#12揺レ始メタ境界
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須皇学苑の結界に、わずかな歪みが生じはじめていた。
調整を任されている綾女の懸念とは裏腹に、斎は独断で手を加える。
一方、凪は熱を押して霊災の調査へ向かうが、すれ違いと無理解の爪痕は、静かに深く残っていく──。
これは、「守る」ためにすれ違う者たちの、境界が揺らぎはじめた日。
昼下がりの保健室。
綾女は静かに結界札を掲げ、指先で払うたびに、札が空気の層を震わせていく。室内に漂う気配が、少しずつ澄んでいった。
──けれど、それでも。
織り目に紛れ込んだ微かな“軋み”が、消えない。
それは、斎による干渉の痕跡だった。
「……どういうつもり?」
振り返った綾女の声には、いつもの穏やかさはなかった。
芯の通った鋭さが、その言葉ににじんでいる。
斎は静かに立ったまま、目線を合わせようとしない。
「……結界に手を加えたのは、事実です。しかし、必要と判断しました」
「必要? あなたの判断で?」
綾女の声音が、わずかに冷えた。
「“器”に接近する霊的波動が一時的に強まりました。構造の補強を──」
「だからって、勝手に干渉していい理由にはならないわ」
綾女は一歩、斎に詰め寄る。
声音は落ち着いているのに、妙な圧があった。
「学苑の結界は、凪の霊波に合わせて調整されてるの。余計な手を入れれば、その調律が崩れて、あの子に負荷がかかるだけよ」
斎は黙して応じなかった。
彼自身、それを理解していたはずだった。
──けれど、気づかぬうちに“守る”という意識が、逸れていた。
「……あなた、あの子を“壊す”気?」
その言葉に、斎の表情がわずかに揺れる。
“壊す”。
それは、彼が最も避けなければならない言葉だった。
なのに、今の自分の行動は──その懸念を、否応なく呼び起こしてしまった。
「任務に熱を入れるなら、まずは相手を見ることね。“器”は、ただの“道具”じゃない。──あの子は、人間よ」
* * *
午後の陽が、寺院跡に差し込んでいた。
凪は、その廃れた石敷きを静かに歩いていた。
息が浅く、額ににじむ微かな汗が、体調不良を物語っている。
(……熱、上がってるな)
けれど、立ち止まるわけにはいかない。
それが彼の“務め”であり、逃げる選択肢など──最初からなかった。
今回の出動は、急な本家からの指示だった。
数日前から、夜になるとこの寺のあたりで不気味な声が聞こえるという噂が立ち、行政を通じて須皇に調査依頼が入ったのだ。
境内に足を踏み入れた瞬間、空気がわずかに揺らいだ。
見えない膜のようなものが、抵抗するように凪の足を押し返す。
(……結界もどき、か)
拒絶反応のようなそれに、凪は小さく息をついた。
一歩踏み出すたび、耳鳴りが強まる。
熱によるものか、霊災の影響か──判断はつかなかった。
膝をつき、敷石に手を添え、術式を展開する。
凪の手を起点に、淡い光が地を這って広がっていく。
(どこだ……)
光は視覚の代わりとなり、敷地内を探る。
集中し、意識を沈めていくと──廃寺の奥、闇の底に、かすかな“歪み”を捉えた。
──その時。
「凪様」
突然、背後から声が飛び、凪は一瞬で集中を切られた。
掴みかけた歪は、霧散するように消えた。
(……見失った)
深くため息をつく。
「また、監視?」
「任務なので」
立ち上がる途中、ふらついた凪の肩に、斎の手が伸びた。
しかしその手は、振り払われた。
「……あんたの任務が俺の監視なら、俺の任務は霊災を祓うことなんだ。邪魔しないでくれ」
凪の声は冷たくも静かで、芯があった。
斎は黙ってその背中を見送った。
***
空気が異様に冷え込み、影が濃くなる。
その中心に、白く霞んだ気の流れ。──未練を残した霊の痕跡。
凪は結界用の呪符を取り出し、周囲に四方の印を刻む。
空間がわずかに震え、封の陣が完成した。
再度の霊査。
意識を沈めた先、さらに地中深くにうごめく気配を感じ取る。
(……地中か。面倒だな)
可視範囲でしか封結はできない。
ならば──引きずり出すまで。
凪は左腕を突き出し、霊力を練り上げた。
右手で腕をなぞると、刃で裂かれたように皮膚が切れ、紅がじわりとにじんでいく。
「凪様!」
結界の外から、斎の叫ぶ声が飛ぶ。
「……自分の血で誘き出してる」
陰陽師の血は、怨霊にとって最大の敵の象徴。
とりわけ須皇本家の血は、“撒き餌”として最も有効なのだ。
ぽた、ぽた……と、敷石に落ちる紅。
空気が震え、地面がわずかにうねる。
「……来た」
足元に黒い靄が巻き起こる。
凪は印を結び、詠唱を始めた。
しかし──意識が、一瞬、揺らいだ。
凪の体が崩れるように膝をついた、その瞬間。
斎が結界を破り、駆け寄った。
「凪様!」
──だが、それが引き金になった。
斎の霊格に霊が反応し、異常な勢いで活性化する。
周囲の木々が爆ぜるように揺れ、結界が吹き飛んだ。
「……何してんの」
斎に支えられながら、凪がかすかに口を開いた。
「……俺の領域に、入ってくるな」
そう言い残して──凪は、斎の腕の中で意識を失った。
* * *(保健室)
白い包帯が凪の左腕に巻かれ、静かな寝息が室内に漂う。
「……また熱、上がっちゃったわね」
体温計を見て、綾女は小さく息をついた。
カーテン越しに立つ斎の気配に、ゆっくりと声をかける。
「ねえ……あの子、何も言わないけど。ちゃんと“心”があるのよ」
斎は何も言わない。
「あなたのやり方が間違いだとは、私も思わない。けどね……その“正しさ”で、誰かを壊したこと、あるんじゃない?」
カーテンの向こうの沈黙が、重たく落ちた。
斎はまだ、自分が何を“護る”べきなのか、その答えを見つけられずにいた──。
読んでいただきありがとうございます!
誰かを守るつもりが、逆に傷つけてしまうことがある。
不器用な斎の行動と、独りで抱え続ける凪の強さと脆さがぶつかり、ようやく見え始めた「心の距離」。
それはまだ、縮まったとは言えないけれど──この出来事は、彼らにとって大きな分岐点になっていきます。
次回、斎の「選択」が、ふたたび境界を揺らします。




