57・宝とは心
「それで……ぬしさまはどうするん? あのおひいさまのことは諦めるんか?」
「……諦める?」
僕が繰り返すと、火車切りが強く頷いた。
「せや。関わり合いにならへんってことは、つまりそういうことやろ? 丸腰で鬼に襲われるなんて危ないことはのうなるかもしれへんけど、おひいさまとはもう会話もせんと会われへんようになる。ぬしさまはそれでほんまにええの?」
雑木林に消えて行く市の後ろ姿が今でも目に焼き付いている。これっきりもう会うのが最後だなんて、そんなのって信じられない。辛すぎるよ。
だって僕らはこの間の交流会で会ったばかりで、これからもっともっと仲良くなりたいと思っていた矢先なのに。
そんなことを僕がもんもんと考え込んでいたら、火車切りが滑らかに言った。
――たとえ定めは変えられなくても、どう生きるかは己の好きに出来る――
それは夢で聞いた言葉とは訛りや言葉が少し違っていたよ。僕がじっと顔を見つめると、火車切りは楽しそうに笑って言葉を続けた。
「若さまが見はったその夢、おしまいはどないやったん」
「おしまいって?」
「もう関わり合いにならん方がええって言われたんやろ? それでどないしたん。その後はどうなったんや」
「どうって……夢はそこで終わっちゃった。先読みの夢はそこで終わって……その後に母上の夢をみたんだよ」
僕がそう言うと、火車切りは顔を綻ばせた。
「ほんなら、全てはこれからのぬしさまのがんばり次第やないの。男がそない簡単におなごを諦めたらあかん!」
「そうなの?」
火車切りはこれまでで一番強く頷いた。
「そうや! 二代目さまかてご母堂さま手に入れるまでにどない頑張らはったか……」
「そんなに?」
ちなみに、《二代目さま》というのは僕の父のことだ。
うちの付喪神たちは謙信公を尊敬しているため、自分の持ち主である父のことはだいたいそう呼んでいる。謙信公が初代の持ち主、父は二代目ーーそういうことだね。だから、今に僕は《三代目さま》なんて呼ばれるかもしれない。うまくすればね。
「そうや。ご母堂さまなんてえらい美人のお公家さまの娘やろ? 土台天地がひっくり返ったって二代目さまみたいなおっかないおっさんになびくとは思われへん。おまけに上杉なんて家康に喧嘩売ったおかげでどらい貧乏になってしもて利になることなんてなあんもあらへん。せやから、ぬしさまが授かるまでにはうちらの想像を絶する二代目さまの頑張りがあらはったんや」
そうなんだろうかーー僕はただその結果として生まれてきただけなので、その辺の事情については全くわからない。
しかし……確かに僕が伝え聞く母というのもそりゃあ美人な都の貴族の娘であったということなので、何かと無愛想でコミュ力が低く、おまけに顔もめちゃ怖い上に三十も歳が上の父のような男のことを好いてくれた理由についてはめちゃくちゃ気になる。
一体父上が何をどう頑張ったのかは僕にはさっぱりわからなかったけれども。
「ええか、ぬしさま。ピンとくるおなごと巡り会えることなんて人の人生にそうそうない。せやからこれは絶対に諦めたらあかん。きっとご母堂さまもそう思ってらして、ぬしさまの夢に出てきてくれはったんよ」
「そうかな……母上が……」
僕はもう一度自分の掌をじっと見つめた。思い出すのは母上の言葉だよ。
「……定めは変えられなくても、どう生きるかは自分の好きに出来る……」
「そうやで、ぬしさま! 大事なんは心よ」
「心……」
「そうや。彼女のためになるとか、鍋島の力になれるかなれないはまた二の次にして、ぬしさま自身がどうしたいんかってこと」
そうだよーー大事なのは心だ。
それは父上からも、育て親からも、家のみんなや付喪神たちもよく言われている。
謙信公がよく言っていたらしい。
宝とは、心であるーーって。
心の中にこそ、宝があるーー
目先の利益で戦をしなかった謙信公らしい言葉だよね。人が出来ていないと出てこない言葉だと思う。
大事なのは金銀や領土や石高なんかではないのだ。
これは別にうちが貧乏だから悔し紛れに言っているわけでは決してなく!
そうだ、大事なものは心だよ!
たとえ、市から辛い言葉を掛けられるという未来は変えられなくても、僕は市ともっともっと仲良くなりたい。
だから自分が何か出来ることをしたいんだ。
この気持がある以上、これ以上関わり合いにはならないほうがいいという市の提案には同意したくない。少なくとも、この気持ちだけは彼女にはちゃんと話しておこうと思った。
「ぬしさまの気持ちをちゃんと彼女に伝えておかな後悔するで。人間なんていつどうなるかなんてわからんもんや。そういうことは、出来る時にしておかな」
戦ばっかりしてきた刀たちはいつも僕にそんなことを言っているよ。
謙信公がある日突然厠で倒れてそれっきりだったこともあってか、みんな人の死を身近に感じている。
彼ら付喪神は百年も二百年も生きているって言うから、余計にそう感じるのかもしれないよね。大事な人を失うということはとてつもなく辛いことだ。
「そうだよね。そうするよ! ありがとう、火車切り。僕も父上みたいにがんばろうっと!」
微笑む彼女の顔を見つめていたら、夢に見た母上の顔も思い出した。
やっぱり母上は美人だよ。母上を亡くして十年も立つのに、未だに父上が独身な理由もわかる気がした。
謙信公もそうみたいだけど、父上もたいがい真面目で一途な性格なのだ。
そのへんは僕も似ているのかもしれないよ。
だってーー少なくとも今は、僕は市以外のお姫さまと仲良くなるなんてことは考えられないもの!




