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69・保科勝丸、千徳の実家に謝罪に行くこと《伍》

 すると、火車がが「きしし」と笑って言った。


「だけど、お前も物好きだねえ。これじゃあお前、命が幾つあっても足りやしないじゃないか。お前の後ろにいる生徒二人にまた今回みたいなことがあったら、お前が今度はこいつみたいになるんだよ?」


 火車は長い尾で景勝を指す。


「ど、どういうこと……?」


 思わず声に出してから、忠郷は「しまった」と思った。


 自分だって礼儀や作法はわきまえているのだ。話を振られることもないのに勝手に喋りだすなんて、藩主としてはとても褒められたものではない。


 しかし、草間はその反応を待っていたとばかりに、笑みを忠郷に向けて言った。


「方々の護衛役とおんなじだよ。うちの主人も呪い返しのまじないを掛けていてね……此度、若さまの身に大事があったろう? だからそいつが発動してこの有様というわけさ」


「……つまり、千徳がなんともなかったのは……お父上が、身代わりになってくれたから……」


「簡単に言うとそういうことだ。まったく……準備ってものはしておくもんだよ」


 近習が景勝の傍へ寄り、桶から濡れた手ぬぐいを絞る。


 勝丸には想像がついた。


 鬼の肉片による火傷の跡ーー水で冷やしたくらいでどうにかなる痛みではないはずなのだ。


 鬼の肉片を被って千徳がまるでぴんぴんしていた理屈は一応の説明が付くが、それにしてもこの程度で済んだということについては疑問がある。


「やはり……そうでしたか。お屋敷から気配を感じましたよ」


 じっと見つめられると言葉が詰まる。自分はともかく、忠郷や総次郎まで呼びつけるというのは一体何が狙いなのだ――勝丸にはわからない。


 彼は鶴寮の保護者たちが集められた茶会には顔を出さなかった。しかし息子が同寮の二人とずいぶん喧嘩をしていることは知っているだろう。


 その上今回の鬼の騒ぎがあって、ついに堪忍袋の尾が切れたということなのか。


「……息子が文に……お手前のことを書いていた」


「はっ? そ、某のことを?」


 しばらくの沈黙の後に声がして、勝丸は反応が遅れた。この御仁は喋る頃合い(タイミング)が難しくて調子が狂う。


「……口喧しくてすぐに手が出る……短気な護衛役だと」


「はあ……どうも……申し訳ありません」


 それは自分でも自覚している――反論は出来ない。


「……しかし、言葉はいつも自分たちに向けてられていると……そう文にあった。自分のみならず、同じ寮の他の生徒たちのことも考えていると」


 忠郷や総次郎が言葉の意味を考えているうちに、草間一文字が口を開いた。


「若さまは人の気配に敏くて、相手の意識の矛先がわかるんだよ。心がここにない人間の言葉や振る舞いはすぐに見抜いちまう。同時に、自分に向けられていると思えない言葉は若さまの心には響かない。例えば、大勢の人間に向けて掛けられた言葉みたいなものはね」


 確かにーー勝丸には心当たりがある。


 大広間に生徒たちを一同に集めて学寮の上役や師範が話をしても、千徳はどこか上の空だ。話は聞いていると言うが、どこか他人事のようにしている。


「若さまはまだそうしたことにはあまり経験がないからなあ。これまでは誰も彼もが若さまに一対一で接してきた。話をする時も、何を教えるときもだぜ。皆、若さまの人と成りや中身を見て、彼のために言葉を掛けてきた。だけど、世の中ってのはそんなことばかりじゃあねえだろう? 大勢の人間を集めて、そいつら全員に同じことだけを期待するなんてことはよくある話さ」


「うちの主人はそういうものを《支配》と呼んで、若さまに気を付けるようにと諭していたんです。学寮はこれから先の時代の藩主を養育する場所……つまり、徳川の世に於いて模範とされる、画一的な藩主を育てる場所だ……と」


 申し訳なさそうな表情で水神切り兼光が言った。


「若さまは我らにとっちゃかけがえのないお方なんだよ、主務殿。跡取りだから……なんてちゃちな理由じゃあないぜ。他の生徒の親も大方みんなそうだろうが……我ら皆々、大事な若さまを大勢の中の一人と見なされることには存外不安を感じてる」


 勝丸は僅かに俯いた。


 学寮に文句を言ってくる保護者たちはおよそ皆同じことを言う――自分の息子は特別なのだ。親も死に、嫁も子もいない勝丸にはよくわからない理屈である。


「だけど、お前さんはそうじゃあなかったってわけだ。うちの玉丸のことを思い、あいつのために言葉を掛けてくだされた。ましてや、危機に備えて呪い返しのまじないまで……」


「いやあ……こいつは、ただ、てめえの仕事を減らすためのものですよ。事実、こんなものを備えていたってうちの生徒らは喧嘩ばかりしてるんだ。大した怪我でもしねえことにはこちらに呪い返しの反動がないみたいで……あまり役には立たんね」


 濡れた手ぬぐいで顔の半分を冷やしていた景勝がそれを近習に手渡した。


 彼は勝丸をじっと見つめると、


「……息子をよろしく頼みます」


 と低い声で言って、頭を下げた。

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