01-021.ヘリヤ、その向こう側 ~透花~
2156年3月18日 木曜日
先日の午後から降った雪は少しだけ積り、辺りを白く染める。一夜明け薄氷の様に固まったそれは、まるで白銀が周りの音を吸収するかの如く静寂を誇張する。
音は全て、ここ屋内大スタジアムで溢れていた。本日はDuel本選2日目。全ての試合が1試合ずつ行われる。
観客は満員御礼。各メディアも多く入場している。先ほど本日の第1戦目が行われ、客席の熱気も上昇したばかりだ。
これから第2回戦、試合コート2面での第2戦目が行われる。
対戦カードは京姫とヘリヤ。お互い漆黒の装備を纏った者同士。
彼女達は今、コート中央で向かい合っている。
「うんうん。ちゃんと勝ってきたな。待ち遠しかったよ。」
「私もヘリヤと戦えるのを楽しみにしてました。」
「その武器、初めて見るな。あたし対策か?」
「ええ。そうです。あなたと戦うためにはこれが必要ですから。」
「そうか、そうか。それは楽しみだ。」
ヘリヤは笑う。その笑みは子供が持つ純粋さと同じであった。
『双方、抜剣』
京姫の武器デバイスは長巻である。右手の柄は剣先が上になる様、胸の高さで持っている。「抜剣」の合図で長さ90cmの柄から107cmの刀身が生成された。
長巻に拵えているが、元々は大太刀である。
大太刀 銘 兼高作。刃長107cm、反り4cm。
戦場で使用する前提として造られた実戦刀である。そのため、元より重ね(刀の厚さ)も厚く造られている。
長巻は、槍、薙刀、太刀として扱え、中~近接戦までカバーする。
腰にはいつもの様に接戦用の脇差を佩いており、取り回しが重い長巻をフォロー出来るようにしている。
『双方、構え』
ヘリヤは、左脚を前に出し少しだけ左半身となり、剣の柄を左腰に寄せる型、左Pflugの構えを取る。
対する京姫は、右脚を前に右半身となり、相手に切先を向ける正眼の構えである。長巻であるため、左手は鍔元から肩幅より少し離れた場所に添えている。
『用意、――始め!』
審判の合図と共に、京姫はトンッと後方へ一歩飛ぶ。長巻を有効に使える距離を作るためだ。そして、正眼の構えのまま自護体に入る。自分のタイミングが折り合い取れ次第、攻撃に移るつもりだ。
ヘリヤはどの試合でも必ず最初は相手を見定めるかの様に受けの姿勢で待つ。昨日の花花とヘリヤの試合は見て確信した。あれは相手の技が見たいがための行為であると。
ならば今の自分がどれだけ揮えるのか存分に味わって貰いたい。その思いが精神を穏やかにさせる効果を生んでいた。
ヘリヤは、――その様子を只観察していた。自分に対してどの様な技を見せてくれるのか。京姫が着々と己を高めている様子が見て取れる。あれが満ちた時に攻撃が来るであろう。その時が楽しみでしょうがない。
外野の音も全て遠くに聞こえ、やがて意識から消えた。ここにはヘリヤと自分の音しかない。
京姫は、自分でも驚く程、心が凪いでいる。世界最高峰の騎士を前に気負いも力みもなく、過去最良の精神状態であった。
きっかけはテレージア、そして小乃花との戦いだろう。今まで不安定だった心と技と体が噛み合い始めている。それが今回、開花しつつあるのだろうと思われる。
京姫は、意識せずとも自然に、本当に自然に身体が動いた。
左脚を一歩蹈み込むと同時に、左手で長巻を突きこむ。相手の射程外から右手をガイドにスルスルと切先が伸びる。
ヘリヤの胸に切先が吸い込まれる様に見えた瞬間、一歩踏み込まれ剣が長巻の刃に添えられた。そしてスライドするように上へと巻き上げられた。
それから――ポーンと、攻撃が成功したことを知らせる通知音が2回鳴った。
再び音が戻ってくる。客席から、解説者のアナウンスから、割れるばかりの騒がしい音だ。まるで夢から覚めたみたいだ、と京姫は思った。
――ヘリヤは太刀部分の左面中程の下から潜り込ます様に剣を差し入れ、突きの勢いに合わせて剣で長巻を上に逸らせながら鍔元まで滑らせる。これで京姫の長巻は上段の構えが崩れた様に斜め上方向に逸れていった。
そして、長巻の鍔元を起点にバインドを仕掛ける。この位置からでないと、柄を目一杯伸ばした京姫の身体には剣が届かないからだ。シュランと薄い金属が擦れる音が響き、剣で長巻を外側に完全に巻き、長巻では攻撃の導線がつながらない位置に送り込む。京姫の長巻はほぼ垂直に立ち上がった形になった。こちらの身体は、長巻の鍔元近くまで踏み込んでいる。踏み込んでいる?ヘリヤはここで気付く。自分は最初の一歩だけしか踏み込んでいない。つまり京姫がもう一歩蹈み込んでいたのだ。だが、その一歩はヘリヤを剣の間合いで捉えるための布石である。
ヘリヤは既に京姫の左前腕に突きを通す挙動を開始していた。そして、突きが左前腕を穿った時、京姫の右手はその剣を避ける位置から鍔元に添えられていた。
気付いた時には、高く掲がっていた切先が、美しい弧を描いてヘリヤの一歩踏み込んだ右脚を音もなく薙いで行った。
上段からの切り下ろし。槍の技から剣術の技へ繋げた一振りであった。
ヘリヤは距離を取る。このまま攻め続けることは勿論可能だが、今受けた技をもう一度思い起こしたかったからだ。
「(京姫はアレに入っているな。攻撃の気も見せずに、こちらの剣を垣間縫って流れる様な長さを生かした突きを最初に出したのは驚いた。)」
「(剣を巻かれて、それが当たり前であるように受け止めた。そして上を向いた刀身が弧を描いて脚を斬っていくなんて初めての経験だ。)」
「(やっぱ、練られた武術ってのは素晴らしいの一言だ。ああ、楽しいなぁ。)」
京姫は、集中力の深さから三昧の域に達していた。
そこから、ヘリヤの言うアレ。アスリートなどで時折発生するゾーンに突入した。
しかし、ゾーンの状態は単なる副産物であり、視覚情報がより精密に取得出来たに過ぎない。
何より、ヘリヤの剣速は、ゾーンの状態であろうとも止まって見える様な生易しいものではない。
得た視覚情報から身体が出すべき技を出す。
思考も身体も世界も溶け合い一つになった感覚。
無心。
戦うためでも相手を倒すためでもなく、身体に染みるまで刻んだ技を只、振るう。一瞬ではあるが境地の片鱗に踏み込むことが出来た結果だった。
「凄いぞ、京姫。今の突きは出始めが読めなかった。それに脚を斬った技。高きから低きに弧を描くなんとも美しい技だった。」
「ありがとうございます。私が高みに一歩踏み込めたのは、あなたが相手だったからこそです。まだまだお見せしますよ。」
「それは、なんともウレシイねぇ。」
そして、京姫は、再び正眼に構える。しかし、薙刀ではなく、太刀による正眼の構えだ。
まだ、左前腕にダメージペナルティによる動作の緩慢さが残っているが、柄に添えるだけであるため影響は僅かである。
対するヘリヤは、左脚を少しだけ前に、右脚を身体の重心点の位置につま先を斜め横に開く様に配置する。剣先は真っすぐ上向け胸の高さで柄を持つ型、Vom Tagの構えを取る。
京姫の技を全て受けきるための構えである。もっと技を出してこいと、ヘリヤの目は言っている。
再び音が消え、京姫は、ヘリヤと二人だけの隔絶した世界に没入した。
正眼から右脚を一足蹈み込み胴へ横一閃するも、ヘリヤの剣が割り込み、そのまま太刀の下から反時計回りに捩じる様に巻かれる。
巻かれながら左脚を蹈み込み、左へ回り込みながら、太刀の巻きを外す。
変形したPflugの構えとなったヘリヤは、そこから右前腕を切り上げる。
京姫は、右脚を一歩蹈み下げ、剣の切先を躱す。
体を変え、構えを変え、技を変え、斬り結ぶ。
お互いの姿は黒と黒。
影が戯れる。
それは二つの影しか存在しない影絵の世界。
ヴィーーと、1本取得を知らせる通知音が鳴り響く。
音が溢れ、色の付いた世界に戻された。
『ヘリヤ選手、1本。第一試合終了』
京姫は、審判の声がどこか遠くに感じていた。
心臓部位へ向けヘリヤの放った突き。
長巻を切り返す時、瞬きする程の一瞬に出来る、ほんの数センチの隙間。
そこは、初めから剣を突き込むために開かれていたのだ、と言うように。
むしろ、自分の胸に刺さった剣は当たり前であると錯覚する程だ。
策略もフェイントもなく、教本通りに放たれた刺突の基本技。
極めた先にある遥かな高みに触れることが出来た。
あの高みにもっと触れていたい。
勝ち負けなど関係なく純粋な思いが生まれた。
観客席も解説者席も大騒ぎである。ヘリヤが2戦連続でポイントを奪われたからだ。しかも、ポイントを奪った相手は昨日同様、まだ2年生。
客席ではヘリヤが弱くなったのでは、との噂も出始めたが直ぐに鳴りを潜める。彼女が今大会で勝ち星を奪った相手は全国大会や世界選手権大会に出場した選手達からであるためだ。
つまり、純粋に強い選手が生まれたことを証明している訳で、新しい世代が育っていることに喜びをもって話題が広がっていく。
騒然としている最中、ヘリヤは全く外野の音を気にしていないどころか、聞いてもいない。
彼女は、先ほどの京姫との攻防に思いを馳せている。
「(あの武器は、剣であり、槍であり、グレイブでもあるのか。)」
「(全く違う武器の技を一つに繋げる武術があるなんて驚いた。)」
「(攻撃出来る隙が一度しかなかった。楽しいなぁ。)」
ヘリヤはニヤニヤとした笑みが止まらない。
そして、目にも映らない遥か遠くを見やる。
「世界は広いなぁ。」
自分が知らなかった武術を体験したことに、思わず声を漏らした。
――『双方、構え』
第2試合。
ヘリヤは、左脚を前に出し軽く膝を曲げ、左半身になりながら肩の高さで剣を引き持つSchlüsselの構えを取って見せた。
京姫は、左半身の腰を落とした左自護体になり、腰の辺りに水平に長巻を据える地ノ構えを取る。テレージア戦で見せた関取が四股を踏む様な立ち居だ。やはり、パンツ丸出しの乙女がして良い姿か疑問が残る。
『用意、――始め!』
京姫とヘリヤ、お互いが動き出す。
京姫は右脚を一歩蹈み込み、ヘリヤの胴に向けて突きを放つ。右手は離さず、両手での突きである。
ヘリヤは、太刀の中程に剣を当て右方向へ巻いて流し、自分に向かう攻撃の導線を外す。それと同時に後ろに下げている右脚を右方向に一歩スライドさせ、正面を向くような姿勢となりながら、太刀の峰から被せる様に剣を滑らせ相手の右手を切りつけるべく撓め切りを行う。
しかし、京姫は、蹈み込んだ右脚を一歩引き、身体ごと長巻を一度引く。
その動きを追従する様にヘリヤは一歩二歩と進む。相手が構えを変える時に攻撃するつけ込みと呼ばれる技である。
ここで、ヘリヤは攻撃を察知し、踏み込んだ脚に力を入れ、後方へ跳んだ。
京姫は引いた長巻をそのまま剣先を後方に向け腰元で水平に持つ斜の構えに移行していた。五行で言うところの脇構えである。
ヘリヤが踏み込んだところで、遠心力も利用し、最速の横薙ぎを放つ。
薙刀程の長さはないが、それでも2mはある長巻だ。切先の速度は亜音速に達する。
京姫の長巻は、ヘリヤの宙に浮いている右脚を薙いだのだった。
――ポーンと、攻撃が成功したことを知らせる通知音が鳴り響く。
ヘリヤの脚を一本使えなくした。
今、ここで追撃をかけるのは必定。
京姫は長巻の柄頭に添えた左手を押し出し、鍔元の右手を引きながら左へ横薙ぎした刀身をクルリと八双の構えに持っていき、左脚を踏み込む。
が、ここまでだった。
踏み込んだ左膝は言うことを聞かず、歩法が乱れ、体が崩れた。
その瞬間には心臓部位へ再び剣が突き刺さった。
ヴィーーと、1本取得を知らせる通知音が鳴り響く。
『ヘリヤ選手、2本。試合終了。双方開始線へ。』
『東側 京姫・宇留野選手 2ポイント』
『西側 ヘリヤ・ロズブローク選手 2本』
『よって勝者は、ヘリヤ・ロズブローク選手』
京姫は、「ふうっ」と一息付く。精神的疲労だろうか、やけに思考が鈍る。
歓声は大きく、拍手喝采ではある。自分を讃える声も聞こえる。
だが、その音は遠くの出来事の様で、自分の場所はこちら側なんだと試合コートを見やる。
しかし、あの夢の様な世界は。
夢から覚めて終わってしまった。
それが勝敗よりも残念で仕方がない。
「おめでとうございます、ヘリヤ。」
「ああ、ありがとう。」
「それと、ありがとうございます。ここまで連れて来てくれて。」
ヘリヤが居なければ、あの高みには未だ届いていなかった筈だ。
「いや、京姫が積み重ねた結果だよ。最後はアレにまだ身体が追い付いてなかったけどな。」
「…アレ、とは?」
「ほら、集中すると動きが止まって見えるヤツ。」
「ゾーンのことですか?」
「そう! それ! アレは精神疲労と肉体疲労がバラバラだから長時間使うと最初は身体にクるんだ。」
ヘリヤはゾーンの名前を憶えていない。自然と出来る様になったため、名称などどうでも良かったからだ。
「必要な時だけ使うのが一番楽だな!」
その台詞だけでヘリヤが尋常ではない騎士であることが判る。
そもそもゾーンとは極度に高まった超集中状態であり、稀に顕れる現象で自らコントロール出来るものではない。
彼女は夢の世界の住人である。
夢を見続けるために只管積み上げ強さを得た。
「…楽しかったなぁ。」
ポツリとヘリヤは呟く。
夢が覚めてしまった寂しさが一瞬見えたが直ぐ笑顔になる。
次の夢を見るために。
「ええ、本当に。」
「また、いつかな!」
「…っ! はい! またいつか!」
京姫も先を目指す。
今回、一刻ではあるが目指すべき高みを垣間見ることが出来た。
だから、またいつか。
世界の頂きで。




