55・とにかく狼狽する学寮目付役ーー上条長員のこと 《弐》
「俺の経験じゃあ、鬼の破片を喰らってあそこまでぴんぴんしているというのは例がない。事実、鍋島の生徒はあの場にいただけで意識を持っていかれとったんだぜ? お前さんが守っていたとはいえ、鬼の身体の破片を浴びて目を回しただけなんてのは奇跡に近い」
「あいつは月の霊力で守られてるから、それでだろ。浄化されてるからああいうのは全然平気なんだよ」
「月?」
火車の言葉を継いだのは長員だった。
「……あれを産んだ母親が妙に霊力の強いおなごだったらしいという話は叔父から聞いた。あまりにそういう力があるので権大納言の娘だというのに薄気味悪がられて嫁の貰い手がない。それで上杉のような貧乏大名に貰い受けられたというわけだ。不憫なものよ」
上杉家の当主に頭が上がらない割にはずいぶんなことを言う男である。
「お前さん、会ったことがあるのかい?」
「一度だけだがな。魔性というのはああいうものを指すのだろう。目が潰れるような美しいおなごだが、ずうっと眺めていると寒気がしてくる。妙な悪寒を感じるのだ」
「そいつは月の霊力のことだな。人間の中にもさ、稀に化け物みたいな奴が生まれることがあるよ。強い龍脈の力を持って生まれてくるの。まあ……歓迎されることはないし、長くは生きないのがほとんどだけどね」
それで霊感が働いたり、霊や化け物が見えるのかーー火車の言葉に勝丸は得心がいった。
月の龍脈の力は日輪のそれと並んでとても強い力である。陰の龍脈の中で最も強い力だ。
(確か、御所の陰陽師たちも闇の龍脈を鎮めるために、月の龍脈の力を使っているとかって話だったな……)
「玉丸の奴は男だから、成長するうちに月の力は弱まるだろうと言われてるけどね。男って奴はどうしたって陽の龍脈が強いんだから」
「どちらにせよ、今回ばかりはその力のおかげで助かったな。しかし油断は出来ぬ」
長員は炭化した鬼の身体の成れの果てを睨みつけて言った。
「……こんなものが学寮の内部に出回りでもしたら一大事だ。どんなことをしてでも出処を吐かせねばならぬ」
「鍋島という生徒は一体どうなるんだ? 実家へ返されるのか? 上覧試合は中止か?」
長員は表情を変えずに言った。
「……いや。此度のことはしばらく外へは伏せ置く。生徒連中の保護者や実家にも伝えられない。上覧試合も予定通り行われるとのことだ」
すぐには理解が追いつかず、勝丸は数秒固まった。
「はっ……はあああ? な、なんだと!」
「貴様は化け物を見て逃げ果せた鶴寮の残り二名の介抱にあたれ。両名も化け物を見ている……少なからず動揺しているだろうし、口止めも忘れるな。おかしな噂でも流されたらまた面倒なことになる」
「伏せ置くって……そりゃあ、何もかも黙って隠しておくっちゅうことか? うちの残り二名の保護者にも? 学寮長様には当然報告したんだろうな? うちの寮の寮監督は学寮長様が兼任されとるんだぞ。将軍さまにはご報告が行くんだろうな?」
勝丸は声を荒げたが、上条長員がそれ以上教えてくれることは何もなかった。
ただ、一言だけ彼は
「……全てはここの上役どもが決めたことだ」
と、苦々しい表情で言った。
「むしろ、千徳の保護者にだけ伝える意図がわからんね。蒲生や伊達、鍋島の実家に連絡はせず隠し置くというなら、上杉の家にだけ伝えるというのは不公平というやつじゃあねえのか」
その言葉を聞くや長員は再度深くため息を付いた。そうして勝丸に叫ぶ。
ーー叔父上に隠し事なんかして、バレたらどえらいことになるやろこのど阿呆が!!
彼は血走った鬼のような怖い顔で勝丸をじっと睨みつけると、念を押すように
「……ほんじゃ、ええか? 叔父上にはおどれから千徳の話をせえよ。わしは知らんからな。なんもかんも、全ては護衛役のおどれの責任や」
と、言葉を残して客間を後にした。
「……つい今しがた《隠し置く》とか言っとったんはどこの誰だってんだ……まったく」
そんなに千徳の父親は怖いのかと呟いて勝丸が目をやると、火車も長い毛を逆立てて
「おいらだって知らないもんね! おいらは善戦したもん。鬼だってやっつけてやったし、怒られる言われなんかないもん。《えらいえらい》って頭をよしよしされることはあったって、怒られるなんてはずないんだからね!」
と叫んだ。
これはーー早いほうが良いかも知れないと、勝丸は思った。
悪い情報というのはとかく誇張されて伝え広まるものである。そうならないうちに、自分自ら謝罪に出向いた方がいい。自ら話をするのと、人伝に話を耳にするのとでは心証が天と地ほども違う。
勝丸は、とりあえず今日見つけたあの酒は絶対呑んでやると心に決めて、火車に使いを頼むことにした。
千徳の実家の屋敷へーー
彼の父親に、さっさと謝罪を済ませるために。




