08
オーク達の襲撃があった次の日。
砦の強襲計画の為に、急きょ物資運搬の人員が高給で貼り出されていたため、討伐依頼を受ける予定を変更して、俺は教会に訪れていた。
「お嬢ちゃん、女の子なのによく働くなあ」
「俺、男ですよ」
「またまたあ、そんなこと言って」
筋骨隆々とした男達に囲まれながら、せっせと荷馬車と教会を往復する。
要求能力値は満たしているものの、それでも中々体力を使う仕事だ。
「あ、お姉ちゃん!」
荷物を担いで廊下を歩いていると、ふとそんな聞き覚えのある声が俺を呼び止める。
お姉ちゃんという言葉で足が止まるあたり、俺も段々女扱いされることに諦めがつき始めているのだろうか。
「一日ぶりだね、リーナちゃん」
「うん。お兄ちゃんも、皆と一緒に砦に行くの?」
「いや、俺が一緒に行っても力になれないからね。辞退したよ」
そうなの? と首を傾げる。
彼女も教会で留守番するように言われたのだという。
当然だ。俺でさえ戦力にならないのに、こんな小さな子を戦場に放り出せる訳がない。
「でも、ミックお姉ちゃんは行くって言ってたよ。魔法しだんしょうたい? の隊長さんなんだって!」
「そりゃ凄いな」
「お姉ちゃん、魔法がとっても上手なの! 私も毎日教えて貰ってるの! あーあ、私も早く強くなって、皆のお手伝いしたいなあ……」
「……」
そんな会話をしていると、不意にリーナちゃんが「あ!」と何かを思い出したように声をあげた。
「今からみんなでお勉強会があるんだった! じゃあね、お姉ちゃん!」
「ああ。ばいばい」
ばいばーい、と元気よく手を振りながら駆けていく。
その小さな背中が見えなくなるのを確認して、俺は仕事の続きに入った。
正午を迎えた頃、昼食は教会が用意してくれるとの事だったので、俺は先日も訪れた食堂で待機の列に並んでいた。
皆教会の制服姿だったので、一人だけ余所者として混じるのは少し恥ずかしい。
暫くして、ようやくトレイを受け取り、席に着く。
メニューはサラダとシチューとパンだ。
「失礼します」
そんな声と共に、向かいにある椅子に誰かが座る。
ミックさんだった。
「昨日はすみませんでした」
「何がです?」
俺は謝罪された理由は本当にわからず、思わずそう尋ねた。
「少し、乱暴な声になってしまって……」
「あー……」
確かに、ちょっと怖かった。
だが、きっとミックさんにも事情があったのだろう。
そう返すと、彼女は思いつめた表情のまま、口を開く。
「前にここで話をした時、リアさんは私たちの事を、同じ余所者だと言いましたよね」
「ええ。それが?」
ミックさんは俯いたまま、トレイに乗った皿、そこに注がれたスープの水面を見つめていた。
「あれ、少しだけ間違っているんです。私とリアさんは、同じではありません」
「それは」
どういうことですか。
そう訊こうとしたが、すぐにミックさんは話を続けた。
「私に帰るべき場所は、もうありません。もう十年以上前に、亜族によって滅ぼされました」
その瞬間、周囲の話し声が俺にだけ聞こえなくなった。
静止した景色の中で、頭が速やかに言葉の意味を理解する。
「父はオークに首を跳ねられ、母はゴブリンに食べられました。まだ幼かった弟は、トロルの足に踏み潰されました。その光景が、十年経った今でも頭に焼き付いて離れないんです」
俺は口を閉じたまま、何も言えなかった。
「多分、リアさんは復讐をする為に生きるなんて、虚しいことだと考えていらっしゃるのだと思います。でも、今でも夢の中で、首のない父が、穴だらけの母が、肉塊になった弟が言うんです。痛い、助けてくれって私に救いを求めるんです」
碧い二つの瞳が、真っ直ぐおれのことを見ていた。
「それでも、リアさんはそんな私に、家族を失った痛みを忘れて生きろって言うんですか……?」
翌日、亜族の砦を強襲する為に集った、騎士団、神聖教会、冒険者の混成部隊が町を出発した。
使命を全うする為に、強固な意志を持って拳を握る者。
少しでも沢山の報酬を得ようと、己を奮い立たせる者。
そんな様々な表情を一つ一つ確かめながら、俺は旅立つ彼らの背中を眺めていた。
視界に映っているのは、右手に棍棒のような物を握って入るものの、ほぼ丸腰のゴブリン一匹。
対して俺はエルフの剣を両手で構える。
間合いの測りあいはあまり長くは続かず、相手が飛び込んできたと同時に、思い切って一歩前に踏み出した。
「グゲ!?」
剣を横薙ぎに払い、棍棒を弾き落とす。
そのまま素早く刺突を放ち、真っ直ぐ胸部を貫いた。
深緑色の皮膚から黒々とした液体が溢れだし、刃を抜くと、その小柄な肉体は地面に崩れ落ちた。
討伐隊が出発して一日が経った。
人が減ったことによりどこか閑散とした通りを歩きながら、俺はギルドへ向かう。
「はい、ゴブリン一匹で五ゼインズね」
メイリさんから報酬を受け取りながら、俺は近くの席についた。
ギルド内にいつもの喧噪はなく、がらんとしていて、ほぼ貸し切り状態だった。
「いやあ、暫くは本当にすることがないわね」
窓口から出て来たメイリさんが、そんなことを言いながら向かいの椅子に腰かけた。
「いたらいたでうるさいけど、いないならいないで淋しいものね」
「確かに、そうですね。そういえば、このギルドってメイリさん以外に職員はいないんですか?」
「いつもは事務仕事を奥でしてるけど、今日は仕事がないからお休み」
成程、と答える。
しかし、と俺は頬杖をつく。
事務員がいなくなるのは分かるが、食堂まで休業してしまうのは勘弁して欲しい。
「それで、どうよ。町の外は」
唐突に、メイリさんがそんなことを聞いてくる。
どうと言われても、彼女も知っての通りだ。
亜族を殺すことに関しては、既に慣れつつある。
放っておけば彼らは人間を襲うし、割り切って倒すしかない。
まあ、まだ体力的に厳しいため、ゴブリンを一日一体討伐するのが限界だが。
「そういえば、森を歩いていてもオークとは遭遇しませんね。ゴブリンは簡単に見つけられるのに」
「ああ、リアちゃんは田舎から出て来たばっかりなんだっけ? 元々、オークは単独行動をしない種族なのよ。少数で群れから離れることも滅多にないわ」
「え……でも、何日か前、ここに来る途中に亜族の集団に襲われましたよ。それに、三日前のオーク襲撃だって」
「あれは多分、砦からの偵察隊ね。その集団も砦からやってきたのよ」
俺はその発言に対し、思わず首を傾げた。
「は? じゃあここから討伐隊が出発したことも、敵に筒抜けなのでは?」
「ええ。だから、途中で別動隊が大隊と分かれて行動するの。魔法使いの集団が正面から霧を破壊して、解除と同時に前と後ろから襲撃、って手筈だったかしら」
「なるほど」
納得して頷く。
正面から来ると油断させる為に、大っぴらに町を出る。
その隙をついて裏から強襲するという訳か。
「ま、私たちは成功を祈るしかないわ」
「そうですね。では、今日はもう失礼します」
「えー、もう帰っちゃうの? もっとお話しましょうよ」
「勘弁してください」
ぶーたれるメイリさんを背に、俺はギルドを後にした。
三日後。
そろそろゴブリン以外の魔物も視野に入れようと、そんな事を考えながら、いつもの様にギルドの扉を開く。
すると、中にはいつにも増して真剣な表情を作るメイリさんの姿があった。
おまけに窓口付近には、教会の制服を着た男性が二人。
「おはようございます」
「あ、おはよう、リアちゃん」
ようやく俺の存在に気付いたメイリさんが、顔をあげる。
教会の人達は若干怪訝そうな表情を作りながら俺を見ると、挨拶もなしにギルドから出て行った。
「まずい事になっちゃったなー……」
「何かあったんですか?」
扉が閉じるのを確認して、窓口の方へ向かう。
メイリさんは難しい顔をしながら、「うーん」と首をひねる。
「討伐隊が襲撃に失敗しちゃったらしいの。しかも、かなり面倒な形でね」
「面倒、とは?」
先の二人が持ってきたという報告書を見せながら、メイリさんは事の説明を始めた。
「砦が目と鼻の先まで来たところで、亜族の奇襲があったらしくてね。霧の解呪に必要な魔法使いの殆どが負傷して。それで、人員が不足しちゃって……」
「それで、彼らはこれからどうするつもりなんです?」
「どうにかして援軍を送れって要請だけど、無理無理。ギルドにはこれ以上派遣可能な人員はいません。おまけにこれ、見てよ」
言いながら、メイリさんが要請書の下欄を指さす。
そこに記された文字を見て、俺は目を見開いた。
「神の祝福を受けた女神の手を持つ者を呼べ、だってさ。合流したエルフの人達が言ってるらしいんだけど、訳がわからないわ。そんなスキル見た事も聞いたこともないし」
「女神の、手……」
そこで、俺はあの時、宿を襲ったオークの言葉を思い出した。
『女神ノテヲ持ツ者ガ、ココニ居ルノハ確カダ』
奴らもそれを探していた。
探して、あの宿に来たんだ。
「メイリさん。その援軍というのは、俺にも参加できますか!?」
「えっ……まあ無理じゃないけど、どうしたの突然」
「出発はいつになるんです!?」
「えーっと、明日、北の町から教会の増援が来るらしいから、明後日かしらね」
「分かりました。じゃあ今から準備をして、明後日にまた来ます。今日はこれで!」
「ちょ、リアちゃーん!?」
そう言い残し、俺は冒険者ギルドを後にした。