枚。
第十のカード『運命の輪』、"螺旋する風"。
第十七のカード『星』、"墜落の鳥"。
第十八のカード『月』、"確定の逆転"。
第二十のカード『審判』、"決死の判定"。
"螺旋"と"墜落"と"逆転"と"判定"という四つの現象を駆使することで、彼は目の前の悪魔に立ち向かおうとする。しかし、――――――
「キミは何も知らないのね。聖堂騎士としては出来損ないだ」
ノーウェンスの周囲には、菊が消滅させてきた狗とは違った、より黒い悪意と悪魔じみた魔力が蠢いていた。
「ちっ―――!!」
咄嗟に、菊はその場から駆け出した。ほぼ無意識下での跳躍。彼のポケットに仕舞われていた『審判』のカードが、彼に走れと判定を下した。
「へぇ、勘もいいだね、キミ。後一瞬遅れていたら、軽く黒炭になっていたわ」
先ほどまで自分が立っていた場所へと振り向く。そこには黒い円が浮かび上がり、風に乗って焦げの臭いが伝わってきた。
―――やつは、何者だ?
菊の脳裏に、ある疑問が浮かび上がった。
"銀の星"最高幹部七人会の一人であるノーウェンス=ダンチェッカーは、盲目故に世界に捨てられた戦争孤児であった。どこかの紛争に巻き込まれ、その被害の爪痕として、彼女はヒトとしての機能を失った。
第五魔法協会が記録していた彼女の歴史には、戦争の被害によって盲目になった七歳から二十歳までの十三年が空白であった。野戦病院から突如姿を消し、十三年後、ノーウェンスが二十歳を迎えた翌日、彼女は協会の門を叩いた。後の調査により、彼女の十三年が空白であることが明確になったが、当時彼女について探索しようとした者は誰一人としていなかった。
魔法使いとは、常に自己を隠匿するものだ。魔法使いにとって、自己とは世界と同義であり、自己の全てを知らすというのは、自らの世界を露呈することであった。
だから、彼らは自らを護る為に、他への干渉を病的にまで拒む。ただ魔法を研究する者にとって、自己を隠匿することが最大のテーマであり、生涯付きまとう障害でもある。
菊やアギトといった聖堂騎士や代行者は、他者へ直接または間接的に干渉する魔法を覚える。それは自己のためではなく、世界自身の為だからこその行為。
―――しかし、彼女はなんだ。
世界にとって彼女は、完璧なまで不明であった。協会の記録には、協会に入った時と、彼女が世界の敵になった二つの事項しか記録がなかった。なぜ彼女は世界の敵になったのか。入った当時、ノーウェンスに身体的な障害は記録されていない。なぜか。盲目だったはずの彼女は、一度視力が回復している。十三年の間になにがあったのか。"なにか"があって彼女は一度光を取り戻した。
なら、彼女が再び盲目になったのは、その後の話だ。
それは世界の敵になる前かそれとも後か。だが彼女が再び視力を失った問題は瑣末なものだ。なぜノーウェンス=ダンチェッカーという者が世界の障害になり、あのような悪魔的な顔をしているのか。菊には、その全てが疑問であった。
―――あの魔法は、不明すぎる。
彼女が協会の人間としての記録ではなく、銀の星の重要危険因子としての記録も不明確なものばかりであった。
組織に潜入していた倉山夏喜の記録にも、彼女の記録だけが無かった。唯一つ、『魔法潰し』といわれる二つ名だけが知らされている。
彼は今、直感している。でなければ、わざわざ彼女が極東の地まで出てくるわけが無い。記録が無いのではなく、記録として遺すのが間に合わない。まさに一目見た者は皆死ぬ怪談そのものだ、と菊は内心で苦笑いをした。
―――なら、ワタシも死ぬ運命にあるのかもしれないな。
そんな冗談を紡ぎ、菊は戦いに集中した。
際限なく迫りくる狗の群れは、幾度となく彼のカードによって消滅している。しかし、狗の群れに紛れ、黒い殺意が彼を襲う。駆けて行く大地が、黒く悲鳴を上げている。
確かに彼は見た。彼が居た場所が、蒼い炎の柱を上げて燃え盛る様を。周囲の酸素を際限なく搾取し、空気すらも燃焼させる地獄の業火を。
「・・・・・・なるほど。これなら人の身など一瞬で蒸発するだろうな」
限りなく不明瞭な能力に、恐怖を覚えた。それでも、肉体を駆け巡る血液は生を得るために回転を続ける。
「いつまで逃げる気なのかな? これじゃあ張り合ってものがないよ」
同時に召喚される黒い牙。その数、数十頭。そして、―――地面から吹き出ていたはずの蒼い炎の塊が、魔女の周囲で濃縮され始める。
「ちっ―――!!」
本能が告げる。この身を滅ぼさんとする"悪魔"が、鎌首を持ち上げた。
「―――『集いし聖 昇る星 憂いし声』―――」
咄嗟に取り出されたのは―――第十七のカード、『星』。
「ん―――?」
―――しばらく、黙っていてもらおうっ!!
「―――『二十二のアルカナより 十七の星』―――!!」
「っ―――!?」
詰め寄る牙が、悉く地へと"墜落"してゆく。
「またまた、奇怪な魔法だね―――でも、―――幕引きだよ、キク=クリザキ!!」
手を伸ばし、蒼い炎が菊へと照準を合わす。
「なにっ―――!?」
菊へと疾走したはずの炎が、一瞬のうちに消失する。
「―――手を引け、番犬」
「きゃっ―――!?」
一瞬の隙を狙い、ノーウェンスを後ろから拘束する。
「なるほど、一杯食わされたか」
「減らず口を。お前の魔法はもう通じない」
「うん。どうやら、キミを甘く見ていたようね」
後ろから押し倒され、腕を締められ、手錠により拘束されたにもかかわらず、ノーウェンスの顔には悔しさの欠片がなかった。
「異空間からの魔物召喚は立派な規約違反なはずだ。お前の身柄はアギトさんにでも預けることにしよう」
「アギト? 通りでワタシの二つ名を知っていたはずだ。でもあいつは駄目だ。タバコクサいオヤジは性に合わない」
「なに―――?」
「―――レディを後ろから抑えるなんて、騎士様としては本当に失格ね」
「ぐっ―――!?」
ノーウェンスの腕を押さえていたはずの菊の手に黒い炎が纏わりつく。思わぬ激痛に咄嗟に手を放すと、刹那、――――――
「―――そんなにカリカリするんじゃあない。ようやくエサの時間よ」
先ほどとは違う、どす黒い殺意が空間を塗りつぶす。手錠をかけられたはずの腕は健在で、肝心な手錠はどこにもない。
「そんな、バカな・・・・・・」
確かに、手錠はかけたはずだ。いや、それよりも、この場面で炎|が発生するはずがない。
―――第十七のカード、『星』。現象は"墜落する鳥"―――即ち『一定空間内の大気操作』
大気内に含まれる物質を文字通り"操作"する能力。狗の駆逐には大気中の塵を高濃度に圧縮し、直接叩き落した。蒼い炎の消失には空気内の酸素濃度を限りなく低下させた。酸素がないところでは炎は発生しない。火の粉がないところで煙が立たぬように、この道理は覆ることはない。
しかし、あの黒い炎はなんだ。
拘束時には炎を警戒して、周囲の酸素濃度を低下させていた。必要に応じて、彼女の口元の空気を排除して意識を断つ気ですらいたのだ。しかし現に、絶対的に悪条件のはずなのに、炎が発生した。いや、なぜ彼女はこうして立っているのかが理解できない。
「まさに、『魔法潰し』の荒業だな・・・・・・」
「ふふ。言葉を返そうか、キク=クリザキ。減らず口はそれだけかい」
クツクツと笑う魔女。こうしている今でも、菊は彼女の周囲を無酸素状態にしている。なおかつ、二酸化炭素濃度を上げ、より悪条件へとしているが、それに反して、彼女の周囲には黒い炎が渦巻き出している。
「ワタシにここまでさせたのはナツキ以来だ。褒美としてワタシの本当の魔法を見せてあげる」
練成された炎が火柱を上げる。黒い炎は消失されたはずの空気さえも燃焼させる。
「キミは言ったね、異世界からの魔物召喚は違法だと。確かにその通りだよ。それでも、ワタシのは並な魔法使いには無理な召喚よ」
再び黒い狗が召喚させる。その数は始まりと同じ三頭。
「キミのさっきの発言だと、この街にあのオヤジがいるみたいね。なら早々に締めにしようか」
三頭の狗が重なる。渦巻く闇に、肥大化していく獣に、―――悪寒が奔る。
「―――『壱の月 弐の撞き 参の憑き』―――」
最速で詠唱を開始する。練り上げた魔力をすべてカードへと収束させる。
「―――『二十二のアルカナより 十八の――――――」
「――――――残念。それ、無駄足よ」
「ぐぅっ―――!?」
貫く黒い牙。突如姿を消した狗の牙が、深々と菊の脇腹を突き刺さる。
―――番犬のノーウェンス。その名前の由来が今、菊の中で解決された。
「■■■■■■■っ――――――!!」
その姿はまるで、――――――地獄の番犬そのものだった。黒く燃える鬣に、腐臭の臭いが混ざる。炭すら焦がす炎に、絶望を感じた。
「なるほど・・・・・・。『魔法潰し』に『番犬』。実に的を得た二つ名だ」
「光栄に思いなさい。地獄の業火と共に、消し炭すら消してやる」
大きく開かれた番犬の牙に、自らの死期を悟った――――――
「―――目標補足。これより作戦行動に入る」
遠く離れた、鉄塔の上、大型の銃器を構える影がある。対物理ライフル『マクミランTAC-50』。不安定な足場ながら、軽く10kgを超える金属のバケモノを軽々と構えた、三基の姿があった。トリガーに指をかけると、銃口の先端に幾重もの魔法陣が浮かぶ。その中心を撃ち抜く形で、空を穿つ牙が飛翔する。
「なにっ―――!?」
盲目の魔女から驚愕した声が漏れる。およそ3500メートル離れた場所から.50BMG弾が飛来する。轟音を置き去りにした0.51インチの弾丸が空気の壁を裂き、炎に包まれる獣を撃ち抜かんと襲い掛かる。首元に打ち付けられた衝撃に、獣の体勢がよろめいた。
『―――第一射、着弾を確認。術者は死角、大型の目標に損害なし、ですが活動一時的妨害に成功を確認』
「なんとか間に合ったか、よくやった。そのまま作戦を続行。オレが菊を救出するまで作戦をやめるな」
三基からの入電により、疾走している男の脚部に強化が入る。血流の加速に、踏み込む足に力が入る。
『了解。第二射より作戦終了まで継続照射開始―――』
「ちっ―――!! あのクソオヤジの仕業かっ!?」
時間をおいて弾丸が次々と襲い掛かる。超高温の獣に触れた瞬間、弾丸そのものは融解されているが、威力こそは殺しきれていない。
「なにをやっている!! さっさと喰っちまえっ!!」
「■■■■■■■■■■っ―――――――!!!!」
「目と耳を塞げ、菊っ―――!!」
弾丸の猛襲に紛れ、菊とノーウェンスの間にアギトが割って入る。ノーウェンスがその存在を認識した瞬間に、弾丸の轟音の中に、地面に何か硬いものが落ちる音が聞こえた。
ノーウェンスが咄嗟に炎の壁を面前に展開する。いかなる攻撃が来るかは不明だが、全てを消し炭にする火力で防御態勢を取った。それ故に、判断が遅れた。
「ぐっ―――!!」
M84スタングレネードのまばゆい閃光と爆音が周囲に轟く。制圧に用いる非致死性兵器だが、盲目ゆえに閃光の被害はなかった。だが、周囲誤認するほどの爆音で強い耳鳴りと難聴で暫く身動きが取れず、より強固な防御態勢を取った。周囲を球場に黒い炎が覆い、いかなる攻撃を遮断する。だが、器官が回復した頃にはすでに聖堂騎士の姿はなく、奇襲に訪れた軍人共々姿を晦ませていた。
「ちっ。作戦は失敗ね・・・・・・」
業火の獣は姿を消失させ、一人残された魔女は尻尾を巻いた敵を追うことなくこの場を後にした。
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