第4章 大学生活の始まり
1987年〜1991年
進は黎明大学に入学し、寮に入るが、後に出て安いアパートで暮らす。
司法試験予備校に行こうとするが、資金がなく断念。
友人の高橋と資金を出し合い、予備校講師の講義テープを購入。
司法試験には合格できないまま大学卒業。
【滑り止めの溜息と、死守した門】
1987年4月。古都・京都の街は、淡い桜色に包まれていた。 進は、念願の黎明大学の門をくぐった。法学部――そこは、亡き母と約束した「正義」への入り口のはずだった。
しかし、期待に胸を膨らませて踏み入れた学生寮で、進は予期せぬ冷気に晒されることになる。
寮生の多くは、誰もが名の知る有名進学校の出身者たちだった。
彼らにとって、この大学は「不本意な着地点」に過ぎない。
「なんで、こんな大学に……」 同期たちがこぼす、
隠しきれない選民意識と妥協の溜息。
働きながら小銭を貯め、母の命日に合格を誓った進にとって、その言葉は鋭い棘となって胸に刺さった。
彼らが「滑り止め」と蔑むこの場所は、進が血を吐くような思いで掴み取った、唯一無二の聖域だったからだ。
【「三流」と蔑む仮面】
そんな寮生の中でも、福岡県出身の細田という男の放つ言葉は、とりわけ進の神経を逆撫だった。
細田は九州でも有数の最難関高校を卒業していた。
地元の誇りである九州大学を目指し、一浪して再チャレンジしたが、結果は無残な不合格。
やむなく滑り止めとして黎明大学に入学した彼は、ここを「本来自分がいるべき場所ではない」と頑なに信じていた。
細田は大学の講義には目もくれず、毎日大学図書館の片隅に陣取った。
机の上に広げられているのは、黎明大学の教科書ではなく、九州大学の赤本だ。
ある日、図書館で鉢合わせた進に、細田は冷笑を浮かべて言い放った。
「伊崎、よくこんな三流大学の学生でいて恥ずかしくないな。俺は一刻も早くここを脱出するよ」
その言葉を背中で聞きながら、進は拳を握りしめた。
定時制高校の夜、煤けた教室で一人机に向かった日々。
あの時の進にとって、この「三流」と呼ばれる場所さえ、天に届くほど高い嶺だったのだ。
【折れた翼と、消えた影】
しかし、細田の強気は、自分自身を追い詰めるための「劇薬」でしかなかった。
一年生の冬が訪れる頃、細田の姿は図書館から消えた。
模試の結果が振るわず、何度解いても赤本が高い壁となって立ち塞がる。
執着という名の鎖は、いつしか彼の精神を蝕んでいた。
細田はメンタルクリニックに通い始めたが、時すでに遅かった。
かつて「脱出」を豪語した男は、皮肉にもその「滑り止め」のキャンパスに通うことさえできなくなり、大学を休学した。
それ以降、細田からの連絡は途絶えた。
荷物が引き払われたマンションの部屋には、使い古された九州大学の赤本だけが、主を失ったまま一冊残されていた。
消息不明となった細田の噂を聞きながら、進は冬の京都の冷たい風を吸い込んだ。
学歴という記号に囚われ、今いる場所を愛せなかった男の末路。
進は、自分が死守したこの門の重みを改めて噛み締めた。
自分にとっては、ここが戦場の最前線であり、母に捧げるべき勝利の証なのだ。
細田が捨てた「三流の看板」を、進は誇り高く背負い、再び法律の書物を開き始めた。
進は大学の入学式の日のことを思い出していた。
そこで黎明大学学長が、こんなことを話していた。
「君たちは、フレッシュマン・フレッシュウーマンだ。でも、もしかすると、この大学に不本意ながら入学してきた者もいるかもしれない。私はそのような者も拒まない。ただもし、この場が自分にふさわしくないと思うのであれば、遠慮なくここを去って構わない。ここで頑張りたいと思ってもらえるなら、しっかりとフレッシュマン・フレッシュウーマンとして励んでほしい」
進の胸に、学長の挨拶は響いた。
この大学で是非頑張りたい。
進はそう誓った。
一方で、こんなことをわざわざ言う学長の思いが進にはわからなかった。
進はその後、多くの同級生や先輩たちの話すのを聞いて、なるほどと思った。
毅然とした態度が取れる学長を心から魅力的に感じた。




