表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

54/174

46・闇の龍脈の鬼、御殿の中に現れるのこと

 北の御殿、鶴寮の主務ーー保科勝丸の故郷は上野こうずけの山の中にある。


 武田の家来をしていた勝丸の父がお家の滅亡後に落ち武者狩りから逃げ続けて辿り着いた果てに落ち着いた場所。

 社の屋根に巨岩を頂く榛名神社の麓には湯が湧いた集落がある。


 武田兵の湯治場――伊香保の湯街だ。


 大地より湧き出る温泉は山よりの恵みであり、龍脈の力そのものだ。様々な龍脈の力が交わる山は強い霊場となり、人の感覚は狂わされる。


 勝丸はそういうところで大きくなった。

 落ち武者狩りから逃れ続けて頭をおかしくした父と二人で榛名の山の中に隠れ住み、時折伊香保の集落へ下りて暮らしていた。

 

 山の中にはよく化け物が出る。《山のやまのけ》と呼ばれるそれは最も警戒すべき存在だった。


 この化け物はとにかく得体が知れない。


 真っ黒な化け物で、不気味な気配を漂わせている。

 姿は固定されておらず、人のような姿をしていることもあればどろどろと形を持たないこともあって得体が知れない。

 獣のような奇声を上げることもあるし、人の言葉を喋るこれに出会したこともある。

 人に襲いかかる習性があるので取り込まれたら最期、もう助からない。


 山の怪が人を取り込むのは人に成ろうとしているからだーーと、榛名の山のぬしが自分に言っていた言葉を勝丸は思い出す。


 山の怪は闇の龍脈そのもの。

 

 闇の龍脈とはこの世の悪いものの集まりだ。

 

 人間には歓迎されない力が凝集したものを、闇の龍脈と人間が総称してそう呼んで邪険にしているーー


「まったく……山の外にも山の怪が出るとはね……名前を変えた方がいいじゃねえかよ。山の外にでも現れるんならもはや山の化け物じゃねえわい」


「それはつまり、深い山の中にはまだ人の手によって管理されていない闇の龍脈の原石があるということだろうね。凝集の特性によって大きく育ったそれを守護するために、この世に鬼は現れる……こうして山の外にもそれが現れるようになったというのはごく最近のことなのさ」


「つまり……人の管理を外れた闇の龍脈の石があるということだわな」


 勝丸は江戸城は西の丸の道場の隣の控室で横になっていた。急に面倒な仕事が入ったものだからひどく腹立たしい。

 昔は鬼を退治すれば相当の駄賃を貰えたものだが、今の仕事では《業務の一環》などと一蹴されて何匹退治してもタダ働きである。

 いや、主務としてはもちろん碌を貰っているけれども、それにしたって命を落とす可能性はあるわけだから手当くらいは付けてほしい。あるいは、退治したら特別に酒でも呑ませてくれるとか。


「それにしたって、江戸のお城の中であんなガチの山の怪が出るとは思わねえよ。今後もこういうことがあるってんなら、それこそ本当に手当の件も考えてもらわにゃ困るぜ」


 話は二刻ほど時を遡る。

 

 学寮の御殿の中に鬼が出たのだ。

 


 剣術の御前試合を五日後に控え、生徒らの授業も多くが剣術の稽古や自主稽古に当てられるようになった。御前試合の名物は特設会場をあつらえての御殿対抗試合であるが、それ以外にも道場で手合わせが行われるため、生徒らは皆稽古に余念がない。

 その最中、学寮の教師や主務たちが詰めている御殿の御広敷に鐘の音が響き渡った。

 御殿の中に強い闇の龍脈の気配を察知した時にのみ鳴らされるという代物である。

 

 これが鳴ると、主務や警護の小坊主達の中でも龍脈の力を感知出来る者は全員西の丸内を見回りをすることになっている。


「まったく……最近頻繁に鳴るじゃねえか、あれ。一体誰がどこで鳴らしてんだ?」

「さあてね。私もその御方については見たことがないな。なんでも、とても霊力の強い高名な御方がわざわざ生徒らの安全を守るためにと常に気配を読んでくだすっているみたいだよ」

 山の中で鬼退治を幼少よりの生業としていた勝丸も、空いていた客間で昼寝の最中に叩き起こされてこれに参加せざるを得なくなった。同行する細川忠利は鬼どころか虫も殺しそうにない優男であるけれども、いつもこの見回りに参加している。

 

 忠利に見つけられた勝丸は仕方なしに表をうろうろと歩き回ることになった。


「はああ……なるほどね。そりゃあ相当な碌を貰っておるにちげえねえわな。俺なんてのは主務なのに寮監督の仕事までさせられて、挙げ句化け物が出そうだから見回りまでしろだって……冗談じゃねえや。ただでさえろくでもないガキの面倒を見させられてんのに……」

「あんまり大きな声では言えないけどさ、どうやら大阪がずいぶんばらまいているらしいんだよ……それで江戸も警戒しているんだ」

「何が何をばらまいてるって? 金か?」

 

 それなら自分も貰いたいーーしかし、忠利はいつになく真剣な顔で


「石だよ。闇の龍脈の原石。大阪の豊臣家が浪人や大名家にばらまいて、味方にならないかと誘っているんだ」


 と言った。


「なんだって?」

 忠利は周囲を伺うと、空いていた部屋の一つに入って戸を締めた。


「……豊臣家はやけを起こしているんだよ。駿府の大御所様が秀忠さまに跡目を譲られたものだから、もう自分達は用済みなのだとわかってどうにか天下を再び取り返そうと画策してるらしい。ところが各地の諸大名が既に忠義だけでは自分達に頭を垂れることをしないものだから、闇の龍脈の石をちらつかせてこちら側へ引き込もうとしているのさ。父からの文によるとね」


「闇の龍脈の力なんて……あれは御所で管理されてんじゃねえのかよ?」

「そうだよ。でも、太閤殿下が関白となった時に、ずいぶん沢山譲り受けたらしいんだ。ほら……太閤殿下なんてのは生まれが生まれだから、先祖代々受け継いた地元の龍脈ってものがないじゃないか? それで諸大名にも自慢出来る大名物を所望したらしいという話だけれど……」


 そう語る忠利の実家は細川という名家である。彼の父ーー細川忠興も大した武人だ。時折茶の湯の授業に現れることがある。忠利は父親にはかなり信用されているとみえて文を沢山寄越してくるらしい。

 細川家にも先祖代々受け継いだ水の龍脈の源泉があり、それで墨を操る術を使うらしかった。


 乱世の時代に覇を競った諸大名も昔は多くが日の本のあちらこちらの様々な龍脈の源泉を管理下に置き、様々な術を行使していた。

 勝丸が主務を務める三人の生徒の実家も龍脈の源泉を持っていた大大名である。

 一つならず二つも三つも所有していた家もあるくらいだ。


「上杉なんて家は江戸に幕府が出来る前は氷晶の龍脈と影の龍脈と、二つも持ってたらしいじゃねえか。千徳の奴が言ってたぜ。それをまるっと全部取り上げられちまったんだから……忠郷じゃあねえが、やっぱり今のご当主が早々に大御所様に頭でも下げて大人しくしときゃあよかったんじゃあねえかとは思うわな。徳川に喧嘩売ったばっかりに……」

「いやあ……どうだろうね? 案外さっさと改易にでもされていたかもしれないよ。上杉なんて家はそういう愚かしくも美しい生き様を評価されて今のこの時代に生かされているんだろうからね。どこの家にでも出来ることじゃないよ」

 

 ともかくーーと、言葉を続けて忠利は戸を開けた。


「我らのような外様大名は気をつけないとならないんだよ。豊臣に通じている、だなんて疑いを掛けられたらおしまいだからね。土台、今の日の本を治めているのは徳川で、日の本の大半の龍脈の源泉を一手に預かり管理している征夷大将軍に喧嘩売ろうなんてことは愚かの極みだ。四国あたりにでも引っ込んで大人しくすればいいのに……」


 その時である。


 開けた戸の目の前を小坊主の数人が大あわてで駆けていくのが見えて、忠利は声を掛けた。


「ば、化け物が出たんです! 御殿の中に化け物が……」


「生徒の数人が襲われたらしくて……」


 勝丸と忠利が小坊主と共に急いだのは表と中奥との境にある大きな黒い扉である。扉の前には大勢の生徒でごった返していた。数人の寮監督の姿があって、生徒の人数を数えている。


「化け物だって? どういうやつだ? どの辺りにいるんだ!」

 小柄な中年の寮監督が勝丸に言った。 

「天橋立の中庭のところで数名の生徒が襲われたらしい。北の御殿の生徒が襲われて、大慌てで自分らの御殿まで逃げて来たよ」

「なんだって?」

 勝丸の表情がいよいよ鬼のようなそれになったものだから、見かねて忠利が

「この人、北の御殿の寮の主務なんですよ」

 と言った。

「例の鐘の音が鳴ったので、見回りの最中だったんです」

「今回ばかりはあれも大当たりっちゅうことだな。あんた、鶴の寮の主務どのかね? 北の御殿には会津藩主さまがおられる寮にしか主務はおらんだろ」

 勝丸が「そうだ」と答えるよりも早く、隣にいた別の寮の監督官が言った。

「忠郷殿はご無事だよ。その忠郷殿が同じ寮の生徒と二人で知らせに来た。ここにおらん生徒は大奥側から逃してる。鬼を御殿に封鎖しとるのさ。なんでも南の御殿の藤の寮の生徒と上杉の若さまが襲われて……」


「ーーようし、わかった! 誰か酒をもってこい!」


 酒だーーそう大声で勝丸が叫ぶと、周囲で騒々しくがやがやしていた生徒たちも一斉に黙ってしまった。

「酒だよ! 酒! 誰か大奥へ走って持ってきちゃあくんねえか!」

「じゃ、じゃあ……私が行ってきます」

 連れ立ってここまで走ってきた小坊主がそう小声で言うと、忠利は頭を下げた。

「悪いね。別に酒盛りをやろうって話じゃないとは思うんだけど……」

「大急ぎだぜ。なるべく早く!」


「そんなら、御広敷の厨に行けばあるかもわからんね。大奥まで取りに戻るなんて時間がかかるだろ」


「はあ? なんでそんなところに酒があるんだよ! 酒を飲むなんて禁止されてるってのに」

 小柄な西の御殿の寮監督ーー屋島やしまが表情を曇らせて言った。

「そら、上役の方々は酒盛りくらいする時があるだろうよ。そういう時の為に隠してあんだって。厨の連中に言えば何とかしてくれるだろ」


 まったく以て腑に落ちない話である。 

 こんな日中に鬼が出ることも、禁止されているはずの飲酒が偉い人間にだけ許される理由もーー


 勝丸はいらいらと足を踏み鳴らした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ