ほしのこえ/INTERSTELLAR/ENDROLL
寒空の下、本を片手に裏山を進む。白い吐息が溢れる中、満月が夜道を明るく照らし、首からかけた小さな懐中電灯は今の所出番はない。
冬の季節、なぜわざわざ夜が深い時間に背の低い草を均し、ある場所を目指すのか。
もう訪れることはないと思っていた、どうしてか記憶の隅で隠れていた場所。それを先程思い出したに他ならない。
それを思い出したのも、偶然といえば偶然だ。自室の壁とテーブルの隙間に落ちて数年存在を忘れていた本を見つけた時に、フラッシュバックのように思い出した。
ラテン語で『永遠の魂』と刺繍で銘打ち、縁を黒い金属で装飾された、白い表紙のハードカバー本。子供の頃、唯一夏喜に叱られる原因となった本。
そして、目的地であるあの小屋に、静かに置かれていた、懐かしい本。
その本を失くしていたことすら不自然なほどに忘れていた。それを、たまたま見つけた、もしくは見つけさせられたことで、小屋のことを思い出した。
進んだ道――もっとも、道らしい道はないが――には、いつかの戦いの爪痕が多くあった。これはきっと、神代の剣を振りかざした、神託の聖女がいた証であり、私にとって重要な日。その面影は、数年経った今でも遺されている。
「――着いた」
ようやく到着した、古びれた小屋。鬱蒼とした景色の先、開けた空間にポツリと立つ小屋は、月明かりに濡れて異様な存在感を魅せる。
今にも崩れそうなボロボロの古屋。我が家の離れにしては趣のない、けれど、夏喜にとっては大事な場所だったのだろうと思う。
立て付けの悪くなった扉を静かに開け、中に入る。中の様子は追憶のまま、何故か使用感を漂わせる小屋の床に、青白い線が微光を放っていた。
円形に広がる青い線――あの日、あの戦いの前にアルスとジューダスが敷いた"城壁化"した結界の一部であったはずのものが、何故か未だに機能している。あの結界は、宗次郎の一振りが破壊したはずだったのに。
白い本を捲り、中ほどのページで手を止める。このページだけ、夏喜の字で書かれたメモが滲むことなく残されていた。
以前では気付けなかった、見落としていたページ。見過ごしていたページ。見つけられないように隠されていたページ。そこに書かれていたのは――この小屋に敷かれている結界の因子と、呪文にも思える文章。
青白い微光の結界の因子は――"星見"。ジーンが言っていた結界の因子の中に、そんなものはなかったと記憶している。
「――『星を絆ぐ者、星を進む者、星を堕ちる者、森羅の先に万象を示す』――」
結界の中心に立ち、本に記された言葉を紡ぐ。わずかな熱量と吹き付ける魔力の風を肌に感じ、後半の呪文を続けた。
「――『過ぎし現、理閉ざした濃紺の未来を噤み、星間の航海者よ、かすめて星を飛べ』――!」
呪文の終わりと同時に、眩い閃光が視界を奪う。斑点が瞼に焼き付く。自分自身、目を開けているのか瞑っているのかわからなくなるほどの感覚。その中で、――
///
「――やあ。久しぶりだね、葵」
懐かしい声が聞こえた。
「久しぶり、夏喜」
視界が晴れると、真っ白い空間にポツリと、生前と変わらぬ姿で夏喜が立っていた。ある程度予想していたとは言え、こうもはっきりと対面することになるとは思わなかったが、懐かしさと同時に、一つの疑問が生まれる。
「私はどうしてあなたと会えているの?」
結界の中心に立ち、詠唱に反応して活性化した結界の影響は、私をこの空間に放り込んだ。そして、目の前に立つ夏喜の姿は幻影の類ではなく、『生きている』存在感を放っている。
「魔法の特性がないのに、ってことかな。それなら、君に仕込んだ物の影響だよ」
ゆっくりと私に近づいた夏喜が指差したのは――左腕。服の下に広がる、消えることのない大きな傷跡だった。
「やっぱり、私にもヘレナを隠していたのね」
「そういうことだ。『すべてを繋ぐ』の奇蹟の結晶。わたしはそれをニつに分け、君と宗次郎の傷にそれぞれ含ませることで、わたしは君たちを救うために消費した。いろんな思惑があったことは事実だが、これでなければ、君たちが助からなかったことも事実だ」
「だからこそ、こうしてあなたと『繋がる』ためのバイパスにもなっている、ってことね」
「ご明察。気付きだけでここまで近寄れるとは恐れ入ったよ」
ニッコリと、明るい笑顔を見せる養母。こうして『繋がった』以上、聞きたいことが山盛りだ。
「いいよ。君が知りたいだけ、すべてを教えよう。ここでなら、時間はたっぷりとある」
「なら、最初は――宗次郎のことを聞きたいわ」
最後の戦い、――"アーサー王の墓"を模した廃墟の中に敷かれていた"異界化"した結界の中で、アーネンエルベが行おうとした『星間飛行』の材料にされて宗次郎はたしかに死んでいた。左足と心臓を失い、冷たくなっていく身体も、とめどなく流れる血も、どれも現実であり、それを一番近くで感じていたのは私だ。
けれど、ジューダスとアーネンエルベが黒き星に消えたあと、残された青い宝石は、宗次郎を生きた状態にしてみせた。失ったはずの左足と心臓も元に戻り、――時間遡行の如く、宗次郎は息を吹き返したのだ。
「それも、君のヘレナの恩恵だ。あの青い宝石は、幻想騎士の触媒となるもの。そして、ヘレナは触媒を介し、宗次郎を幻想騎士として呼び寄せた。原理はそれだけ。
なら、なぜ宗次郎だけだったのかだが――」
それは、――幻想騎士として蘇った宗次郎には、彼の内面に共有しているはずのzeroの存在と、左足にあるはずのヘレナが消失していたことだ。宗次郎自体は何かを知っているようだったが、頑なに口にしない。けれど、私はあの日、zeroも宗次郎の一部であると認識した。それは、zeroも私の家族であること。
「残念ながら、zeroを紐付けることはできない。それは、アーネンエルベに取り込まれているからさ。
幻想騎士として呼び出せるのは、死んだ者だけ。それが制約だ。アーネンエルベが『完全体質者』である以上、zeroを呼び戻すことはわたしやヘレナでも叶わない。それに、あちら側にもヘレナがある。奇蹟は早い者勝ちだからね、後出しでは分が悪い。
けれど、宗次郎がそれを追求しないということは、彼らの中で答えが出ているということでもある。身代わりではないにしろ、zeroは宗次郎を生かすことを選んだということだよ」
結果として、アーネンエルベが奪ったものはzeroとヘレナだけであり、残された宗次郎だけが、幻想騎士としての枠組みに取り込まれた。今の宗次郎には、以前のように魔法を使うことができていない。それは、魔法使いとしての性質すら、zeroによるものだったのだろう。
「けれど、宗次郎を引っ張り出したことは思わぬ誤算だったよ。まさか、君がヘレナに感づいているとは思わなかった。それもあってか、それともやっぱり適正の問題か、呼び出した宗次郎は半人前だ、二つの意味でね」
「ええ、わかっているわ。片割れを失ったことと、成長しているってことね」
「そうだ。本来、幻想騎士というのは成長しない。召喚され受肉した段階で完成形だからね。外的要因で死亡することはあっても、内的要因では死なない、謂わば不老の存在だ。でも、宗次郎にはそれがない。なぜか彼は成長している。ヘレナの束縛から開放されたからか、イレギュラーな存在として、ほぼヒトに近い状態だ」
故に、宗次郎は成人を間近として遅れた成長期を迎えていた。ここ一年で急激に背を伸ばし、今では女性の中でも高身長である私と同じくらいまで迫り、今の所その勢いは衰えていない。
「宗次郎の骨格ベースはアーネンエルベだからね。きっと180センチくらいまではノンストップだろうさ」
宗次郎に見下される時が来るとは驚きだが、あのベビーフェイスで高身長とかモテそうで、将来どんな女性を連れてくるかわからないが、少し心配だ。
「こらこら、嫌な小姑みたいになるなよ。わたしとしては葵の方が心配だよ。宗次郎のことはもういいだろう。次は何が聞きたい?」
「そうね。なら、『星間飛行』について」
「いいよ。それを先に聞きたいということは、薄々気付いていたということだね」
「ええ。あなたが死亡したとされる飛行機墜落事故。あそこに襲撃をしたのはノーウェンスさんだったと思うけど、死んだはずのあなたが私に接続できているってことは、――」
「賢い子だ。そう、君の予想通り、わたしはまだ生きているよ」
「やっぱり。でも、それならもう一つ疑問が生まれるわ」
「ああ。なぜ、今回のことを自分で解決しなかった、だろう。それは、『星間飛行』にも制約があるってことさ」
夏喜がまだ生きているのなら、あの飛行機事故の際、彼女は脱出したことになる。それの答えが、『星間飛行』になるのなら納得がいく。本来なら死亡する直前、夏喜は自ら『星間飛行』を行って死の運命を回避した。だからこそ、彼女はまだどこかで生きているのだと。
「その通りだ。わたしはわたしの意思で『星間飛行』を行うことができる稀有な能力がある。いわば結界に近い性質だけど、けれど、死の運命というのは残酷でね。この星において、わたしの死はすでに定義付けられてしまった。ノーウェンスはそれだけ強力な存在だった。そうなった以上、いかなる手段でもその理を覆すことはできない。だからこそわたしは、君にこの星を託したのさ」
「どういうこと?」
「『星間飛行』とは、異なる世界や世界線を移行するためのものだ。それ故に、その星における未来すら歴史書のように観測できる。いうならば未来視だ。だからこそ、わたしは自分の死を知り、君に起こりうる災厄を認識した」
「未来視ってことなら、もっと楽な方に誘導することもできたんじゃない?」
「それはできない。『星間飛行』における未来視は"星見"といってね、ただ見ることしかできない。その未来は決定論的であり、覆すことはどうあっても不可能だ。けれど、その未来になるためには誰かが動かないといけない。歴史と一緒さ。そう為すために、だれかが為さなければいけない。わたしには、それを後押しすることしかできなかったのさ」
それが私と宗次郎に託された魔石であり、幻想騎士としての『イスカリオテのユダ』と『ジャンヌ=ダルク』、だった。
「今回の出来事の山場は"zeroの魔炉"と"神獣化したノーウェンス"、"アーネンエルベの『星間飛行』"であり、それを乗り越えないといけなかった。それが見えた以上、それらを踏破するために、アルス、ジーン、ジューダスが最適解となる。事情を知らぬままでも、彼らはよく動いてくれた」
"zeroの魔炉"を損傷させたのはアルスが用いた魔弾、"神獣化したノーウェンス"のコアを破壊できたのはジーンのみ。そして、"アーネンエルベの『星間飛行』"の失策を見抜き、事態の収拾を付けたのはジューダスだった。
そのどれもが、夏喜の"星見"で観測された未来の為に為されたもの。なら、蒔絵は――
「君の友人の件については、今回の"星見"では認識できなかった。それはわたしの力不足だ。申し訳ない」
「ううん。万能じゃないってことがわかったから、いい。見捨てたのなら軽蔑もしたけど、そうじゃないってわかったから」
私の返答に、バツが悪そうに夏喜が頭を掻いた。けれど、私の言葉に偽りはない。"星見"は決定論的な未来ならば、それは運命だったということだ。運命が書き換えきれるものならば、そもそも夏喜が消えることはなかったのだろう。
「アルスについてのいくつか疑問があっただろうと思うからついでに答えよう。なぜ葵とアルスが契約できたかは、わたしが仕組んだから。そして、君が最後に使った弾丸も、わたしがアルスに準備させた。これも、"星見"の恩恵だよ」
思い返せば、あの首からかけた弾丸は、菊からもらったチェーンに取り付けてから一度だって取り替えていない。すり替える隙はなかったはず。
「アルス自信は意識したものではないけど、そう判断するようにしていた。一度、アルスが君を指差した時があったでしょう。その時に仕込んでもらったのさ」
――昨日貰った、銀弾を使った練習をしてもらいたいっす。
新守との交渉のあと、アルスが私に魔力弾の使い方を促した時。あの一瞬で、先のことを見通して準備していたとは驚いた。
「多くを知れば、二の足を踏む時もある。けれど、君には感謝している。辛いことばかり押し付けてしまって申し訳ないという気持ちももちろんある。許してくれとは言わない。それがわたしの責任だ」
許しを請う、それは自身が負うべき責任であり、それを結果として私に押し付けたからには、これ以上背負わせるつもりはないらしい。
「わかったわ。いろいろあったけど、別にあなたに恨み節を言うために会ったわけではないしね」
「相変わらず達観しているね、君は。大人になった、いや、ようやく年に追いついたとも言える。強く生きてくれて安心したよ。
それで、他に聞きたいことはないかい? 君の過去とか、まだ教えていないことはたくさんあるけれども」
私の過去――事故により記憶を失った前のこと。アレイスター=クロウリーが――ロキが言っていたのは、アレは事故ではなく、"銀の星《strum》"の襲撃によって起こった悲劇であり、以前夢で見たあの光景こそが真実なのだろう。
けれど、――
「――それはいいわ。今更ってことでもないけど、私は私だから。どんな過去でも、未来でも、今の私は倉山葵だから」
そう。私の中では、過去の事実への清算はついている。どんな事実が隠れていようと、元凶がいない以上、もはや関係はない。
最後の戦いが始まる前なら知りたかったかもしれないが、あの戦いからはすでに五年が経過している。だからこそ、過去の真実を知ったところで、私の人生観は今更変わらないのだから。
「・・・・・・驚きだ。知りたがらないとは予想していなかった。いいのかな? この機会を逃せば、この先十年は知り得るタイミングはないけれども」
「いいの。降ってくるものならしかたないけど、わざわざ知る労力は必要ないわ」
「そこまで言うのなら後追いはしないでおこう。君の選択は君の意志で、君の未来だ。大人になったのなら、それを背負うだけの責任もあることだしね。
――さて、聞くことがないのなら、この場もお開きになる。それでも大丈夫かな?」
「あ。最後に一つ。本の事なんだけど」
記憶からすっぽりと抜けた本の存在。始まりを告げた黒い本も、夏喜へと繋がった白い本も、不自然なほど急に現れ、また記憶から消えた。作為的とも思える出来事。
「あれも、わたしが仕組んだものだ。最適なタイミングで近付くようにね。早めに気付く分には問題ないが、最後まで気付かない自体だけは避けたかった。いわば暗示だ。君の視界には常にあったさ。それを無視していたに過ぎない」
「あなた、どこまでも策士なのね」
「褒め言葉としてもらっておこう。わたしの娘になってくれてありがとう、葵。どれもこれも、感謝している」
「ええ。私も、あなたに出会えてよかったわ、夏喜」
「ああ。わたしもだよ、葵」
真っ白な世界がゆっくりと暗転していく。夏喜の姿も、ゆっくりと透けていく。忙しないなとは思ったが、ここでの繋がりも奇蹟の施し。目的が済んだのなら、幕が下りるのは必然だ。
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「――ん」
何か、不思議な感覚だ。夢でも見ていたかのような朧気な意識に、わずかに上下する感覚が全身にかかる。
「あ。やっと起きた。ねぇちゃん、あんなところで寝てると風邪引くよ」
目を開けば、宗次郎におんぶされ、顔に触れる髪の毛がこそばゆい。全身を預けている弟の背中は思いの外大きかった。
白んだ空の下、緩い山道をしっかりとした足取りで下っていく。その力強さも、私が知らないものだった。
「おばさん――夏喜と会えたんだね。満足できた?」
「うん。知りたいことは知れた」
答え合わせのように、知らないことを手繰り寄せた。その答えは、夏喜の見た未来にあり、残された私たちがそれを辿る。
「ねえ。いつまでおんぶしてくれるの? 私、もう起きてるんだけど」
「え。いいよ、どうせすぐ家に着くし。それに、おんぶくらいできる男のほうがモテるでしょ」
謎のモテ理論を得意げに口にした弟。どこの女を捕まえてくるのやら。
「・・・・・・はぁあ。やっぱりあなたが将来連れてくる女性が心配だ」
「小姑か。意味分かんない」
冬の空。朝焼けに染まる山肌。澄んだ空気が白く溢れる。視界に入る母屋が朝露に濡れている。
長かった私の物語は、これで終りとなるだろう。非日常だったあの二週間の出来事は、忘れることはなくとも想い出となる。世界の影に隠れた出来事も、きっとどこかで繰り返すかもしれない。
けれど、それはそれでいい。きっと、それも世界には必要だ。
向こう側の星で生きている夏喜は元気に過ごしているだろうか。向こう側でも、誰かの為に為そうとしているかもしれない。
少しだけ変わった不思議な世界で、今日も私は生きていく。人生の一ページに綴られる今を踏みしめ、未来を待ち望んで進んでいく。
願うなら、幸せであるように。けれど、どんな人生だろうと、受け止める覚悟はとうにできている。
あの冬の日に誓った――倉山葵のセカイだから。
_goodbye my story, and to be continue, my life.
2021/12/27
新型コロナに振り回された2年でしたが、エブリスタに腰を据えてようやく完結した本作でありますが、喜ばしいことに完結して半年ばかり経とうとしていますが、まだまだ多くの方に拝読してもらえているようで毎日うきうきです笑
さて、エピローグの後日談としてのエンドロール、あとがたりとしてのポストクレジットシーン、倉山葵の物語の終着点の1つである<ほしのこえ/INTERSTELLAR/ENDROLL>ですが、ここでは作中における答え合わせと直接言及はされていませんが別の可能性についてのお話になります。
この話の最後に葵の本名についての言及がありますが、それについては外伝作品にて触れてありますのでぜひご覧になっていただけると幸いです。
ちなみに、夏喜が特異的に使用できる『星間飛行』と"星見"の未来視は別の能力です。そのことについても外伝にて。
今現在執筆中の「レクイエム・イヴ」の前日譚になる外伝作品「エンド オブ フォーマルハウト」完結後には、宗次郎を主人公とした「アポカリプス・イヴ」(仮称)を予定しております。いつ取り抱えるかはまだ不明ではありますが。
長かった「レクイエム・イヴ」はこれにて終了します。閑話休題も書こうかと思っていましたが、割と満足しているので棚上げします。また別の作品でお会いしましょう。
さよなら。さよなら。さよなら。
2021年(令和3年)12月27日 まきえ




