終
藍には理解できなかった。
否、理解したくなかった。
青が、自分を殺してくれなどと言うなんて。
■ ■ ■
「藍、殺して、下さい。私は、ルーラルの人たちを、人間を、もう食べたく、ないッ!」
そんなの。
二人で生きて行こうと、語り合っていたのに。
生きて、いこうと。
(嫌だッ!!)
吠えたら、青は苦しげな顔を歪めて、儚く微笑んだ。
「この一年、人間として、幸せな日々でした……。記憶を失っていたせいで、藍には、迷惑をかけましたね……。」
(そんなこと無い!!)
「ありが、とう。本当に、幸せで。だから、私は、この幸せを自分の手で、壊したくは無いのです。だから、おねが……」
ぱちん
また指を鳴らす音がしたかと思うと、青の瞳から光が消え、無表情の青鬼に戻ってしまった。
青の手が、ルーリルのドアにかかる。
あの中には、青の、俺の好きなみんながいる。
厳しい親方が。
口うるさくても優しいおばちゃんたちが。
ちょっとわがままでも、人を思いやる気持ちをもったフローラが。
毎日のように食べに来てくれる、お客様が。
そんな人たちと、生きて行きたいと思っていたのに。
『私を、殺して』
「――――――ッ!!」
藍は大きく吠えると、ルーラルの中に足を踏み入れようとした青に飛びついた。魔力が集まり、俺に攻撃をしかけようとしているのが分かる。
(俺も殺そうとしてるんだ。青も思い切り仕掛けて来い。)
藍は覚悟した。
相打ちが良い。
青がいないのに生きているなんて、考えられなかったから。
青のために生きて行こうと、誓ったから。
(来世があれば、また会おうぜ。)
藍は青の首筋を、思い切り噛み砕いた。
■ ■ ■
「青鬼……? どうして動かないんだ?」
ぱちん、ぱちんと、指を鳴らす音が辺りに空しく響く。
藍が恐る恐る目を開けると、足下には既に事切れた青がいた。
自分には、なんの外傷も無い。
(なんで……?)
青は魔力を放とうとしていたはずだ。それなのに、何も異常が無いということは。
(最後の最後に、青、お前……。)
胸が、痛い。
「青鬼起きなよ。」
閻魔はずっと指を鳴らしている。
ただ、何故青が起きないのか、わからないといった顔で。
「そんな茶番は良いんだよ。早くまたみんなで遊びたいんだからさ、ちゃんと言うこと聞いてくれないと。」
そんな、茶番……?
自分の欲求の為に、他の精神を壊しておいて?
茶番?
青はあんなに苦しんでいたのに。
青はあんなに、人間のように生きたいと、願っていたのに。
あんなに、あんなに……
「お前の、お前のせいで……っ!!」
藍は、頭の中が怒りで真っ白だった。
ただ、青を殺した閻魔が憎かった。
殺したい程、憎かった。
「なっ、なにごとだっ!?」
閻魔は、膨大なる魔力の流れに狼狽した。
自分が生きてきた中で、これほどまでのものは感じたことが無い。
更に驚愕すべきことに、大気中から集められるようなその魔力は、確かに自分からも流れ出ている。
そして、その先にいるのは、あの白銀の狼。
「何が起きている?」
魔力は渦を巻き、狼を取り囲んだ。
と、狼の体はどんどん魔力を吸って巨大になり、その吠える声は大地を震わせた。
白銀だった毛皮は、魔力の影響で真っ黒に変化してしまった。
「い、一体……。」
生まれてからこれまで一番強く、負けを知らなかった閻魔は、初めて自分より強いと感じる相手を目の前にして、情けないことに腰が抜けてしまった。
目の前にいるのは、山ほどもある巨大な狼である。
閻魔は初めて恐怖を感じた。しかし、初めての経験のため、それがどういう感情だか分からなかった。
ただ、自分が生きる未来が見えなかった。
その日、地獄の王の代替わりが行われた。
■ ■ ■
閻魔を飲みこんだ藍は、膨大な魔力が閻魔の能力と共に、体に馴染むのを感じていた。
次第に冷静になる頭で、復讐を成し遂げたこと、そして自分が新たな閻魔になってしまったことを理解した。
閻魔になったら、地獄で青に会えるだろうか。
そう思ったら悲しくなってしまって、山ほどもあった大きな体は、しおしおと元の大きさに戻った。毛皮の色は黒から戻らなかったが。
(青)
倒れている青の元へ駆ける。
血が流れた痕と、動かない青の体。
心臓が冷えて、涙が溢れる。
(青、青、青。起きて、青。)
けれど、青は動かない。
(なんで俺は、もっと早く閻魔を倒せなかったんだ。そうすれば、青を殺さなくて、すんだのに。)
藍は嘆く。
意味が無いのに。
過去は取り戻せないと分かっていても。
拾ってくれた時の、青の顔を。
洞窟で遊んだ時の、青の笑顔を。
人間のように生きたいと言った時の、あの泣き顔を。
無邪気な、ルーリルでの笑顔を。
困った顔を、健やかな寝顔を、遠くを見つめる静かな瞳を、
最後の儚げな笑みを。
「――――――ッ」
藍は天に向かって吠えた。
声は天を震わせ、大地を震わせ、そして―――
涙が、零れた。
青の傷の上へと。
零れた涙はキラキラと光り輝いた。
まるで天上の奇跡のように。
藍はその光景に、しばし驚いて見入ってしまった。
すると、傷が端から塞がって行くのが見てとれた。
(何、これ。どうなってるんだ?)
キラキラが、どんどん傷を癒していく。
ついには、青の首は、藍が噛みついたのが嘘のように綺麗になっていた。
「う……ん……」
「青!?」
傷が消えたのが信じられずにいると、完全に事切れたはずの青の体が動いた。うめき声も聞こえて、慌ててうつ伏せの体を仰向けに直した。
青の頬には赤みが差している。
「生きてる! 青!」
「ん……、あ、れ? 私、生きて、いるのですか?」
「うん、うん! 青!」
「もしかして、その瞳……。藍、ですか? どうしたんです、黒くなっちゃって。」
ふふ、と笑う青。その優しい笑顔が、もう二度と見れないと思っていた笑顔が、目の前にある。
藍は、今度は嬉しくて泣いた。
■ ■ ■
「お前たち、ランとセイ、なのか?」
藍が青に鼻頭を擦りつけて泣いていると、ルーリルから親方が出てきた。
「親方。」
恐る恐るという様子に、自分達のせいで怖い思いをさせた事に対する申し訳なさと、無事で良かったと言う喜びが満ちる。
藍は人化の術をかけ、いつもの姿で親方の前に立った。
「親方、ごめん。俺たち、人間じゃないんだ。そのせいで、今日はみんなに怖い目に合わせた。本当にごめんなさい。」
頭を下げると、なんとか立ち上った青も頭を下げたのが分かった。
「親方さん、ごめんなさい。全部私が悪いのです。恩を仇で返す真似をしてしまい、申し訳ありません。」
悪いのは閻魔であって、青は何も悪くない。
けれど、人間から見たら閻魔も鬼も狼も、全てが恐怖の対象だということくらいは、二人は百も承知だった。だから、何も言わずに頭を下げ続けた。
「何を言っているのかわかんねえな。」
「え?」
「お前たち二人は、あの変な男から、俺たちを命がけで守ってくれたんだろ? そりゃ、姿が変わるのは驚いたが。あの変な男を消してくれた今、お前たちは俺たちの恩人だよ。なあみんな?」
親方が店を振り向くと、おばちゃんたちもお客さん達も、店の窓から顔を出していた。
「そーだよお、ランもセイも、ありがとねえ!」
「二人とも怪我はないかー!?」
「怖いのはもう終わったんだろー? なら良いじゃねえか!」
そーだそーだ、とみんなが言う。
「ねえ、藍。」
「なんだ、青。」
「私たちは幸せだね……。」
「そうだな。」
二人は抱き合って、声を上げて泣いた。
愛されていることを知って。
仲間がいることを知って。
信じてもらっていることを知って。
「セイはもう小さくならないの?」
フローラのその言葉に、みんなで笑った。
■ ■ ■
結局二人は、親方たちに止められながらも、街を後にすることにした。
藍が閻魔になったことにより、閻魔としての意識が地獄へ行くことを選んだのである。
地獄の番というのも、この世界を回すためには必要な仕事なのだ。放置すれば、世界が滅びかねない。
「私ね、あの時地獄の門まで行ったんですよ。」
「地獄の門? あの、死者の国の入り口のか?」
「そうです、それです。」
地獄への道すがら、青はゆっくりと話し始めた。
「仕事柄、門はよく見るのですけど、あの時は『ここをくぐるのだな』なんてぼんやり考えていました。」
「それでどうなったんだ?」
「いざ、という時に、藍の声が聞こえたんです。私を呼ぶ声が。」
体が元の大きさに戻った時だろうか。
「そうしたら、体、というか意識がふわふわと浮きあがって、気付いたら本体に戻っていました。」
「へぇ。死後の世界ばかりは、死なないと分からないからな。でも生き返ってくれて良かった。」
「ありがとうございます。全部藍のおかげですよ。」
「俺は何もしてない。」
閻魔を喰ったくらいだ。
「ふふ、藍は気付いていないかもしれないですけど、あなた、今魔力の塊ですよ。」
「えっ!?」
思ってもみなかったことを言われて、藍は慌てて自分を見下ろす。
毛皮の色が変わっただけで、他は何も変わったようには思わない。
「おそらく、あなたが零した涙に宿った魔力が私の傷を癒し、閻魔の力もあって魂が呼び戻されたんでしょうね。」
そうなのだろうか。
あのキラキラを思い出すと、そうかもしれない、とも思う。
「これは想像ですが、藍はもともと閻魔になる定めだったのでは無いでしょうか。故に群れを追われた。そして、本来であれば魔力が溜まり次第代替わりだったのが、洞窟や人間界で生活したことによって遅れてしまった。それが私を噛んだ事によって私の魔力を直接取り込み、代替わりに必要な最低限の魔力を得たのではないか、と。」
あくまで私の見解です。
そう言った青になるほどな、とは思ったが、藍は元来頭を使うのは得意では無い。終わったことだと考えるのをやめた。
「青が笑って、俺の傍に居る。それが全部で良いよ。」
藍がそう言ったら、青が満面の笑みを返した。
その後、二人は地獄を守りつつ、たまに人里へ遊びに行き、長い長い時間を幸せに暮らしましたとさ。
ここまで読んで下さった皆様、ありがとうございます。
降って湧いたように出てきた物語を、一日でまとめ上げました。
他にやるべきことがあるというのに、手がとまりませんでした。
欲を言えば、もっと長く書きたかった。
でも長編って苦手なのよね。