墜落庭園の先客
「遅かったな、ナギ」
風もないのに、声だけが先に落ちてきた。
墜落庭園の崩れた回廊、その影の中に立つフード付きのプレイヤーを見上げる。
左肩には、俺の《終了世界の観測者》とよく似た、青い罅みたいな発光が走っていた。
装備は統一感がない。
雪原用の防寒布の上に、港湾作業員みたいなハーネスを重ね、その腰には門票と古い工具袋がぶら下がっている。
終わったゲームを何本も跨いできた装備だ。
俺と同じように。
「六で止まれ、って残したのはお前か」
俺が言うと、フードの奥で口元だけがわずかに動いた。
「そうだ」
「読んだなら止まれ」
「七つ目を取ったあとに言うな」
少しだけ、そいつは黙った。
それから崩れた手すりを軽く蹴り、低重力の庭を滑るように降りてくる。
着地音はほとんどしない。
でも、踏み方で分かった。
床を信じていない。
いや、床の“嘘のつき方”を知っている歩き方だ。
ユウトが下から叫ぶ。
「おい! 誰だよそいつ!」
フードのプレイヤーは、俺から視線を外さずに答えた。
「先にやらかした方だ」
「名前はシキ」
「今はそれでいい」
プレイヤーネームだろう。
それ以上は聞かない。
たぶん聞いても、今は答えない顔をしていた。
シキの視線が、俺の隣へ移る。
ノアを見た瞬間、その目つきがわずかに変わった。
「……識別登録までやったのか」
「ノアだ」
「問題あるか」
「大ありだ」
シキは短く吐き捨てた。
「七つ目は席だけじゃなく、核も揃える」
ノアが少しだけ首を傾げる。
「核?」
「残響側の定着点だ」
「自我を持って、終わったことを知ってる残響は少ない」
「そういうのを連れて七つ目まで来るな」
言い方はきつい。
だが、単なる嫌味でもなさそうだった。
俺が返そうとしたその瞬間、第三温室の下から重い振動が突き上げてきた。
足元の庭が、ずれる。
花壇の土がさらさらと空へ落ちる。
割れた石畳の隙間から、白い根と黒いケーブルと、港の搬送アームみたいな金属骨格が一緒くたに這い出してきた。
零番線のレール片、砂海城門の鎖、雪下研究棟の霜ついた配線まで絡み合い、一本の“回収路”みたいな形になって、こちらへ伸びる。
視界中央に、赤いウィンドウが連続で開く。
――――
All Residual Fragments Synced
零層連結点《墜落庭園・中央落下庭》を起動します
Holder Recovery Sequence Start
Primary Holder: NAGI
Archive Anchor Candidate: NOA
――――
「来たな」
シキが舌打ちする。
「説明は動きながらだ」
「席が保持者を拾いに来る」
「分かりやすく嫌だな」
ユウトが盾を構えながら言う。
「で、どうする!」
「まず、俺を荷物じゃなくす」
返しながら、俺は第三温室の管理棚へ視線を走らせた。
そこに、空の苗搬送ポッドが一つ転がっている。
人が丸まれば入りそうな、白い殻型の搬送容器だ。
嫌な形だ。
でも今は使える。
俺はポケットから、自分の荷札を引き抜いた。
港で吐き出された、あの最悪な一枚。
――――
RETURN CARGO
Holder: NAGI
Destination: 封鎖農区 第三温室
Status: 搬送待機
――――
それを、空の苗搬送ポッドへ叩きつける。
「ユウト、三秒だけ稼げ!」
「最近そればっかだな!」
ユウトが前へ出る。
《リーパー・プランター》はさっきのイベントで沈黙したはずだが、今は第三温室全体が回収機構の一部みたいに動いていた。
床から伸びた移植アームが、俺の方へ一直線に来る。
そこへ、俺はスキルを重ねた。
「《貨物指定》」
「《育成偽装》――収穫済み」
白いポッドの外殻が一瞬だけ青く発光する。
同時に、俺自身の輪郭が薄く揺れた。
プレイヤーではなく、処理の終わった作物みたいな、そんな誤ったタグが一瞬だけ自分に被さる感覚。
次の瞬間、回収アームの先端がぴたりと俺を外し、荷札付きの空ポッドへ向きを変えた。
「補充候補を確認」
「回収します」
「通った!」
アームが空ポッドを掴み、そのまま第三温室の下層へ引きずっていく。
荷札の認識は数秒保てば十分だ。
シキが眉を上げた。
「……その使い方をするのか」
「文句あるか」
「いや」
「お前、やっぱり最悪だな」
褒め言葉として受け取っておく。
だが時間はない。
墜落庭園全体が、今もゆっくりと“下”へ滑っている。
下といっても、どこが下かはもう分からない。
庭、温室、港、城門、駅、鐘楼、研究棟――終わった七つの世界の断片が、螺旋みたいに中心へ落ち込み始めていた。
「中央落下庭へ行く」
シキが短く言う。
「あそこに観測席がある」
「そこで何が起きる」
「七つ目が揃った時点で、零層は保管モードをやめる」
「観測席にプレイヤー枠を固定して、残響側を起動する」
「運営がいないなら、保持者が代わりだ」
ユウトが顔を引きつらせた。
「つまり、ナギを座らせたいってことか」
「正確には、プレイヤーのログイン基点を奪いたい」
シキは一度だけこちらを見る。
「座れば終わりだ」
「ログアウトしても、次からはこっちが先になる」
「本当に嫌な説明しかないな」
「だから六で止めた」
「止めきれなかったけどな」
俺は短く息を吐いた。
「お前、サービス前から潜ってたんだろ」
「どうやって入った」
シキは崩れた園路の端に立ち、中央へ落ちていく景色を見たまま答えた。
「ローンチ前の移行テストで穴が空いた」
「サ終した旧クライアントのキャッシュから、継ぎ目が繋がった」
「落ちた先がここだっただけだ」
「だけ、で済ませるなよ……」
ユウトが本気で嫌そうな声を出す。
その時、シキが足元の石片を蹴った。
庭の中央、空中に浮いたままの零番線ホームの残骸が、ぐらりとこちらへ寄る。
「歩いて下りるな」
シキが言う。
「落下庭は、路線が通ってる時しか安全じゃない」
「知ってる」
俺はすでに、《零番線の片道切符》を取り出していた。
割れたホーム標識へ切符を当てる。
視界の端で、《境界乗車》と《分岐案内》が同時に脈打つ。
青い線が、空中へ一本だけ伸びた。
次の瞬間、何もないはずの空間を割って、半透明の一両編成が滑り込んでくる。
零番線の車両だ。
ただし今度は、水底駅の錆びた列車じゃない。
七つの断片を無理やり繋いだみたいに、車体の半分が白く、半分が赤く、窓の一部は観測室の防霜ガラス、床には温室の土が薄く積もっている。
「また列車!?」
ユウトが叫ぶ。
「嫌なら歩け」
「乗る!」
即答だった。
俺たちは飛び乗る。
ドアはない。
乗り込んだ瞬間、車両が音もなく落ち始めた。
いや、落ちているのに、線路の上を走っている。
鐘楼の螺旋階段の横を抜け、雪下研究棟の監視窓をかすめ、砂海の門蝶番を支点にし、港のクレーンアームをレール代わりにして、墜落庭園の中心へ向かっていく。
車窓の外は、上も下もない。
終わった世界の最後の一瞬だけが、何層にも重なって流れている。
ノアが窓へ手を触れた。
「ここ、みんな落ちる途中なんだ」
「そうだ」
シキが珍しく、少しだけ柔らかい声を出した。
「零層は、終わったゲームの資産置き場じゃない」
「終わらせ方を失ったものを、一度止める待機層だ」
「見られなくなった世界は、最後の形を保てない」
「だから観測席がいる」
「見続ける側が一つ、残ってないと、接続路は全部ほどける」
「起きる側ってのは何だ」
俺が問う。
シキは数秒だけ黙った。
それから、窓の外の墜落庭園を見ながら答えた。
「まだ形になってない」
「終わったゲームの“終わりきれなかった部分”だ」
「でも、残響側の核があって、観測するプレイヤー枠があれば、起きる」
その視線が、ノアへ落ちる。
「……だから、そいつはまずい」
ノアは少しだけ肩をすくめた。
「私、そんなにすごいの?」
「たぶん、お前が思ってるよりは」
シキの声は平坦だった。
「それが救いになるか、最悪の鍵になるかはまだ分からん」
車両が大きく揺れた。
前方の景色が、急に開ける。
中央落下庭だった。
そこは、庭というより巨大な井戸だった。
底があるのに、そこが一番高い。
高いはずの場所が、全部その底へ向かって落ちている。
鐘楼の鐘が半ば埋まった塔礎。
零番線のホーム端。
青旗の立っていた信号台。
雪下研究棟の円形観測窓。
砂海城門の蝶番。
港の吊具フレーム。
第三温室の根とガラス。
七つの断片が、一本の白黒まだらの樹みたいに中央へ絡みついていた。
その中心に、円形の平台がある。
いや、平台じゃない。
椅子だ。
プレイヤー一人が深く座り込める、半ば玉座、半ば固定台座みたいな椅子。
両腕の肘掛けには、見覚えのある旧式インターフェースの端子が並んでいる。
七つの断片から伸びた根とケーブルとレールが、その椅子の背へ全部集まっていた。
「……あれか」
俺が呟く。
「そうだ」
シキの声は、ひどく低かった。
「あれが観測席だ」
車両が、中央落下庭の縁へ滑り込む。
俺たちは飛び降りた。
足を着けた瞬間、視界いっぱいに金色の文字が走る。
――――
Observer Seat Ready
Primary Candidate: NAGI
Archive Anchor Candidate: NOA
Supplemental Witness: YUTO
Previous Seat Status: Broken
――――
「前の席?」
ユウトが表示を読み上げ、次の瞬間、息を呑んだ。
俺も見た。
観測席は一つじゃなかった。
中央平台の左手に、もう一脚、壊れた椅子があったのだ。
片方の肘掛けが焼け落ち、背のフレームは途中で千切れ、接続線は全部引き抜かれている。
でも、その残骸の根元に、かろうじて読める名前表示が残っていた。
――――
OBSERVER SLOT / SHIKI
Connection Status: Interrupted
――――
「……おい」
ユウトが絞るような声を出す。
「それ、お前のか」
シキは答えない。
ただ、崩れた方の席を一度だけ見て、それから新しい空席へ視線を戻した。
「だから言った」
「六で止まれってな」
その時だった。
空いていた新しい観測席の上に、七つの残響片が一斉に浮かび上がる。
第五鐘、零番線の片道切符、青旗、最終観測ログ、帰還印の門票、出港マニフェスト、第三温室の母種。
それらが、椅子の周囲をゆっくり回り始める。
同時に、足元の白黒の根がうごめいた。
まずい、と思うより早く、ノアが小さく声を漏らす。
「……あ」
根は、俺より先にノアの影へ伸びていた。




