第一話 「私立アルカイク学園」
家を出て、学校へ向かって走る。時間的には問題なく学校にたどり着けるが、私の目当てである生徒会長、新屋敷真樹先輩は朝が早い。生徒会の仕事をしているから早目に登校するといっていたので、私もそれを狙って早目に登校するようにしている。
それを、いつもユンちゃん――私は他の人と区別するためイレーネをそう呼んでいる。イレーネってなんか言い難いしね――にお願いして早く起こしてもらうようにしている。
【私の目覚ましはあまりお気に召さないようで、現在全敗中ですが】
「分かってるよ、ごめんってば」
【いえ、別に私は実害無いので構いませんが】
えぇ、そうでしょうとも。そう吐き捨ててとにかく学校への道をひた走る。
学校についてしまえば行く場所は決まっている。自分の教室なんかは目もくれず向かうは生徒会室。
四階建て校舎の三階にあるその生徒たちの聖域には、私の王子様、真樹先輩がいる。いつも変わらず奥にある机で書類にペンを走らせ、雑務がなければ静かに洋書を嗜む麗しの君。
【…………かみさまの中での会長美化は一線を画すものがありますね】
そう、こんな嫌味も耳には入らない。それ程に私は会長が好きだ。告白はしてない。出来ない。出来るわけがない。
「はあ、はあ、はぁ…………」
息も切れ切れに階段を駆け上がり、三階までついた所で壁に掛けられた姿見で自分の状態を確認する。
【血圧高め、発汗多、髪の乱れ有。全体的に残念な印象です】
うるさい。
頭の中で呟く声に歯噛みしながら、実際その通りな状態が鏡に映されているので、焦り髪を整え呼吸を正す。
汗はハンカチで拭きつつ、体の中でアーティに依る身体操作で更なる発汗を抑えてもらう。乱れた髪は急ぐあまりさらにばらついてしまうが、何とかゴムでひとまとめにポニーテールを作る。
「うぅ~、もっと髪短くしてればよかった」
長い髪は好きだが、こういう時にはまとめるのに時間がかかり大層焦る。
【朝早起きをし、余裕を持って来れば焦る必要もないと思います】
わかりきった事だが、胸に刺さる。
そうする間も、全体的に制服やらの乱れを直して完成間近。
「やぁ」
「あっ」
と言って、体が跳ねる。
そこに現れたのは真樹先輩。憧れの人。
腰が抜けんばかりの驚きだったが、何とかへたり込むことだけは避けられた。先程とは別の動悸に悩まされながらなんとか挨拶の言葉を紡ぐ。
「お、おはようございます先輩、今日も早いんですね」
「そうかな? 神さんこそいつも早いね。今日は元気な足音が聞こえたから見に来ちゃった。やっぱり神さんだったね」
「え…………き、こえてましたか」
「そりゃ、ね」
【かみさま良い印象です。今会長さんの中で赤丸急上昇です】
そんな訳ないでしょう。
そう、叫びたくなる気持ちを宥めつつ、頭の中では絶叫しておく。
真樹先輩は楽しそうに私を見ながら話し始めた。
「相変わらず面白い娘だね神さは。そう思わないかい太郎」
太郎、それは先輩のイレーネの呼称だ。先輩は男の人には珍しくイレーネの人格を男性に変更している。
イレーネの子供の頃の初期人格は通常女性に設定されている。それは、男女ともに母親と接するように慣れ親しむのが容易との理由だが、自我が芽生え、数年もすれば自分の意志で人格を設定できるようになる。その時、大体の男性は女性をそのまま選ぶそうだ。なぜか、男属性を選ぶ人は少ないと聞く。
同性の方が気楽な気もするのだが。
【はは、新屋敷前から言ってるだろう。俺はこのお嬢ちゃんは気に食わないんだってよ】
「む…………」
「太郎、そんな事言うなよ相変わらず冷たいな」
どうやら、先輩はイレーネの対話機能を公開モードにしているらしい。学校の中では色んな人に会うので、余程の事でもない限りみんなイレーネは秘匿モードで運用している。
みんな、独り言のようにイレーネと話している姿になるが。それが普通なので誰も気にも留めない。そんな中で、公開モードにしているのは、裏で何を言われているか勘繰られないためなど理由はあるのだろうが、やっぱり先輩は珍しい。
【かみさま、歓迎されていますね】
「なわけないじゃない、思いっきりディスってくれてるじゃない」
【かみさまやはりまだ子供ですね】
【お嬢ちゃんディスってなんかねーよ俺は。ただ、正直な気持ちを言ってるだけだぜ】
「いや、そういうところがディスってるって言われてるんだろうが太郎、なんでお前は神さんの前だとそんな人格が出てくるんだ」
イレーネに向かって文句を直接言いたいが、イレーネに向かうということはそのまま直接先輩に向かって文句を言う事に他ならない。なので、とても不本意だが怒りを飲み込み、先輩とだけ話すように意識を傾ける。
「あの、先輩。私気にしてないですから」
「いや、なんかいつもごめんね神さん。なんでなんだろう、普段はこうじゃないのに」
「いえいえ、いつもいきなり来てる私ですし、先輩の邪魔になってるから太郎さんも私に険悪なのかもしれませんし」
【会長さんもそうですが、視野が狭いというか低いというか。俯瞰ってご存知ですか?】
ユンちゃん黙ってて。
私はさすがに恥ずかしいので、ユンちゃんとのやりとりは秘匿モードだ。
【後ろめたいわけですね】
【そっちのユニットを秘匿してるのはやっぱバラされるのを避けてるんだろ。内心何考えてるかわからない奴ほど怖いものはないだろ。なぁ、新屋敷】
「いや、別に僕はそんな事気にしないけど」
【かぁー、嬢ちゃん良かったな。うちの宿主
が心の広い男でよ】
言葉には賛成なのだが、このイレーネ――太郎の言葉には素直になれない。なぜ、太郎はこんなに人間臭いのだろうか。親戚のおじさんにちょうどこういった無遠慮に口を挟むタイプの人がいる。
嫌いではないが、好きにはなれない。
立ち話もなんだから、そういって先輩に連れられて生徒会室に入っていく。
そこは、綺麗に整頓された部屋で先程まで掃除をしていたのかというように床にもどこにもゴミ一つ見当たらない。普通学校の部屋はどこも薄汚れた感じが印象として強いのだが。
「さて、神さんお茶でもどうかな? 今朝はここで飲もうかと思って紅茶を持ってきてるんだけど」
「あ、じゃ、じゃあお言葉に甘えて…………」
先輩が鞄から水筒を取り出し、水筒の蓋を器に紅茶を入れてくれた。
柔らかな日差しが差し込む生徒会室に、紅茶の香りと、先輩の優しい匂い。そして、静寂。
(あぁ、私今日幸せ…………)
うっとりと、そんな感想を抱きつつ、紅茶を口元に運ぶ。
【間接的な口づけですね】
――ぴたっ
静寂の中で、自分の鼓動が高まっていくのを感じる。今日はこんなに暑い予報だっただろうか。体の中心から火照るように熱気がこみ上げる。
「神さん? 熱すぎたかな? 猫舌だっけ」
先輩の疑問に視線を飛ばす。
優し気に、心配そうに、そんな風な目で見つめられていることを意識してさらに胸が高鳴る。
【おっと、愚行を犯しましたね。すいませんかみさま気付いておられなかったとは。言わない方が。または後でお知らせした方がよろしかったですね
今、自分がこの場にいないような錯覚すら覚え、イレーネの声が意識を素通りする。
「はぁ…………」
やってしまった。あの後、心配してくれた先輩が近付いた瞬間パニックになってコップを置いてダッシュしてしまった。
後ろから響いた先輩の私を呼ぶ声と、太郎の引き留める声。その両方を聞きながら、大声で謝りながら振り返らずのダッシュ。
「先輩、意味が分からなかっただろうなぁ」
【えぇ。その通りです】
「ユンちゃんがあんなこと言うから意識しちゃってさぁ」
【いえ、まさか気付いておられないとは。かみさまも豪胆さを身につけられたのだとつい好ましく思い、口を挟んでしまったのですが、失敗でした。これは優先順位Aの分類で記録を保存しておきます】
「やめて、ホントに恥ずかしすぎる」
一人きりの教室でそんな話をしていると、突然大きな声が後ろから耳を打つ。
「ヤッホー姫なにが恥ずかしいのさ」
「っ、ビックリした。おはよう穂乃花」
「恥ずかしい思いしたっていえばさぁ、今日私も朝から変なのにあってさ。聞いてくれる?」
「うん何があったの」
桜辺穂乃花、彼女は幼馴染。突然現れ、突然話を始め、突然いなくなる。突然を愛するトラブルメーカーだ。
彼女はあまり、熱心に人の話を聞かない。そのせいか大勢の人と仲良くしているといったタイプではないみたいだ。誰とでも分け隔てなく話すのだが、彼女の突然性についていける人のみが彼女との友人関係を構築できるみたいだ。私もその中の一人だが、私はむしろこの突然性の彼女にこそ好感を持っている。
「それがさ、朝私が普通に家出たのよ。そしたらさ、家の前になんかいるのよ」
「なんかいる? 誰かがってこと? それとも動物とか」
疑問が口を出る。どうも、要領を得ない。「いや、私もそれが何かって言われたら分からないんだよね。だからなんかいるっていう感じなんだけど」
さっぱりだ。表現として『誰か』なら知ってる知らない問わず人がいたということなのだが、『なんか』では範囲が広すぎる。しかも、人間か動物かを分けて問いかけても、どちらとも正解の返答がない。
「どういうことなの? イレーネなら映像も残ってるんだからそれが何か答えが出せるんじゃない?」
「それがさ、そこもおかしいところなんだけど、タカにもそれが分からないんだって。むしろ、タカにはそれが認識できてないって言ってる。私の目とか体に異常がないって記録にもあるんだけど、でも私は見えて、タカには見えてないの」
「タカにも? うーんイレーネに認識できないものがあるの? 聞いたことないんだけど…………ユンちゃん公開モード」
「あ、タカ公開モード」
とりあえず私たちは情報共有をして、状況の確認をすることにした。
情報共有のやり方は、共有したい相手と握手をする。そして、頭の中で共有したい情報をコンソールから指定し、相手に渡すイメージをとる。そうすると、互いに同じイメージを見ることができる。
相手が初めてだったりすると、もう少しセキュリティレベルの問題で手順が煩雑だが、二度目以降は簡略化することもできる。
「…………これ」
「どう、見える?」
「う、うん…………映像は見える」
「それでね、家を出て、今、今。電柱のところに黒い塊みたいのいるでしょ? これが、何なのか分からないんだけど、タカには見えないみたい」
【だから、いないんだって。見えないじゃなくていないんだって】
頭に響く男性の声。これは、穂乃花のイレーネの声だ。中性的な、声変わりを終えていない男の子の声。穂乃花は趣味でチョイスしていると昔言ってたっけ。確か、大分昔に亡くなった声優さんのボイスイメージをインストールしているらしかった。自分の言葉を信じない穂乃花に少し怒っているのか、その声には拗ねている感じがあった。
【確かに。かみさま私にも確認はできません。タカ様の仰る通りここには何も存在しません。映像を解析しているので確証ではありませんが、タカ様が穂乃花様を介して得た感覚情報を解析してもそこに何かが存在、または穂乃花様が何かを感じ取った記録は見受けられません】
「いやいやいや、だったらなんで私そこに何かいるって感じて、見えてるのよ」
「穂乃花、私もそこに何かいるってのは分からない。黒いのなんているの?」
「えーっ姫にも見えないの? うわーショック、私の目がおかしいのかな。病院行った方がいい?」
【だから、感覚器に異常はないんだって今ほのちゃんはすこぶる快調元気だって】
【穂乃花様。私がかみさまを介して得る情報からも異常は見受けられません。通院の必要は現時点ではないかと思われます】
実際、穂乃花からの映像には穂乃花が怪訝そうに電柱の辺りを見て疑問の声を上げているものしか流れていない。イレーネとのやりとりも完全にそこに何かがいる可能性は否定されている。では、穂乃花は何を見たのか。記録にも残らない、イレーネが解析する感覚器の記録にも残らない何か。
普通では起こり得ない何かが起こっているという見方もできるが、実害がない以上大事にする必要がないというイレーネの意見が優先されるべきだとは思う。
今の時代、病院は殆ど行く機会が少ない施設となっている。それは、イレーネが体調管理をすることで大抵の病気は発症しないし、発症しても投薬で済ます事ができるのだ。イレーネには基本機能として医学知識、薬学知識がインストールされていて、それをもとに自分の体調にあった薬を服用する事が出来るし、薬もドラッグストアで医療用の物が手に入る為、医師の処方箋などは必要なくなっている。
人間の記憶力は限界があるので、アーティが出来てからは人間の記憶力を補う形で運用されるようになり、勉強は形を変え、基本的には知識を得るためではなく技術を身に着けるものになっている。
病院にも手術などの必要がない限り滅多にいく事はない。アーティのサポートあってのことだが、技術の習得が著しい人は十代で手術や重要な技術職へと従事する人もいるくらいだ。
ともかく、私の目にもやはり何も映らない以上穂乃花に心配を煽るのはしたくない。
「穂乃花、多分疲れてたんじゃない? 昨日よく眠れなかったとか」
「そうなのタカ?」
【…………】
やはり、タカに聞くよね。体調管理はアーティの仕事。それを伝えるのはイレーネの仕事。イレーネには偽悪回路と呼ばれるものがあるらしく宿主に対して必要であれば嘘を吐くこともできる。
【うん、ほのちゃん昨日はよく眠れなかったみたいだよ。安眠できるようにはしてたつもりなんだけど】
「ほら、タカもこう言ってる訳だし。気のせい気のせい」
「うーん、そうかなぁ。確かにいた気がするんだけどなぁ。タカ偽悪じゃないでしょうねソレ」
【偽悪だとしても、ほのちゃんに確かめる事は出来ないでしょ? しかも、僕達は宿主に害になるようなことは出来ないしね】
「ん~結局そこに落ち着くわけね。まいっか」
「そうそう、ほらそろそろみんな来てるよ」
チャイムが鳴るにはまだ早いが。そろそろ時間も8時過ぎて、わらわらと生徒が教室に集まりだしてきている。
その時には私は穂乃花の言葉を忘れ。登校してきた他の友達達と挨拶を交わしたりで、その事は頭から徐々に薄れていった。
穂乃花も気にしていないようだったので、すぐに他の話題で忘却の彼方へ追いやられた。
【タカ、後で手紙を】
【うん。――秘匿モード】
珍しく、ユンちゃんがタカと交わした言葉。その意味が分かるのは、そう遠くない未来だった。




