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72・たからもの

「……しかし、護衛役の俺からすりゃあ喧嘩なんてとんでもない。この間だってえらい騒ぎだったんだ。千徳なんて顔に青タンこさえて、呼び出された直江山城守が大激怒しとった。こいつらの保護者も大層おかんむりでねえ」


「いやあ……そりゃあそうでしょうよ」


 水神切り兼光が取り出したのは血判を押した誓詞である。苦々しい表情でそれを眺めて呟く。


「こんなものを交わすくらいなんだから……」


 すると、景勝が勝丸に言った。


「……家から一人で出した以上、倅の身に何が起きようと全ては倅本人の責任です。本人にもそう言ってある。お手前が頭を下げる必要などない。必要があれば自分でどうにかするだろう」


「し、しかし……今回は御身の呪詛返しや色々なものに助けられたおかげで怪我もなくご子息はピンピンしとるが、事態が事態だ。原因の究明は必ず致します。誓って!」


 勝丸は強く言い切ると、今度こそ本当に畳に額をこすり付けた。景勝も一度頷いて言う。


「……まじないの件は倅には内密に頼みます。これは親の道楽ですゆえ」


「それはまあ、もちろん構わんのですが……しかし、これほど強い呪い返しの術を、お手前が掛けられたのですか?」


「《猿の利き腕》だよ、知ってる? 本当に鬼の破片をもろに食らった呪詛返しだったら、そんな程度じゃ済まないはずなのさ」


 長船景光が景勝の顔を指して言った。


「猿の……何?」


 忠郷が総次郎に尋ねる。総次郎も顔をしかめて首を振った。


「猿の利き腕――強力なまじないだよ。災いを十割跳ね返すことが出来る……呪いだけじゃなくてどんな災いにも効果があるんだ。不慮の事故とか、病でも。ただし、跳ね返った災いはまじないを掛けた術者に返る……何倍にもなってね。つまりこれもそういう……呪いを跳ね返すという《呪い》なんだけどさ」


 総次郎の不快そうな表情が面白いのか、長船景光が得意げに続けた。


「猩々(しょうじょう)っていう猿の姿をした土地神を使うからそう呼ばれてるけど……効果がある分相当グロいことをする術だから、まともな神経の人間はやらないだろ。他にも呪詛返しの術はあるみたいだし、猩々なんてのは滅多に手に入るもんじゃない。それに、そもそも呪い返しなんて自分のためには使えない術だからね」 


「某は鬼はなんとか出来ても、まじないなんてものは出来んのです。この縁の呪詛とやらも、まじないに詳しいヤツに掛けてもらったんだ」


 呪詛のまじないは難しいーーあの古狸がしょっちゅう言っているのを、勝丸も覚えている。


 人を呪わば穴二つーー呪詛は失敗すれば即、術者に効果が返る。人間風情が手を出しても良いことなんかない、というのが狸の口上だ。

 もっとも、だから金を寄越して自分に任せろ、というのはあの狸の商売の常套句だったけれども。


「……倅はあれの母が命を懸けた死闘の末に手に入れた何よりの宝です。命を落とした母に代わり、某が守ってやろうと思った」


 宝ーー忠郷はそんな言葉を親が子に向けて使うのを初めて目にした。


 蒲生の家には父が大事にしていた茶碗がある。

 祖父ーー蒲生氏郷が織田信長から貰ったという大名物の唐物で、蒲生の家で《宝》と言えばそれのこととしか考えられない。


 総次郎には覚えがある。父が自分たち兄弟に時折掛ける言葉。


 しかし、今ではそれがまったくない存在がいることが自分には辛い。

 家宝の棚からは退けられ、蔵から持ち出され、二束三文で人手に渡るーーそれが価値をなくした宝の成れの果てだ。自分の兄も実家に居場所がない。


 忠郷は初めて千徳が羨ましいと思った。


 総次郎はこれほど千徳の実家を妬ましく感じたことはなかった。


「俺も鬼は退治したことがありますが、今回のそれは俺の記憶にあるそれとは桁違いだ。千徳殿は強い霊感をお持ちのようですが……鬼の血肉をもろに被ってああもピンピンしているというのは……如何に呪い返しの効果とはいえなにか理由がありますな?」


 恐る恐る尋ねる勝丸を一瞥して景勝は言った。

「……死んだ倅の母親が月の龍脈の烙印持ちだった。そのせいだろう」


 総次郎と忠郷は顔を見合わせた。

 そんな話は初耳である。


「月の龍脈……ですか。ははあ……確か、京の御所へ昇殿を許されるお公家様が持ち回りで授かるとか話には聞いたことがありますな。御所の陰陽師連中はその力で闇の龍脈の石を浄化してるとか」


「……そうだ。月の龍脈は陰の属性。退廃の力を司ることから烙印持ちは歓迎されぬ御役目と聞いた。必要なのは力であって烙印持ちではない。倅の母親も烙印持ちのため幼少の頃より忌み嫌われ、実家の屋敷で持て余していたようなので妻と儂が引き取った」


(なるほど――つまり、人柱のようなものか……)

 似た話は勝丸も聞いたことがあった。

 水の龍脈の主などは人に烙印を授ける際に人身御供を求める者もいる。烙印持ちの人間がいると龍脈の源泉と現世との間の力の行き来がスムースになるらしい。それで土地を巡る龍脈の力のコントロールがしやすくなるのだという話である。


「月の龍脈の烙印持ちは御所へ昇殿を許される公卿達の家に持ち回りで生まれると聞いた。どういうからくりかはしらん。倅の母親が生きておった頃の烙印持ちが彼女であったということ。倅の母親は倅を産んで百日で死んでしもうたが、おそらくは母親の力が倅に引き継がれたのだろうと考えておる」


「引き継がれたって……烙印持ちってこと!? だけど、千徳に烙印のあざなんてある? ねえ!?」


 忠郷が総次郎に同意を求めるように言った。勝丸が静止する。


「そういうこともあるんだよ、忠郷。龍脈のあざがなくても烙印持ち相当の力を持ってる人間ってのはいる。ま、俺が知ってるそういう奴ってのはもれなく女だけどな」

「女ってのは体ン中に陰の龍脈が巡ってるもんで陽の龍脈のあざが体に出にくいんだ」 

 総次郎が得意げに言葉を続けたので忠郷はムッとした表情で彼を睨みつけた。


「だからつまり、千徳の奴はそれの逆……」

 総次郎が目をやると景勝が頷く。


「……倅は月の龍脈の烙印持ち相当だ。それで霊感が強く、陰の龍脈には耐性がある。闇の龍脈の力に強いのはそのため。儂もこの程度の反動で救われた」


「しかし……それにしたって、《猿の利き腕》は強力な術のはずだ。俺さえなんとなく名前は聞いたことがある。御身に大事があっちゃあならねえでしょう! 千徳だってそんなことは望まんはずです」


 再び沈黙が訪れる。どうしたものかと頃合いを見計らっているうちに勝丸は気が付いた。


 景勝は自分の掌をじっと見つめている。


「……不思議なものだ。自分があれを守ってやろうと思って掛けた呪詛返しの術だが、結局儂があれに宿る月の龍脈の力の加護を受けた。月の霊力で闇の龍脈の力が浄化された結果、呪いのまじないの反動も最小限で済んだ……」


「そうです。月の龍脈のことがなかったらお手前は命を落としておられましたぞ!」


 勝丸は語気を強める。お前を庇って父上は死にました――なんてオチはただの悲劇でしかなく、子供の心に一生消えぬ傷を付ける。魂にまで届く深い傷を。


「……親が子を助けるつもりでその実、親の方が子に助けられていた。不思議なものよ……結局、支えられているのは常に儂の方だ」


「貴方が生きておられることこそが何より若さまのためになりますよ」


 近習が美しい顔を歪ませてそう言うと、彼は


「……親の道楽だな」


 と呟いた。

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