私を食べて
「ふん。人殺しの子供が領主家に楯突こうなど、殺されても文句は言えんだろうな」
肥えた領主はそういうと、右手を前に突き出した。
「どれ、奴の魔法の試し撃ちの的にしてやろう」
最初に持っていった書物から、すぐに習得と使用が可能そうな魔法を見繕って習得していたのだろう。領主は右手を前に突き出したまま、何かを唱え始めた。
その文言には聞き覚えがあった。
『この魔法は、魔力をどんなものも貫く光の矢にして射出する魔法よ。でも、そういう魔法は得てして、術者にも、相応の反動が返ってくるの』
母は確か、そんなことを言っていた。……そして、領主の右手は、妹の方を向いていた。私は妹のもとに駆けた。だが、間に合わなかった。
妹の腹部を、光の矢が貫いた。その矢は、妹が止めようとしていた兵士の鎧と身体をも貫き、果てにはその後ろの決して薄くはない石造りの家の壁をも貫通していた。
「すごいぞ! 何という威力だ!」
領主が喜ぶのもつかの間、魔法を放った右手に異変が訪れた。領主の右手が赤い光に包まれ始める。
「何だこれは……? あ、熱い……熱いぞ!? おい、誰か水を持て!!」
私はそんな様子に目もくれず、妹のもとへ駆け寄る。その腹部からは絶えず血が流れ出していて、もう妹が助からないことは明白だった。私が泣き叫ぶ中、妹がかすれる声で言った。
「お姉ちゃん、お姉ちゃんは生きて」
「馬鹿、何言ってるのよ!」
「私たちみたいな、誰かを、助けてあげて」
「そんな、そんなこと……」
「お姉ちゃんなら、できるよ。その、目があれば……」
「無理……無理だよ……! わたしには、力がない……! あなたを……あなたを守ることさえ出来なかった……!」
情けなく泣き叫ぶわたしに、妹は手を伸ばした。
「これを、読んで」
妹の手には、兵士の持っていた書物から破りとった一枚の紙があった。そこには、こう書かれていた。
〈血縁の加護〉
身体強化の魔法。双子が、一方の亡骸を摂取することで習得が可能。その効力はまちまちだが、私の見立てによれば、恐らく生前の信頼関係に大きく依存している。
妹は、慈しむような笑みとともに言った。その声は掠れ、ひどく頼りなかったけれど、しっかりとこう口にした。
「お姉ちゃん。……わたしを、食べて?」
私には一瞬、妹が何を言ったのかわからなかった。食べてって? あなたを、私が? ……私がアリアを、食べるの……?
「そんなこと……!」
できるわけない、そう続けようとして、私の首筋に当てられていた妹の手が、わたしの頭を優しく引っ張って、わたしの顔を自分のお腹へと当てた。「美味しくないかもしれないけど」そう言って、最後の仕事を終えたかのように、その手からふっと力が抜けたのを感じた。
「こうすれば、わたしはお姉ちゃんの中で生き続けられるから……。わたしを食べて……、私たちみたいな人たちを、救ってあげて」
それが、妹の最後の言葉だった。
「アリア……? あ……アリアぁ……うぁ……あぁ……」
私は何度も妹の名前を呼んだ。だけど、返事はない。妹の最後の言葉が、頭の中をぐるぐると回る。
『わたしを食べて』
妹の腹を噛んだ。まだ柔らかくて、もうちょっと力を入れて噛めば、容易く噛みちぎることができるだろう。そう思うと、涙が出てきた。
そして私は、顎に力を込めた。ぶちっと、皮がかみちぎられる音と感覚が口の中に響く。
そこでようやく、その叫び声が耳に届いた。
「あああぁぁぁ!! なぜだ!! なぜこんなにも熱い!? 腕が、腕が焼ける!!」
「だめです! 水でも、効果が……!」
「ええい邪魔だ!」
領主が、自身の腕に水をかけ続けていた兵士の顔を、赤く光り続ける手で掴んでどける。
兵士が、苦痛に叫びをあげる。
「あぐあああああ!?」
その兵士の顔は、あの手に触られただけ。それだけで、焼け爛れていた。
「貴様らの……、こうなったのも、貴様らの母親のせいだ……!!」
領主が、腕をだらりと垂らしながら、私たちのもとにのろのろとした動きで歩み寄ってくる。
私は、その眼をまっすぐに睨み返した。
(あいつが……あいつがこの子を……お母さんを……)
この時私が抱いていた感情は間違いなく、殺意だった。
私は、自身の身体がこれまでにないくらい軽いことに気が付いた。
妹を食べて、魔法を習得したのだろう。そして無意識に、それを使ってしまった。
あの男を、殺すために。
私は、のろのろと歩く領主のもとに駆けた。
体が軽い。力が沸き上がる。間に兵士が割って入ったけれど、避けて、突き飛ばして、退けた。領主は、腕の痛みに何が起きているのかわかっていない。最後の兵士の手から剣を奪い取って、領主に突き刺そうとした。
だけどそのとき、お母さん、そして妹の声が、耳を打った。
『絶対に、復讐に取りつかれてはだめ』
『わたしたちみたいな人を、助けてあげて』
その言葉が無ければ、私はあのまま、領主を殺していた。
私は剣を逆さに握り直して、刃の代わりに、領主の頬に剣の柄を叩き込んだ。
領主は目を剥いて倒れ、気を失った。
私はその後兵士たちに取り押さえられて、領主の館の地下牢に入れられた。
牢屋の床は冷たくて、いかに日中はもう暖かくなり始めた春の頃といっても、夜はまだ寒い。数日呑まず食わずで牢屋に入れられていた私は、衰弱しきっていた。このまま、死んでしまうのだろうと思っていた。私はあの時、母の最期の言葉に従ったのもあったが、このまま領主を殺せば、私は確実に死罪になって、妹との約束を果たせなくなる。そう思って、剣を逆さに握った。だけど、どうせこのまま死んでいくなら、やっぱりあの領主は殺しておくべきだった。
そんなことを思いながら、壁に繋がれた錠を、加護の力を使えば外せるのではと逃走という選択肢も同時に検討しだしたその日の夜。彼女はやってきた。
誰かが階段を降りてくる音。足音からして、二人だ。
篝火が、階段の上から一つずつ灯されていく。そして、最後の篝火に火が付いた。
「あの娘は、ここにいるのよね?」
「はい、しっかりとここに捕らえて御座います」
最初の声は分からない。だが、それに続いた声は、あの忌々しい領主だ。
私は機会さえあれば、今度こそ領主を殺してやろうと思っていた。
だが、先に階段を降りてきたその人を見た途端、そんな気持ちは一瞬で吹き飛んでしまった。
それほどまでに、超然として、美しい女性だった――。
「あなた、変わった眼を持っているそうね――?」
声も、聴く人を一瞬で虜にしてしまう、甘いソプラノ。それだけで、この人の虜になってしまいそうになる。
でも、この人の隣には、あいつがいる。
この人がどれだけ常人離れした魅力を持っていても、この男の仲間なのであれば、心を許すわけにはいかない。
……そんな私の心を読んだように、彼女はこう言った。
「ああ――。なるほど。この人、あなたには本当に酷いことをしたもの。――当然よね?」
彼女はにこりと微笑んで、領主を見る。
「ありがとう。あなたは、もういらないわ」
彼女がその言葉を言い終わると同時、階段の上からほとんど足音も立てずに執事然とした男が姿を現していて、領主の腕を拘束していた。領主は、呆然としている。
「な、なにを――?」
「わからない? あなたは今日、このときより、領主ではないわ。確か、隣の領地との統合を言い渡されていて、どちらかが取りつぶしになる予定だったのよね? 大方そのために、高名な魔法使いが溜め込んだ魔法の知識を恃んだんでしょうけど……あまりに浅はかだわ。この子の指摘は正しかった。あの殺人は、この子の母親の仕業じゃない。だったら、領主家の行ったあの捜査自体が、そもそもおかしいことになる。あの殺人は、あなたの仕業よ。そんな人間を領主にさせておく理由がある? ……取りつぶしになるのは、あなたでいい。――連れて行きなさい」
領主を取り押さえた男は「はっ」と短く返事をして、まだ腫れた顔で抗議し続ける元領主の男を無理やり連れて行った。
私はその様子を、ただ呆然と見ていることしかできなかった。
抗議の叫びが届かなくなったころ合いで、彼女はこちらに振り向いて、こう言った。
「――あなたの眼は、この世界の役に立てるわ。この国は今、変わろうとしている。あんな風に、既得権益にものを言わせて、疑わしきを罰するなんて間違ってる。今まで誰も為し得なかったことを、為そうとしているの。そしてそのためには、あなたの力が必要なの――」
そもそも、一国の王女がどうして私などの元を訪ねたのか。
これはのちに、領主家で起きた殺人のことを聞き及び、不可解に思い視察に来ていた王女が、私が母の特異体質を明文化したことを耳にしたことで実現しえたことだとわかる。
そして、続く言葉が、その後の私の人生を決定づけた。
「ねえ、あなた。私の、探偵になってくれないかしら――?」




