ツケの精算
「あ、あの……知らなかったとはいえ、先ほどはとんだ失礼を……。どうか、ご寛大な処置を……」
私とグーダルク辺境伯のやり取りが一段落したのを見計らって、セニスさんが謝罪の言葉を口にする。確かに(自分のことは一旦棚にあげるが)、仮にも領主相手にあの口ぶりは、普通なら何らかの罰を与えられてもおかしくないかもしれない。
……まあでもそれは、相手が普通の領主であれば、のはなしだ。
「気にしないでくれ。私は今領主としてではなく一人の客としてこの宿に泊まりに来ているに過ぎないのだし、むしろ一人の客として接してくれると嬉しい。どうだい? あとで一緒に沐浴でも」
「……えーと……遠慮しておきます」
セニスさんは冷や汗とともに、その誘いを断る。辺境伯は「ふむ、残念」とか言いながら本気で残念そうにしている。いや冗談じゃなく本気で一緒に入ってもらえると思ってたならあんた馬鹿だよ! と、心の中だけで突っ込んでおく。
そんなやりとりの後、晩餐会の二品目がテーブルに供された。
一品目の前菜の野菜のスープに続いて出てきたのは、鳥を丸ごと一匹焼いた……要するに、鳥の丸焼きだった。一品目が食材豊かで非常に手の込んだ品だっただけに、その余りのシンプルさに少し面食らったが、
「今朝近辺の森で取れた渡り鳥の一種で、遠くへと渡っていく準備として栄養を蓄えている今の時期が一番美味しいんですよ」
と給仕の女性が感じよく説明してくれたとおり、確り肉がつき油が乗っていて、無駄な味付けがなくとも野性味あふれる格別の味わいだった。
テーブルには、一目で上等な品だとわかる銀のナイフとフォークがこれみよがしに用意されていたからおとなしくそれを使って食べてはいるが、これがもっとフランクな場であれば、手づかみでかぶりついてしまいたいくらいだ。と思っていたら、
「うん、うまいな!」
私の斜向かいでは、かの英雄が最初からナイフとフォークに触れた形跡すらなく手づかみで鳥を頬張っていた。いや、子供ですかあなたは……。
「すこぶる美人だし、あの給仕の女性、我が屋敷で雇わせて欲しいくらいだ!」
そんな領主の言葉に、ローブの男が不気味な笑いとともに反応する。
「それはよかった。しかし残念ですが、彼女は私の元でのツケの清算を終えていませんので、まだお渡しすることはできません。ご了承を」
「ふむ……」
ツケの清算……。
不意に出てきた不穏当なその言葉に、辺境伯が手を顎に当てて押し黙り、場の空気が少しだけ張り詰める。誰しもが、その言葉の真意を推し量ろうとしている。私も、もし誰も口を開かないなら、彼女に課したそのツケとやらが何なのか、私の口から問い質そうと考えてさえいた。
――が、そこに、
「ツケのセイサンってどういう意味だ?」
声変わりもしていない腕輪の少年のその女の子のような声が、場違いに響いた。
その目をみればどうやら、ただ単純にその語彙の意味を尋ねているというだけのようで、小さく傾げられたその顔にそれ以上の含意はなさそうだ。
私はローブの男に、この場でそのツケとやらの真意を問いただそうと一度は考えた。たが、この子の存在をすっかり失念してしまっていた。どうせローブの男の口から語られるのは、ロクでもない話だ。……子供のいる場所で、あまり血なまぐさい話をするものではない。
恐らくは私以外も少年の純粋な質問に毒気を抜かれたようで、各々が咳払いするなり襟を正すなりで一つ調子を整えている。張り詰めていた空気が、弛緩していった。
私はふうと一つ長めに息を吐いて、「ええと」とりあえずはその言葉の意味だけを説明することにした。
「例えば、何かをもらったら、何かを返さなきゃいけないよね? それはわかる?」
「うん」
「それを、すぐにではなくてあとから返すことにするのを『ツケる』と言って、その『ツケにした何かを返す』ことを、『ツケを清算する』っていうの」
なんとか言葉の概念を理解して貰えるようにと噛み砕いて説明してみたが、うまく伝わるだろうか。
しかしそんな私の懸念とは裏腹に、彼は多分私の言ったことを十分に理解したうえで、思わぬ方向に話を転がす。
「ふうん、ありがとう。……でも、じゃあ、オレは何のツケを清算させられてるんだろう……? 一応、二日にいっぺんは飯をもらってるけど……なんだか変な感じだな」
彼の言葉には多分、他意はない。
彼は他意なく、恐らく彼のおかれている状況の問題点、その本質を、鋭く突いている。
……きっと、地頭のいい子なのだろう。
「そうだね……」
私は彼に、そう返すのが精一杯だった。
話の成り行きを黙って聞いていた他の誰も、その言葉に返す言葉は持っていなかった。
――いや、本当は、言ってしまうこともできた。
あなたのしていることは、ありもしないツケの清算なのだと。ただ誰かの欲望、欲求、私利私欲のためだけに、あなたたちはただの道具として扱われているのだと……。
でもそれは、まだ小さな彼にとって、あまりに残酷なはなしだ。
その後彼は、「まあ、よくわかんないけど、この鳥ほんとに美味しいな! こんなの、初めて食べたよ!」と、目の前のご馳走にありつく。彼もまた辺境伯のように、子供らしく銀食器は使わず手掴みで食べているけれど、その手は片方しか使われていない。腕輪がされた右腕はだらりと、自身のか細い腿の上に乗せられている。
――彼の腕には、大きな腕輪が嵌められている。
そしてその腕輪には、黒薔薇の文様が浮かび上がっている。
つまり、彼が嵌められている腕輪は「束縛の腕輪」であり、それは同時に、彼が「奴隷」であることを意味している。
どこからか、逃げ出してきたのかもしれない。……いや、彼の口ぶりからするに、誰かが逃したのか……。
束縛の腕輪は嵌めた腕の機能を著しく低下させる。そしてその腕輪は、術者による解呪、あるいはその腕輪を嵌めた人物のくちづけがなければ、決して外すことができない呪いの腕輪だ。だから彼は今も、運ばれてくる料理を懸命に、片方の腕で食べている。
その姿はあまりに痛々しくて目を逸らしそうになったけど、決して逸らしはしない。逸らしてはいけない。
この国では原則、奴隷制が撤廃・禁止されている。しかし地方では未だにこうして、奴隷は存在している。このままの治世が続けばそれもいずれは淘汰されるだろうけれど……もし、国王派……いや、宰相が本当にこの国の実権を握ってしまったら、奴隷制は復活し、この光景が再びこの国内全土でみられるようになってしまうかもしれない。
それだけは、絶対に許すことはできない。
私は、そういう人たち……そんな理不尽に苛まれる人たちを助けるためにこそ、探偵になったのだから。
私は自身の目的を再認識するために、その少年の姿を、確りとこの目に焼き付けた。




