38・若さま二人、早口な客間用人頭を買収するのこと 《壱》
学寮で働いているのは、身元明らかな信頼の置ける徳川の家来筋の人間らしい。
だから学寮での暮らしにはいささかの不安も無用ーー僕ら生徒たちは実家からそう話を聞かされているよ。実家の人間たちもまた学寮の上役たちからそう話を聞いたと言っていた。
僕らと接する機会のある中奥の御殿や表で働く人間たちは特にそういう出自なのだと、僕も総次郎も学寮へ最初に来た時に説明を受けたよ。だから、僕ら生徒と直接接するお部屋番なんて、きっと然るべき生まれの人間のはず。
うちのお部屋番の鈴彦も、将来の行儀見習のために今の仕事をしているに違いなかった。いずれは幕府でも偉い職に就いたりして僕らにあれやこれやと指示を出す側の人間になったりして。
「いやあ……ですから、そうしたことは生徒の方々には申し上げることは出来ぬのです。誰が誰に面会を申し込んだとか、いつ誰が誰と面会しておるとかそうしたことは……」
表の客間へ戻った僕らがたまさか眼の前を通りがかった客間係にあれやこれや話を聞いてみたところ、そんな言葉が返ってきたよ。
早速不機嫌になったのは総次郎だ。
「どうせてめえらは面倒な仕事はしたくねえもんだから、通り一遍の言葉だけ繰り返していやがるんだ。むつかしいことじゃあねえだろ。ただちょいと南の御殿の面会記録を教えてくれりゃあいいんだよ」
「で、ですから……」
困り果てた様子で総次郎に頭を下げ続ける客間係を見ていたら、僕らは彼に相当無理難題をふっかけているのだとわかって、僕も頭を下げた。
「ごめんよ、こんなことを頼んだりして。だけど僕らもちょっと色々調べるように頼まれていてさ……ほら、本丸御殿から将軍様のご家来が出入りしているじゃない? 今は大御所様のご家来がやって来て何か調べ物しているみたいだし……」
すると客間係は表情を変えて、
「ああ……ここの目付役とかいうあの人らですか」
と呟いた。
「そうそう、あの人たちに僕らも頼まれてるんだよ」
「ええ……? あの人達……生徒の方々にまで手伝いをさせておるんですか?」
僕は嘘は言ってないーー僕が強く頷くと、総次郎まで真似して何度も頷いた。
客間係は諦めたようにため息をつくと
「少々お待ちください」
と言って踵を返し、廊下を歩いて行ってしまった。
「お前の従兄弟のあの男……一体何を調べてるんだ?」
「さあね。フランシスコの兄上のことを調べているらしいよ。学寮に出入りしているのがわかって、それでここへ来たみたい」
しばらくすると、先程の客間係が別の客間係を一人連れて僕らのところへ戻ってきた。揃いの薄緑色をした羽織を着て眠たそうにしている客間係だよ。
「客間用人頭です。あとはこれに聞いてください」
もう面倒な仕事は振るな、と言わんばかりの表情でその客間係は去って行った。
「それで、あのう……」
「はあ……なんすか?」
むにゃむにゃと唇を動かしながら客間係が尋ねた。そのまま大きなあくびをするや、彼は
「せっかくいい調子で休んでいたのに……忙しないなあ」
と一度伸びをしたよ。
「それはすみませんでした。僕らは北の御殿の生徒です。お客人のことで少々伺いたいことがありまして……」
頭、ということはつまり客間係で一番偉いのだろう。傍目からはあまりそう見えないけれども。
「北の御殿の生徒が南の御殿の生徒のお客人に何の用があるんです? 南の御殿は他所の御殿と比べると面会なんて少ないけど」
「そうなのか?」
「ええ。さすがに九州は領国が遠いから実家の方々もそうそう江戸へはやってこれんのでしょう。季節によっては江戸へ来ることもあるし、そうした時は逆に面会が集中しますね。あとは……そう、時折江戸屋敷の人間が様子を見に来るぐらいかな。黒田の家の人らが多いね」
「南の御殿にいた蟹の寮の生徒の兄上が面会に来ていませんでしたか?」
客間係は僕の質問に笑って言った。相当な早口でね。
「ああ。弟をぶっ殺したあの御方ね」
僕と総次郎は顔を見合わせた。客間係はケラケラと笑って言葉を続けたよ。
「二度も面会に来ましたね。俺達の間でも噂になってた……何でも、お父上や弟をぶっ殺した御方だとか。ちょうど今、大御所様のご家来がやって来てそれを調べていなさるんですよ。大御所様に覚えめでたい人間なら、実の父親や弟を殺したってお咎め無しで無罪放免だ……くわばらくわばら。俺達も駿府へ足を向けては寝れませんよ」
「お、おい……ちょっと待て。弟は俺も聞いたが……」
「父親を殺したって……どういうこと?」
客間係は得意げに背を反らせながら言った。
「おや、方々はご存知ないんですか? 俺に話を聞くくらいだからこれくらいの噂はもう知っているんだと思ってた。
彼は楽しげに話を続けたよ。とにかく早口でよく喋る人である。
「有馬フランシスコ殿の兄上様は、策を弄して実の父親を破滅に追いやったのだと俺は小耳に挟みましたよ。キリシタンの父親が邪魔だから、策を弄して死罪に追い込んだんだそうですね。あの畠山とかいう大御所さまのご家来もそうしたことをお調べになっているんじゃあないですか?」
「……お前は一体どこでその話を聞いた。どうしてそんな話を知っている」
客間係は僕らよりも年上だ。すらりとした細身で総次郎よりも背が高い。彼はにやりと笑うと総次郎の顔を覗き込んだ。
「我々客間係はお客に茶や菓子を出すだけが仕事じゃあないんですよ。我々はあんたら御曹司様方が面会に来る度に隣の部屋に控えてる。そうしてそこでいろんな話を聞くんだ。これしきのことは客間係の誰も彼もが耳にする。そうして俺はそいつらの話の全てを精査して取りまとめている……上に報告する義務がありますもんで。もっとも? 当然こうしたことは決して口外するなとは言われていますがね」
「……なるほどな。お前みたく、ろくでもない奴もここには働いているというこった」
「教えてくれと言ったのは方々だろうに。俺は駄賃も貰えないこんな仕事にいつまでも付き合うつもりはありませんよ? 上役からも叱られる」
すると総次郎は一度舌打ちをしてから左手の袖の袂をあさりはじめた。しばらくごそごそと動いていた彼が不意に客間係の足元へ指で何かを弾いたものだから、僕も彼もそれを目で追った。
固い何かがてんてんと床を転がって、火車と客間係がそれを追いかけた。それを拾い上げるや、客間係は「おお!」と声を上げて僕らを振り返ったよ。
「さすが、六十万石の大藩の御曹司ともなると賢いねえ。人を上手く使う術を心得ていなさる」
なんだなんだ? 僕は目を凝らしたけれど、客間係が拾い上げたそれは本当に小さな豆のような大きさで、彼の掌の中に入れられると二度と見えなくなった。
僕は足元に戻ってきた火車に目をやり、無言で尋ねてみる。
「ありゃあ銀の粒だよ。はなくそみたいにこんなにちっちゃいやつ」
「ぎ……!」
思わず声が出そうになるすんでのところで何とか僕はそれを堪えた。今度は無言で総次郎に視線をやったけれど、彼はちっともこちらを見やしない。
なるほどね……そういうことか。
総次郎はこうやって学寮で働いている人間を買収したりして様々な噂話を集めているに違いなかった。
実家が貧乏な僕にはずええええったいに真似出来ないやり方で、めちゃくちゃ腹立たしいんですけど!




