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死んでくれてありがとう  作者: ゆうらり薄暮


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1/3

わたくしの愛しい王よ


 大国の国王には、たいそう美しい愛人がいました。


 小麦色の健康そうな肌に、腰まである豊かな黒髪。月明かりさえ吸い込むような神秘的な紫の瞳を持つ、世界でも指折りの美女でした。


 紫の瞳は、ときに祈りの色に見えました。

 ときに呪いの色にも。


 王自身もそれなりに見目麗しく、白い肌に珍しい金髪、宝石をはめ込んだような青い瞳を持つ男でした。

 玉座に座れば神の代理にも見えるのに、立ち上がって歩けば、ただの男の軽さが滲む。そんな王でした。


 もちろん王には国一番の美女と謳われた王妃がいましたが、王は王妃に見向きもせず、愛人に夢中でした。


 王妃の宮は静かでした。

 香炉は焚かれても、笑い声がない。

 絹の帳が揺れても、そこに人の温度がない。


 それに比べて、愛人の居室はいつも賑やかでした。

 花が絶えず、宝石が積まれ、贈り物の山が増える。

 愛人の笑みひとつで、侍女たちの背筋が伸び、近侍たちの目が甘くなる。


 愛人は王にささやきました。


「わたくしの愛しい王よ。わたくしは心配なのです」


 王が愛しい女に答えます。


「余の最も愛しい女、我が国の寵姫よ。この世界一の大国で何が心配だというのか?」


 王は、その言葉が好きでした。

 寵姫、という響き。

 自分の掌で、世界を愛でるみたいな優越。


 愛人は悲しげな顔をして口を開きました。


「王よ。城下で怪しい噂を耳にしました。あの宰相閣下と将軍閣下が共謀して、王位の簒奪を狙うというのです」


 王は驚きました。


「まさかそんなはずはない?! 二人は余とこの国に忠誠を尽くしてくれている忠臣だ!」


 忠臣。

 王はそれを疑えない。

 疑ってしまえば、自分の王権が“人の手で支えられている”と認めることになるから。


 愛人は王を真っ直ぐに見つめて言いました。


「王よ。もちろんわたくしもそう思いますわ。だからお調べくださいまし。偽りだというのなら王との仲を引き裂こうとしているに違いありません! そのような噂を流している者たちを罰するべきですわ」


 涙が一滴、瞳の縁に溜まる。

 落ちそうで落ちない、その危うさが王の胸を掻きむしりました。


「……うむ。余が、余が確かめよう」


 王はすぐに信用できる部下に噂のことを調べさせました。


 そして。


 出てきたのは、宰相と将軍が本当に計画を立てているという証拠でした。


 ――いや。

 証拠は“揃って”いました。


 筆跡の似た密書。

 偶然同じ日に集まったという記録。

 互いに顔を合わせたという証言。


 王は激怒し、宰相と将軍を一族郎党処刑してしまいました。


 その日、王は民に向けてこう言いました。


「余を欺く者は、国を欺く者だ。国を欺く者は、民を欺く者だ。ゆえに赦さぬ」


 王は正しい顔をしました。

 正しい顔をするのは得意でした。


 宰相と将軍が処刑される時、愛人が近づいて死にゆく彼らに微笑み、彼ら以外に聞こえぬようにささやきます。


「死ななければならないのは無実のあなた方のせいじゃないのよ。強いて言えば、あなた方のご先祖のせいかしら」


 宰相の頬がひくりと動きました。

 将軍の目が、初めて“愛人”ではなく“何者か”を見たように見開かれました。


 そして二人は、言葉にならない言葉を喉の奥で噛み殺し、斬り落とされました。


 次の瞬間、王のほうに振り向いた愛人はポロポロと涙を流していました。


「王よ。逆賊だとしても彼らの一族は長く国に仕え功績をあげました。国のためにあまたの他国を征服し、利益としました。子孫のせいで名誉が穢されるのは、なんと悲しきことでしょうか」


 王は胸を打たれました。

 王が好きなのは、こういう涙でした。

 自分を正しいと信じさせてくれる涙。


 愛人の優しさに、王はますます彼女に溺れるようになりました。


 夜ごと王は彼女の部屋へ通い、

 彼女の髪を梳き、

 彼女の指先に口づけを落とし、

 彼女の言葉を真理として飲み込みました。


 そして彼女は、王の夜に、香のように溶けました。


 ――夜ごと。

 王は眠りに落ちる直前、甘い香を吸いました。

 そして目を覚ますと、寵姫が微笑んでいました。


 王は笑って言いました。


「そなたがいると癒されるな。」


 寵姫は微笑みました。


「ええ、王よ。わたくしに癒されてくださいまし。……わたくしは、王のお身体が大事なのですわ」


 その微笑みの裏側を、王は決して覗きませんでした。


 宰相と将軍が処刑されてから、太陽が片手で数えられるほどすぎた夜でした。


 王妃の部屋から持ち出した酒に毒を混ぜて、愛人は王に飲ませました。


 王妃の酒。

 王妃の名。

 王妃の“役目”。


 それらを一滴の毒に変えてしまえば、あとは簡単でした。


 事切れる直前に微笑む愛人に向かって、王は毒で焼かれた喉をなんとか震わせながら聞きます。


「なぜだ?」


 王は泣きませんでした。

 王は最後まで、理解できない顔をしていました。


「あなたは自らの生まれた国を愛さないのでしょうか? わたくしは島国の最後の直系皇女なのですよ」


 王は目を見開いて愛人を見ました。


「……戦犯の…………皇女?」


 自分の二つ名を肯定するように、愛人はゆっくりと頷きました。


「王よ。あなたが馬鹿で助かりましたわ。この紫の瞳は皇家特有のものですもの。宰相と将軍にバレかけて危ないところでしたわ。ふふ……彼らの一族によって負わされた我が国の損害がどれほどであることか。憎い一族をまとめて始末できたので、結果は良かったですけれど」


 愛人は饒舌に語りました。


「本当に愚かね。夜に薬を嗅がせて別の女に相手をさせていたおかげで、わたくしの身も清いまま……。憎い敵にこの美しい身体を触れられるなど虫唾が走るわ」


 王は、そこでようやく悟りました。


 自分は愛されていたのではない。

 自分は利用されていた。


 だが、その悟りさえ遅い。


 開いたままの王の瞳を手のひらで閉じさせ、薄い唇に口づけを落とす。


「ふふふ、死んでくれてありがとうわたくしの憎き王よ」


 一粒涙が頰を滑り落ちました。


 それは哀れみか、勝利の酔いか、あるいは長い夜が終わる合図か。

 自分の涙の正体さえ、彼女はもう名づけませんでした。


 愛人は用意しておいた薬を酒に入れて一気にあおりました。


 倒れる身体。

 薄れていく視界。


 ――けれど、彼女は“死ぬ”ために飲んだのではありませんでした。


 あれは仮死。

 この国を滅ぼすための、最後の仕上げ。


※完結まで毎日投稿です。

よろしくお願い致します。

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